小春日和の12月19日、高坂大地の縁を歩く地学ハイキングが行われました。案内は久津間文隆さんと松岡喜久次さんです。新型コロナ感染症予防のため、人数制限を設けたハガキによる事前申し込みで参加人数は19名です。案内所の表紙は2年前(令和元年10月)の台風で浸水した地域の写真で、自然災害を身近に感じ、台地と低地の境界がはっきりわかります。
さて、台地の縁を通る八王子道を歩くと、敷地の広い古い家や「八王子-日光」を示す石製の道標が、かつてのメインストリートを感じさせてくれます。さらに1月からの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」のひとり比企能員(よしかず)の話題や、時代劇の撮影にも使われる越辺川の冠水橋・島田橋の話も加わり盛り上がりを見せました。
台地を降りる途中、露頭があるものの削ることはできず、目視で段丘礫を確認しました。台地を降りて都幾川の舟運を示す「緑泥石片岩の石橋と、安山岩<伊豆石>の石橋供養塔」を見学しました。石橋は轍もあり、通行の多さを物語っていました。それぞれ産地はどこかということになり、石橋は、嵐山や小川など地名があがりました。どちらも舟運を利用して運んだのではないか、ということでした。ここで松岡さんがネオジウム磁石を供養塔に近づけると、供養塔に引きつけられ、みなさん興味深げでした。
ふたたび、台地に上がり、古墳を利用した土塁の残る高坂館跡を通り、古墳群のある「さくら坂公園」で事前に採取した台地を構成するレキの観察会を行いました。公園を降りたところに、2つ目の緑泥石片岩の「高坂上二丁の石橋」を見学し、せせらぎ緑道を歩きました。整備された緑道を歩きながら東松山市は街づくりに力を入れているなと感じました。途中、三角点のある高坂古墳群のひとつに登り、低地を一望しました。
昼食は、先の台風の浸水を免れたところでとりました。昼食後は、低地を歩きながら、案内書の浸水の写真を合わせて、水害の恐ろしさを感じました。世明寿寺から低地を望み河川の合流地点付近や、攻撃斜面は破堤の恐れがあることも理解できました。
低地の縁では、水害の被害を受け、今も住んでいない家もありました。また、ところどころ湧泉が見られました。冬にもかかわらず、水量の多いところもあり、かつて生活用水として利用していたことを伺わせました。水温は15℃で、教科書どおり!温かく感じました。短い巡検コースの中に7つ<高坂七清水>もあるのも驚きです。湧泉の近くには寺社もあり、結びつきに興味深いものがあります。「湧水は地下水の露頭」ということばどおり、身近な水循環の指標になるのだと思いました。
青蓮寺では、「正代」という、この辺りの地名の言われが分かりました。もともとは「小代」いう人名から由来したもので、正代家の始まりはこの地ということです。大関「正代」の出身地である熊本にも「正代」がある理由も歴史を紐解くと理解できます。最後の見学地の八幡神社では、大ケヤキと、狛犬の台座が溶結凝灰岩で「秋間石」ではないか、と話題になりました。自然と、生活の関わりの歴史を感じた一日でした。
{熊谷高校 久保田郁夫}(参加者 19名)
|
|
宮鼻の清水(高坂七清水の1つ) |
|
高坂館跡 |
|
正代の台風19号による被害状況をみる |
このページの最初へ
|