地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第351回〜第360回(2001年8月〜2002年7月)



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第351回 下仁田町に「中央構造線」をさぐる
             2001年 8月19日〜20日

 地学ハイキングも350回を数えました。実際には今回は351回なのですが、350回の記念巡検として企画され、勉強会も行って本番に備えました。
 集合場所は「下仁田自然学校」です。以前は保育園であった場所をそのまま自然学校として利用している所ですが、少しづつ「自然学校」の形になってきたようです。ここは今回の地ハイのベースとなる場所で、宿泊地でもあり、勉強会の会場にもなるところです。 自然学校では、野村哲校長先生をはじめ、おなじみの小林忠夫さんなど、今回の巡検の案内をしてくれる自然学校のメンバーが出迎えてくれました。
 自然学校で最初の簡単な説明などを聞いた後、さっそく自動車に分乗して、見学地に向かいました。
 最初の見学地は鏑川沿いの中井という集落です。ここで見られるのは花崗岩でした。しかし、花崗岩といっても、教科書でみるような花崗岩とは大違いで、初めて見る人には、白い砂岩のように見えてしまう岩石で、よく見るとわずかに黒ウンモが含まれているというものです。平滑花崗岩と名前がつけられたこの花崗岩は、領家帯に属していて中央構造線の北側に分布することになります。また、この花崗岩は埼玉に分布している越畑花崗岩に対比できるのではないかと考えている、という説明を受けました。 このあと、自動車で鏑川沿いに下り、白山という場所で西南日本の濃飛流紋岩に対比されるという「骨立山凝灰岩」、赤津という場所で美濃−丹波帯に対比される黒色の泥岩主体の「南蛇井層」を見学して、この日の見学を終了しました。 自然学校に帰り着いて、一息ついた後での学習会では、中央構造線などについて興味深い話を聴くことができました。
 そして、そのあとはお待ちかねの“350回記念”バーベキュー大会となりました。学習会をやっている時間に、小松さんが用意してくれた熱い鉄板の上で、次から次へとおいしい食材が焼かれて、大満足のバーベキューとなりました。
 翌日、小松さんのパンケーキでおいしい朝食を終えた後、自然学校で雑魚寝をしたグループと、旅館に宿をとったグループが合流して、2日目の見学に出発です。
 最初は、南牧川をさかのぼったところにある風口という地名の場所です。林道ぞいに歩いて登り、跡倉層の顔つきを見ながら、跡倉クリッペという大きな地質構造の話を聞きました。
 林道を登りきった所には大北野という集落がありました。奥まったところで、こんなところに集落があるとは、なかなか想像できません。ここは露頭では見ることができませんでしたが、中央構造線が通っている場所だということで、坂道を上りながら、断層の場所をあれこれ想像して、地形を眺めました。
 そのあとさらに、自動車で下流へと下り、下仁田の町中に近い鏑川の河床で、ついに今回のテーマでもある中央構造線の露頭を直接観察することができました。ある程度の幅で破砕帯があり、その中に断層粘土も残っているという断層らしい断層で、断層に近づけた人は断層粘土に触ることもできました。
 下仁田駅の南の緑色岩のある鏑川の河原で昼食をとったあと、下流の岩山という場所で、最後に神農原礫岩を見学して全ての見学は終了しました。
次回の400回記念巡検はどこになるのでしょうか。

(参加 39名)

中央構造線を前にして
平滑花崗岩を観察
下仁田自然学校で記念写真

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第352回 秋の長瀞をたずねて   2001年 10月21日

 「秩父」と言えば案内は小幡さんである。秩父原人(いなかったか!)の流れをくみ、正式な秩父語を話せる正統派秩父人の一人である。地ハイ係の当番として「いってんべー」ということで9:40秩父線野上駅集合。(注;「いってんべー」は標準語で「行ってみよう」の意)やや遅れてK地ハイ係長が、すでに教え子が待つ中、何故か本庄からタクシー7000円で登場。例によって駅前で参加確認、パンフ配布、コース紹介が行われる。小幡氏をして自然史博物館員という職が、これでもかこれでもかと秩父の地質の奥深さを紹介させる。地図の見方から始まり、駅前講座の話は日本の地質学草創期の話へと。ナウマン博士から小藤教授、他の秩父を訪れた研究者、学生の宿泊先にまで及び、これらの研究資料の寄贈が自然史博物館の由来となった等々、案内の緻密さが、いやがおうでも一同に伝わる。10時をまわったところで高砂橋下流の河床に移動。緑色片岩、黒色片岩の露頭で走行・傾斜の測定方法に入る。さらに結晶片岩の色の違い、なりたち、断層と節理、雁行裂か、微褶曲などがパンフレットの写真とともに説明される。2番目の見学地であるオートキャンプ場の河原に移動した頃にはすでに正午となり、日本一といわれる岩田のポットホールを見学し昼食。(ポットホール自体は、度重なる台風の洪水により上部1mを残す程度の深さまで埋まっていた)昼休みを利用し、パンフの残部、書籍等の販売を行う。
 昼食後、再び走行・傾斜をはかる。さらには、断層・節理と水のはたらき(攻撃斜面と滑走斜面)、周辺の地質の紹介も含め荒川の流路の形状の説明がなされた。金石(かないし)水管橋の上流地点で再び走行・傾斜の測定。傾斜が西から東に変わり、向斜構造の存在を知る。ここで二手に分かれ、健脚は左岸にある採銅抗跡の見学。他は春先には桜並木となる道路で岩畳に向かう。途中合流し、北西側から白鳥島のおりたたみ褶曲を見学する。一部の人を除き、おみやげ屋には見向きもせず岩畳へ。この夏の崩落事故の説明がパンフの写真とともに説明される。さらに河岸段丘の説明が加わり、再度走行・傾斜の測定。
 締めくくりは県内の地質に関する特別展を開催している自然史博物館の”説明付き”見学である。入館前には「65歳以上はタダです、左側に整列してください」「団体割引大人60円、中高生30円です」と選別され、藁半紙の上に小銭を置き4時少し前に入館。
 1階のカルカロドン、パレオパラドキシアをはじめとする骨格標本、2階の地形、地質、岩石、鉱物、等々の実物や写真、レプリカなど秩父地方を中心とした県内のスタンダードが展示され、充実した内容となっていた。
 「走行・傾斜」の概念は、やはり初心者にはむずかしそうで、体験ハイクでのおさらいが必要です。また、初秋の長瀞は、まだ紅葉には早かったようです。

(参加47名)

高砂橋下流の川原で結晶片岩
中にみられる変形構造を観察
金石の採銅坑跡を観察

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第353回 深秋の比企丘陵をたずねて   2001年11月11日

 前日までの雨とうって変わって、今日は絶好のハイキング日和りとなり、集合地の森林公園駅ではいつになく華やいだ集団となりました。それもそのはず元気な学生さんたちが大勢参加され、紅葉に飾られた道がより日に映えていました。
 コースは全長8km強と長距離ですが、埼玉のグリーンタフと呼ばれる凝灰岩層を巡りながら、二ノ宮山頂から比企北丘陵の景観が満喫できるコースです。第一観察点までは一番長い道のりでしたが、森林霊園では和尚さんも快く迎えてくださって福田石の石切り場跡を見せて頂きました。
 福田石は有名な大谷石ととてもよく似ていて、石材として1971年ころまで掘られていたそうです。ハンマーでたたいて新しい面をみることは出来ませんでしたが、軽石が含まれていてそれが抜けた跡を見ることが出来ました。また細かい断層も何本か見つけることが出来ました。新しい面が見られたのは、そこから少し南西の方向に行ったところの崖。ここではハンマーを使って新鮮面を出して大谷石そっくりの福田石が観察されました。この凝灰岩は約1200万年前の火山噴火で出来たとのことです。
 さらに南西に進むと「台沼」という沼の反対側の露頭には断層が何本か走り、地層も福田石凝灰岩層よりも下の層も出ていました。クリノメーターを使って地層の層理面や断層面の走向・傾斜の測り方を学びました。
 昼食は少し遅くなりましたが、二ノ宮山頂まで行ってからになりました。二ノ宮山展望台からは比企北丘陵全体が見渡せ、西には関東山地、中央構造線が通っている方向も追うことが出来ました。
 午後は歩いていくにしたがって約1900万年前の火山噴火で出来た凝灰岩層にいたる下部層が現れてきました。そして、さらに南西に向かって伊古山田という集落の民家の崖では再び上部の凝灰岩層が現れてきました。さらに進むと再びはじめに観察した福田石凝灰岩が現れてきました。つまり今日延々と歩いたコースは、大きな褶曲構造の山なり部分を横断したことになりました。
 久々の長距離ハイキングに皆心地よい汗を流して帰路につきましたが、今回のように多くの若い方達が参加した地ハイはとても楽しいものとなりました。

(参加45名)

大谷石に似た福田凝灰岩を観察
二ノ宮山の麓で地層を観察

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第354回  初冬の岩殿丘陵をたずねて 12月16日

 久しぶりに岩殿丘陵での地ハイです。この付近は大学や動物園の建設に伴ってかなり開発されましたが、まだまだ地ハイの見所がたくさんあります。今回は「埼玉の自然を訪ねて」にも紹介されているコースを回ってみました。最初に物見山の展望台からの眺望を楽しみました。次に岩殿観音に現れている将軍沢凝灰岩層の見学です。柔らかいので簡単に削ることができますが、境内なのでハンマーの使用は厳禁です。
 お昼は地ハイ名物”小松さん印のトン汁”。毎回道具類を提供してくれる小松さん一家の特製トン汁は毎回大好評です。会員の中にはこれを楽しみにしてる人も沢山いるのでは?最後は地球観測センターです。人工衛星からデータを使って研究している機関で、日本版のNASAとも言えます(NASDAと言うのが略称です)。館内にある無料のプリクラには人気が集中してました。施設の見学が終わってセンターの庭で解散となりました。秋晴れの中、林の中で松ぼっくりを拾ったりしながらノンビリとバス停に向かいました。

(参加65名)

岩殿観音境内の将軍沢凝灰岩層

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第355回 日だまりの寄居に埼玉の岩石園をたずねて 
                 2002年 1月20日

 1月としては暖かな日和に恵まれた今回の地ハイは、寄居町を流れる荒川とその周辺を歩きました。「埼玉の岩石園」とタイトルにあるように、このコースでは、種類や年代の異なる岩石・地層をたくさん観察することが出来ました。
 まず、寄居駅にて案内者の楡井さん・久保田さんからコースの概要説明を受け、玉淀川原に向います。荒川にかかる正喜橋から上流域の川原には、火成岩の仲間で寄居酸性岩類と呼ばれる岩石や堆積岩の仲間の砂岩が分布しています。それも断層の影響によるもなのでしょう、岩石や地層には細かい割れ目が入っていて、よく観察しないと火成岩なのか堆積岩なのか見分けがつかない感じです。ここでは今回もまた、3月の地質調査体験ハイクに向けて、クリノメータの使い方を実習しました。さらに、地形の説明では、元埼玉大学の堀口先生にも加わっていただき、数十年前から現在に至る玉淀川原の変遷や河川地形などの話をうかがいました。
 そのあと、正喜橋を南に渡り、鉢形城南方の深沢川に入ります。沢を右に左にわたりながら地質調査といった雰囲気で、寄居層と呼ばれる白亜紀末〜暁新世初期の地層や断層破砕帯などを観察しました。
 鉢形城跡での昼食後は、再び荒川に戻り正喜橋から下流域での観察です。この付近は、これまでと異なり、変成岩の仲間で御荷鉾緑色岩と呼ばれる岩石が見られました。全体に、緑色をおびたこの地層は、長瀞の岩畳で見られる岩石と同じ仲間ですが、変成度がやや低いためにペラペラ剥がれる特徴は弱いようです。その岩盤の上には、荒川の流れによって形作られたカメ穴(ポットホール)や、岸壁の石灰岩質片岩には、スイッチョの穴と呼ばれる鍾乳洞も観察することができました。
 観察終了後は、河原で小松さんのご家族が総出で作っていただいた甘酒をいただき、冷えきった体を温めて帰路につくことができました。

(参加49名)

玉淀河原にて寄居酸性岩類の説明

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第356回 地質調査体験ハイク(Part6)
            2002年 3月23日〜24日

 今回は第6回目の「体験ハイク」である。調査地域への交通、宿への移動等の都合で、総勢20名限定で計画された。内訳は地ハイ係が4名、案内者が4名、一般の参加者は12名(うち1名欠席)である。係1・案内者1で4名の参加者の説明ということになる。
 また、2日目もあわただしく調査をするのではなく、午前中にじっくり各班でルートマップをまとめ、鍵層、地質境界線等の整理を行うという日程で行われた。調査ルートは、両神村上野沢流域〜荒川村町分地、すなわち秩父層群と第三系の境界地域の不整合または境界断層を終点に4本組まれた。
 10:20am三峰駅集合。三峰駅西方の白川橋に場所を移動し、あいさつ、班分け、配車をし、各班ごとに出発。16:30〜17:00をめどに宿にもどるという日程であった。どのルートも全般的にはシルト岩主体で、この中に砂岩や凝灰岩が挟まり、中古生界の境界あたりで露頭欠如をはさみ、粘板岩、石灰岩が露出するという内容であった。
 18:30pm夕食(食べきれない量のおかずに、手打ちそば、ご飯。全部食べられた人はいたのか?)。帰りが遅れた(まじめに調査をやった?)班は入浴。19:30から各班ごとに大まかなまとめを1時間程度やり、コンパ。
 飯をたらふく食べ、今日歩いたルートの地質がなんとなく理解でき、酒が入り、「年齢がどうで、何を現在やっていて、このようないきさつで地ハイ参加となった」という自己紹介が進むにつれて和気あいあいとなる。中には2:00am頃まで飲んでいた輩もいたようだが・・・。
 翌日は7:30朝食。8:30〜各班でまとめ。ルートマップをもとに断面図、柱状図、真の傾斜と見かけの傾斜の関係等々、案内者が「各班からの報告」のレクチャーも含めた総まとめを行う。模造紙にルートマップを描き、発表の準備を含め2時間程度して、いよいよ「各班からの報告」である。必要があれば、サンプルを示し、他のルートと対比を行う。
 最後に全体まとめである。「各班のまとめ」の時に、係でまとめておいた地質図をもとに、秩父盆地団研の岡野さんが総まとめを行い終了。*境界断層確認1ヶ所。不整合面は未確認。その他は、中古生界の出現による推定断層。せっかくだから、ということで模造紙のルートマップの前で記念撮影。
 昼食は、これまたボリューウム満点のカレーライスであった。お代わりする者はいなかったようである。荷物をまとめ、玄関でさらに記念撮影。前日の配車で西武秩父駅まで送り解散となった。
 多くの地域を見学することも大切だが、2日目の午前中に前日の調査を(走行・傾斜、岩相、岩質、断層、節理等)じっくりまとめ、それに基づいた地質図関連作業をやることも、「こうやって地質図ができるのか、これらがまとまって埼玉の地質や日本の地質が組み立てられるのかがわかり、ためになった」という感想も聞かれた。

(参加19名)

班ごとにまとめた調査結果を発表
断面図・柱状図の作成に頭をひねる

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第357回 菅谷台地のおいたちをたずねて  2002年 4月21日

 4月の地ハイは雨の中の地ハイとなってしまいました。集合場所は、まだ地図にも載っていない、出来たばかりという「月の輪駅」で、駅前にはまだなにもなく、造成中といった場所もあちこちに眺めることができました。
 集合時間前から降りはじめていた雨は本格的な降りとなり、はたして参加者はいるのかなと思っていたところ、熱心な人達がたくさん集まってくれました。
 観察は駅前の造成中のロームから始まりました。雑木林を切り開いている真っ最中といったところがいたる所に見られ、下末吉期のロームと考えられているロームや粘土を観察しました。
 さらに、雨の降りしきる中、歴史資料館まで歩き、資料館を見学したあと、資料館の前に広がる菅谷館跡に下りて行きました。ここでは人工的に作られた段差と、自然に作られた段丘が組み合わされて、下末吉期の段丘面から低位段丘へと下りていく数段の段丘面を観察することができました。どんどん下っていくと、最後は都幾川の現在の河床にまで下りてしまいます。都幾川の河原は雨に濡れていて、レキの色が鮮やかで、雨に洗われた美しい色を見ることが出来ました。また、レキのインブリケーションも観察することができました。
 最後に、都幾川にそって少し上流へ歩き、段丘を作っているレキを観察してこの日の野外での観察は終了となりました。雨は相変わらず降り続いています。 午後は、今年度最初の地ハイということで、「日曜地学の会」総会が行われ、前年度の活動の報告と今年度の計画などについて話し合われました。

(参加25名)

菅谷台地のローム層を観察

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第358回 初夏の赤平川を歩く   2002年 5月19日

 赤平川といえば、ヨーバケや郷平橋下の「貝化石」、前原の「不整合」、信濃石の「スランプ構造」が定番である。しかし、今回は「一般地質学講座」的な内容の地ハイであった。
 皆野駅近くのバス停からバスで対岸にわたり、野巻バス停で下車。案内者の紹介とパンフ配布の前に、まずは県道の脇で(1)地形:河岸段丘、河川地形等の説明を聞き、赤平川の河原へ移動する。挨拶の後、今日のコースの概要を聞き、さっそく砂岩、シルト岩の露頭に向かう。(2)地質構造:層理、走向・傾斜、断層、ラミナ、ノジュール、鍵層等の説明を聞き、各自の観察にかかる。今回のパンフは「書き込み式」になっており、さながら“地層学実習”である。案内者の千代田さんは、走向・傾斜板は当然のこと、自作の粒度表、岩石・鉱物・化石にまつわる様々な写真を豊富に示し、“地質説明グッズ”の達人である。
 下流へ歩きながら(3)層序:富田層と子の神層の関係、層相・岩相等々の説明。さらに(4)岩石・鉱物:礫岩、砂岩、シルト岩、凝灰岩、海緑石、石英、方解石。(5)化石:二枚貝、巻き貝、ボーリングシェル等々細かい説明がなされた。
 郷平橋下での説明が終了する頃には雷雨となり、3時半過ぎに解散となった。早足で皆野駅に着いた頃には、地面から水しぶきが上がる本降りとなっていた。
 案内者、参加者、係の皆様、お疲れさまでした。

{富士見高校 松井}(参加33名)

長靴で川の中を歩いて観察

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第359回 慈光七石と新緑の都幾山ハイキング
             2002年 6月16日

 地ハイ案内者できついコースを設定するのは誰でしょう?おそらくHさんとOさんでしょう。今回の地ハイはそのOさんの案内です。しかも今にも雨が降り出しそうなお天気・・・それでも集合時間になるといつものように参加者が集まってきました・・・が!今回は毛色が違う参加者がちらほら。何でもON高校のK先生から参加を強制された女子高生数名、しかも参加を命令したK先生が来ないと知った彼女たちは「マジ!信じられない!!」とK先生への不信感をあらわにしています。
 今回のコースは埼玉県最古のお寺やそれにまつわる伝説やいわれを見て歩くもので町の職員の方も案内者に加わっていただきました。ちなみに慈光七石とは、冠岩・琵琶石・牛石・冥官岩・稚児岩・男鹿岩・女鹿岩の七つです。慈光寺は歴史を感じさせる立派な寺で、参加者の中には文化財収納展示施設を見学された方もいました。また、寺の門を入ったところにある多羅葉樹は1000年も前に植えられたモノだそうです。また、この葉面に傷をつけると黒色の跡が残り、“葉書”と言う言葉のもとになった、と言う説もあるそうです。
 ただでさえ厳しい藪こぎコースに雨まで加わって女子高生達の「マジ無理!」「ありえねぇ!」なんて最新の若者言葉が飛び交う楽しい地ハイでした(?)。

{川口清陵高校 醍醐}(参加43名)

山を分け入り慈光七石を観察

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第360回 夏・東川を歩く  2002年 7月21日

 梅雨明け、薄く雲のかかった夏空を仰いで暑い一日が始まりました。パンフレットは地ハイ史上初めてといえる、絵巻物で案内者の松本さんの意気込みが伝わってきます。川に沿ったイラストがとてもわかりやすく、ここまで詳しく研究できるものかと地道な調査研究に頭が下がります。
 東川は狭山丘陵を水源とし、台地を刻んで柳瀬川に合流する小河川です。出発点の県立芸術総合高校は狭山丘陵を切り崩して建てられています。この付近からは日向遺跡が出土し、太古から湧き水を利用した稲作が行われてきました。しかし昭和初期に村山貯水池ができてからは水量が減り、稲作をあきらめ、今では源流の谷を埋め立てて畑にしてしまいました。地元の新井さんの話では昔はサワガニやウナギがいて、薬草が目医者さんの薦めで盛んに栽培されたそうです。川は側溝のようなところから現れ、少しでしたが水田も残っていました。道端には庚申塔や馬頭観音が見られ、村境を示す道標となっています。狭山湖橋からはコンクリートが貼り付けられておらず、昔ながらの川を見ながら歩けます。しばらく行くと北野総合運動場です。ここは水田だったところを椿峰ニュータウンの造成で出た土砂で埋め立てて作られました。宮後橋の手前にさしかかると木陰があり、そこでローム層の露頭を観察しました。ロームの下には灰色の粘土層が断続的にあり、生物の巣穴らしい丸い穴も確認できます。
 宮後橋からは住宅地になり、コンクリートの護岸となりますが、右岸にローム層が露出しているところがあります。川底にはレキがあり、ローム層の下はレキ層になっていることが分かります。高圧線の下まで来ると、防災調整池の工事が大規模に進められており、池に沿うように東川の流路は完全に規制されます。この池は下流の新河岸川の洪水対策に作られたもので、内壁にはローム層と下に厚いレキ層が確認できました。ここもすぐコンクリートで固められることでしょう。
 パンフレットは柳瀬川の合流地点まで作られているのですが、今回は暑さもあり、ここまでとしました。

{大宮西高校 小島}(参加54名)

濃い緑の中、東川にそって歩く

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