地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第382回〜第390回(2004年10月〜2005年7月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第382回 秋の嵐山渓谷を歩く−川原の石と岩畳−  
                 2004年 10月17日

 京都の嵐山を偲ばせることから名付けられたという『嵐山渓谷』。今回は、この嵐山渓谷を流れる槻川沿いの地層や岩石の観察・川原でのレキ調査を行いました。また、嵐山町との共催ということで、役場からも2人の方が案内に加わっていただきました。
 集合場所の武蔵嵐山駅では、7月の事故以来久しぶりの地ハイということもあり、係からこの間のご協力のお礼と、安全に十分心掛け行動するようにとの話がありました。
 槻川沿いの露頭は、長瀞で見られるのと同じ 黒色や緑色をおびた三波川結晶片岩の変成岩類が観察されました。川原の礫調査からも、結晶片岩類が圧倒的に多く、上流域にも広く分布しているのが推定できました。
嵐山渓谷の観察地点では、案内パンフに紹介されている露頭スケッチの場所探しや、褶曲構造写真の実物探しなどを行い、みなさん露頭の表面をなめるように観察していました。また、この付近の槻川の流れが、露頭に見られる割れの方向性と一致しているのが、観察や説明から理解することができました。
 帰り道では、7世紀後半に造られた稲荷塚古墳に立ち寄りました。横穴式の石室の内部は,思ったより広く、壁は三波川帯の結晶片岩が積み重ねられて利用されていました。さわやかな秋晴の中、「京都嵐山」の風情を十分堪能することができました。

{早稲田大学 高野武子}(参加44名)

嵐山渓谷の結晶片岩

このページの最初へ

第383回 紅葉の浦山口で盆地と山地の境をみる  
                 2004年 11月21日

 秋晴れの中、浦山口駅前に降り立った案内者は、秩父とくればこの人、”THE地ハイ案内人”の異名を持つ小幡さん。この大ベテラン案内のもと、今回も概要説明の後、ハイキングが始まりました。
 まず向かったのは浦山ダム。普通はダムの上に行くのですが、今回はダムサイトの下。ここで、ダムの関係者からダムの概要について説明を受け、なんとエレベーターでダムの上へ。滅多に経験できないことに一同大喜び!ダムの上からは秩父盆地の絶景を望むことができました。
 その後、橋立鍾乳洞に行きましたが、以前に比べてなんだか小さくなったような気がしました。もっとも、私が前回来たのは25年も前の中学校の遠足。当時より上にも横にも成長してしまったのでそう感じたのかもしれません。
 最後に訪れたのは浦山口キャンプ場。断層の破砕帯を挟んで崖の左側や川岸では化石が出る、というので今日はこれを目的に来た方も多かったようです。ここでは、高校生が記載の無い化石を発見して大喜び。他にも多くの人が思い思いに化石を掘り出して、大満足の中で終了しました。

{川口清陵高校 醍醐裕史}(参加58名)

浦山口キャンプ場にて化石採集

このページの最初へ

第384回  晩秋の金勝山ハイキング  2004年 12月19日

 12月の地ハイは久しぶりの金勝山。以前、地学ハイキングをやったときと同じ東武竹沢に集合だったのですが、以前はなかった東口に立派なロータリーができていて、時の流れを感じます。集合時刻には12月の寒さにもめげず、たくさんの人が集まってくれました。この日の見所は、どこか別の場所でつくられて移動してきたと考えられる岩石です。金勝山をつくる石英閃緑岩もその移動してきたもののひとつでした。
 最初に五反田礫層を観察したあと、金勝山への登山です。途中、カコウ岩らしい岩石が露頭で見られましたが、風化が著しく、顔つきがはっきりしません。
 263.9mの三角点のある金勝山の山頂へはあっという間でした。山頂での昼食の後、小川元気プラザの近くでガーネットを探しました。キラキラ光る白ウンモは目立ちますが、頭に描いたガーネットの姿はなかなか現れません。それでも、目の鋭い人たちはルーペを駆使して、目的のものを探し当てることができたようです。
 帰りはカコウ岩を見ながら、金勝山を南へ下りました。最後は、平地をのんびり歩いて、鮫ケ井付近の兜川まで歩き、新鮮な金勝山石英閃緑岩と貝化石の入ったやわらかい第三系の地層を見学して、この日の見学は終わりです。大昔、どこからか金勝山のカコウ岩がやってきたという壮大な地球の出来事を想像しながら東武竹沢駅への帰路につきました。

{北川辺高校 栗原直樹}(参加65名)

ペグマタイト脈中にガーネットを探す

このページの最初へ

第385回 冬枯れの武蔵野を歩く−砂川堀と三富新田− 
                 2005年 1月16日

 1月の地ハイは、みぞれ混じりの雨の一日となりました。“はたして、こんな天気では?”との案内者の心配をよそに、18名の方が参加されました。午前中は、砂川堀沿いに大井弁天の森付近の段丘地形や大井町の由来となった大井戸跡などを見学し、午後は、武蔵野の面影を残す雑木林、ランドサットからも確認できる三富新田開拓の地割跡や多福寺などを訪ねました。
 当日は、大井町立郷土資料館で開催された「砂川堀をさかのぼる」(平成15年)・「武蔵野今昔」(平成16年)の企画展に携わった同館の坪田氏も参加され案内に加わっていただきました。各見学地点で歴史的側面から非常に興味深いお話をうかがうことができました。
 また、最後に訪れた旧島田家では、三芳町教育委員会の伊藤さんに三富新田開拓・旧島田家について解説をしていただきました。事前申込では、当日「さつま芋の苗床造り」の体験実習の行事があり、十分対応できないとのことでしたが、その行事も雨で中止となり、参加者全員囲炉裏を囲み、お茶やダイコンの煮物で大いに歓待していただきました。
 あいにくの雨を除けば、武蔵野の景観や三富新田開拓にかかわる歴史などに触れ、いつもとはちょっと違う地学ハイキングを楽しむことができたのではないでしょうか。

{早稲田大学 力田正一}(参加18名)

砂川掘付近 大井弁天の森

このページの最初へ

第386回 春間近な黒目川の湧水をたずねて 
                 2005年 3月20日

 3月ともなると花粉症の方には辛い季節なりますが、当日は曇りがちの肌寒い天気でした。午前は東久留米駅から黒目川に向かい、竹林公園の湧水群を観察しました。竹林公園では午後の井戸の調査に備えて調査器具を自作しました。午後は2グループに分かれて、農家にお邪魔して、井戸の調査を行いました。調査後は、西東京市立中原小学校の一室をお借りして、井戸の水位を集計し、地下水の流れを考えました。
 久留米駅からの黒目川までは坂道に注意して歩きました。小さな段丘が分かりました。黒目川では川の源流が小平霊園近くの「さいかち窪」であることや、この付近の河川が段丘崖から湧き出す湧水を集めて発達していること知りました。
 竹林公園の湧水群は東京の名水57選の一つに数えられます。ちょうど近所の方が水を汲んでいました。斜面から流れ出す湧水の流量、水温、水質を測定しました。
 崖を上がると手入れの行き届いた孟宗竹の竹林が広がっていました。ここではフィルムケースにタコ糸をつけて、井戸の水位と深さを測る器具を自作しました。崖下の湧水でフィルムケースに水を入れ、井戸の調査に向かいました。農家の庭先で先ほどの器具を使って、井戸の水位と深さを測定しました。また、井戸水を採集して湧水のときと同じように、水温・水質を調べました。井戸と井戸との移動の間に、段丘の高くなっているところから、久留米駅のある段丘面を眺めました。

{豊岡高校 小島正順}(参加35名)

竹林公園の崖下の湧水

このページの最初へ

第387回 若葉のみどりまぶしい飯能をたずねて 
                 2005年 4月17日

 天気がよい日曜日、飯能駅南口からスタートし、入間川に向かいました。入間川の蛇行によりつくられた飯能河原は広々としており、行楽のころは人でにぎわうところです。ここで、地学ハイキングの恒例となった礫調査を行いました。河原には砂岩の露頭が顔をだしており、礫調査の結果は砂岩が多くなったのは当然のようです。
 飯能大橋の下に移動し、飯能礫層をみました。この礫を運んだのは、多摩川と考えられています。礫層に含まれている石英せん緑岩が、多摩川の上流には見られますが、入間川の上流には見られないからです。
 つぎに、飯能礫層の上に重なる白い凝灰岩を見学しました。矢颪凝灰岩層とよばれ、厚さは1.8mもあります。白い粒のなかに、キラキラ光る黒い粒が入っています。角せん石や輝石という鉱物でした。矢颪凝灰岩層には、大きさが50cmの丸い穴があいていました。これはポットホールで、水流によってつくられたものです。
 午後は、飯能高校で日曜地学の会の総会を行いました。昨年の一年間の活動のようすを見たあと、今年の計画を発表しました。そして昨年の夏の事故についての経過を報告し、今後の事故対策についての説明と確認をしました。また、来年の夏で地学ハイキング400回を迎えることから、その記念企画のための実行委員を9名の方になっていただきました。

{豊岡高校 松岡 喜久次}(参加43名)

飯能川原でレキ調査

このページの最初へ

第388回 荒川低地をあるく  2005年 5月15日

 朝からの曇り空が、集合地点の入間大橋に着く頃にはあいにくの小雨となった。まずは三つ又沼ビオトープへ。「ビオトープ」とは、近年ドイツで造られた言葉で、「BIO」が「生きもの」、「TOP」が「場所」を表しているという。入間川・荒川の変遷の説明があり、現在の三つ又沼の成り立ちが紹介された。三つ又沼は明治期に入間川と荒川の合流点を変える工事で出現した沼で、河川敷内の一部を公有地化し自然公園として整備し、2001年4月にオープンした。四季折々の動植物が観察できるという。
 つづいて平方の沖積層へ。縄文時代早期末の海岸〜河口部の堆積物が見られる。現在の荒川の河川堆積物中に昭和50年代?のビールの缶が”示準化石”として含まれていた。また、平方河岸の舟運は江戸時代から昭和初期まで続いたようである。つづいて川越市握津(あくつ)集落。荒川の河川敷にあり、度重なる洪水被害の関係から、住宅地などの国費買収による住民移転が進んでいる。明治43年の大洪水がきっかけで、河川に直行する「横堤」が築かれる。握津公民館の庭先で地元の鈴木敬司さんの話をうかがうことができた。上下水道もなく、井戸水を使用とのこと。電気は大宮から引いているという。1999年8月の大洪水の跡が、高さ1.5mにわたり公民館の外壁に残っており、話に一層の説得力をもたせる。「洪水の時には家の中にいられないんですよね。畳がプカプカ浮いてくるんで」という言葉が印象的だった。「自然と生活」というテーマでの内容の濃い巡検となった。

{浦和東高校 松井 正和}(参加54名)

横堤を歩いて体感

このページの最初へ

第389回 動物園で学ぶ進化   2005年 6月19日

 第18回神奈川地学ハイキングに埼玉が合流するという形でが、よこはま動物園ズーラシアで動物の進化を学ぶ、として開催されました。参加者はなんと73名も集まり、鶴見大学の後藤仁敏さんの案内で、園内を見学して回りました。埼玉からは38名の参加がありました。予想をはるかに上回る参加者となり、用意した資料が不足となる事態となりました。(ズーラシアのホームページにパンフと同様の資料があります)
 ここでは世界中のさまざまな動物を目の前で見ることが出来ます。その動物が住む地域ごとに分かれて展示されています。動物のいる場所やその周りを世界各地の風景に似せて作られているので、一回りすると動物を見ながら世界一周する気分になれます。コースは(1)アジアの熱帯林(2)亜寒帯の森(3)オセアニアの草原(4)中央アジアの高地(5)日本の山里(6)アマゾンの密林(7)アフリカの熱帯雨林の順に進んでいきます。
 後藤さんの詳しい、そしてユーモラスなトークを聞きながら、いつの間にか動物の形態や進化の道筋の話に引き込まれていきました。どんなところに注目してみていけばよいのかわかると、自分で動物の名前、分類上の位置、外部形態、歩き方や餌の取り方などの生態、生息地などを見るコツがつかめます。そして、後藤さんに、どうしてそのような姿になったのか、いつの時代に栄えた仲間なのかなど多くの質問が、投げかかけられました。

{豊岡高校 小島正順}(参加73名)

再現された動物の生息地を観察

このページの最初へ

第390回 古代蓮とさきたま古墳  2005年 7月17日

 7月の地学ハイキングは全国で一番暑いと評判?の熊谷市の隣の行田市で、猛暑の中の開催となりました。翌日には梅雨明けが宣言されましたが、実質上はもうこの日は梅雨があけていたかのようです。
 見学地の「古代蓮の里」では、ちょうどこの日から「古代蓮まつり」が始まっていて、集合場所のJR行田駅ではここへ行くバスに長蛇の列が出来ているという状況でした。すし詰めのバスに揺られて到着した「古代蓮の里」は文字通りお祭り騒ぎの賑やかさで、駐車場に入る車も列を作っているという状況でした。おかげで、案内者も駐車場に入れず、開始が遅れるというハプニングもあったほどです。
 公共工事の際に偶然出土した種子から発芽したという古代蓮や水生植物を自由見学したあとは、再び満杯のバスに揺られて、さきたま古墳へ向かいました。
 埼玉古墳では、古墳のつくられた場所の特徴や、忍城の水攻めなど歴史的な出来事の話を聞きながら、古墳群の中を歩きました。日本最大の円墳であるという丸墓山古墳に登って、地形を観察しましたが、低地と台地の微妙な違いを見分けるのはなかなか難しいものでした。鉄剣で一躍有名になった稲荷山古墳では、石棺のレプリカを見学し、石棺を作っていた岩石についてあれこれと考えました。最後に将軍山古墳の展示館で石室を作っている「房州石」について、いろいろと興味深い話を聞きました。この石が古墳が作られた時代にはるか千葉県の鋸山の方から運ばれてきたというのには驚きです。

{児玉高校 栗原直樹}(参加42名)

ハスが見頃だった古代蓮の里

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ