地学団体研究会埼玉支部 日曜地学ハイキングの記録 第201回〜第210回(1986年9月〜1987年7月) |
第201回 200回記念講演会・化石のレプリカづくり 1986年9月15日
第202回 秋の笠山をたずねて 1986年10月19日
第203回 荒川中流の第三紀層と化石−武川付近−
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午前10時、秩父鉄道の武川駅に集合。化石採集があるということで、小中学生や高校生も20人ほど集まりました。地元の中学校の先生や町役場の職員の方も参加されました。 {小幡喜一}(参加者 49名) |
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今回は駅から遠く離れた羽生市三田ヶ谷の宝蔵寺沼で地ハイを行いました。参加者は自家用車やタクシーを利用して集まりました。宝蔵寺沼は食虫植物ムジナモの自生地として有名なところですが、地学的に見ても興味深い現象がたくさんあります。 {小幡喜一}(参加者 15名) |
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今回の一様地学ハイキングは、川越南高校の地学室で岩石薄片の作成と観察を行いました。「岩石図鑑を見ると美しい岩石薄片の顕微鏡写真が載っているので、作って観察してみたい。」「今まで日曜地学ハイキングで採集した岩石の薄片を見たい。」という参加者のご希望に応えての企画です。 {小幡喜一}(参加者 40名) |
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1983年10月の火山噴火から3年あまりたち,三宅島の様子を観察に行きました。20日の晩東京、竹芝桟橋に集まり午後10時過ぎに出航、船の中での懇親会は盛り上がりました。明け方になって、三宅島に接岸しました。 {小幡喜一}(参加者 32名) |
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地団研の会員と地ハイ参加者が一緒になってとりくんできたガイドブック「日曜の地学」の二度目の全面改訂版、「日曜の地学1 埼玉の自然をたずねて」が4月20日に出版されたことを記念した日曜地学ハイキングを行いました。今回は「日曜の地学」の中でも定番の見学コースである「秩父盆地の誕生をさぐる−皆野ふきん−」を歩きました。案内者はこの項の執筆者、上村康夫さん。 {小幡喜一}(参加者 47名) |
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朝まで雨が降り続いていましたが、集合時間の午前8時20分には雨が上がりました。久々の武甲山です。 {小幡喜一}(参加者 17名) |
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第207回に引き続き、今回も新刊の「埼玉の自然をたずねて」に掲載したコースの中から選びました。 {小幡喜一}(参加者 28名) |
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日本の地質学発祥の地、長瀞を訪ねた先月のハイクは210回目。雨模様にもかかわらず、集合場所の秩父鉄道野上駅前には主婦、中学、高校生など30人が集まり、主催する地学団体研究会埼玉支部のメンバーたちも大張切り。 ブドウ畑の間を歩いて荒川・高砂橋下流の河原へ下り、早速、岩場めぐり。上流の岩畳までは、海底につもった土砂、火山灰が地下1万mもの深さに押し込まれ、何百度の熱と圧力で変化し、再びもち上げられた結晶片岩が見られる。 「シマ模様が小さく曲がっていたり、ずり切れたりしているのは大きな圧力を受けたため。長瀞は地質学の宝庫で、地下の様子が見られる“地球の窓”とも言われています」と、案内役の地学団体研究会のメンバーたちがていねいに説明する。 高砂橋の上流から親鼻橋までは、県立公園の特別区【付記:国の名勝・天然記念物】で岩石の採取などは一切、禁止されている。橋の下流のここでは、ハンマーを使えるため、しばらく地質をじっくり観察する。世話人の1人小幡喜一・豊岡高校教諭が、川原の草を抜き、根の砂を黒塗りのおわんに入れて川水で洗い始める。 「上流の岩石に含まれる金が砂金となって運ばれ、根に沈着して見つかることがあるんです」と小幡さん。これも、上流の特別区ではできないため、参加者たちがここで次々と試みるが、残念ながら成果なし。 この後、一番見どころの岩畳や白鳥島の横倒ししゅう曲、昔の銅の試し掘り跡などを回り、4時ごろ、ハイクを終える。 浦和市から来た浅野陽一君(12)は初めての参加ですが、ふつうのハイクでは気づかない地質の歴史がよくわかると目を輝かす。 {読売新聞1987年8月2日}(参加者 39名) |
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