地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第511回~第520回(2017年9月~2018年10月)


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第511回 長瀞 中止  2017年9月17日

第512回 岩殿丘陵 中止  2017年10月22日

第513回 あきる台地と丘陵と五日市盆地
                    2017年11月19日

 五日市盆地の地ハイは、これまでに第252回(91年10月)、第320回(98年7月)の二回、いずれも鍾乳洞の見学が行われており、今回が3回目にあたる。今回は青谷知巳さん(都立府中高校)を中心に、「あきりゅうジオの会」(五日市盆地ジオパークをめざして活動中)、関東平野西縁丘陵団研グループ(埼玉支部)の案内で行われた。青谷さんは第396回三宅島(06年3月)の案内でもお世話になり、三宅高校転勤を機に一家転住であきる野市に移り住んだそうである。
 9:10武蔵増戸(ますこ)駅集合。ルート説明後、駅の南方にある『瑞雲寺』へ移動。ここではジオの会の伊藤さんにより、「伊奈石」からなる石塔や五輪塔、道祖神の説明。伊奈石とは約1500万年前の海底に堆積した凝灰質砂岩である。ルートの後半で秋川沿いの露頭でも見学したもの。
 次は『弁天洞窟』である。五日市盆地の西側を取りかこむように秩父帯の堆積岩コンプレックスが存在するが、洞窟はこのコンプレックスのチャートブロック中にある。「チャートの洞窟??」と誰しもが疑いの目を向けるが、本当である。チャート礫が入った「チャート質礫岩」ではなく、チャート全体が破砕を受け、礫状となった「礫状チャート」である。洞の高さは平均3m、奥行きは16m程度である。内部の礫状チャート表面は概して“すべすべ”であった。さて、この成因は?洞中央部に祭られている毘沙門天像には“文明9年酉丁□月”とあるそうだ(下線部は解読不能)。
 次は標高292mの『弁天山』へ。この日は天気も良く、スカイツリーは当然のこと、遠く筑波山までもが望める。左手には「草花丘陵」、眼前には五日市盆地の「秋留台地」から都心のビル群、右手には加住丘陵と、地質屋垂涎の景色が秋の紅葉と青空に映えわたっていた。
 昼食は西に移動し、高尾公園へ。午後は留原層(とどはらそう)中の約10万年前の埋没林(スギ)見学。これにより“五日市湖”があったのでは?と想定したが、さらなる珪藻等の分析結果は湿地帯に近いとのことであった。
 高台に移っての秋川沿いの『段丘面』(大きくⅠ、Ⅱ、Ⅲに区分)の観察。秋川の河原に降り、『網代層』、『秋川層(横沢砂岩泥岩部層、伊奈砂岩部層、高尾凝灰岩部層、館谷泥岩部層他)』とこれに含まれる二枚貝、カニ等の『化石』、秋川河原の『石の仲間分け』等盛り沢山の内容であった。
 最後に参加状況について記す。▽参加者住所:東京15、埼玉21 ▽参加方法:連絡14、ネット:13、 案内者・係:8 、その他:1▽年齢:小四1人、高一1人、その他はぐーんと年上で34人、計36人の参加であった。
 連絡ハガキによる参加もさることながら、インターネットの「日曜地学ハイキング」で探す方も徐々に増えているようだ。ネットのチェックを忘れるといけないので、やはり「連絡ハガキ」ということで、2~3年分の通信費を置いていく方もいる。

{上尾南高校 松井 正和}(参加者36名)

網代礫岩の観察する
五日市盆地の段丘地形をみる
秋川の川原の石の仲間分け
弁天山からの展望

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第514回 長瀞:結晶片岩と河原の石しらべ
                    2017年12月17日

 残暑厳しい中、長瀞の河原で石拾い…のはずが…季節は冬、しかもかなり冷え込んだ朝。野上駅に集まった参加者の皆さんは、弱い日差しに反して元気いっぱい。防寒対策バッチリ。9月に行うはずが大型台風の通過で中止になってしまった長瀞のリベンジだ。
  駅でコース概要や長瀞周辺の地形・土地利用などの説明を受け、地ハイがスタートした。駅前にある宮澤賢治の碑について話を聞く。賢治が秩父・長瀞に地質旅行に来た際、詠んだ歌とのこと。盛岡に帰る前に詠んだ歌は、どこか寂しげな感じだ。
 駅を出発し、『オールカラー荒川の石』(地学団体研究会)にも載っているポイントである、高砂橋下流の河原に到着。いくつかの班に分かれて調査を開始した。各班同じ長さのひもを張り、ひもに触れた長径5cm以上の石を新聞の上に集め、見た目の特徴からグループ分けをした。それぞれの班に付いた先生に分類した石の種類などの説明を聞き、各石の数を数え、統計を取った。そして、特徴をよく観察した後、河原をウロウロ。下を見ながら、ひたすらウロウロ。手頃なサイズの様々な石を拾って、自分だけの標本箱を作成した。 最後に、各班の統計をまとめて、今回の河原の石しらべの結果として発表した。砂岩・チャート・結晶片岩が多かったようだ。また、泥岩の中から化石がいくつか見つかった。中でも全体が残った、状態の良いカニの化石を見つけた小学生(実は私の姪)は、多くの参加者からカメラを向けられ、“時の人”となっていた。
 河原で昼食の際、小松さんご夫婦が特製豚汁を振る舞って下さった。ほんの一時、雪もちらつく中、冷え切った身体に温かい豚汁が染み入って、午後のパワーを頂いた。
  午後は、河原で数種類の結晶片岩の露頭を観察した。また、露頭の中に見られる蛇紋岩を観察し、その産状について説明を受けた。結晶片岩の中には『雁行脈』や『褶曲』が見られるものがあり、規則正しい白い模様やグニャっと曲がった模様の形成過程を聞きつつ、皆さん興味津々で写真を撮っていた。
 橋を渡って法善寺に向かう。長瀞付近の銅採掘の話を聞き、寺で保存されている自然銅(町の有形文化財)を見せて(+触らせて)を見せて頂く。更に上流方向に歩き、蓬莱島でコンパクトに折りたたまれた『横臥褶曲』を観察した。ここでも皆さん、写真をパチパチ。さすがジオパーク秩父、観察コースなどの看板や遊歩道などが整備されていて、この褶曲にも標柱が立っていた。 ここから再び川沿いを下流に歩くと、対岸に銅採掘時の穴(坑道)が見られた。ここは9月より草の少ない今回の方が観察しやすかったと思われる。
  更に少し下流に行き、川岸で『金石の渡し』について説明を受ける。この後で渡る『金石水管橋』ができるまで、荒川水系最後の渡船場として昭和56年まで運営されていたとの話に驚いた。金石水管橋を渡る途中、橋の上から見ると、川の両岸の段々地形がよく見えた。ここで河岸段丘の形成過程について説明を受け、再度段丘面の高さに注意して観察した。
  橋を渡って、まとめをして野上駅で解散。寒風吹きすさぶ中、長瀞リベンジ地ハイは無事に終了した。(冷え性の私は、西武秩父駅の『祭りの湯』で強烈に後ろ髪を引かれつつ、おとなしく帰宅の途に就いた。)

{所沢西高校 竹内幸恵}(参加者 44名)

 
褶曲の観察
川原の石しらべ

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第515回 春日部の水・水辺・粕壁宿をたずねて  
                    2018年 1月21日

 1月の地ハイは昨年(第505回、春日部・浜川戸河畔砂丘)に続き春日部で行われました。今回は春日部の歴史を水との関りに着目し、その跡を巡りました。案内者は地団研埼玉支部の小勝幸夫会員・平社定夫会員、春日部教育委員会の長谷川清一さん。参加者は33名でした。
 朝10時に春日部駅東口に集合。午前中は、小勝さんと長谷川さんの案内で、日光道中粕壁宿として栄えた現春日部大通りや大落古利根川沿いの史跡を、明治初期の迅速図と照らしながら訪ね歩きました。大通りでは「問屋場跡」や「高札場跡・浜島家の土蔵」を、大落古利根川では、江戸時代から架かる新田橋や石垣の一部が残る「上喜蔵河岸跡」を見ることができました。大落古利根川沿いの道は、大通りの商家の裏手にあたり、今も敷地内に数戸の蔵や神社を有する旧家がありました。当時、荷を積んだ舟が往来していたことを想像するにつけ、粕壁宿の商業発展の背景には、川が大きな役割を果たしていたことがうかがえました。
  案内者二人ともこと春日部については、新・旧の出来事を問わず豊富な知識があるだけに「そろそろ時間ですよ・・・」と声を掛けないと先に進まないといった状況。古利根公園橋では、通行人の方がつい立ち止まって説明に聞き入いる姿もありました。 牛島公園で昼食をとり、午後は藤塚付近に分布する河畔砂丘の観察です。出発前に平社さんから中川低地や河畔砂丘について説明があり、河畔砂丘のある藤塚まで3kmほどの道のりを大落古利根川の遊歩道に沿って歩きました。この時期にしては風もなく暖かな日差しに、汗ばむほどです。遊歩道では散歩やジョギングを楽しむ人々、また、川面には都鳥の群れがのんびり羽を休める姿も見られました。
 藤塚河畔砂丘は、平社さんが調査した当時とは家が建つなど、かなり様相が変わってしまったようです。昨年の浜川戸のような砂丘の砂などは見ることは出来ませんでしたが、道路の起伏や建物の高さの違いに、何となくその存在を確認することができました。 最後は、砂丘の南端にあたる藤塚香取神社の境内で、今日のまとめを行い終了となりました。
 まさか翌日、大雪で交通機関に大きな乱れがでることなど予想できないほど、一日中、ポカポカ陽気の天気に恵まれた地ハイでした。
  (国土地理院web地図で藤塚周辺を拡大し、【機能】で断面図を作成してみると砂丘の高まりが良くわかります。興味のある方は試してみてください)  

{地ハイ係 力田正一}(参加者 33名 )

大落古利根川の遊歩道

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第516回 下仁田、大地の不思議を満喫する二日間 
                 2018年 3月16日~17日

1日目は「ジオツアー」 〝日本ジオパーク下仁田応援団〟の高橋真理子さんの案内で下仁田駅からスタートし、主に町の中心に近い場所を巡りました。 鉄ちゃんの人気駅?・下仁田駅がどうしてここにあるのか、というところからジオツアーはスタートしました。下仁田駅の存在理由も地質と関わりがあるのですね。昔をしのばせる「昭和レトロ通り」をゆっくりと見学しながら、下仁田を調べている人達のねぐらともなっている「かぶら宿」に荷物を置いた後、近くの諏訪神社へ。見事な彫刻と、巨木が目を引きました。そののち、諏訪神社の下を流れる鏑川の河床に露出している下仁田層の貝化石を見学、川を挟んで対岸にのびる北大野―岩山断層(川井の断層)を見学しました。足元の第三紀層と三波川結晶片岩を隔てたこの断層は中央構造線に相当するものです。 断層を露頭で見学するために、河床から一度道路まで戻り、対岸へ渡ります。その途中では、三波川結晶片岩や秩父帯の上に水平断層で跡倉層などが載った「跡倉クリッペ」の山々を遠望しました。善福寺の脇から再び鏑川の河床に降りると、三波川帯の緑色岩が断層によって破砕されている部分や断層粘土が見られました。対岸には先ほど見学した第三紀層が見えています。断層を見学したあと道路まで戻り、参加者全員で道路を横切る断層の推定位置に並んで記念撮影をしました。 石英閃緑岩でできているという川井山の脇を通り、クリッペの上部に載る跡倉層の岩石などを遠望しながら歩いていくと、コースは青倉川沿いとなります。下仁町自然史館のすぐ近くでは青倉川の河床へ降り、跡倉クリッペのすべり面の露頭を観察しました。断層を境として、下側が三波川結晶片岩の岩石、上側が跡倉層の堆積岩です。  今は使われなくなったコンニャクを粉にするための水車小屋を見学したあと、この日最後の見学は下仁田町自然史館の展示でした。廃校となった青倉小学校の後利用の施設ですが、下仁田ジオパークの中心です。展示や説明は2日目のコースの参考となったことでしょう。宿泊は下仁田駅のすぐ近くにある歴史を感じさせる「下仁田館」でした。夕食はすぐ近くの「安兵衛」での〝ジオ定食〟。ジオパーク下仁田ならではの〝ジオ〟づくしです。夕食後には学習会、そして懇親会。下仁田の夜は最後まで〝ジオ〟の話が尽きませんでした。 2日目のA コース Aコースでは6名の参加者と案内と係の9名で、最初に青岩公園で川原の石を調べた。ここは西牧川と南牧川の合流地点で、青緑色を帯びた岩畳の露頭が見られ、その周りには、大きさも種類も異なるさまざまな石が広く分布している。火成岩の閃緑岩・安山岩や流紋岩、堆積岩の凝灰岩・石灰岩・チャート・砂岩、変成岩のホルンフェルスなど。これらの石から上流に分布する地質・岩石について考えた。この後は南牧川沿いを歩き、跡倉層の砂岩泥岩層が逆転している宮室のポイントを観察した。普通の砂岩泥岩層では砂岩層の砂粒の粒径が上部になるにつれて細粒となり、泥岩が重なる。ここでは砂岩と泥岩のようすが上下で逆になっていることから、砂岩泥岩層の堆積後にひっくり返ったのである。 次に大桑原では南牧川の対岸に、V字状に褶曲し横倒しになった地層がみられる。砂岩泥岩層が移動してきたときの変動の様子を物語っている。最後に長源寺橋の跡倉礫岩層を観察した。礫種は花崗岩類がほとんどで、そのほか、ホルンフェルス・砂岩・泥岩・チャート・石灰岩などもみられた。 2日目のB コース  「健脚者向き、高校生以上、補助ザイルつき岩場あり」の注意書き、そして「募集4名」と少々敷居の高かったかもしれない四ツ又山登山コースですが、1日目の自然史館での見学で、四ツ又山を作ったマグマの物語を見たり聞いたりした結果、Aコースから2名の変更があって、参加者6名と案内・係を含めた合計9名で山頂を目指すことになりました。  コースは大久保の集落からマメガタ峠を経由し、そこから四ツ又山の4つのピークを越え、天狗峠へ下って大久保の集落へ戻るというものです。 春の暖かい陽ざしの中、花粉の舞う杉の植林地帯に突入した一隊が最初に出会ったのは、沢沿いに滝を作るような硬い礫岩(中ノ萱礫岩)でした。〝トリゴニア・イノセラムスの海〟の堆積物です。そこから急傾斜の沢沿いの登山道を岩石を見ながら行くと〝アンモナイトの海〟の跡倉層の中になりました。閃緑岩にも似た砂岩は、注意深い観察が必要です。マメガタ峠で一息を入れ、これからが緊張を強いられる四ツ又山への急登となりました。〝アンモナイトの海〟の岩石でできた四ツ又山の3つのピークを上り下りしながら最後の899.7mの最高峰を目指します。最後のピークは〝マグマの誕生〟の主役?の石英閃緑岩の岩峰です。前日の自然史館での説明では黒雲母片麻岩の一部がこの石英閃緑岩のマグマの熱で溶けて、花崗閃緑岩がつくられたというシナリオが紹介されましたが、この最高峰の南側にこれらの岩石がありました。しかし、標本として研磨された岩石と露頭とでは大違いで、注意深く見ないとなかなかわかりません。黒雲母片麻岩、花崗閃緑岩、石英閃緑岩、ミグマタイト…、4つの岩石名がうまく整理できたでしょうか。 天狗峠まで下ってくると、急傾斜の地形はまだまだ続くのですが、ちょっと一安心。そこからしばらく下って、〝トリゴニア・イノセラムスの海〟へと戻ってきました。山の難易度と同じくらい…、あるいはそれ以上に内容の難易度も高い「四ツ又山ジオ登山」でした。やはり四ツ又山は手強い!  

{本庄高校 栗原直樹}(参加者 18名)

下仁田の街なか
四ツ又山

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第517回 山地と平野にまたがる飯能(1)
 山地と平野の境界をあるく+日曜地学の会総会 
2018年 4月15日

 今回の地ハイは、地団研埼玉支部と飯能市立博物館が共催であったためか、飯能駅に集まった参加者の半数近くが地元の方であった。また、小学生が3名と賑やかさがあった。
  朝の雨は集合時刻には止んでいたが、足元がすべることもあり、予定のコースでは午後の飯能市郷土館を最初に見学をした。この4月に飯能市立博物館としてリニューアルオープンし、自然のコーナーでは、地形地質、動物、植物を紹介している。館長さんから展示の案内があり、その後研修室で案内者の関東平野西縁丘陵団体研究グループの久津間さんと正田さんから今日の内容である「東平野はじまりの地質 」の説明があった。続いて地ハイ総会で、昨年の地ハイを振り返っての説明をおこない、今年度の地ハイが7回となり、その予定を説明した。
 午後は市民会館脇の天覧入りの露頭で、矢颪テフラのラミナを観察し、下位の礫層の様子から当時の環境などを考えた。入間川まで歩き、割岩橋下の飯能河原で河原の石を観察した。石の硬さの違いなどから石の種類の違いについて説明があったあと、小学生が石どうしをぶつけて割るなどして盛り上がった。
 最後に飯能大橋下の川原で、飯能層の礫層に閃緑岩やホルンフェルスがあることから、古多摩川の扇状地であったことが説明された。さらに矢颪テフラにつては鉱物からその起源など最新の研究成果が紹介され、宇宙からも見えることも示された。矢颪テフラ上にできたポットホールでは、小学生が入っている風景は最近ではないことであった。

{川越女子高校 松岡喜久次}(参加者 43名)

矢颪テフラを観察
飯能礫層を観察

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第518回 三浦半島観音崎で磯の生物と自然博物館を見学
     −埼玉支部・神奈川支部合同地ハイ−
   2018年 5月19日

 なんだか今にも雨が降り出しそうな日曜日。(実際埼玉の方では大雨が降っていたらしい)今日の地ハイは神奈川支部と神奈川野尻湖友の会との共催で、テーマは現生の生物観察。いつもと趣の異なる内容にワクワクしながら浦賀駅に向かった。途中合流も含め、埼玉からは12人が参加した。
 まずはバスで博物館へ向かう。最寄停留所の一つ手前で下車した瞬間、強烈な磯の香りに「海に来たぞ!」と実感した。海なしの埼玉県に住んでいる私は、一気にテンションが上昇。
 博物館まで海沿いを歩いていると、砂浜に漣痕が見えた。別の場所では、砂の表面に砂鉄などの黒っぽい鉱物が集まっている様子も見られた。いつもは地層の中で見る、堆積構造がつくられている現場を横目に歩き、観音崎自然博物館に到着した。
 中で学芸部長の山田さんから、観音崎周辺の地質や海の生物について説明を受ける。イルカとクジラの違いや近くの海で見られる生物など興味深いお話を拝聴した。何人もの方が、説明後にテーブルに置かれたイルカの頭の骨やウミガメのくちばしなどを、手に取って観察している姿が印象に残っている。
 その後、解説を受けながら館内を見学した。ミヤコタナゴの大きな水槽や綺麗な青い色をしたカツオノエボシというクラゲなど、皆さん興味深げに覗きこんでいた。観察後は、博物館の中庭で昼食タイム。頭上を飛ぶ鳶に食事を狙われながら、スリリングなひと時を過ごした。
 午後は、観察する際の注意事項や危険な生物の説明を受けた後、長靴などに履き替えて干潮時の磯へGO!潮溜まりなどで、各々思い思いに生物を探す。ここでは小学生の参加者が大いに活躍していた。エビやヤドカリ・カニなどからアメフラシやヒトデ・ギンポの子どもなど、たくさんの生物を見ることができた。特にアメフラシは丁度産卵期に当たるそうで、コッペパンサイズの大物が何匹もいて、岩場にはオレンジ色の粒が紐状に連なってまとまった卵がたくさん見つかった。磯での時間はあっという間に過ぎ、名残惜しくも解散となった。
 朝のうちは不安定だった天気も、昼前には快晴となり、磯遊びには最高の1日だった。お尻が濡れてしまうハプニングに見舞われた方もいらっしゃったが、皆さん笑顔で楽しい地ハイとなった。普段、化石や地層として見ているものの現生の様子を観察するというのも、とても興味深く、年に1度くらいこの様なテーマの地ハイがあっても面白いなと感じた。

{埼玉支部 竹内幸恵}(参加者  名) 

観音崎自然博物館での講義
磯の生物観察

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第519回 「犬木の不整合」付近の
    秩父盆地新第三系と山中白亜系
 2018年 7月22日

 〝命にかかわる危険な暑さ〟が続く酷暑の7月。地学ハイキングは小鹿野町の赤平川沿いを訪れました。集合場所はいつものようにどこかの駅ではなく、小鹿野町三山にある赤谷温泉前。ここへたどり着くには西武秩父駅からバスを乗り継いでくる必要がありました。
 集合場所からは小幡さんの案内で、すぐに赤平川の河床へ。この日のメインルートは赤平川の中で、バチャバチャと川の流れの中に入り、コンクリートやアスファルトの焼けるような暑さから解放されました。このあたりの赤平川は緩やかな流れの、気持ちの良いせせらぎです。
 赤谷温泉の前から降りた赤平川の河床には黒っぽい頁岩の露頭が観察できました。ところどころに砂岩も挟まれています。これは山中地溝帯の白亜系の「石堂層」とされる地層でした。このあたりの地層は逆転層になっているとのことで、堆積構造を観察しながら地層の上下を判定してみました。アンモナイトの化石も出るかもしれない…とのことでしたが、残念ながら〝大物〟は見つかりませんでした。
 そこから川の中を少し下ると、国指定天然記念物となった「犬木の不整合」です。上流側の白亜系の上を秩父盆地を作る新第三系が覆っているものです。不整合面の上には礫やラミナの見られる砂岩層などが観察でき、その堆積していった様子を想像することができました。
 犬木の不整合からさらに川沿いを下っていくと、そこからは不整合面の上の新第三系の地層となりました。化石が見つかるとのことで、みんなで注意しながら岩石を見ていくと、二枚貝やウニの化石を見つけるができ、産状からその化石がどうやってできたのかを推測しました。化石が多産することからこの地層は浅い海の堆積物と考えられるとのことです。
 さらに下流では泥岩が現れてきましたが、こちらからは化石はほとんど見られないとのことで、堆積した場所がもっと深い場所になったようです。この泥岩は砂岩を挟むような互層となっているタービダイトが観察できる場所があって、海底扇状地を想像させてくれました。また、砂岩層の下面にはソールマークを見ることができました。
 ここで涼しい赤平川の河床の観察は終了です。あとは道路へ戻り、「岩殿沢石」とよばれる地元の凝灰岩質砂岩が使われている標識や鳥居や石仏,埼玉の砂防発祥地記念碑などの石造物を見学しながら帰りのバス停まで歩きました。

{本庄高校 栗原直樹}(参加者 25名)

赤谷で山中白亜系の説明
「犬木の不整合」前で記念写真
タービダイトの露頭
礫岩などでつくられた石灯籠

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第520回 秋の岩殿丘陵と体験館をたずねて
                    2018年10月16日 

 10月21日に標記の地学ハイキングが行われました。このコースは昨年、雨のため中止となったコースです。昨年とは打って変わって、秋晴れのもと41名の参加がありました。案内者兼パンフレット作成者は千代田厚史会員と東松山市化石調査会の原田吉樹さんです(原田さんは都合があり、当日の案内はできませんでした)。
  高坂駅からバスで物見山へ。東松山市の地形を俯瞰し、河川が丘陵を浸食していく様子を観察しました。その後、岩殿観音・正法寺へ向かいました。そこでは泥岩層中に挟まる3層ある傾斜した凝灰岩層を離れて観察しました。物見山駐車場へ移動し、約200万年前の飯能礫層に相当する物見山礫層を観察しました。礫層を構成する礫の中でも、ふだん河原では見ないすぐに割れてしまう「くさり礫」を面白く感じたのではないでしょうか。
  市民の森の中を歩き、尾根道へ進みました。200万年前の礫層と1,200万年前の将軍沢層(岩殿層)の不整合を観察しました。すぐそばに、ちょっと見つけにくいのですが、凝灰岩中のめずらしい火山豆石の観察・採取を行いました。今回は寄りませんでしたが、近くには地球観測センター(無料)もあります。
  昼食後、神戸台地を下りたところにある湧水「弘法の願い水」を見て、つぎのポイントへ向かいました。途中の葛袋神社の北側は、かつて化石採取のメッカだったところですが、今は貯水池に変わってしまいました。その頃の所有者である秩父鉄道は、愛好家の採取に対して理解があったそうで、禁止することなく採取できたそうです。そのすぐ側にある最後の見学地「東松山市化石と自然の体験館」に寄りました。そこでは葛袋より移したサメの歯などが含まれる神戸層の岩屑の体験コーナーを見学しました。見ていると、化石を発見した歓声が聞こえてきて、結構な確率で見つけることができることに驚きました。また風化退色した外層と未風化の内部の様子から「まんじゅう石」と呼ばれる緑色凝灰岩の礫があり勾玉や管玉に利用されているとういことでした。体験館は千代田会員も運営に携わっているそうです。
  見学後、段丘面をアップダウンする「まなびのみち」(葛袋~高坂駅の廃線跡)を歩き、終点の高坂駅で解散となりました。今回は高校生も数人参加してくれました。地学部の顧問の先生に勧められての参加だということです。

{久保田郁夫 羽生第一高校}(参加者 41名)

岩殿観音
東松山市化石と自然の体験館前
東松山市化石と自然の体験館前

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