地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第371回〜第380回(2003年8月〜2004年7月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第371回 盛夏の雲取山をたずねて(中止)  
               2003年 8月16日〜17日

 地ハイでは10数年ぶりの雲取山の登山を企画し、20名ほどの応募がありました。ところが、この夏の天候不順で8月後半は雨の日が続き、結論として中止の判断をしました。前日の15日までに降り続いた雨により、下山側の青梅街道は土砂崩れで通行止め、天候も15日の夕方まで待ちましたが南岸に停滞した前線は一向に移動する気配がありませんでした。久しぶりの雲取とあって、係りもかなり楽しみにしていたのですが、残念です。その後も連日雨が続き、中止の判断は正解だったと思います。

{豊岡高校 小島 正順}

このページの最初へ

第372回 深まりゆく秋の武甲山をたずねて
                 2003年 10月18日

 武甲山登山は第318回(98.5.17)地ハイ以来、実に15年ぶりである。西武池袋線横瀬駅−生川−山頂−橋立−秩父鉄道浦山口駅のルートは前回と同様である。
 “登山地ハイ”のため集合時間が8:00AMと早かったが、約20名の老若?男女が集まった。顔合わせ・パンフ配布・日程説明の後、約1時間45分をかけて生川の表参道登山口に到着した。山頂までの山道は橋立層中・上部のチャート、泥岩、緑色岩、石灰岩などを見学する。約2時間半の行程で山頂にたどり着いたが、運動不足の足には、なかなかハードであった。山頂第一展望所からの眺望(段丘、丘陵、遠方の山々)や武甲山の採掘の歴史、内部道路の説明などを受けた後に昼食となる。途中で小雨となり、冷え込んでもきたため、休息も30分程度で切り上げ、2等三角点の説明を聞いて下山となる。係の小島氏は、もとの登山道を戻り、ケガ人対処のために車を橋立川登山口に回して待機してもらう(役に立ちました)。
 下山を始めると間もなく雨もやみ、橋立層中・下部相当のチャート、頁岩、珪質岩などを見ながら、ひたすら下る。橋立川登山口でまとめを行い、三々五々浦山口駅へ向かった。山全体の紅葉にはまだ早かったが、山頂近くの神社境内のもみじの紅葉はきれいでした。老若?男女の皆様、お疲れさまでした。と言う私も筋肉痛がたたり、翌日の越生町の調査を休ませてもらいました。翌々日も痛かった。

{富士見高校 松井正和}(参加22名)

横瀬駅から武甲山を目指す
武甲山頂から秩父市街を見下ろす

このページの最初へ

第373回 続・東川を歩く       2003年 11月16日

 11月の地ハイは昨年の初夏に行った「東川を歩く」の第2弾。案内は前回に引き続き、松本さんがメインです。今回の地ハイでは、情熱的に最も力が入っていたのは案内の松本さんであったのかもしれません。(たぶん、間違いないでしょう)
 週間天気予報では天候が心配されていましたが、当日は11月とは思えないほどの暖かい陽気で、歩いているうちに汗ばんでしまうくらいでした。  さて、昨年は東川の最初の1滴から(井戸のなかでしたが)下流に向かって、東川に沿いながら下っていきましたが、今回はその続きです。
 けもの道ならぬ“松本道”を使って、東川に沿って歩いていくと、井戸があったり、昔の流路があつたり、文化財があったりと、いろいろな面白いものが目に入ってきます。
 小手指駅からほど近い工事中の上新井調整池では、ふだんは見ることのできない所沢の地下の様子を観察することができました。昔の河川が運んできた河原の石が厚く積み重なっている様子は、時かに手を触れることはできませんでしたがなかなかの迫力です。なお、この付近の地下を作っているレキについては、サンプリングしてあったものを航空記念公園でじっくり時間をかけて調べました。よく地ハイで行う河原のレキ調べとはちょっと様子が違い、汚れているレキの種類を決めるのにちょっと苦労していたようです。
 えんま様の鎮座している長栄寺では、フタがされていて覗きこめない井戸の深さを測定するための松本さんの考案した秘密兵器?を使って、井戸の水位を測定したりしました。ちょっとしたアイディアですが、感心しきりです。
 案内ハガキには歩く距離10km・高低差50mとありましたが、まとめの場所の東所沢公園まで実際に歩いてみると、思ったよりも長い距離を歩いてきたような気がします。それに対して、高低差は50mもあったのかな、という感想も聞かれました。
 11月の地ハイは、のんびりとした街の中ですごした地ハイでした。

{北川辺高校 栗原直樹}(参加39名)

地層の中の礫調査

このページの最初へ

第374回  冬の川越の入間川を歩く  2003年 12月21日

 川越市西方を流れる入間川付近の史跡と自然の観察です。東武東上線霞ヶ関駅から入間川の堤防を下流に歩きました。まず、国指定史跡の河越館跡では、史跡の中にある常楽寺でご住職さんに、その歴史についてお話を伺いました。現在、河越館跡は往時の面影は唯一土塁にとどめている程度で、一角では発掘調査が行われておりました。
 次に、雁見橋を右岸側に渡り川原の礫調査を行いました。今回の場所は、入間川でこれまで調べた最下流地点にあたります。地ハイ恒例の調査ということもあり、常連の方が、初めて参加された方に調査の手ほどきをされるなど、いつもの和気あいあいといった雰囲気で行われました。
 午後は、案内の松岡さんが砂鉄で鉄を作る実験を行いました。砂鉄にアルミニウムの粉などを混ぜ、花火を使って燃やすのですがなかなか点火しません。参加者は、松岡さんを囲みながら、爆発しないかと心配しきりといった様子でした。やっとできた小さな黒い固まりに、普段鉄を見るのとはまた違った面持ちで観察をしていました。
 最後は、浅瀬を渡り中洲や対岸の崖に見られる沖積層の観察です。その中には、植物化石がたくさん含まれており、化石や当時の古環境などについて説明をしていただきました。解散後は、近くのバス停に行かず、徒歩で川越に向かったところをみると、それぞれに町並みを散策し、江戸の面影を楽しんだのではないでしょうか。

{早稲田大学 力田正一}(参加64名)

集めた砂鉄で製鉄の実験

このページの最初へ

第375回 冬枯れの狭山丘陵に火山灰層を求めて 
                 2004年 1月18日

 1月の地ハイは前日の雪が所々に薄っすらと残った狭山丘陵を歩きました。
 緑の森博物館の案内所から狭山丘陵を南へ横断していく歩道にそって歩きながら、更新世中期の地層とされる多摩ローム、芋窪レキ層、中新世前期の地層と考えられる狭山層を見ていきます。そして、歩道の途中から、所沢高校地学部が「狭山ゴマシオ火山灰層(SGO)」と名づけた火山灰層を見るために、道なき道へ突入です。冒険の気分で「ゴマシオ火山灰」を追って、狭山丘陵の中を行きます。小さな沢に沿った道なき道を行くかと思えば、小さな高まりをショートカットしたりと、動物になって狭山丘陵の中を縦横無尽に歩いていくような感覚です。そして、一行の先頭付近では地質の説明をしていると思えば、後方では植物やら鳥の話をしていたりと、バラエティーに富んだ内容で、狭山丘陵のたくさんのみどころを凝縮した形で見ることができました。
 結局、狭山丘陵を北から南へ横断する形で、埼玉から東京へ抜けて1日の行程は終了しました。街の中をのんびり歩く地ハイも再発見があったりしていいですが、こんなちょっと野生に帰れるような地ハイもいいものです。

{北川辺高校 栗原直樹}(参加45名)

このページの最初へ

第376回 春秩父の海のはじまりをたずねて
                 2004年 3月21日

 前日の関東地方南部のボタン雪は、当然小鹿野の、しかもバスを2本乗り継ぐ牛首峠にあっては・・・・と思った人が多かったのであろう。しかし、そこはさすがに地ハイの常連者。「中止になることはまず無いし、みんな行くんだろうな」と判断されたハズ。残雪等はまったくなく、しかも村営バスの定員にはぴったりの参加人数でした。
 峠に向かう橋の袂のバス停で見学地の概要説明後、彦久保層の礫岩から観察が開始された。礫岩の“見方”礫層の“地質学的意味”等々が順次説明された。このルートでは、砂岩層と少量の泥岩層を伴うほか、ほとんどが礫岩層なので、“地史”にまつわる考え方(河川堆積物としての礫、三角州堆積物、海底堆積物としての礫等)の参考になったものと思われる。また、円磨度、淘汰度の他、礫岩観察で重要な“礫種と後背地”の話も提供され、とりわけ花崗岩起源ではない片麻岩の存否が話題となった。
 今回の巡検でも「これは片麻岩だろう!」「花崗岩じゃない?」などの会話も聞かれたが、“岩石薄片”で議論でしょう。ということになった。地ハイ係の者が中部層で「紅れん石片岩?」と疑わしき“礫”を見つけ、岡野さんに預けてあります。さて、後背地はどうなるのでしょうか?最後は31番札所でまとめをやり、バス停まで歩き、流れ解散となりました。係の松井は31番札所の下りの石段につまずき、右脇下をしたたかに打ち付け、未だに痛みが残っています。なんと、つまずいたすぐその脇には、「・・・・・つまずき・・・・・・」という句の入った石碑が祀ってありました。

{富士見高校 松井正和}(参加29名)

牛首沢の礫岩層

このページの最初へ

第377回 小江戸地学散歩パート3・川越市街の石材を調べる
                 2004年 4月17日

 8月に行われる地学団地研究会(地ハイの主催団体)の川越総会に向けたハイキングもこれが最終回となります。今回は、市街地の名所を巡りながら、石材を調べるのがテーマです。集合場所の本川越駅の大理石の柱の中に有孔虫の化石を探した一行は、8人程度の班に分かれて、コースごとに出発しました。
 ビルの外壁や床にはさまざまな種類の花崗岩類が使われています。赤色のもの、青色の閃光を発する長石を含む月長石閃長岩、球状模様を持つ長石を含むラパキビ花崗岩、黒味影といわれる斑レイ岩などが見られます。まるひろデパートではアンモナイトの化石を床面に目を凝らしながら探しました。近くの八幡神社では六角柱状の玄武岩、大谷石の塀、花崗岩の鳥居など、石材の宝庫です。蔵作りの文化財としても貴重な加藤家住宅や佐久間家土蔵の壁面には凝灰岩が使われていました。
 午後は川越高校にて、調査してきた石材の分布を地図上にシールを貼って整理しました。地元育ちの案内者、久津間さんにより、撮影してきたばかりの写真が上映され、川越の歴史と石の関係について聞くことができました。その後、日曜地学の総会にて、昨年度の報告と今年度の予定、そして、川越総会の説明および案内がなされました。

{豊岡高校 小島正順}(参加47名)

東武ホテルのラパキビ花崗岩

このページの最初へ

第378回 初夏の多摩川で川原の石調べと石遊び
                 2004年 5月16日

 1999年に発行されたおなじみの「荒川の石」に続いて、「多摩川の石」が発行されました。今回は出版を担当した東京支部主催の地ハイに合流しました。あいにく朝から雨模様で、集合したのは東京のメンバーと合わせてもいつもの半分程度でした。
 早速、できたての「多摩川の石」を購入し、駅から10分の氷川小橋のたもとの河原に降りました。ここは多摩川と日原川が合流する地点です。背景が秩父中古生層であるため、秩父盆地の河原に見られる石とレキ種がそっくりです。砂岩、チャートに加え、石灰岩などが見られます。よく見ると同じチャートでも白いもが多かったり、緑色がかったものがあり、微妙な差はあるようです。いくつかのグループに分かれて、石の見分け方を学んだ後、河原にロープを張ってレキ調査の開始です。
 参加者が少ないにもかかわらず、子供の割合が多く、初心者の方も子供になたっつもりで石の種類を学べました。また案内者の石田さんの陽気なキャラでとても楽しく石調べが進みます。子供達は大変飲み込みが早く、最後には間違えなく石の名前を言い当てるようになりました。東京では子供のためにボンドや色ペンを用意して、石遊びもできるようにしています。子供達は、きれいな小石を探して、ボンドで画鋲にくっつけたり、色を塗ったりして楽しみました。
 今日は人数も少なく、レキの調査をした後は、石遊びや小石を投げたりと、ちょっとした川遊びをしながら、ゆったりと過ごしました。

{豊岡高校 小島正順}(参加47名)

奥多摩の多摩川の石を埼玉と比較

このページの最初へ

第379回 蓮池と江の島の自然観察  2004年 6月20日

 江ノ電の「柳小路」の駅に集合し、歩いて蓮池に向かいました。蓮池の案内は、蓮池の自然を愛する会会長の吉田敏平氏にお願いし、西行の歌にも読まれた、鵠沼の名の由来となった鵠(白鳥)の来る沼の姿をとどめる蓮池を守る運動の歴史を語っていただきました。蓮池はちょうど蓮が咲き始めたところで、藤沢メダカやシオカラトンボも見ることができました。残念なことに、その一部は埋め立てられ、隣接する高校のグランドにされてしまいましたが、ながい目で見れば、いつかはまた蓮池がもっと大きく復活する希望を感じました。
 続いて、江ノ電で江の島に向かい、笠間友博氏の案内で、まずは龍口寺で、基盤の三浦層群池子層とそれを不整合に覆う相模層群の片瀬層と龍口寺礫層を観察しました。その後、江の島駅で後から来た参加者と合流し、橋をわたって江の島に向かいました。
 参道を登る途中で右折して、天台山で葉山層群と龍口寺礫層との不整合を観察し、海岸に出て、葉山層群を観察し、右手に歩いてマンションの工事現場の下で三浦層群を観察しました。両者は断層で接しているので、マンションは断層の真上に建てられていました。ちょうど干潮で、地層がよく観察できました。 参道にもどって、エスカの入り口を左折して、児玉神社に入って昼食となりました。昼食後、参道に沿って、江の島の史跡をめぐりながら、江の島植物園に着きました。不老門にはかつて、裸弁財天が安置されていて、この門をくぐるのが江の島詣での楽しみになっていたとのことでした。
 有志のみが植物園に入り、展望台から周囲の景色を一望しました。台風6号が近づいてはいましたが、よく晴れて、素晴らしい景色を展望することができました。山二つでは関東ローム層を観察し、岩屋の海岸に降りて、葉山層群にできた波食台を見ました。台風の影響で強風が吹いており、大きな波が葉山層群を削っていました。最後に、聖天島で三浦層群を観察し、解散となりました。
 熱心な解説をしていただいた吉田・笠間両氏に深く感謝したいと思います。

{鶴見大学 後藤仁敏(神奈川支部)}(参加42名)

台風の風が吹く江ノ島に渡る

このページの最初へ

第380回 河原の石の観察と標本板作り―寄居・立ケ瀬河原― 
                 2004年 7月18日

 今回は、8月の地団研川越総会で予定されている「河原の石集会」の学習会やポスターセッションのご案内と、そこで紹介する“川原の石で標本板”を実際に作ってみようということで企画されました。
 集合は東武東上線鉢形駅に10時。すでに30℃を越える厳しい暑さとなりました。
 前半は、荒川の立ケ瀬河原で石の観察と標本板作りです。松本さんから全員に“熱中症にならないように”など安全上の注意がなされ、地ハイ係が班長となり4班に分かれ、石の観察と採集にとりかかりました。この付近は、荒川が山地から平野への出口にあたり、上流域に分布する石が10種類以上みられます。標本板作りは、参加者全員が小松さんのご家族が日除けに設営してくれた特設テントの中で、昼食休憩を間にとり13:時30分過ぎまで行なわれました。
 後半は、途中、玉淀大橋の下で新第三紀層と三波川結晶片岩を境する断層を見学したあと「川の博物館」に場所を移し、全体のまとめと8月の川越総会についての紹介がなされました。
 なお、すでに日曜地学の会員の方々へは、2004年7月24日付「第380回日曜地学ハイキングにおける事故について」でご報告しましたように、この地ハイの中で県立北川辺高校1年の亀田直人さんが、昼食休憩時に荒川の深みにはまりお亡くなりになるという痛ましい事故が発生してしまいました。あらためて心からご冥福をお祈りいたします。また、主催者としても今後ニ度とこのような事故が起こらないように万全をきしていきたいと思っております。この間、何かとご心配をおかけし弔慰金のご賛同をいただいた日曜地学の会員の皆様に深くお礼申し上げます。

{早稲田大学 力田正一}(参加41名)

川原の石で実物標本板づくり

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ