地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第81回〜第90回(1974年4月〜1975年3月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第81回 越生付近 地学オリエンテーリング 1974年 4月28日

 

(参加者 84名)

このページの最初へ

第82回 小川町 官ノ倉山 1974年 6月 2日

  第82回日曜地学ハイキングは官の倉山付近の地質巡検でしたが、参加者は19名と低調であった。案内の渋谷さんもさぞがっかりしたことと思います。余ったパンフレットをリュックに重い足どりでした。
 コースは初め東武竹沢駅の北約500mの崖で、礫層(五反田礫岩)を観察した。この礫層には特徴的な花こう岩や片麻岩の角礫が入っていて、これらの供給源が問題点となった。この礫の円磨からみて、たぶん供給源がかなり近いことなど、また領家帯の岩石種に似ていることからこの付近に中央構造線の延長が走っているのではないかと説明した。次いで“例の事件”で有名な金勝山石英セン緑岩のフレッシュな露頭でサンプルを採集した。
 官の倉山を登る途中で、宅地開発のため造成地をつくっている大きな切通しをみた。山体が石英セン緑岩で深部まで風化しているところをけずって整地しているため、万一集中豪雨でもあったらいっぺんに大規模な土砂くずれが起きそうであると思った。ずさんな工事に自然破壊の教訓をはだで全員が感じたようだ。それにしても、何故こんな風化した岩石を骨材に使おうと考えたのか、はなはだ疑問を感じた。
 天王池で昼食をして官の倉山中腹のレンズ状石灰岩のところでウミユリの化石を採集した。人数も少なかったため官の倉山頂上は素通りして下山した。
 最後に小川盆地で第三系の化石を採集しようと露頭さがしをしたがよい露頭が見つからず困っていた。運よく田んぼを埋めたところに飯田夾岩層と思われる泥岩の岩塊がたくさんころがっていたので、岩塊を割って化石を探したところ植物化石がざくざくでた。中にはメタセコイアのすばらしい化石をとっと者もいた。考えてみれば岩塊を崩して化石をとったのだから、埋め立てすることに
協力し、あわせてほうびももらえるという一石二鳥の感じであった。
 今回は天気もよかったせいか、いたるところでやまかかしに対面した。中にはおたまじゃくしを追いかけている“やまかかし”もいた。ほんとうに愉快であった。

{「秩父の峯」昼間}(参加者 19名)

このページの最初へ

第83回 武州中川・浦山口 1974年 6月30日

 第83回「秩父盆地南縁の地質」が、梅雨時の小雨の中、6月30日、地学ハイキングが秩父盆地南縁の第三紀層見学を中心に行われた。見どころも多く、雨にもかかわらず多数の人々が参加した(一般1名、大学生1名、高校生50名、中学生1名、小学生1名、 教師15名、大学教官1名の合計70名)。
 主な見学場所 は、若御子断層洞では、断層や断層鏡肌の観察、またクリノメーターを使い断層面の 走向や傾斜のはかり方などを学習した。
次に浦山川合流地点より500mほど上流の荒川右岸で、礫岩や砂岩、泥岩の互層など を観察し、礫岩内の礫積、礫の形また互層について調べ、 これらの地層の堆積した状態について学習した。
 最後は今日のおみやげである化石採集、こうなるとみんな目の色をかえて大はりきり、いつも ながら化石は参加者にとって最高のみやげらしい。しかし、参加者をよく観察する と、くたびれたような顔をしてさぼり気味の人もいたようだ。 また話をしながらのんびりと化石採集をしている人など様々であった。
 最後に浦山口断層を見学した。時々、小雨の降る中であったが、 それぞれの目的を十分達成したようであった。
 案内者(小林・関根・棚橋・上村)のみなさん大変ありがとうございました。

{「秩父の峰」町田明夫}(参加者 70名)

武州中川駅前での説明
雨の中で傘を差しての昼食

このページの最初へ

第84回 飯能(不動の滝) 1974年 7月21日

(参加者 4名 雨天中止)

このページの最初へ

第85回 飯能(不動の滝)  1984年9月23日

(参加者 36名 )

矢颪凝灰岩層

このページの最初へ

第86回 三浦半島 鷹取山の第三系 1974年10月13日

 雨天決行(参加者 31名)

このページの最初へ

第87回 波久礼付近の結晶片岩とみかん狩り 1974年11月17日

 

(参加者 138名)

滑石工場で

このページの最初へ

第88回 ようばけ付近の地層と化石 1974年12月 1日

 12月の日曜地学ハイキングは秩父盆地の中央を流れる赤平川で行われました。天気に恵まれたせいか、チビッ子(小学生)が多数参加し、活況を呈しました。参加者数約80名の半分近くが小学生だったため、日頃子供たちに接する機会の少ない案内者などは、オロオロするばかりで、だいぶ冷や汗をかいたようでした。
 まずヨウバケの化石とりでは全員思い切りハンマーを振るい、貝や木や葉やカニ等のスバラシイおみやげを手に入れてニコニコしていた。中でも珍品は比較的古いサメの仲間である「カグラザメの歯」が産出したこと。これはヨーバケからの産出としては5年ぶりとのことで、さすがはチビッ子パワーと感心させられた。他にも頭骨(?)と思われる骨らしきものも出て、ヨーバケに毎年10数回は来るという案内者のY氏やK氏も感心することしきり。
 その後、きれいな互層やソールマークを見ながら赤平川に沿って下り、最後に藤六のスランピング褶曲を見た。教科書にものるほど有名な露頭ではあるが、参加者の多くは初めて見るダイナミックな地質現象に見いっていたようだった。きっと心に強く残ったことでしょう。
 ともあれ小春日よりの1日、楽しくにぎやかにすごしたハイキングでした。

{「秩父の峯」上村}(参加者 71名)

説明に集中
転石に含まれる化石を探して

このページの最初へ

第89回 所沢付近 1975年 1月26日

 新聞の片隅に次のような案内がのっていた。
 ≪全県≫ 日曜地学ハイキング
  26日午前10時、武蔵野線東所沢駅前集合
  柳瀬川沿いに見られるローム層の観察
        地学団体研究会 埼玉支部
 地学ハイクに初参加。観察したものは、ローム層と軽石層・礫層と粘土層・粘土層の上からの湧水・地層の対比など。案内者は露頭の観察のしかた(崖の様子は図に表してみること、赤土や礫は手にとって調べてみる等)を説明された。露頭の様子を図示することも、赤土や礫を見分けることも要領よくはできなかったが、不明な点は相互に調べあっていく雰囲気を感じ好感が持てた。
 崖からころがり落ちたと思われる、径15cmほどで表面が、ザラついている正体不明の石についても、3〜4人の方が頭を寄せ合い、撫でたり叩いたりして“ガブロー”と判定。 帰宅してから調べてみると、「【はんれい岩・Gabbro】火山岩でいえば玄武岩に相当する塩基性の深成岩。斜長石・輝石・かんらん石を主成分とする。有色鉱物の量が多く……。」崖からころがりおちた、たった1個の石にもこんな中身があったとは驚きだ。この石、いまだにハンマーを受けつけないほど硬い。
 いまひとつ印象づけられたこと。
 「この層は軽石層でPm-1と名づけられており、下末吉ロ−ム層を特徴づける軽石層で赤土の地層を対比する場合に、異同を決める鍵となる。また、この土の少量を茶わんに入れよく水洗いして、残った鉱物を調べてみると有色鉱物の量が少なく、ジルコンを含んでいるのが特徴……。」
 持ち掃ったPm-1なるものを水洗いしてルーペでのぞいてみると、なるほど有色鉱物は少なく、白っぽい鉱物や透明なものが多い。どれがジルコンであるかわからないが、小粒で強く光っているのがある。「ジルコンは屈折率が非常に高い」というが?
 この日は、自転車でブラッと出かけたので半日だけの参加であったが、身近な場所で立川・武蔵野・下末吉の各ローム層や軽石層、礫層、湧水などを観察することができ収穫の多い日であった。これがきっかけとなり地学ハイキングに参加するようになった。

{「200回総括誌」松本}(参加者 39名)

和田の露頭で

このページの最初へ

第90回 笹井ダム・仏子付近 1975年 3月23日

 

(参加者 72名)

メタセコイアの樹幹化石
笹井ダム上流を歩く

このページの最初へ


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ