地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第71回〜第80回(1973年5月〜1974年3月)


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第71回 小鹿野・観音山付近の第三系 1973年 5月13日

(参加者 32名)

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第72回 武川付近の第三系と化石 1973年 6月17日

(参加者 88名)

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第73回 上野動物園で動物の進化を学ぶ 1973年 7月15日

(参加者 38名)

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第74回 神奈川県城ヶ島 1973年 9月 9日

(参加者 72名)

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第75回 武甲山  1973年10月 1日

(参加者 15名)

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第76回 両神山 1973年11月 3日〜4日

1泊2日の地学ハイキング.澄んだ山の空気は,星の数を何十倍にも何百倍にもします.
 昼は地面を!夜は星を

(参加者 17名)

地ハイ「120回への足跡」から

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第77回 小川町 館川・赤木の沢 1973年12月 2日

(参加者 66名)

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第78回 越生の大高取山 1974年 1月20日

(参加者 74名)

 

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第79回 大宮台地(浦和)のローム層と硬砂層 1974年 2月17日

(参加者 20名)

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第80回 吉見丘陵 1974年 3月17日

 3月17日に堀口先生の案内で吉見丘陵の日曜地学ハイグががおこなわれた。吉見丘陵 といえばあまりにも有名な吉見の百穴がある。 横穴墳墓として古墳時代末期につくられたといわれている。市ノ川の堤みから第三紀 層凝灰岩質砂岩の横崖に数多くの穴墳群がみられ、古代人の生活をほうふつさせる。水田や畑を主体とした平野部に孤立して存在し樹木 でおわれている。この丘陵はより、いっそう自然の豊かさを感じさせた。
 ところが、10年ほど前から比企ネオポリスとして大規模な住宅造成が進むにつれ て、緑豊かな丘陵は殺伐とした景観をなしはじめている。 吉見百穴の北東部、そして、北吉見の東部は建設埋立用として?土・石が大規模に堀 り取られ、その景観の凄まじいこてには驚く。当日配布された空中写真とステレオビジョンによって、10年前の比企丘陵を立体視す ることによって、その変化の様子が正確に知ることができた。ここに現在すすめれている日本列島改造の縮図をみることができたと 思う。自然環境とその多様性を全く無視した開発は 将来に大きく影響を与え続けることであろう。吉見百穴の南に松山城跡があるが、資本の論理によって落城するのも時間の問題でなかろうか。
 この開発によって従来あまり知られていない地質の様子が明らかにされてきたとい う。我々も根古屋の大露頭において、標本に使えるような 立派なザクロ石角閃岩をサンプリングした。このザクロ石はパイロープといわれるも ので、高圧下のもとで生成されたものといわれる。このような変成岩類は丘陵の中央に断層を境にして分布しているといわれている。丘陵の 地質が研究され、かなりの成果がでてきた。しかし、その背景には自然破壊という人間の営みがある。どのように考えたらよいのであろう か。ともかく今回は比企丘陵の地質が勉強できたと 同時に自然破壊の現実を考えさせられた意義ある地学ハイキングであったと思う。

{「秩父の峰」 細野 衛}(参加者 ?36名)

実体視の練習
ガーネットを含む片麻岩の露頭を埋め尽くす参加者

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