TOP ■ちちぶ総会紹介シリーズ ■(3)宮沢賢治の秩父巡検 
日本地質学発祥の地・秩父(3)

   宮沢賢治の秩父地質巡検

 最終更新日:2023年4月2日

 

 詩人・童話作家として知られる宮沢賢治(1896-1933)は、幼少期から“石っこ賢さん”と呼ばれるほどの石好きで、岩石・鉱物や土壌・地質に造詣の深い自然科学者でもありました。大正5(1916)年、盛岡高等農林学校(農学科第二部)2年の賢治は、9月1日から9日間、関豊太郎教授(土壌学;賢治の自伝的作品といわれる『グスコーブドリの伝記』に登場するクーボー大博士のモデルとされる)と神野幾馬助教授の指導による秩父地質巡検に参加しました。同校では、大正年間、毎年のように埼玉県秩父地方を中心に巡検が行われました。
 日本地質学会(当時は東京地質学会)初代会長の神保小虎著『日本地質学 全』(1896)の付録には、秩父・甘楽地域の11日間地質巡検案内が提示されています。まえおきに「初学の徒地質巡検をなすの便を図り巡検案内を示さん 東京近傍にあって最も興味ありかつ有益なるは武蔵秩父地方なり」とあり、神保の「秩父甘楽地方地質略図」(地学雑誌:1909)とあわせて、当時の秩父地質巡検の見学場所やコース設定の参考にされました。
 大正5(1916)年の賢治らの巡検記録は残っていませんが、大正3(1914)年の伊藤源治と大正13(1924)年の藤田謙二の旅行記、大正6(1917)年の保阪嘉内の歌稿ノート、巡検中に賢治が詠んだ短歌や採集標本から推定できます。9月1日(東京で単独ドイツ語講習会参加)─2日(帝室博物館見学後上野駅で皆と合流、熊谷泊)─3日(寄居象ヶ鼻で輝岩、末野石切場で絹雲母片岩、波久礼石切場で緑泥石片岩・滑石片岩採集、長瀞上流部の虎岩、皆野金崎泊)─4日(金崎で蛇灰岩採集、小鹿野のようばけ、山中地溝帯、小鹿野泊)─5日(三峯神社宿坊泊)─6日(これ以降の日程は推定:妙法ヶ岳、太陽寺、秩父泊)─7日(橋立鍾乳洞、影森で蛇灰岩※・ラジオラリア板岩(放散虫チャート)採集、武甲山登山、秩父泊)─8日(長瀞下流部の岩畳、金石、曲り淵で石墨片岩採集、本野上駅から熊谷を経由し上野駅から夜行列車)─9日(盛岡駅着・解散)。※採集地については異論あり。
 秩父地方は、明治時代から日本列島の地質に関する先駆的研究が行われた“日本地質学発祥の地”であると同時に“地質学徒育成の聖地”でもあるといえるでしょう。

(埼玉支部 本間岳史)

 


秩父巡検中に賢治が「虎岩」を題材に詠んだといわれる短歌『つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ』を刻んだ歌碑(埼玉県立自然の博物館前)


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