地学団体研究会埼玉支部 日曜地学ハイキングの記録 第221回〜第230回(1988年8月〜1989年7月) |
第222回 横瀬町の自然をたずねて
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今回は秩父盆地の南東部横瀬町での地学ハイキングです。この地域は秩父盆地をつくる第三紀層の最上部層と第三紀層の基盤となるミカブ緑色岩類が分布しています。 今回のメインであるミカブ緑色岩は大昔(今から約2億年前?)の海底火山の活動によって噴出した火山灰や溶岩などが変成してできた岩石で、太古の激しい海底火山活動の様子を物語っているのです。そのミカブ緑色岩について午前中は曽沢川沿いで観察しました。 午後は横瀬町歴史民俗資料館の研修室で、岩石の顕微鏡観察をしました。その際、資料館の深田さんlこは大変お世話になりました。ここに記して感謝いたします。 (参加41名) |
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今回の地ハイは久々の地学オリエンテーリング。いくつかのポイントを設け、そこでいろいろな問題を解いたり、普通のオリエンテーリング形式で文字を捜したりしました。 当日は係りの予想を上回る多数の参加者(と多数の案内者)が集り、班編成などが多少手間取りましたが、ポカポカと暖かい一日で大きな事故もなく(小さな事故はあった?)オリエンテーリングを楽しみました。最終地点は葛袋で化石採集をしました。そして最後に表彰式、閉会式を行って解散となりました。 (参加78名) |
今回の地ハイは東京都の西部、加住丘陵をたずねました。加住丘陵は高麗丘陵、加治丘陵などともに関東平野西縁丘陵のひとつで、関東平野が誕生した頃の、鮮新世末〜前期更新世の地層が見られます。 最初に、網代橋わきの不整合を観察しました。下位のほぼ垂直に立った角礫岩層が、五日市盆地新第三系の網代層です。その上位にほぼ水平にのった円礫層が、丘陵をつくる加住礫層です。1978年には、この付近の加住礫層の中からステゴドンゾウのほぼ1個体分の骨格化石が発見されました。この化石は都立高尾自然科学博物館に展示してあるそうです。 つぎに都指定天然記念物「六枚屏風」に行きました。高さ30mにも及ぶ大きなガケは秋川に浸食によってできたそうです。ここの地層も加住礫層で、ガケの中腹には厚さ約1mのシルト層が見られました。 サマーランドランド自然園で昼食をとった後、三ノ谷を登っていきました。この谷の入口には、チャートが見られました。谷を進んでいくと、石灰岩が見られ、この岩にはフズリナが含まれていると言うことでした。これらの岩石は秩父帯で、その上位に加住礫層の最下部の厚いシルト層が分布し、オオバラモミやメタセコイアの球果が見つかりました。加治丘陵の仏子層の下部と似ていると思いました。 (参加36名) |
今回の地ハイは1986年11月に噴火した伊豆大島でした。夜10時に竹芝桟橋を出航し、明け方5時に元町港に着きました。島内は貸切の東海汽船バスで回りました。 日の出前に御神火茶屋まで登り、朝食をとりました。三原山展望台から先への立ち入りが禁止されているので、外輪山を北へ歩き、新火口展望台に行きました。1986年の黒々した溶岩流がよく見えました。少し下って、山腹割れ目噴火の火口列につくられた遊歩道を歩きました。ここでは噴き上げた溶岩が、かつての道路を塞いでおり、火山弾やアア溶岩、溶岩樹形が見られました。形のいい火山弾を拾った人もいました。 バスに乗って島の東の大島公園に行き、昼食となりました。その後、行者の窟に行き、大島の古い火山の残骸を見ました。さらにバスで、海中にそそり立った筆島に行きました。これも古い火山の残骸で、マグマだまりから噴火口につながる、火道角礫岩だと言うことでした。ここで、記念写真を撮りました。 バスは南に回り、波浮港展望台に行きました。波浮港は円い湾になっていますが、9世紀中頃の水蒸気爆発の火口で、1703年の元禄大地震の津波で、海とつながったと云うことでした。さらに、西に回り、見事な地層の縞模様の見られる地層大断面を見学しました。 最後に元町港近くの長根岬の1338年の元町溶岩を見ました。明け方からのバスハイクも、午後2時すぎには終了し、午後7時過ぎに竹芝桟橋に戻ってきました。 (参加46名) |
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今回の地ハイは江戸川に近い、県東部の金杉台地で初めての見学会です。金杉台地は元もと下総台地の一部だったものが、利根川・江戸川の改修で断ち切られたものだそうです。日差しは暖かなのに、風が強い一日でした。 最初の飯沼の露頭では、台地の地層が観察できました。最下部がヌカ砂と呼ばれる水成層で、その上に関東ローム層がのっています。ローム層の最下部は縦に割れ目の入ったチョコ帯で、その上にはTP(東京軽石)が点々と入っています。上部にはBB(ブラックバンド、黒色帯)が挟まり、このBBの最上部に特徴的な火山ガラスを含んだAT(姶良火山灰)がレンズ状に挟まっているのが見られました。大宮台地と同じだと思いました。 次の中野と西谷津の露頭でも関東ローム層が見られました。が、中野ではヌカ砂層の上に硬砂層という風成層がありました。地形的にもこの付近は高くなっており、武蔵野期の河畔砂丘なのかも知れません。また、西谷津ではヌカ砂層の下に緑灰色の粘土層があり、さらにその下位に礫混じりの粗粒砂層がありました。これらは川の堆積物ではないかということでした。 最後に栄光院の裏の畑で貝塚の貝殻を見ました。今は有明海などに棲むハイガイが目立っていました。今日は中川低地と金杉台地の境目に沿って歩いた訳ですが、それが縄文時代の海岸線なのだと云うことを実感しました。 (参加62名) |
この日は朝から雨模様,そのため参加者は28名とぐっと少なめでした。しかし現地では雨に降られることもなく、楽しい一日を過ごしました。今回は今年度の第一回目ということで,午前中は「日曜地学の会」の総会を行い、昼食後に野外に出て化石採集を行いました。 まず午前中の「日曜地学の会」の総会では、初めに昨年度の地ハイの報告と今年度の計画の提案がありました。続いては小幡会員による「秩父盆地の地形・地質について」という題の講演です。スライドを多くまじえ,非常にためになる内容でした(さすが支部長!)。 午後は荒川の川原にでかけ化石採集です。今回の採集地点は以前パレオパラドキシアやサメ・カメなどの大型化石の見つかっている所とあって,参加者はみな真剣そのもの,さすがにそういう大型化石は見つかりませんでしたが,貝の化石などはたくさんとれたようで,みな満足顔で帰路につきました。 (参加28名) |
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最近新しくできた飯能駅の南口に集合。朝のうちはイマイチだった天気もなんとか一日もちこたえ、約9kmの行程を歩きました。 今回は入間川にそって歩き、川ぞいにみられる地層を見学しました。入間川ぞいのコースは今までに何度か行われ、昨年も4月に牛沢から笹井付近までを歩きました。今回はその上流部分になり、矢久橋から新豊水橋付近まで歩きました。このコースでは加治丘陵をつくる飯能礫層や仏子層が観察できます。 まず最初の露頭では飯能礫層とその中にはさまれる矢嵐凝灰岩を見学しました。ここでは双眼実体顕微鏡が用意され 凝灰岩中の鉱物観察を行いました。また西武線の鉄橋下では亜炭層をみました。200万年も前の昔のものとは思えないとても生々しい材化石には驚きました。 ところで今回の一番の事件は何といっても地ハイ初参加のK氏の果敢な行動でしょう。最後の露頭でまとめも終わり解散となった後、ある参加者が靴を川に流してしまったのです。その時K氏は川にはいろうとした私の目の前を(ウソつけ!)カモシカのように走りぬけて川に飛び込み,膝まで水に濡らしながらもその靴を拾い,落とし主に届けたのでした。さすが地ハイ係の若きホープ!とにかく素晴らしい地ハイへのデビューでした。 (参加44名) |
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今回は都合により予定を一週間延期し、6月の第四週の地ハイとなりました。連絡が遅れ,皆さんに御迷惑をおかけしたことをこの場を借りておわびいたします。 さて6月下旬と言えば梅雨の真最中、天気は望めないだろうと思いましたが、みごとに裏切られ暑いくらいの一日でした。今回のテーマは台地と低地、外を歩くのは午前中だけで露頭も一ヶ所、あとは地形を見たり遺跡を見たり、または湧き水を飲んだり, そして午後は富士見高校で室内作業を行いました。しかし低地というのは車で通りすぎるとわかりませんが、歩くと細かい地形の違いなどが見えてくるのです。山で地層見学もいいですが、たまには低地をじっくりと歩いて地形を見てみるのもいいでしょう。午後の室内作業は3つの班に分かれ、ローム中の鉱物観察、低地の地層中のケイソウ化石の観察、航空写真による地形調べを順番に行いました。 そして最後に低地の生いたちについてのまとめの話があり、解散となりました。 (参加37名) |
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梅雨も明けた7月の第四日曜日、とにかく暑い!の一言につきる一日でした。今回は秩父盆地の北東の縁を荒川にそって歩きました。午前中は基盤の変成岩を見学し、午後は第三紀層をみて化石採集を行いました。 第一番目の露頭は親鼻橋のたもとで、紅レン石片岩という結晶片岩をみました。ここの紅レン石片岩は今から100年くらいまえ小藤文次郎という有名な地質学者によって、世界で初めて報告されたというものだそうです。またここには大きなおう穴も見られました。その対岸では結晶片岩中に磁鉄鉱や黄鉄鉱の結晶がみられました。 午後は第三紀層の分布域にはいり,まず大淵の川原で化石採集です。暑さにも負けずみんな一生懸命でした。最後に有名な前原の不整合を見て解散となりました。 とにかく暑かった一日、駅につくと大人たちがビールの販売機に集まったことは言うまでもありません。 (参加51名) |
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