地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第91回〜第100回(1975年4月〜1976年3月)


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第91回 黒山三滝・顔振峠 1975年 4月27日

 第91回の日曜地学ハイキングは雨の中で越生・黒山でおこなわれました。参加者は42名で、古生層とミカブ緑色片岩などを観察しました。
 コースの概要は、黒山のバス停付近で緑色岩を、黒山三滝でチャートを観察し、滝の成因について学習しました。しかし、雨がひどくなり、ここで中止となりました。
 尚、希望者20名は上の石灰岩まで化石をみつけにいきました。雨という悪条件のため収穫はゼロでした。

{「秩父の峯」から}(参加者 42名)

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第92回 ヨーバケ付近 1975年 5月18日

 5月18日(日)好天に恵まれヨーバケ付近で行われました。コースは秩父盆地の第三紀層中の松井田→ヨーバケ→藤六で、参加者は71名でうち4名は新聞記者です。
 ヨーバケでは、約2時間さいて、化石採集を行いました。多くの人達が化石を採ることができました。化石としては貝類のほかにカニがたくさん出て、完全に近いものが10体位見つかりました。サメの歯も1個見つかりました。
 ヨーバケから藤六までは堆積構造を見学し、案内者の説明のなかから秩父盆地の歴史について思いをめぐらせました。

参加者の内訳 小学生15名・中学生28名・高校生5名・大学生1名・教員15名・一般1名・研究者1名・その他4名。

{「秩父の峯」から}(参加者 71名)

ヨウバケの下で
化石が転がっているかな

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第93回 長瀞の結晶片岩 1975年 6月 8日

 第93回日曜地学ハイキングは日本の地学のふるさととよばれている長瀞付近を歩きました。前日の天気からすると雨かなと心配していましたが、当日は真夏を思わせるような日差しの強い日本晴れの一日となりました。参加者も47名とまずまず。コースは野上の高砂橋から上長瀞の博物館付近までの荒川沿いでした。ここではいろいろな種類の結晶片岩について勉強しました。また途中で銅試堀坑を見学し変成鉱床についても勉強しました。案内の先生にマムシが出るかもしれないぞと驚かされながらも、何人かの勇敢な人が試掘坑にはいっていきました。そういえば東京の中学生X君、洞くつの中で頭をぶつけてしまったようだが後遺症はだいじょうぶかな。
 なにはともあれ長瀞は景色がよいというばかりでなく、地質学的にも有名で重要なであることを再認識しました。

{「秩父の峯」から}(参加者 47名)

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第94回 皆野町日野沢付近の秩父帯  1975年 7月20日

 この日は蒸し暑い中を、日野沢で秩父帯北帯の地層を観察しました。
 沢の途中で、参加者の一人が面白いヘビがとぐろを巻いているといった訳です。そして、そのヘビのまわりに好奇心の強い人が集まった訳です。そしてしばらくにらめっこをした訳です。そして、そのうちの一人が、あっ!マムシだ!と叫んだ訳です。幸い誰も被害ありませんでした。

{「120回への足あと」から}(参加者 37名)

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第95回 金勝山地学オリエンテーリング 1975年 9月 7日

 去る9月7日、第95回を比企丘陵の金勝山を中心にして再度地学オリエンテーリングを実施した。
 金勝山は全山が石英閃緑岩からなる標高263mの山で、かつて一時この山の開発をめぐって地質屋の間で評判になり、その悪評判も現在では解消され、そこには県立少年自然の家が設立され、その施設を利用させてもらって行なった。今回はすでに地図に印刷されたポスト15ヵ所をまわるようにし、所々で歩測、磁石の使い方、礫層の観察(礫種、礫径、形、その他)、山頂から望む山の名前、ペグマタイト中の鉱物名などの課題を階層別に出して行なった。最後に全員がゴールの山頂にある自然の家のプラネタリウムを見学し、楽しい一日な過ごした。
 参加者は幼児から小・中・高・大学生、及び家族づれ、老人まで広い層から約50名でした。残暑の中であったことや、文化祭、体育祭前であったため、中・高校生の参加が少なかった。
 なお今回はトランシーバーをフルに利用し、各係の任務分担がスムーズにいき、どうやら定着してきた。さらに今後も、新しい目で郷土の地学の普及を推進していこうと支部全体で努力している。
 最近、オリエンテーリングの参加者を襲う変質者が出没することも頭に入れておくことが大切ですね。

{「そくほう」から}(参加者 35名)

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第96回 秩父盆地 皆野・黒谷付近 1975年10月19日

(雨天中止)

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第97回 正丸峠・伊豆ヶ岳の秩父帯 1975年11月16日

  前日の激しい雨で危ぶまれた天気も当日はカラリと晴、日曜地学ハイキングは約40名の参加で行われた。コースは正丸駅を出発点にガーデンハウス→正丸峠→伊豆ヶ岳→天目指峠屋→下久通→西吾野駅という長い尾根歩きでした。
 前日までの雨で道が適当にぬかるんでおり、まさにスルリ満点のくさり場(チャートのがけはこんなにもすごいのだということを肌で感じたろう)、尾根からの奥武蔵のすばらしい展望など収穫は非常に多かったものと思われる。
 今回のメーンエベントと考えていた下久通での化石採集の様子を述べよう。「この辺りで化石がとれるよ」との案内者の言葉に参加者の何人かが露頭に向かった。しばらくして彼らがフズリナを見つけてくると化石採集に向かう人がしだいに多くなり(多くの参加者は疲れていたためか、初めのころは道の上で見学者となっていたのだが、発見の声に誘われて)、大部分の人がおみやげにすることができた。その間約1時間、予定では15分で終わらせるはずだったのに「遅くなるからいい加減に帰ろう」との案内者の声がしたころ、今度は巻貝がでてきたのである。この地ではまだ記載もされていないし、埼玉でも珍しいものではないかな。そこで、さらに時間を延ばしその巻貝を徹底的に採集した。
 この地での巻貝の発見は、またまた日曜地学ハイキングの成果といえよう。

{「秩父の峯」から}(参加者 52名)

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第98回 千葉県木下の化石層 1975年12月21日

(参加者 38名)

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第99回 川口・安行台地 1976年 1月25日

(参加者 45名)

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第100回 荒川中流・花園  1976年 3月21日

 1965年10月の笠山、堂平山の巡検をかわきりに、日曜地学ハイキングほ今回3月21日で第100回目を迎え、その記念巡検を、大里郡花園村の荒川沿いで行なった。
 当日ほ快晴で多少風が冷たく感じたが、幼ない子供から老人まで110名近くの人が参加し.約5km の行程を中新世の地層を中心に観察したり、化石採集をしたりした。参加者の中にほ、70歳すぎた ファイトあるおばあさんが参加し、熱心に地層中から化石を探し求めたり、河原の石を採集し、それを大きなリュックの中につめ、『近所の茶飲み友だちに土産物にするのだ』と意気ごんでいる人までいた。
 今回は、100回を記念して、砂の粒度表をつくり、これを全員転配布し、さっそく活用して地層の区別に役だててもらった。また、全行程の1/2ほどのところの河川敷でほ、前日からしこんできたあずきあんをつかって自家製のおしるこを用意し、全員でおしるこの乾杯をして100回を祝った。また、その席でこのハイクの最多参加者を表彰し、最後に200回をめぎして、この回に参加し、みんなの力でこの会を築きあげようとお互いに確認しあった。
 巡検を終えてコンパがもたれ、今までの経験や反省を話しあった。その中でここまできた陰のひとつには地質的な条件(古くから研究の成果があり、複雑に岩石、地層が分布する)、や交通の条件(東京近郊で交通網が発達してい早こと)などめぐまれた条件もあったことも確かである。しかし、今まで行なってきて問題がなかったというわけでもない。たとえば1つには、100回も巡検を行ない普及を広めた反面、一般の方を団研活軌こ積極的に引き入れることができなかった支部の組織にも責任があった。また1つには、回を重ねるごとに、一度実施した場所で何度もしなけれはならなくなり、時には県外にでたり、趣きを変えた新しい形態をとるよう努力しているが、意外とむずかしく、ついいつもの形態をとることが多くなってきている。それでも航空写真を利用したり.オリエンテーリングなど新しい趣向を取り入れて行なっているが、今後もっと開拓しなけれはならないであろう.その他、回を重ねるにしたがって支部会員の日曜地学ハイクに対する意識がうすれ、かつ参加率も低くなってきていることも事実である。支部会員が各自どのようにこの会を位置づけるかは200回目標の成功の成否にかかることと思う。その点充分検討の必要もあろう。
 ただ100回を迎えて、今回、及び前回と70歳過ぎた熱心な老人までがこの会に参加し、郷土の自然とその生いたちに関心をしめてくれていることは大きな意義があったと思う。今後、各地でこのような会が盛んに行なわれると思うが、日曜巡検の普及についてお互いにもっともっと関心をもって考えていくことも必要であろう。

{「そくほう」から }(参加者 ?110名)

おしるこで乾杯
最多参加者の表彰
化石採集

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