関東地方は春の大風が吹き荒れ、前日の船は欠航し、竹芝桟橋へついてみると、「条件付出航」という表示となっています。出航はするけれども、戻ってくるか、三宅島には寄らず、八丈島へ向かうかもしれないという条件で出航というわけです。
それぞれがガスマスクを持って、無事上陸できることを祈りながら、緊張のうちに船に乗り組みました。船は揺れたものの、目的の三宅島・三池港に寄港しました。三池港は島の東側で高濃度地区に指定されている場所です。しかし、南からの強風のために、山頂からのガスは島の反対側に流れて、イオウの臭いはわかりませんでした。
宿で一休みしたあと、レンタカーに分乗して、三宅高校の青谷先生の案内で、風上から島を反時計回りに観察です。島の東側にあたる坪田高濃度地区では、火山ガスの影響をまざまざと見ることができました。山の斜面が見渡す限り立ち枯れた木で埋めつくされている様子は壮絶です。枯れ果てた林の下にはヒサカキやオオバヤシャブシなどの植物が育ちつつありました。また、屋根や外壁が風に飛ばされ、骨組みだけとなってしまっている家が至る所にありました。さらに、以前の噴火でできた赤茶けた見事なスコリア丘や火山の堆積物で埋められてしまった神社や鳥居なども見ました。
島の東側から北側に入るとガスの濃度が高く、自動車から降りるのは中止して、西側まで回り込んで阿古地区へ向かいました。ここは以前の噴火のとき溶岩流で埋めつくされた場所で、溶岩流に巻き込まれた自動車の残骸や、溶岩流に半分埋った学校を見学しました。以前の地ハイでここを訪れた人にとっては、時間の流れも一緒に感じられたことでしょう。さらに、噴煙を上げる雄山の危険地区付近まで上がり、2000年の噴火で噴出したという「カリフラワー状火山弾」を拾いお土産としました。
夜は青谷さんらが記録した2000年の噴火の映像を見ながら、当時の様子をうかがいました。直に体験した人から聞く噴火の様子は生々しいものがありました。
翌日はアカコッコ館、爆裂火口にできた大路池等を見学したあと、前日行けなかった北部を見学し、きれいな灰長石の結晶やかんらん石の結晶などを採集しました。
帰りは、またまた、荒れ模様の天気です。強い北西からの風で三池港はガスの臭いが立ちこめ、ガスマスクをしている人もいました。関東では記録的な風だったようです。もしかしたら、欠航になるかも…とか、三宅島には寄らずに行ってしまうかも…とか、心配しましたが、船はやってきてくれました。これからの三宅島の復興をお祈りします。
{児玉高校 栗原直樹}(参加34名)
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坪田高濃度地区 見渡す限り立ち枯れた木 |
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