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青石の里・小川町 第4回

  “青石の里”を育んだ
        中世の板碑石材採掘・製作地

 最終更新日:2016年4月24日
青石の不用石材が大量に堆積した“ズリ”
(埼玉支部新年会での現地見学会から)

 板碑は鎌倉〜戦国時代にかけて造立された石製供養塔の一種で、石材には、もっぱら、曹長石の点紋を生じた三波川帯の緑泥石片岩が用いられています。小川町では、近年まで町内の数か所で石材業者により採掘され、「青石」「下里石」「武蔵青鉄平石」の名で石碑・基礎・土留・石垣・水路・橋・階段などに使われてきました。
 小川町下里地域は、長瀞町野上下郷地域とともに、関東地方における板碑石材の二大採掘地のひとつとして伝えられていますが、遺構や遺物による確証はえられていませんでした。しかし最近、板碑形に成形された板碑未成品などが発見され、採掘が中世にさかのぼることが裏づけられました。小川町教委による測量・試掘・分布調査の結果、採石時のヤ穴痕がのこる緑泥石片岩露頭、押し削り痕がのこる板碑未成品、台石未成品などがみつかり、林床の落ち葉の下からは、採掘や加工にともなう不用石材が大量に堆積した“ズリ”も姿をあらわしました。さらに広域の分布調査により、同様の遺跡が下里・青山両地内から19か所も発見されました。調査には、地団研会員を中心にとりくみ刊行された「小川町史」(地質編)の地質図がおおいに役立ちました。
 遺物からは梵字や銘文が刻まれた完成品はひとつも発見されないことから、本地域では板碑製作工程の第1次加工(粗仕上げ)がおこなわれ、第2次加工(仕上げ・完成)地へむけて板碑未成品を供給したと考えられます。また板碑の大きさなどから、当地での操業が板碑造立の最盛期である14世紀半ばから15世紀後半で、関東地域で5万基をこえるといわれる板碑の石材採掘と製作を中心的にになった場所であることもわかりました。
 こうして2014年10月に、19遺跡のうちの3遺跡が「下里・青山板碑製作遺跡」として国の史跡に指定され、現在、その保存と活用にむけて検討が行われています。総会のプレミニ巡検で石材の採掘・製作地のひとつをたずねる予定ですので、ぜひご参加ください。

(埼玉支部 本間岳史)



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