灘ヶ崎で地層の繰り返しを見る
城ヶ島の北西の灘ヶ崎で、三崎層下部の地層を観察しました。三崎層は約1200万~440万年前に水深約2000~3000mの海底に堆積した、黒いスコリア、白・ピンクの凝灰岩やシルト岩で構成されています。地層は南に傾斜しており、多数の断層でぶつ切りにされ、同じ地層が繰り返しています。これは三崎層が形成後、北に移動するなかで、大きな力を受けてきたことを物語っています。
観光橋でスランプ構造を見る
観光橋で三崎層のなかにスランプ構造が見られました。白い凝灰岩のなかで、黒いスコリア層がグニャグニャ曲がっていました。堆積した地層が柔らかいうちに海底で地滑りが起きて、横から押されて曲がったのです。
橋の向こう側のスコリア質の黒い地層の上に、カンザシゴカイの層が2層見られたとのことでしたが、地層は波で削られて、現在では見られなくなってしまいました。現在の海面より1.4m上のカンザシゴカイの棲み跡は、1923(大正12)年の大正関東地震で隆起したもので、海面より2.2m上のカンザシゴカイの棲み跡は、1703年の元禄地震で隆起したものとのことでした。
城ヶ島名物の火炎構造を見る
長津呂崎(ながとろさき)の手前では、「火炎構造」が見られました。これは、白い火山灰の地層の上に、スコリア質の黒い火山灰が堆積した後、まだ柔らかいうちに地震などで揺すられて、上の重いスコリア層が下の白い火山灰層に落ち込むことで火炎のような構造ができたと考えられています。
灯台の前でお昼にしました。風は少し強かったですが、気持ちよく海を見ながら、お弁当を食べました。
海食洞のSo凝灰岩層と火山豆石
昼食後、海食洞へ。ここには、かつては波に洗われて形成された海食洞と高角度に立った断層がありました。断層は城ヶ島を南北に横切り、対岸の三崎から三浦海岸まで続く大規模なものでした。海食洞のなかでは、460万年前のSo凝灰岩層が見られました。
その南側に、三崎層の上部に火山(かざん)豆(まめ)石(いし)を含む地層がありました。マグマ水蒸気爆発の大量の水蒸気を含む噴煙中で、表面張力や静電気で火山灰が球状に固結したものと言われています。
初声層と馬の背洞門
初声層(はつせそう)は斜交葉理のあるスコリア、軽石などが440万~400万年前に三崎層を削って堆積した地層です。馬の背洞門は大正地震以前にはのなかを波が通り、船も通過していたのが、地震で1.6mも隆起したとのことでした。洞門から階段を登り、赤羽根海岸の断崖には2000羽のウミウが生息している巣があるとのことです。雨が降ってきたので、屋根のある場所で、まとめをしました。解説も終わるころには、雨が小降りになったので、白秋碑のバス停から、三崎口へそれぞれの帰路につきました。
最後まで、地質図や写真をかざしながら、丁寧な案内をしてくださった蟹江康光さんと蟹江由紀さんに深く感謝します。(文章は一部修正)
{神奈川支部地ハイ担当 後藤仁敏}(参加者 26名)
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