地学団体研究会埼玉支部 日曜地学ハイキングの記録 第361回〜第370回(2002年8月〜2003年7月) |
第362回 秋の入間川 仏子層と笹井の植物化石
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狭山市を流れる入間川の笹井ダム下流付近には、仏子層とよばれる約100万年前の地層が分布しています。その中の亜炭層には植物化石がたくさん含まれ、また、メタセコイアの化石株が数十個も確認されています。今回は豊岡高校の松岡さんに、これまで教材研究として取り組んできた、この付近の植物化石(特に、植物の実の化石)を中心に案内していただきました。 午前中は、時折降る雨のなか笹井ダム下流の中州で地層の観察と化石採集です。参加者の方々は、地層の説明を聞くのもそこそこに、早速、植物の化石の採集に取り掛かります。植物の実の化石は約1cm程の大きさで、見分けられるまでには少々時間がかかりましたが、皆さん流水に漬かりながらも熱心に採集していました。 午後は、豊岡高校で採集した化石のクリーニングです。表面の泥を静かに洗い落とし、さらに超音波洗浄機で細かい割れ目に入った泥を洗浄すると、黒く炭化したやや偏平の実が得られます。実の化石は、その形や模様で植物名を特定できるとのこと、それぞれ持ち寄り、松岡さんの標本と見比べながら名前をつけました。その結果、エゴノキ・メタセコイアといった植物の実の化石であることがわかりました。実の化石は、エチルアルコールを入れた標本瓶につめお土産となりました。 まとめでは、これら植物化石などから推定される当時の気候や植生についてお聞きし、今からは思いもよらない世界が広がっていたことが想像されました。 {早稲田大学 力田正一}(参加25名) |
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一週間前の“雨”予報が何とか“曇”に変わったものの、朝から霧雨の空模様となり、教は少ないかな…の予想を大きく上回り、48名の参加となった。現地集合にも関わらず、水潜寺バス停にはバスを10分停車させ降車する地ハイ参加者でにぎわった。中には皆野バス停で乗り切れず、タクシーに分乗し出来られた方もいた。 聞けば、今年は秩父札所総開帳の年に当たるとのこと。マイカーで訪れる人も後を絶たない盛況ぶりである。バス停のあいさつの後、さっそく水潜寺へ。堂の後方の崖(石灰岩)中にある「水潜り」をほぼ全員が通り、お参りも済まし、秩父華厳の滝へ。紅葉で染まる滝口から、勢いよく水が落下している。滝をつくっている赤色チャートも程良いコントラストとなり、滝を眺めながらの昼食となった。 肌寒さもあり、40分程度休息の後、上流の淡緑色珪質岩へ移動。“ちりめんじわ褶曲”を30cm四方にわたり、「はぎ取る」つわ者もおり、一同感心である。再び霧雨に見舞われる中、14:36分のバスで帰路につく。 案内者が予想を上回る参加者となり、一部パンフレットが行き届かない不手際があります。お詫び申し上げます。 {富士見高校 松井 正和}(参加48名) |
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地ハイ案内回数ダントツNO.1のOさんが今回の案内者です。今回は移動が多いので集合と同時に歩き始めました。前半は秩父市内の見所を回ります。眼病に効く慈眼寺や、有名な秩父神社も効率よく回って順調でしたが、次の見学地ではペースが落ちました。何故でしょう?武甲酒造の見学だからです。地ハイの酒豪たちには素通りできない見学地だったのでしょう。ここのおいしさの秘密は敷地内の井戸水にあるようです。すぐ近くに段丘崖があり、昔は湧水もみられましたが枯れてしまったようです。 次の見学は札所16番西光寺。ここには四国八十八ヶ所の本尊が安置されていますので四国八十八ヶ所全てをお参りできた事になります。その後、バスに乗って音楽寺へ。ここには秩父事件の時、秩父市街へ攻め込むとき時の合図として打ち鳴らされた鐘があります。ここからすぐのところに、これまた有名な捏造遺跡 小鹿坂遺跡があります。現在は土嚢ですべて隠蔽してあります。 その先の広場で昼食となりましたが地ハイ名物トン汁が。トン汁と言えばこの人”Kさんご一家”の協力で行われました。食事の後は腹ごなしで展望台に向かいました。数日前に降った大雪の影響で雪の残る寒々とした遊歩道を歩きました。展望台から秩父市街をみた後、ミューズパークの前まで歩きましたが、途中でジルコンを含む赤土(八王子黒雲母軽石層)をお土産に採集し、解散となりました。効率的に秩父盆地から丘陵を移動でき、見所も多く中身の濃い一日だったのではないでしょうか。 {川口清陵高校 醍醐裕史}(参加38名) |
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天気予報では雪とでた曇り空の寒い朝。集合場所には、80名程が集まりました。 案内者の正田さんからコースの説明を受けたあと、新座市妙音沢にむかいました。ここは武蔵野台地の段丘崖から目黒川に注ぐ湧水です。現地では、「新座市の自然とくらしを守る市民の会」の初見さん・長谷川さんにも加わっていただき、湧水とまわりの自然、そして保全のあり方についてお話をうかがいました。 史跡公園へ向う間では、武蔵野台地の地形について立体地図を使って解説していただき、堀之内付近の崖では、姶良火山灰を薄くはさむ関東ローム層を観察しました。 午後は、野火止用水に沿って本多緑道を歩きます。武蔵野の面影を残す雑木林では、しばし落葉の中を散策したり、案内パンフの絵を参考に樹木の落葉を調べたりして過しました。雑木林が長い年月をかけ人の手によって管理されてきたことを知りました。 残念ながら今回平林寺は、僧の修行期間にあたり拝観できませんでしたが、野火止用水の開削や平林寺の移築に隠された興味あるお話をうかがい、また是非訪ねてみようという思いにかられた方も多かったのではないでしょうか。 新座市近辺に住んでいて初めて参加された方も多く、身近な自然への関心の高さをうかがい知ることができました。 {早稲田大学 力田正一}(参加82名) |
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ぽかぽかした陽気の中、花崎駅から出発です。昭和41年撮影の写真と現在の様子を比較しながら、地図とにらめっこで加須低地の土地利用の変化を追います。昔の川の流路や田圃に建物が建てられており、興味深いものがありました。南大桑では会の川(古利根川)がつくった自然堤防が断続的に残っていました。 葛西用水は高い所を通っていて田圃に水を分けやすくなっていることや、東京都で使う水と地元で使う水の水路が区切られ、水位も違うことにはびっくりしました。 やがて「浮野」に到着。ここは周囲が台風などで冠水しても、浮き上がって冠水しないという不思議な場所。さらに、高山植物であるトキソウをはじめカキツバタ・ホシクサ・ムラサキミミカキグサなどが自生しているのです。ここではその発見の経緯や、保護について地元で研究している橋本さんから聞くことができました。今度は花の見られる頃に訪れてみたいものです。堀口先生からは、地下に隠された谷の地形や地下水が特殊な環境をつくっているという仮説が紹介されました。「浮野の里」では、微妙なバランスの上に成立している特殊な場所を守るためには、広い範囲で保護を考えなければならないということを考えさせられました。 最後は北手沼にある「大沼」で周囲の開発が進む中、ここだけは低湿地の沼らしい姿を残していました。カワセミが沼のほとりに留まり、印象的でした。 {北川辺高校 栗原直樹}(参加42名) |
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今回は自称“川越に生まれ育って半世紀”の久津間さんの案内です。川越の街中にどんな地学名所があるのか?と思いましたが、川越台地の東端には湧き水、河岸(水運)など地形が人間生活と深くかかわっている様子を見ることができました。 熊野神社から岸町を見下ろし、川越台地の概観をつかみました。段丘崖にある烏頭坂を下り、不老川に沿って立川面を歩きます。“としとらず”とは昔の年末である節分のころ、水がなくなることからついた名前です。立川面は薄い関東ローム層のすぐ下が武蔵野レキ層という扇状地の堆積物のため、水がしみ込みやすいのです。 新河岸川に合流すると菜の花が満開でした。住宅街を進むと仙波河岸に着きます。ここは新河岸川の船着場で、久津間さんの子供のころは湧き水があり、朽ちた船や土蔵があったそうです。すぐ脇にある武蔵野レキ層の崖でレキ種などを観察しました。 少し歩くと川越市外では数少なくなった湧水、龍池弁財天に着きます。湧水のたもとに池があり、気持ちのいい所です。次に向かった小仙波貝塚は縄文時代の海進の証拠です。そこから坂を上って喜多院で昼食となりました。有名な喜多院の羅漢像や歴代藩主の墓石には関東大震災のときに倒れた傷跡が残っています。 午後は市民会館で総会となりました。年間予定のほか、新しい係りの紹介や、地ハイだよりの編集体制の話し合いが行われ、掘り出し物の販売もありました。 {豊岡高校 小島正順}(参加51名) |
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5月は暑くなったり、急に涼しくなったりと難しい気候です。しかし、この日は薄曇りの化石堀には絶好のお天気です。”化石”というと大幅に参加者が増え、今回も71名という大人数での開催です。集合場所には多くの期待に胸を膨らませた化石ハンター達がいました。中には”ティラノサウルスの化石を見つけるぞ!”なんて勇ましい声も・・・ 化石の前に地層のお勉強を・・・大人達は案内者の話を興味深げに聞いていますが、子供達はすでに頭は化石でイッパイのようでした。 さて、お待ちかねの化石採集。場所は地ハイではお馴染みの蓼沼です。貝や、カニ、そして、鮫の歯も時々見つかります。思い思いの場所で各自様々な化石を見つけていたようです。ここでは何も採れない、いわゆる”ボウズ”になることもなく、必ず何かが採れる産地として貴重です。しかし、だからといって乱獲することなく節度を持った採集を楽しんでもらいたいです。今回は小学生・中学生・高校生・大学生・一般と幅広い層からの参加があり、活気イッパイの地ハイとなりました。 {川口清陵高校 醍醐裕史裕史}(参加71名) |
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上福岡駅から市街地を東へ、なだらかの階段状の坂をくだり福岡江川にむかいます。福岡江川の富士見橋では、こうした地形が武蔵野面や立川面からなる段丘地形であることを聞きました。昔、灌漑用水として使われたこの川は、その上をコンクリートで覆われ「江川緑道」として市民の散歩道となっています。数十m毎にある掲示板に目をやりながら、下流にむかって進みます。水天宮付近で散歩道は終り、川の流れを見ることができます。川底のコンクリートの穴から湧水が吹き上がっています。この付近で検土杖を使い関東ローム層を調べてみました。 さらに、福岡江川から北へむかい、農家の納屋の屋根に残る関東大震災の傷跡を見学したあと、広々とした水田地帯を通り権現山緑地公園へとむかいました。権現山では昼食後、地形模型を使って「川越台地の生い立ち」の説明をしていただきました。 午後は、権現山の段丘崖に見られる礫層や地下水のしみ出している様子を観察しながら、新河岸川に沿って福岡河岸記念館まで歩きました。この記念館は、船問屋を営んでいた福田屋を保存したもので、3階建ての建物は、舟運が隆盛を誇っていた当時を偲ばせてくれます。 ここでもまた、関東大震災の傷跡を記念館の石垣や近くの土蔵の屋根に見ることができました。最後に、全員で記念館を見学したあと解散となりました。 {早稲田大学 力田正一}(参加36名) |
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7月の地ハイはたいてい雨を心配しながらのこととなります。九州では記録的な大雨に見舞われ、土砂災害が多発しましたが、集合時間には、太陽も顔を出し、蒸し暑い日になりそうな予感さえしました。 越生駅前の法恩寺で説明を聞いた後、虚空蔵尊をめざします。山へ沢筋の道を上がって虚空蔵尊から300mくらい歩いたあたりで、沢の中に緑色のミカブ緑色岩を見学しました。群馬県の鬼石や万場にあるものと同じものです。ジュラ紀後期とされるミカブ緑色岩の上に、さらに古いと考えられている秩父中古生層がのし上げている構造(衝上断層)となっているそうです。断層自体は見ることはできませんでしたが、その壮大な構造を作り上げた巨大な地変動を想像してみました。 さらに山道を登っていくと、「弁慶の手玉石」「鷹ノ巣」「博打岩」などと名前のつけられたチャートなどの衝上断層の上の中古生層の岩石が顔を出し、砥石にも使われるという凝灰岩も見ることができました。チャートでできた幕岩の上で昼食としたあと、大高取山の山頂をめざします。標高376.4mの三等三角点のある山頂はそれほどよい展望もなく、ちょっと残念でした。 昼食をとった幕岩付近まで来た道を戻り、尾根ぞいに歩いて越生神社へと帰路につきました。途中、石灰岩のブロックが見られる場所があって、みんなで化石を探しました。ここで見つかった化石はウミユリで、バラバラになった環形の茎の状態でいくつかの化石を見つけることができました。 {北川辺高校 栗原直樹}(参加65名) |
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