地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第551回~第560回 (2023年2月~2024年4月)


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第551回 むきだしの磁鉄鉱床と根なし山の正体を探る
        下仁田ジオツアー
  2023年2月18日~19日

 2020、22年に予定されていた下仁田地学ハイキングは、いずれもコロナ禍により中止となり、3年越しの開催となった。今回は「下仁田ジオパークの会」のメンバーと関東山地研究グループによる担当で行われた。また、上信電鉄の「帰路0円キャンペーン」期間中に組まれたものである。18日12:30下仁田駅集合。駅前の待合所の建物で受付・自己紹介。いざ、ジオツアーへ。まずは、ジオパークの会の高橋真理子さんの説明により「昭和レトロ中央通り」→「下仁田層・貝化石床」→「川井の断層(中央構造線)」→「諏訪神社(彫刻)」と進む。→いよいよ『中小坂鉄山』へ。ここからは、同じジオパークの会の大河原順次郎さんの説明による鉱山見学となる。山道を少し登ると、所々に坑道の入り口が見える。磁鉄鉱を含むと思われる薄層の鉱脈が見られる所もあり、準備のいい人はさっそく磁石を近づける。帰りは通称トロッコ道(レールはすでに撤去されている)を使い下り、最後の見学地である製鉄所跡へ。炉の耐火レンガ跡や鉱石運搬軌道跡、木炭運搬軌道跡等の説明を伺った。2月の陽はまだ短く、16:45頃にはとっぷりと暮れた。中小坂でのもう一つの楽しみが「鉄山飯」である。地元の石井さん宅で、当時の抗夫ごはんを今風にアレンジした夕食をいただいた。鉄山飯もさることながら、自家製のタクアンがことのほか好評であった。18:30頃宿舎の「下仁田館」に到着。休憩、お風呂の後、パワーポイントによる「鉄山の復習」、翌日の「根なし山の予習」の学習会が行われた。まだコロナ禍ということもあり、関東山地研究グループお得意のアルコールリッチ懇親会は行わず、簡単な感想を出し合って散会となる。  翌19日は朝から小雨。研究グループの代表H氏が”雨男”を自認するだけのことはある。
 ともあれ、8:30 下仁田館出発・『根なし山見学ツアー』→青岩公園で河原の石の判別→その後は、雨のため車に分乗し、南牧川の「大桑原の褶曲」を見学→青倉川へ移動し、「跡倉衝上断層」、「跡倉フェンスター」を見学→「下仁田自然史館」にて昼食(ジオ弁当)・館内展示物の見学→田島屋水車(乾燥コンニャクの粉末化)今は使われていない*自然史館の関谷氏による説明→雨天でコースの変更はあったが、無事、14:40 に下仁田駅で解散となった。<未だコロナ禍のせいか・・・参加:6名>

(伊奈学園総合高校:松井正和)(参加者 6名)

 
青岩公園にて
中小坂鉄山跡を訪ねる
下仁田層の観察

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第552回 秩父札所の地学めぐり その12
    秩父盆地北西縁部の地質と札所31番をたずねる

                 2023年 4月16日

 大雨のため、実施できなかった念願の札所31番をたずねるコースでした。当日は天候にも恵まれ絶好の地学ハイキング日和となりました。案内は、小幡喜一さんです。
 西武秩父駅からバスで街道を馬上まで走ります。途中、前日にお祭りがあったことや、なぜ、小鹿野に「越後」屋旅があるのか等、地域の話題に事欠きませんでした。
 バス停を降りて道沿いに、今日の案内書にはない秩父帯の大きなチャートの露頭に寄りました。そこで秩父古生層、かつての地質図作り、本州造山運動論からプレートテクトニクスに移っていく科学史の話もありました。年配の参加者の中には、懐かしい用語に高校生の頃を思い出したのではないでしょうか。しかし、これは予定外の観察ポイントです。
 地ハイのルートは『堀口萬吉 監修(2012)「埼玉の自然をたずねて」築地書館』に沿って歩きました。民家の横を通りながら、沢に入り、「牛首峠周辺の新第三系」を見学しました。沢の中の礫の観察、層々変化の様子から、日本海の拡大、陥没盆地の話、秋田・新潟で火山活動はあったけど秩父にはなかった。どういうふうに海が入ってきたか等、秩父盆地形成につながるように話がすすみました。
 峠まで少々きつく感じながら山道を登りました。峠の上には日尾城址があり、城がここに造られたのも砂岩で平らな面を造りやすかったことや断層崖で攻めにくかったことも紹介され、自然をうまく利用した要塞であることがわかりました。日尾城址で昼食を取り、集合写真を撮影した頃に風が出てきて、雷の心配をしながらの移動となりました。鎖場を登り、最後の見学地の「秩父札所31番鷲窟山観音院」へ向かいました。
 ここで秩父盆地団体研究グループの成果である秩父盆地が陥没し、海が入り始めた頃の堆積物と、馬の足跡岩窟がいくつもの凹みが風化して連結してできたというタフォ二、その中にある珍しい円〜馬蹄形模様の「石灰質コンクリーション」を間近で観察しました。球状のレキのようにも見え、仏子層の「コロコロ石」をほうふつさせるものでした(まったくの別物です)。境内に入ると露頭の説明板の誤りの指摘もありました(ついつい見逃してしまいます。)。
 帰り道も岩殿沢石でつくった石垣、石仏や滝を見学し、話題豊富な地学ハイキングとなりました。途中に急な坂や鎖場もあり健脚向きのコースでした。なお、秩父札所31番にて日曜地学の会の総会が開かれ今年度の行事等が承認されました。

{熊谷高校 久保田郁夫}(参加者 18名)

 
礫岩層を見ながら牛首峠への道を登る
秩父札所31番観音院の観音堂前で

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第553回 城ヶ島    2023年 5月14日

灘ヶ崎で地層の繰り返しを見る
 城ヶ島の北西の灘ヶ崎で、三崎層下部の地層を観察しました。三崎層は約1200万~440万年前に水深約2000~3000mの海底に堆積した、黒いスコリア、白・ピンクの凝灰岩やシルト岩で構成されています。地層は南に傾斜しており、多数の断層でぶつ切りにされ、同じ地層が繰り返しています。これは三崎層が形成後、北に移動するなかで、大きな力を受けてきたことを物語っています。

観光橋でスランプ構造を見る
 観光橋で三崎層のなかにスランプ構造が見られました。白い凝灰岩のなかで、黒いスコリア層がグニャグニャ曲がっていました。堆積した地層が柔らかいうちに海底で地滑りが起きて、横から押されて曲がったのです。
 橋の向こう側のスコリア質の黒い地層の上に、カンザシゴカイの層が2層見られたとのことでしたが、地層は波で削られて、現在では見られなくなってしまいました。現在の海面より1.4m上のカンザシゴカイの棲み跡は、1923(大正12)年の大正関東地震で隆起したもので、海面より2.2m上のカンザシゴカイの棲み跡は、1703年の元禄地震で隆起したものとのことでした。

城ヶ島名物の火炎構造を見る
 長津呂崎(ながとろさき)の手前では、「火炎構造」が見られました。これは、白い火山灰の地層の上に、スコリア質の黒い火山灰が堆積した後、まだ柔らかいうちに地震などで揺すられて、上の重いスコリア層が下の白い火山灰層に落ち込むことで火炎のような構造ができたと考えられています。
 灯台の前でお昼にしました。風は少し強かったですが、気持ちよく海を見ながら、お弁当を食べました。

海食洞のSo凝灰岩層と火山豆石
 昼食後、海食洞へ。ここには、かつては波に洗われて形成された海食洞と高角度に立った断層がありました。断層は城ヶ島を南北に横切り、対岸の三崎から三浦海岸まで続く大規模なものでした。海食洞のなかでは、460万年前のSo凝灰岩層が見られました。
 その南側に、三崎層の上部に火山(かざん)豆(まめ)石(いし)を含む地層がありました。マグマ水蒸気爆発の大量の水蒸気を含む噴煙中で、表面張力や静電気で火山灰が球状に固結したものと言われています。

初声層と馬の背洞門
 初声層(はつせそう)は斜交葉理のあるスコリア、軽石などが440万~400万年前に三崎層を削って堆積した地層です。馬の背洞門は大正地震以前にはのなかを波が通り、船も通過していたのが、地震で1.6mも隆起したとのことでした。洞門から階段を登り、赤羽根海岸の断崖には2000羽のウミウが生息している巣があるとのことです。雨が降ってきたので、屋根のある場所で、まとめをしました。解説も終わるころには、雨が小降りになったので、白秋碑のバス停から、三崎口へそれぞれの帰路につきました。
 最後まで、地質図や写真をかざしながら、丁寧な案内をしてくださった蟹江康光さんと蟹江由紀さんに深く感謝します。(文章は一部修正)

{神奈川支部地ハイ担当 後藤仁敏}(参加者 26名)

 
灘ヶ崎での三崎層下部層の観察
観光橋でスランプ構造を見る
火炎構造を見る参加者
初声層からなる馬の背洞門で

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第554回 地団研ちちぶ総会フィールドシンポ(地ハイ)
 B1コース「秩父青石の採掘地を訪ねる」
  2023年8月19日

 集合場所は秩父鉄道樋口駅のすぐ前にあるエアコンの効く快適な樋口地区コミュニティ集会所で、長瀞町教育委員会や地元の前長瀞町文化財保護審議委員の方などのおかげで、集合場所のみならず荷物の預かり場所と昼食の場所として利用することができました。涼しいコミュニティ集会所で全体の説明を聞いた後、酷暑の長瀞へ出発。
 国道140号線沿いにある長瀞第二小学校の塀に書かれた「水」の文字が最初のポイントでした。そこでは寛保2年(1742年)の洪水で荒川の水がここまで来たという驚きの水位を確認しました。そこから線路を渡って荒川の流れをすぐ下に感じられる道路を下流側へ歩いて清水屋食堂へ。清水屋食堂は荒川をはるか下に見下ろすような位置にあるのですが、2019年の台風19号による洪水のときにはここまで水が来たという位置を確認しました。
 そこからさらに下流へ向かい、荒川にかかる白鳥橋へ。橋の上から荒川を見下ろすとはるか下に水面が見えます。その水面から台風19号の豪雨のときには18mも水位が上がったとのこと。普段の荒川からはその水量はなかなか想像もできません。ここで水位が上昇するのは、荒川の川幅が一番狭まっているこの場所の地形が原因となるということでした。再び秩父線と国道140号線を渡り、国指定史跡「野上下郷石塔婆」へ。高さ5.37mの日本一の大きさの石塔婆は現物を見るとさらに大きく見えました。地団研の普及講演ではこの拓本が会場に展示されましたが、ステージいっぱいの高さでした。ここでは文化財として、あるいは石材として、いろいろな面からこの石塔婆について議論が交わされました。ちなみに石材は点紋のある緑泥石片岩でした。
 樋口駅すぐ裏の崖に「水」と刻まれた寛保洪水水位磨崖標を見学したあと、青石を採掘した斜面へ向かう計画でしたが、あまりの暑さに、そして野上下郷石塔婆で議論が白熱して時間が厳しくなってしまったこともあって、ここからは自動車に分乗して急斜面の登り、結晶片岩で作られた石垣がある緩やかな見晴らしの良い場所へ。X字状に組み合わされた結晶片岩の石垣は美しく、そして構造的にも強いのだそうです。ここでは土器や陶磁器の破片も見つかり、遺跡である可能性も指摘されました。そして、最後に青石を切り出した石材採掘遺跡を見学しました。ここへ行くには斜面を自分の足で登るしかありません。暑さでかなりバテバテとなりましたが、なんとかたどり着き、緑泥石片岩の露頭、そして石材を切り出すためにつけられた矢穴、加工されたらしい石材、などを観察することができました。ただ、残されている痕跡からは中世を示す明確な証拠が得られていないとのことで、今後の発見に期待しながら終了となりました。

{地ハイ係 栗原直樹}(参加者 19名)

 
国指定史跡「野上下郷石塔婆」
埼玉県指定旧跡「板石塔婆石材採掘遺跡」

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第554回 地団研ちちぶ総会フィールドシンポ(地ハイ)
B2コース「武甲山麓の秩父札所と石灰岩開発」
2023年8月19日

 このコースでは武甲山が間近に見える影森駅からスタートしました。江戸時代に造られた影森用水の話題から始まりました。この付近は地下に厚い礫層があるため、水に困り米作りのできない土地であったとのことです。そのため用水を引くことで生活ができるようになったのです。秩父札所27番大渕寺の裏山にある「延命水」は、基盤岩上の崖錐から湧出しており、水に乏しかった影森地区にとってまさに“命の水”だったそうです。大渕寺の墓地からは秩父盆地の地形がみながら、盆地の形成などの説明がありました。
 渋沢栄一の時代に始まった武甲山の石灰岩開発の歴史、石灰岩の採掘、秩父鉄道や各鉱山の引き込み線(跡)の話題など、案内者の小幡さんの話は途切れることなく続きました。
 秩父札所28番、橋立鍾乳洞のある上にそびえる高さ75mの石灰岩の岩壁は、2017年には“ブラタモリ”でも紹介されたところです。暑い一日でしたが、案内者はその時にも同じ編み笠をかぶり熱弁をふるっていました。石灰岩の岩壁の下にみられる玄武岩を観察したあと、鍾乳洞に入り、これまでの暑さから開放されたのでした。今回は、特別にお昼のそばとアイスを食べたあと、浦山口駅で解散となりました。

{地ハイ係 松岡喜久次}(参加者 26名)

 
武甲山麓の影森駅前にて
秩父札所28番橋立堂

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第554回 地団研ちちぶ総会フィールドシンポ(地ハイ)
B3コース「秩父の段丘地形とレトロな街並み」
2023年8月19日

 B-3コースは「秩父の段丘地形とレトロな街並み」と題して、秩父市内をまわるコースであった。街中歩きのコースであり、ハンマーを使って地層をみることはなく、主に地形をみながら回っていく地ハイであった。
 集合場所は、西武秩父駅と御花畑駅の2ヶ所でした。はじめに、秩父市歴史文化伝承館に向かい、そこで受付を行いました。資料が配布され、トイレを済ませて出発しました。このコースは人数が多いとのことで、2つに分けることになりました。案内者は加藤定男さんと小林健助さんのお二人、私は「加藤班」に入りました。
 コースは、伝承館―団子坂―今宮神社―秩父公園橋―秩父館―秩父ふるさと館(昼食)―秩父神社―番場通り―伝承館にもどる というものでありました。ずーと、街中の舗装道路を歩き、日頃の地質巡検とは趣の異なるものでした。露頭と呼べるものはなく、地形のちがいを確認しながら歩いていきました。秩父盆地は段丘地形の発達しているところで、高位段丘・中位段丘・低位段丘の3つが確認できます。市街地は低位段丘の上に広がっていて、さらに3つの面に分けられています。この地形のちがいをみながら歩いていきました。段丘面の下には段丘崖があり、湧水が出ているところが多くあります。その水のおかげで、造り酒屋・寿司屋・銭湯などが街中にはたくさんあることなどが紹介されました。
 これまで秩父には何度も来ていましたが、このように町の中をじっくりと見学しながら歩くことはありませんでした。人々の生活と市街地の地形・地質の関連を考えることができる、たいへん興味深い地学ハイキングでした。

{所沢中央高校 岡野裕一}(参加者 28名)

 
秩父今宮神社
秩父豚肉味噌漬お食事処「秩父新世界」

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第555回 多摩川       2023年10月19日

雨天中止  
 

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第556回 三段重ねの大高取山と高取城跡 2023年11月19日

  秋も深まった小春日和の日、越生駅に集合し、バスでうめその梅の駅(越生自然休養村センター)まで移動しました。そこで、今日のコース説明などがあり、その後大高取山を登り、越生駅にもどってくるコースで行われました、大高取山は下部からミカブ緑色岩、秩父北帯のチャートの地層、さらにチャート石灰岩の岩塊を含む砂岩泥岩層でできています。それを横断してきたわけです。
 最初に、うめその梅の駅裏の円通寺でミカブ緑色岩に含まれる斑れい岩でできた仏像を見てから登山になります。残念ながらこの仏像をつくる岩石の産地は現地のものでなく、ときがわ町の雲河原です。チャートでできた山は傾斜が急な場合が多いです。例外に漏れずここも急峻な山道をフウフウ言いながら大高取山を目指します。途中化石を含む石灰岩やチャートを観察しました。山頂では今までいなかった多数のハイカーとすばらしい展望に出会えました。南東方向にはスカイツリーも見えます。昼食後、ここから下山です。ミカブ緑色岩とチャートの壁を観察し、高取山の高取城跡に寄りました。2つの竪堀と土塁、いくつかの曲輪が現存します。本郭には越生神社の奥の宮が鎮座します。最後は越生神社に寄って解散になりました。
 今回は関東山地研究グループの方々5人にそれぞれのポイントで説明して頂きました。多数の人をおかげで日曜地学ハイクが成り立っていることを感じた1日でした。

{地ハイ係 奥 雄一}(参加者 26名)

大高取山山頂

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第557回 川本~熊谷の地形
  (段丘・扇状地・残丘・活断層)
をみて歩く
 2023年12月18日

 秩父鉄道の川本駅前に集合、長靴とハンマーを用意して、今日は化石採取をやる気満々の参加者の姿がありました。今日のコースは、地層の観察と化石採取のため荒川の河原を歩くことになっていたのです。ところが、寄居町の玉淀ダムを壊した影響で、河原が水没していることが判明しました。さらに、川本駅のトイレが利用できるはずでしたが、無人駅となって使用できないのでした。 とりあえず土手の上にゆき、増水した荒川をみながらの説明がありました。その後、明戸ダム下では、河原に露出したシルト岩の露頭に降りられたので、ハンマーを振るうことができまました。
 荒川を後にして明道寺では、トイレを済ませて石仏の観察、とくに酒樽の墓石は珍しいものでした。国道の先にある龍泉寺で昼食を済ませてから、裏山の小高い丘(高さ77.4m観音山)の上に登りました。急な階段を登り、残丘(丘陵の一部分)であることを実感したのでした。今日は案内者の変更により、コースが急に変更になったことで、高崎線の籠原駅と集合した川本駅に向かうグループに別れました。籠原へは段丘崖の湧水がある三ヶ尻の権田酒造から、三尻小学校、三ヶ尻八幡神社と進み,御稜威ケ原通りで、深谷断層の撓曲崖を観察したのでした。
 北風の強い一日でしたが、社寺など過ごすことができ、事故もなく帰途につくことができました。急に案内者となった小幡さんには感謝します。  

{地ハイ係 松岡喜久次}(参加者 27名)

熊谷市最高峰(77.4 m)観音山山頂
御稜威ケ原通りの深谷断層撓曲崖

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第558回 多摩川は東京一の化石の宝庫!
        気分は時空を超えた潮干狩
   2024年 2月18日

 昨年10月、雨天で中止になった日曜地学ハイキングが2024年2月18日に行われました。当日は風もなく、暖かく気持ちよく潮干狩りをすることができました。事前の申し込みの参加者と係を合わせて39名で、待ちにまった地学ハイキングでした。案内役は、広く多摩川沿いを調査研究している船橋さん(関東平野西縁丘陵グループ)です。
 JR日野駅に集合し、住宅街の中の坂を下って目的地へ向かいました。観察地は、上総層群・連光寺層で、「地層が川下側に傾斜しているので、下流ほど新しい地層になり、地層の変化からどういうふうに環境が変わっていったかを見ていきたい」と今回の目的の説明から始まりました。最下部ではレキ、カキの化石床、火山灰を見ることができました。「ここにカキ化石があります。」と言われても、すぐにわからず「ここと言ってもらわないとわからない」という声もありました。見つけにくいものの、よく見ると確かにあり、案内者の研究に臨む熱意を感じる場面でした。
 船橋さんからカキの化石床からわかる環境について、参加者と問答するように解説がありました。また、泥層中の火山灰(田中タフ)については、グループの正田さんから、堆積環境の変化については平社さんからも解説がありました。
 公園で昼食をとり、つぎの観察地へ向かいました。多摩川の河川敷は広く、すでに多くの人たちが潮干狩り(化石採取)をしている姿が見られました。ここで約2時間ほど化石採取を行いました。貝化石ばかりでなく、巣穴の化石もあり、平社さんから「地層の変化と巣穴から何がわかるか」という解説がありました。地層の変化と、泥の中に巣穴をつくった生物・巣穴を埋める砂等から海水面変動の話まで話題が広がりました。  再び、昼食をとった公園にもどり、船橋さんにそれぞれが採取した貝化石の名前をつけてもらい、並べて観察しました。貝の生息域の解説を聞きながら、海水面の変化をワークシート(今日の案内書)に記入しました。人数が多いと結構な数と種類の貝化石が集まり、データにも説得力を感じました。貝の生息域の変化と層相変化から時代が新しくなるにつれ、陸から河口、干潟・海に変わっていく様子を実感できた日曜地学ハイキングでした。    

{熊谷高校 久保田郁夫}(参加者 39名) 

冬枯れの多摩川で化石を探す
火山灰(田中タフ)の観察

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第559回 春日部の自然史
        首都圏外郭放水路と地下地質
 2024年 3月17日

 「庄和の自然誌、首都圏外郭放水路・生きている化石植物」をテーマに中川低地を歩く今回の地ハイは、2014年に開催された第481回:中川低地のコースをパワーアップさせ、首都圏外郭放水路の調圧水槽(通称「防災地下神殿」)の見学や、2024年2月29日発行の「春日部市史 自然誌編」の内容を踏まえた最新の知見を含んだ内容となっている。
 低地・台地の地形変化を感じつつ歩き、庄和総合公園を目指す。公園内では、アオサギが群生する様子や「生きている化石植物」と呼ばれるユリノキ・メタセコイア、カスリーン台風(1947年9月)の豪雨で発生した洪水の水位が示されている電柱などを観察した。さらに先に進みながら、道端に露出した関東ローム層をそっと観察し、江戸川の堤防で江戸川開削の歴史や舟運・農業用水としての利用について説明を受けた。
 河川敷で菜の花に囲まれながら昼食を取った後は、首都圏外郭放水路「龍Q館」で放水路の仕組みについて説明を聞いた後、いよいよ調圧水槽へ向かう。100段を超える階段を降り始めると、途中から空気がひんやりとしてくる。到着した地下神殿の中は9℃と外気よりも10℃ほど低く、巨大な柱がいくつも建ち並ぶ様子などを夢中で撮影していた。  地上に戻った後は、調圧水槽建設時に露出した地層をはぎ取って展示した地層タワーについて、地層境界や含まれる貝化石・生痕などの説明や、はぎ取り実施時の裏話などを聞きつつ観察した。特に貝化石の多く出る木下層に関しては、印西市にある木下層の露頭などの詳しい話を聞くことができた。  龍Q館を出発すると、水田地帯に屋敷林で囲まれた家が点在する散居集落や、度重なる水害対策として盛り土の上に築かれた水塚などを観察した。道中、旧庄和町がかつて下総国に属していたこと、その庄和町が埼玉県に入った経緯などの説明を受けた。  コース最終地点の蓮花院では、県の天然記念物である樹齢400年の大きなムクと、その根元に建つ関東地震(1923年)に関する石碑を観察し、解散となった。  歩くとやや汗ばむくらいのぽかぽか陽気の中で実施された今回の地ハイも参加人数を限定しての開催となったが、来年度こそ希望者全員が参加できる地ハイが開催できるよう、感染状況が落ち着くことを祈るばかりである。   

首都圏外郭放水路「龍Q館」

{松伏高校 竹内幸恵}(参加者 29名)

庄和総合公園
関東ローム層を観察


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第560回 平野から山地へ歩く
      ―山地と平野にまたがる飯能-
  2024年 4月21日 

 今回の地ハイは、入間川の飯能大橋下から飯能河原とその上流へと入間川に沿って遊歩道が整備され、川を横断する飛び石などができたこと、遊歩道にそって岩石などの観察ができたこと、特に枕状溶岩の構造がよくみられることで計画しました。 この地ハイの参加者は62名で、高校生が24名と半数を占めたのです。全員を一緒に案内するには無理があったので、一般の方と高校生の2つのグループに分けての進行することになりました。
 飯能駅南口を出発して、入間川の飯能大橋下へ移動し、一般の方は橋下に露出する飯能層の礫層を観察しました。高校生は担当の教員の誘導で、下流に露出する矢颪凝灰岩の観察地へ移動しました。その後、高校生のグループが飯能大橋下へ移動してきたので、一般の方はその上流の観察地点へ向かいました。上流の飛び石の地点には砂岩と緑色岩が露出しており、その岩石の違いとその境界について考えました。その後、上流の河原で「河原の石」の観察したあと、遊歩道沿いの緑色岩と砂岩の露頭をして飯能河原で昼食となりました。
 午後は、緑色岩とその中に含まれる石灰岩礫を観察し、その成因を考えました。そして、今回の地ハイの見どころである枕状溶岩の観察へ。ここでは楕円形をした枕状構造がはっきりとわかります。遊歩道をつくったため削られたことでみることができたのです。川越高校の地学部では、枕状溶岩の研究をしていますので、その成果を待ちたいですね。ここも1年後は草むらとなり、こんなにきれいにみえるかどうか、心配してもしかたがないでしょう。観察の終了後、博物館へ移動しました。博物館では、今回の地ハイのまとめをし、地ハイの総会では昨年度に実施した地ハイの紹介と今年度の計画について報告しました。博物館で解散となり、館内の見学などをすることができました。

{地ハイ係 松岡喜久次}(参加者 62名)

飯能層にはさまる矢颪凝灰岩
飛び石で入間川を渡る
枕状溶岩を観察

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