地学団体研究会埼玉支部 日曜地学ハイキングの記録 第401回〜第410回(2006年8月〜2007年7月) |
第402回 秋風の越生をたずねて 2006年 10月15日
第403回 笛吹峠〜菅谷の鎌倉街道周辺の
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11月のこの時期にしては、珍しく雨模様の天気。予報では、昼頃から本降りになるとのことで、先行きちょっと不安な出だしとなりました。今回は、嵐山町を流れる都幾川周辺の地形・地質、その自然と人々とのかかわりが見学のテーマです。案内は加藤さんと小林さん。 まず、東上線つきのわ駅南口から都幾川に向かって歩きます。上唐子付近の平坦な地形を抜けると、なだらかな坂道。地形図とにらめっこしながら都幾川によって作られた段丘地形の様子を観察しました。月田橋付近(都幾川右岸)では、段丘礫層の観察です。礫層の中には、砂岩・チャートといった礫の他に、結晶片岩の巨礫もたくさん含まれ、結晶片岩分布域でも珍しい紅レン石片岩の礫も見ることが出来ました。さらに、都幾川の対岸にわたり、将軍沢を経て笛吹峠に向かいます。ひっそりと佇む隠れ里といった雰囲気の場所や、樹木に覆われた散策路を、時折、地形のお話を伺いながら辿りました。笛吹峠は標高80mほどの所にあり、この付近を鎌倉街道が通っていたとのこと。起伏に富んだ丘陵を歩くのはさぞかし大変ではなかったかと思いますが、説明では、当時のぬかるんだ平野の道を歩くよりは、こうした丘陵地を歩くほうが歩きやすかったのではとのことです。 二の瀬橋付近での昼食では、小松さんのご主人に準備していただいたトン汁で、雨で、冷え切った体を温めることができました。天気予報どおり雨脚が強くなった午後は、鎌倉時代の武士畠山重忠の居城・菅谷館跡を見学したあと、埼玉県立嵐山史跡の博物館前で、予定を早めての解散となりました。半日とはいえ都幾川周辺の自然を十分満喫することができました。ただ、欲を言えば、紅葉の色鮮やかな色彩を楽しむことができなかったのがちょっと残念でした。 {力田正一 早稲田大学}(参加者29名) |
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天気予報で天候が心配され、しかも案内はがきに「雨天中止」と記されており実施が心配されておりました。が、そんな心配は全く不要でした。この地域、特有の赤城おろし−冷たい北風−もなく、暖く、歩いて気持ちいい地学ハイキングでした。案内は、小幡さん(熊谷高校)です。 最初に、県北の有名な「深谷活断層」でできた崖下の湧水を見学しました。そこには公園ができていたり、神社の境内にあったり、ひとの集まるところには「湧水」があるのだなと感心しました。途中、姫の湯(銭湯)で荒川扇状地のレキを抜けて60mも深く井戸を掘ってくみ上げているという説明に驚きました。ちなみに、深谷浄水場では、150m掘っても砂利ばかりだったそうです。 一般の方が、深谷という地名ですぐに連想するのが、煉瓦と深谷ネギです。 かつてはそばを流れる利根川の後背湿地がつくった泥(現在は美里・岡部の泥を使用)から煉瓦や瓦などを作っており、工場もたくさんあったそうです。その中で現在も製造を続けている陶管工場を見学させていただきました。みなさん初めての貴重な体験だったと思います。この陶管は、水田の水抜き用で地中に埋めて使用し、素焼きです。お土産に土管の蓋をいただきました。昼食後、唐沢川(旧称:唐沢放水路)と福川の立体交差を見学しました。この地域の河川改修と、遠く福川と利根川が合流する付近にある中條堤の関係など、「洪水」というキーワードで上流と下流の問題を考えさせられました。今でも、大雨が降ると福川下流の水位は、非常に上昇し、心配になることがあります。石碑とともに、ここを見学し、福川のそばに住む者(私事ですが)であっても知らなかったことで、歴史を学ぶことの大切さを再確認しました。 また、自然ばかりでなく、酒蔵(休業で見学できず残念!)のそばを通ったり、深谷宿場町の常夜燈を見学したり、深谷ネギのいきさつを知ったり、もりだくさんの一日を過ごしました。常連の方に加え、生徒児童の姿も目立ち、係としても嬉しかったです。 {妻沼高校 久保田郁夫}(参加45名) |
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9時に武蔵嵐山駅に集合し、嵐山町役場で車で来たメンバーと合流してスタートしました。はじめの嵐山町役場裏には高さ5mほどの崖があり、荒川層が見られます。砂と泥の互層で所々に礫が含まれています。役場の西の急な斜面を降りて、市野川沿いに歩くと杉山礫岩という荒川層の一部が見られます。礫には花崗岩や角閃岩が含まれています。少し進むと海底地すべりの跡であるスランプ構造の露頭が見られます。砂泥互層が折れ曲がったり、重なったりしているのが良く分かりました。市野川沿いを北西に進みましたが、この辺りの奈良梨の谷は埼玉の中央構造線と言われています。北東に進路を変え、丘陵の尾根を一つ越えると、杉山公民館前の崖にはマサ化してポロポロになった片麻岩が見られました。これが埼玉の領家変成帯である太郎丸変成岩類です。さらに東に進んで関越自動車道を越えた山道の道底に吉田凝灰岩が見られます。鮮やかな青緑色で埼玉のグリーンタフと呼ばれている岩石です。山道を下ると山を削ったくぼ地があり、崖に薄緑色の軽石凝灰岩が見られます。これは陸上の火砕流でできた溶結凝灰岩だそうです。進路を北西に変え、二ノ宮山までゴルフ場の下を歩きます。斜面には七郷層の円礫が見られました。二ノ宮山山頂で昼食の後、展望台に上って比企丘陵を一望しました。山を降りる途中には薄緑色をした二ノ宮凝灰岩が露出していました。吉田凝灰岩と先ほどの火砕流の凝灰岩にはさまれるグリーンタフの一つだということです。新沼という溜池を過ぎ、ゴルフ場の入り口付近では滝層の凝灰質砂岩が見られます。地層の上が細かく下が細かくなっている級化構造が良く分かりました。ゴルフ場を通り抜け、扇沼で解散になりましたが、この辺りはのどかな丘陵の田舎の風景が広がっていました。 今回は小春日和の穏やかな天候でした。また、松山高校の地学部の生徒が多く参加し、熱心な態度に感心させられた一日でもありました。 {豊岡高校 小島正順}(参加57名) |
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400回記念巡検は3月にしては寒い(異常)中で行われました。埼玉の地質を古い方から新しい方へ、つまり山地から丘陵、そして台地・低地へと2日間で観察し、その関連を考えました。最初に、嵐山町で活断層の可能性のある地形面の段差を見て歩いたのでした。断層の方向は南北方向で、高崎−八王子構造線と関係がありそうでした。この後に嵐山渓谷の結晶片岩の岩畳には、南北方向の節理が発達しているのをみて関係を考えました。岩畳をつくる紅れん石片岩は、ピンク色がきれいで、いろいろな変形構造もみることができました。次に越生町に移動し、溶岩〜凝灰角礫岩の御荷鉾緑色岩をみてから、御荷鉾緑色岩の上にチャートが低角断層で重なる露頭をみました。これはクリッペである大高取山の衝上断層でした。そして、高麗に移動し、高麗川の中生層と不整合に覆う飯能礫層をみました。以前、河床にみられた互層した中生層は、川の端にわずかにあるだけでした。1日目の最後に、飯能市の市民会館の西側にみられる飯能礫層中の矢颪凝灰岩層を観察して終わりました。この日は西縁丘陵団研の定宿の奥武蔵旅館で、深夜まで盛り上がりました。 2日目は、入間川沿いを飯能市の運動公園付近から入間市の中橋までを歩きました。飯能礫層から仏子層にかけて、じっくり観察できたのです。この入間川の河床沿いの左岸にみられた飯能礫層は、以前は見られなかったものだそうです。また、仏子層のアケボノゾウの足跡化石や貝化石もみられました。その後、入間市の高倉では下末吉礫層と豊岡礫層を観察し、水富では武蔵野礫層とローム層がみられました。いくつもの礫層をまとめて比べてみることができたのは、今回の巡検の特徴です。下見のときは、ローム層中に東京軽石を見つけることができななかったのですが、このときに参加者がみつけたのは参加者の熱意の現れでしょう。午後は、川島町に移動し、低地の地形をみました。川島町で地ハイを行うのは初めてのことでしょう。自然堤防を歩いて地形を実感することができました。川越に帰る途中で、釘無橋下の越辺川で川原の石に結晶片岩があることを確認しました。入間川には結晶片岩がないのに対して、越辺川では嵐山渓谷の結晶片岩の礫が流れてきたことを連想したのです。今回は山地の隆起と平野の沈降、礫の運搬と堆積などにも注目した地ハイでした。 今回の地ハイの特徴は、山地、丘陵、台地・低地別に3回の学習会を行い、そのチューターを地ハイの参加者10名ほどで分担をして行ったことです。さらに下見までして、案内のパンフをつくり、当日の露頭の説明までもできたのは画期的なことだと思います。 {豊岡高校 松岡喜久次}(参加24名) |
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4月の地ハイは午後に総会があるので、高校などの会場の周辺で行われることが多くなっています。今回は西武狭山線の上山口駅から狭山丘陵のスカイラインを歩き、所沢高校で総会が行われました。最初に、狭山丘陵の根本にある芋窪礫層を観察しました。住宅地の一部にあるわずかな露頭のため見られなくなるかもしれません。砂岩礫がシャベルで削れるほどに風化した特徴をもち、加治丘陵の豊岡礫層と対比されています。狭山丘陵を登り始めるとローム層がみられ、その中に黒雲母が含まれる軽石層がありました。黒雲母といっても風化して金色にみえるので、生徒などは金と間違えることがあります。この軽石層は多摩ローム層の下部に挟まれるものです。その後、多摩ローム層の中部に挟まれるゴマシオ軽石をみて、荒幡富士まで登りました。この日は天気も良く、ここからみえる富士山はきれいでした。この後は急いで下り、所沢高校の下のガケで、ずっと新しい(下末吉礫層)をみました。午後の総会は、昨年度の地ハイと会計について、今年度の地ハイ予定を報告しました。その後、松本さんから500回にむけて上流から下流まで「荒川の歩く」のはどうか提案があり、賛成の意見がありました。今年中に検討してゆきたいと思います。
{豊岡高校 松岡 喜久次}(参加39名) |
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5月の「日曜」地学ハイキングは、第4土曜日の26日(土)に神奈川支部・神奈川野尻湖友の会と共催で実施しました。JR根岸線港南台駅(横浜市)に午後4時に集合ということも異例でした。案内は、神奈川支部の稲垣進さん・後藤仁敏さん・横浜ほたるの会・鶴見大生物部の方々です。前回のズーラシア動物園では、埼玉から大勢の方が参加したこともあり、たくさん資料を用意していただきました。しかし、遠く、終了が夜遅い(これが一番の理由だと思われる)こともあり、前回ほど多くなく埼玉からは38名の参加でした。 駅周辺は、さすが横浜!を感じさせますが少し歩くと、バブルがはじけたため開発させずに残ったホタルの舞う自然があり、ふしぎな気分にさせてくれます。もっとも、最近は開発計画があり、いつまでもこの状態がつづくわけではないということです。最近は「ふるさと」の景色が消えていくばかりです。「美しい国」とは、どんな国なんでしょうか。 さて、最初の見学地は谷戸の端にあり、そこには横堰という江戸時代の導水路が掘られている歴史的にも貴重なところです。ここに、150〜170万年前の上総層群の中に「海底から放出されるメタンを利用しながら生きる化学合成群集の貝類」があり、化石を採取することはできませんでしたが、じっくり観察しました。メタンは、地球が温暖化するときに放出されることから、ここの貝化石群集から地球の環境変化も読みとれるそうで、是非、貴重な露頭を保存してもらいたいものです。 つぎに清流に沿って谷戸の奥へ行き、Sg3という房総半島のKd38と対比される180万年前の火山灰を見学しました。 軽く夕食をとりながら、ホタルの説明を聞きました。蛍は、上流から流され、少し下流で見られることや、エサになるカワニナの状態が影響を与えること。思いもよらなかったのは、当たり前だけど、大雨が降って土砂が川に流れ込み、蛍がいなくなることもあるそうです。いよいよホタル見学です。気温が高く、風もなく絶好の日だそうで、期待も高まります。最初の見学地からさらに下流に行ったところで、ホタルの緑の光が舞っていました。私は初めて、蛍を見ました。ホタルを見ながら−小さな子どもを連れて行ったこともあり−野坂昭如の「日垂の墓」のホタルを思い出し、いろいろ考えました。 {妻沼高校 久保田郁夫}(参加38名) |
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今回の地学ハイキングは地層や岩石などの観察からちょっと離れて、多摩川の河口での現生の生物とその生痕の観察となりました。堆積岩を観察していると、ときどき目にする生痕化石が、実際にはどんな環境で作られるのか、あるいはその生痕を作っている生物がどんなものであるのかを見てみようというわけです。 集合場所の大鳥居駅で案内の方に簡単に概要を説明してもらったあと、多摩川にかかる大師橋まで歩き、橋の上から上流左岸に作られている本羽田干潟(仮称)の全体を観察しました。そこで干潟の微地形・湧水・植物・動物の関係など興味深い話を聞いた後、実際に干潟へ降りて観察です。すでに捕まえておいてくれたカニや貝やゴカイなどを見ながら、そこにすむ生物たちの種類や生息している場所の説明を聞き、さっそく生物の観察となりました。カニの観察のコツはじっとしていること。人が近づくとサッと穴に潜ってしまうカニも、じっと近くで待っていると、すぐに顔を出してきます。水がかかるような泥の表面にたくさんいるのはヤマトオサガニ。砂の所にいるのはコメツキガニ。泥っぽいところでハサミをふりながらダンスをしているのはチゴガニ…。お腹に卵をたくさん抱えたカニを捕まえた人もいました。干潟には本当に驚くほどたくさんのカニがいました。泥の中にいるゴカイの生痕も観察しました。 お昼のすこし前からは、カニの巣穴の型どりを行いました。巣穴に水で溶いた石こうを流し込み、お昼を食べながら固まるのを待ちます。固まったのを見計らって、スコップで掘り出すのですが、うまくいっているかどうか、ちょっとドキドキでした。掘り出してみると、途中で折れてしまっていたり、中にカニが挟まっていたり…。完全な姿を取り出すのはなかなか難しいようでした。今回の干潟の観察は、第268回の江戸川の河口で行った干潟の観察以来、14年ぶりの企画でしたが、普段の地ハイと一味違う観察会となり、新しい発見もたくさんあったことでしょう。 {児玉高校 栗原直樹}(参加29名) |
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梅雨の明けきれない7月22日に行われました。前日の予報では雨もでており実施が危ぶまれ、当日集合時は曇、蓼沼では晴天、終了時は雷、多分皆さんが帰宅した頃は雨と変化に富んだ天気でしたが、無事実施できました。梅雨の時期の実施はいつも冷や冷やです。県内外から46名が集まり自然科学に対する興味関心の高さがうかがい知れます。今回は特に夏休みに入ったばかりの小学生や熊高生・松高生・立正大学生が、集団参加してくれ参加層の平均年齢がいつもより大部若くなりました。また、彼らが将来、地学分野で活躍してくれることを願って止みません。 さて、今回の計画ですが、先ずは聖神社です。ここでは、当日地元の夏祭りだったのにもかかわらず、秩父市和銅保勝会の方々が聖神社に来ていただき、和銅山開発の経過、聖神社の起こりと歴史、宝蔵庫と和銅鉱物館の保管物等懇切丁寧に説明をしてくださいました。また、宝蔵庫の中の御神体の石(自然銅)、朝廷拝受の銅製ムカデを見せていただきました。緑青をふいていた銅製ムカデは保存もよくほぼ1300年前の形を保っていました。時代を物語る貴重なものでした。また、和銅鉱物館に保管されているのは主に近隣の研究者が寄贈してくれた鉱物・岩石標本や化石、また和銅山の時代の遺物である「蕨手刀(わらびてのとう)」や左甚五郎作の竜頭を源とする「黒谷の獅子舞」の獅子頭も展示されていました。価値のある未整理の展示物が、この建物にあり常時展示されていないのは大変もったいないことです。地学ハイクで入場料を取ることは珍しいことですが、その価値は十分あったと思います。 さらに、「和銅露天掘り跡」まで行き、当時掘っていたと思われる場所まで案内いただきました。実はここは「出牛(じゅうし)−黒谷断層」の露頭であり、秩父盆地と秩父山地の境界にあたります。三波川変成帯中の銅を含む変成岩が水に溶け、この沢にしみ出してできた鉱床ではないかということでした。 次は蓼沼での化石採集です。昼食を摂ったあと、皆さん一生懸命ここの地層を割っていました。その成果はなかなかのもので、鮫の歯が全部で5本、あとはハヤシホタテやキララガイ、ツキガイモドキなどです。 それぞれの露頭の位置が離れていて立ち寄った場所は少なかったですが、中身は濃く充実した1日を過ごすことができました。 {奥 雄一 松山高校}(参加者 46名) |
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