地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第461回〜第470回(2012年9月〜2013年7月)


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第461回 秩父札所の地学めぐり(その6)
 秩父札所をめぐり盆地と山地の境を見る
 2012年9月23日

 9月の日曜地学ハイキングは雨天のため中止となりました。

{小幡喜一 熊谷高校}

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第462回 岩峰二子山に太古のサンゴ礁をもとめて
                2012年10月21日

 二子山の地ハイは12年ぶりです。今回は、マイクロバスをチャーターしたため、事前申込で26名の方が参加しました。案内者は保科さん・鈴木さん・小幡さんの3人です。
 西武秩父駅前9:00に集合。参加者の確認・資料の配布・案内者の紹介ののち、早速、二子山をめざして出発です。車内では、小幡さんがガイド役として、秩父の地形地質さらには歴史文化に至る、幅広いお話をしていただきました。途中、小鹿野町の郊外ではマラソン大会による交通渋滞もありましたが、ほぼ、予定時刻に股峠北側の駐車場へ到着。林道が整備され車の乗り入れが可能になったことで、駐車場からは10分程の登りで股峠に着きます。 股峠では、保科さんより二子山をつくる石灰岩や周辺地域の地質について解説、また、二子山西岳登山については、安全を考慮し3班に分かれて順次アタックすることの説明がありました。
 11:00、最初の西岳アタック班を見送ったあと、他の班は方解石の鉱物採集に向かいます。採集地点は、股峠から南西方向に数十m林道を下った斜面です。残念ながら綺麗な結晶はなかなか見つかりませんが、大小のやや菱形をした粒は沢山見ることができます。その粒を薄く割って活字の上に置いてみると、文字が二重に見える複屈折の現象を確かめることができました。
 西岳への登山ルートは、急な登りや鎖場もありスリルに富んでいます。その分、頂上に立った時の気分は、爽快そのものでした。快晴の空の下、両神山・叶山・西御荷鉾山・東御荷鉾山など、素晴らし眺望も楽しむことができました。 お昼を挟んで最後のアタック班が、股峠へ下山するのを待って、再びバスで東岳東方林道沿いの化石採集地点に向かいます。ここには東岳をつくる石灰岩が分布しており、石灰岩の中には古生代ペルム紀のフズリナ・ウミユリ・サンゴの化石が含まれています。みなさん初めは化石の発見に大変苦労している様子でしたが、しばらくすると「あっ、これか、これか!!」といった歓声が、あちらこちらから聞こえてきました。
 帰りのバスでは、途中、二子山西岳の絶景ポイントでバスを降り、その雄姿をカメラにおさめ、無事、西武秩父駅に戻ることができました。 交通の便が良くない二子山への登山、さらに鉱物・化石採集に加えて、往復の車中では、秩父の自然・歴史・文化に関する話も聞くことができるなど、貸切バスならではの地ハイを満喫した一日となりました。

{力田 正一}(参加者26名)

二子山西岳の山頂から北西を望む
二子山西岳山頂
林道での露頭観察

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第463回 皆野で川原の石と地層を調べる  2012年11月18日

 前夜まで冷たい雨がすっかりとあがり、天気予報では寒波到来を告げていましたが、寒さはそれほどでもなく、暖かさえ感じる皆野となりました。集合場所の皆野駅は、秩父鉄道の「札所ハイキング」と集合が重なり、トイレ渋滞ができるほどの混雑となっていました。
 皆野駅からは歩いて荒川と赤平川の合流点付近へ、荒川にかかる皆野橋を過ぎ、すぐに右に曲がると赤平川にかかる郷平橋に到着です。まずは、郷平橋の上から赤平川の河床の地層を観察しました。そして、橋の右岸からちょっとだけ藪こぎをして河床へ降り、化石採集をしました。見つかった化石は、二枚貝、植物片、生痕などです。ここは子の神砂岩層の砂岩と泥岩の互層でした。砂岩の中にはノジュールもたくさん見られました。
 化石採集のあとは、郷平橋を渡って前原の不整合の見学です。1995年に県の天然記念物に指定されて、急だった河床への道には階段が整備されていました。ここでは秩父帯の粘板岩などの地層と、新第三紀の礫岩が不整合面で接しているのを観察しました。
 荒川と赤平川の合流点付近の川原でのんびりと昼食をとった後、午後は川原の石の標本作りを行いました。川原にある礫の種類と供給源などについての説明を聞き、さらにビーズケース(現地で250円で販売・ホームセンターや通販でも買えます)を利用した標本作りの方法を聞いてから、思い思い広い川原に散らばって石集めとなりました。砂岩、泥岩、チャート、石灰岩、礫岩、閃緑岩、花崗岩、結晶片岩、緑色岩、蛇紋岩、珪質岩などが見つかり、ビーズケースの標本箱はいっぱいになったようです。家に帰ってからの標本箱の整理も楽しかったことでしょう。

{栗原 直樹 児玉高校}(参加者31名)

川原の石の標本づくり
前原の不整合

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第464回 長瀞の博物館と岩畳をたずねて
                  2012年12月22日

  朝から雨、今日の地ハイの参加者は何人かと心配で家を出発しました。急に午後の案内をすることになり、4日前に下見を済ませていました。雨でも午前中は博物館内の見学で、午後は天気次第での行動を考えていました。雨でも博物館には23名が集まり、団体として入館できました。館内の案内は本間さんでした。
 最初に入り口にある古代ザメ(カルカロドン メガロドン)からの説明で始まり、長瀞の結晶片岩、新設のディスカバリーコーナーへと続きました。そして、2階の企画展「ジオパーク秩父へのいざない」では、1秩父の大地、2秩父の大地に育まれたいきものたち、3大地のめぐみ、4自然の脅威ととくらし、5札所の地学めぐり、6秩父の風土とふるさとの味、7ジオパーク秩父の活動、8体験コーナーと本間さんの熱弁があり、12時を回ってしまいました。
 雨はやんでいましたが館外は寒かったのですが、小松さんの好意で「暖かい豚汁」をいただき、体が温まりました。その後、博物館前の荒川川原で、結晶片岩の観察をしました。私個人として長瀞に来るのは10数年ぶり?で、川原に露出する結晶片岩がよく見えるのは、川原の石が減ったためかと思われました。緑色の緑泥石片岩と茶色をしたスティルプノメレン片岩をじっくり観察しました。針状をしたスティルプノメレン、四角い黄鉄鉱の鉱物に注目が集まりました。宮沢賢治の歌にある「博多帯」はスティルプノメレン片岩などを連想したものかと思われました。岩畳を歩き、石墨片岩と節理・断層を見学しました。四十八沼と旧河道での植物や昆虫は、季節的にみることができないのは残念でした。
  ところで、地層や岩石から化石を見つけることは、その地層や岩石がいつつくられたか知るのに役立つのです。しかし、結晶片岩は地下深くで、強い圧力によりつくり変えられてできた岩石のため、化石は見つかりにくいのですが、1938年に藤本さんにより長瀞の石灰質の岩石から放散虫化石が見つかり、ジュラ紀とされました。このことから、結晶片岩は秩父帯の岩石(中古生層)と同じとなったのです。最近、砂質片岩に含まれるジルコンという鉱物からジュラ紀より新しい白亜紀の地層であるとされ、四万十帯の地層が元になっているという考えが出されています。

{松岡 喜久次 大宮南高校}(参加者23名)

博物館エントランスの古代ザメの顎
虎岩の川岸側を観察

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第465回 和光・午王山が語る台地のおいたち
                   2013年1月22日

 当日は、暦では大寒。でも、早春を感じさせる暖かく穏やかな地ハイ日和の一日となりました。和光市在住の方々も多くみえられ、49名の参加となりました。 9:30過ぎ和光市駅北口駅前で、駒井さんから今日の見どころを説明していただき、早速、久津間さんの先導で午王山へと向かいます。駅から外環自動車を横切るあたりまでは平坦だった道も、新倉に入ると坂道となり起伏に富んだ地形となります。それぞれ地形図で現在地を確認しながら歩きました。
 新倉では、斜面林から湧き出る湧水や礫層の露頭を観察し、すぐ近くの「新倉ふるさと民家園」では、管理者の方から建物の歴史や昔の暮らしについてお話をうかがうことができました。さらに、民家園からの谷を越え、暫く下り坂を進むと「坂下湧水公園」があります。公園には、数日前に降った雪がまだ溶けずに残っていましたが、湧水に触れてみるととても暖かく感じられました。水温を測ってみると16.5℃です。和光市の湧水を調べている方の話では、湧水の温度は、その地域の年間平均気温にほぼ一致するとのことです。
 今日の主役、午王山は、東西約400m・南北約150m・標高20m程のドーム状の丘となっています。まず、南斜面の崖で関東ローム層(武蔵野ローム層・立川ローム層)を観察しました。武蔵野ローム層中には、東京軽石層(T.P.)も確認することできました。丘の上からの眺めは、武蔵野台地や荒川低地の様子をよく見てとることができます。北斜面の崖では、関東ローム層の下位にあたる武蔵野れき層(約6〜8万年前に川にたまった地層)や東京層(約15万年前に海にたまった地層)を観察することができました。東京層には、アナジャコの仲間が掘った生痕化石が含まれていました。
 午後は、午王山のすぐ北側にある和光高校で、関東ローム層中の鉱物観察と学習会を行いました。はじめに、それぞれ地ハイパンフの図に色分けするなど午前中の復習をしたあと、関東ローム層の鉱物観察の実習をしました。駒井さんのお手本に習い、わんがけ法による鉱物の洗い出し、実体顕微鏡での観察を行いました。参加者の中には、これまでにも何度か経験された方もおり、初めての方へ処理や鉱物の見分け方を伝授しておりました。初めての方にとっては、赤土の中に美しい鉱物が含まれていることに、驚きと感動を覚えた様子でした。
 最後のまとめでは、駒井さんに15万年前の東京層が堆積した時代から現在までの和光市周辺の地形・地質の変遷を、とても分かり易く解説していただきました。
 参加者の方からは、“今回との関連で白子川付近でも実施しては”との積極的なご提案もあり、次年度の地ハイに向け検討させていただくことになりました。

{力田正一}(参加者49名)

古民家で 
午王山の関東ローム層

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第466回 立川断層による変動地形と地質を求めて
           −霞川低地と加治丘陵を歩く−

                   2013年3月17日

 季節をひと月先取りしたような春のぽかぽか陽気の中、金子駅に集合したのはなんと64人。絶好の地ハイ日和と、話題の『立川断層』というテーマに、たくさんの方が参加して下さり、名簿を書く長蛇の列ができた。
 今回のテーマとコースの説明を受け、早速スタート。霞川の低地〜加治丘陵内を通る立川断層をめざして、駅から霞川に沿って歩く。途中、霞川の氾濫対策としてつくられた、地下貯水池を見ることができた。立川断層が沿うように通っている岩蔵街道に出ると、街道(断層)を境にして上流と下流で地形が異なることを観察した。かつての断層活動で霞川が堰き止められ、上流部にできた湖により、現在の上流部には盆地の様な低く平らな地形が広がっていた。ここで地形の違いや、トレンチ調査で分かった立川断層の活動時期の説明を受けた。
 さらに上流へ歩き、川岸に植物片をたくさん含む層を観察。昨年の5月に見つかった地層で、中にはエゴやクルミ・トチ、ナラ等の実(いわゆるドングリ)の他に土器片も含んでおり、それらを実際に観察した。ここで昼休憩となったので、休憩中も熱心に植物化石を探す姿が多数見受けられた。(私は、たくさん見つけた親切な方が分けて下さったので、楽してサンプルを手に入れてしまいました)
 午後は、笹仁田峠付近を通る立川断層によって段差ができている様子を、模型やリニアメントの立体視によって確認した後、低地から丘陵へ向かう。笹仁田峠から七国峠へ向かう尾根付近で、風化の激しい円レキの地層を観察した。このレキ層がどの時代のものなのか、興味深く議論している様子があちこちで見られた。また、尾根沿いに歩いた所に、同じレキ層が白い火山灰層と共に観察できた。昨年末に発見されたばかりの地層とのこと、これから対比や年代測定が進めば、どこの層に繋がるものか明らかになるはずで、とても楽しみだ。その鍵となる火山灰層。キラキラと輝く高温型の石英を含むという、それを採取してから、低地に下り、駅へ戻る。ここで春の嵐の歓迎を受け、嬉しくて…ではなく砂埃で涙が止まらない。
 駅に着き、まとめを行い、解散となった。暖かな日差しの中、ベテランから学生さんまで、本当に多くの参加者が集まった大盛況の地ハイ。とても楽しい一日だった。 

{原坂幸恵 大宮東高校}(参加者64名)

霞川河床の地層から化石を探す
地形模型を使っての解説

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第467回 − Road to 500 荒川 その10−
     春の荒川河原と川の博物館
 2013年4月14日

 東武東上線の鉢形駅に10時に集合、快晴の地ハイ日和。荒川の立ヶ瀬の河原に向かいました。新緑が始まり、道ばたの日本たんぽぽに立ち止まるなど、のんびりしたハイキングです。荒川の玉淀大橋の下では、河原に露出した岩石の説明から始ました。ここの立ヶ瀬の地層は、およそ1500〜1600万年前の海底に堆積した砂やれきからなります。礫岩は硬くて、ハンマーでたたいてもなかなか割れません。貝化石のかけらが見えますが、取り出すのは難しく、あきらめたのでした。この砂岩と礫岩の上には凝灰岩が重さなり、下流ではその下に再び砂岩がみられるので、一見向斜構造のようにみえるが、スランプ構造のために地層が湾曲しているのでした。貝化石は次回の地ハイ「秩父盆地」のお楽しみとして、昼食場所の川の博物館に移動したのです。
 川の博物館では、職員の杉内学芸員などから説明をしていだいた。最初の「ハザードマップ」では、荒川による災害で明治43年と昭和22年のカスリーン台風による洪水被害でした。明治43年の洪水では大宮西区の間宮村での堤防の決壊を知り、これからの地学教材になりそうです。「荒川大模型173」では、荒川を下流から上流へのたどりながらの説明をうけて、勉強になりました。模型をみただけで説明がないと意味のないことと思われました。荒川の洪水を防ぐために放水路をつくり、その名残りともいえる「岩淵水門」の説明から、その現場を見てみたくなったのでした。また、明治13〜17年のころつくられた地図と現在の空中写真を足で踏みしめながら、比較してみるのはとても充実感があったのでした。 

{松岡喜久次 大宮東高校}(参加者43名)

玉淀大橋下の結晶片岩
川の博物館の地形模型を解説

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第468回 − Road to 500 荒川 その11−
      初夏の大野原を訪ねて
 2013年5月19日

 前日の雨の予報は見事にはずれ、当日は朝から晴れ、時には薄曇る天気でした。暑くもなく寒くもなく、河原の藪こきもなく、時折吹く初夏のすがすがしい風も心地よい地学ハイクでした。
 さて中身ですが、今回も荒川流域を歩くシリーズで、荒川の上流域(秩父市内)の河岸段丘を歩きました。19番龍石寺からは高位段丘、中位段丘、低位段丘が見事に観察できました。荒川が数十万年かかったとはいえ、莫大な量を関東平野に運んだんですね。
 次は3代目の秩父橋です。初代は橋脚しかありませんが、3代が存在しています。河床まで20mくらいありますが、これがなかった時代は大変な思いをして往き来していたんでしょうね。次は対岸の20番岩之上堂です。ここも段丘崖の上に建っています。
 午後は築瀬の河原で化石採集でした。ここはパレオパラドキシアやチチブクジラの産出した場所です。チチブクジラの発掘の話を聞いた後は皆さんハンマーを思い切りたたいていらっしゃいました。そのせいか貝、魚鱗、カニ、サメの歯などがたくさん取れていました。いいおみやげができてよかったですね。

{奥 雄一 鶴ヶ島清風高校}(参加者49名(参加者49名)

札所19番龍石寺の岩盤を観察
チチブクジラとパレオパラドキシアの
産出地の地層を観察

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第469回 丹沢山地をつくる岩石をみる   2013年6月9日

 今年は梅雨入りが早かったものの、その後雨らしい雨もなく、今日も良い天気でした。埼玉からは集合場所の新松田駅まではやはり遠く感じた。2時間少しかかり、駅に着くと、埼玉の地ハイのメンバーがおり、その熱心さに感心する。神奈川支部と合同の地ハイであるので、案内など神奈川の方にしていただいた。
 新松田駅からバスで丹沢湖まで1時間かけて旧道をゆくのです。丹沢湖ビジターセンターで下車し、玄倉(くろくら)川ぞいの林道を歩いて、川原の枕状溶岩の転石を見ました。りっぱな形をした枕で、緑色で変成をうけているが変形していない。この枕状溶岩の存在は海底火山の証拠である。また、川原の石では、丹沢層群の玄武岩、安山岩、火山角礫岩、角閃岩、トーナル岩・・・がみられた。丹沢層群の岩石の源岩は、南方の海洋底のものとされる見解もあったが、ジルコン年代で400万年という新しくなり、衝突による溶融したとの解釈になったということである。
 丹沢湖ビジターセンターでの昼食後、そこからバスで中川温泉の上流の大滝沢までゆく。沢の林道に入り、トーナル岩とその中の捕獲岩を観察した。河床のため上から眺める人、そこまで下りた人もいる。さて、トーナル岩(石英閃緑岩)とは、ゴマ塩状の粗粒の結晶からなる岩石で、花崗岩の仲間ですが、丹沢のこの種の岩石は石英がわずかしか含まれないのです。そこから、中川温泉まで車道沿いを下る途中、トーナル岩と角閃岩の境界という沢をながめる。案内者もはっきりした境界はわからないといことであった。さらに車道を下り、最後の観察地である中川温泉の河床で結晶片岩をみる。レンズ状の岩石が並び、ブーディン状でもあり、これは枕状溶岩のつぶれたもののようにみえたが、わかっていないとのことである。ここで、地ハイは終了となり、温泉に入ってから帰る参加者もいました。

{松岡喜久次 大宮東高校}(参加者33名)

玄倉川河床の地層の解説
玄倉川河床を歩く

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第470回 芦ヶ久保二子山
      −サンゴ礁をのせた海底火山の崩壊を語る−

                   2013年7月21日

 第470回の地学ハイキングは横瀬町にある二子山。「二子山」の名前を持つ山は埼玉には2つあって、もう一つの「二子山」(小鹿野町)には昨年10月の地学ハイキングで登ったばかりです。案内は松岡・保科・松井の関東山地団研トリオと小幡さんも駆けつけて最強?の布陣となりました。なんでもこの場所は保科さんが地学ハイキングで案内した最初の場所だったとか。
 集合場所の西武線・芦ヶ久保駅では7月の太陽が照りつけ、これから登る二子山の苦労を予感させています。二子山への道はすぐになだらかな山道となり、やがて沢沿いに登山道が延びていきます。この沢に沿ってチャート、砂岩などの秩父帯の岩石が顔を見せていました。沢の中にはその他に白い石灰岩もちらほらと見え隠れしています。やがて、沢の両岸が切り立った崖となり、チャート、石灰角レキ岩、玄武岩質の凝灰角レキ岩などが見られました。枯れ沢には石灰岩の転石があって、ここでフズリナの化石を探しました。フズリナの化石は石灰岩の風化面に断面が渦巻き模様として見つかるのですが、いざこれを取り出そうとすると、ここの石灰岩はとても硬くて、小さくトリミングするのはなかなか難しかったようです。
 さらに少し行くと、今度は玄武岩。玄武岩と石灰岩とチャート…。これらから想像できるのが、海山とその上にできたサンゴ礁である、と解説があります。蒸し暑い山中で、サンゴ礁の育つ島の海辺を思うと、少しだけ涼しい気がしてきました。
 そこから二子山の雌岳まで汗だくの登りです。熱中症も心配しながらゆっくりと登りましたが、体力の差が大きく現れてしまいました。中学生にとっては何と言うこともない登りだったでしょうか。
 展望のきかない雌岳で昼食を含めた長い休息の間、希望者だけですが三角点のある雄岳まで往復をしてきました。急降下と急登の片道10分程度の登山道だったのですが、雄岳の少し南に展望が開ける場所があって、秩父の市街地や隣の武甲山、遠くには両神山が展望できました。行って良かった、と思える往復20分だったでしょう。
 昼休みの後、北西に延びる尾根を下ります。地層の構造方向に延びる尾根だったので、同じような岩石の上をしばらく歩くことになったのですが、だらだらと続く下り坂は少々脚に疲れを感じた人も多かったようです。
 尾根の末端近くにある浅間(せんげん)神社の下ではチャートや赤色頁岩の中に石灰岩によく似たドロマイトを観察しました。このドロマイトはどうやってできたのでしょうか。
 下山口の直ぐ手前の登山道は、深い沢の上をトラバースするようになっていましたが、ここは先回りした保科さんと小幡さんがザイルを張り、安全確保で難なく通過することができました。最後は、沢の流れが心地よい場所でまとめをして、この日の地学ハイキングが無事終わりました。 参加者全員、二子山・雌岳登頂成功!

{栗原直樹 本庄高校}(参加者40名)

大きな崖の地層を観察
明るい稜線に着けば山頂は近い
二子山・雌岳山頂

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