地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第481回〜第490回(2014年9月〜2015年7月)


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第481回 中川低地
     〜自然環境の変遷・低地の開発を考える〜
 2014年 9月21日

 9月の地ハイと言えば、残暑厳しい中で開催されるもの… そんな、ここ数年の傾向を覆すさわやかな秋晴れに誘われたのか、いつもよりもやや多めの参加者が南桜井駅に集まった。駅を出発し、まず花蔵院で県の指定有形文化財である四脚門を見学する。その後、同じく有形文化財の香取神社へ向かい、近くにある富士塚で説明を受ける。富士塚は富士信仰の対象として富士山を模して築かれたもので、そこには富士山の溶岩が使われているらしく、春日部には高さ10mを越えるものまで大小様々な富士塚が多く残っているそうだ。また、千葉に総本社をもつ香取神社が利根川・江戸川沿い多く分布するなどの説明もあった。
 次に龍Q館へ向かう。ここは中川流域の浸水対策として作られたた首都圏外郭放水路に関する資料館で、建設中にはぎ取られた巨大な地層のはぎ取り標本を観察することができる。標本から、約12万年前を境に以前は河川の氾濫原だったものが、海の環境(干潟・浅瀬・内湾など)に変化した様子を柱状図と共に解説して頂いた。また、海の地層の中には貝化石や生痕化石が多数観察できる層があった。ここで、先生より「地層から巣穴の長さを求めよ」との課題が出され、昼休憩となる。早々と昼食を済ませた参加者の方々が、はぎ取り標本を前に課題に取り組んでいた。なお、課題の答えは約3m。そんなに長い巣穴を掘る生物がいるのかと、みな驚いていた。
 午後は江戸川の堤防に登り、低地の開発について説明を受けた。また、開発にともなって田畑の中に民家が点在する風景や、強い風に備え民家を囲う屋敷林などを観察した。その後、低地の中を歩いて行く。古い家の中には、盛り土で蔵を高くしているものや、その名残が何箇所も見られた。これは水塚といい、低地で起こりやすい洪水対策として造られたものであるとの説明を受けた。また、周囲の電柱には記録的な洪水の高さが赤いラインで示されていた。参加者の方々は、水塚がその高さよりもやや高く造られていることや、地域によって水塚の高さが違うことなど、興味深く観察していた。
 最後に、大凧まつりで使われる凧と同じ大きさの大凧看板と、県の天然記念物である蓮花院のムクの木を観察して駅に到着、まとめを行い解散となった。
 今回は、稲刈りや実った稲の香りなどの秋を感じながら、のどかな田園風景を地形や文化財を見ながら歩いた。天候にも恵まれ、とても気持ちの良い地ハイだった。

{竹内 幸恵 川越高校}(参加者 43名)

龍Q館

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第482回 秋の筑波山をたずねて 2014年10月19日

 昨年中止となった筑波山の地ハイの再チャレンジ。昨年は荒天で中止せざるをえなかったが、今年はたいへん良い天気で、山頂からの眺めは最高だった。案内資料は産総研地質標本館が作成したカラーの「筑波山地質見学ガイド」で、たいへん分かりやすかった。観察地点が小さいことと観光客が多いため、少人数で行動することとなり、人数制限が必要であったのが残念でした。7〜8人の3グループで回り、ケーブルカーやロープウエイを使って移動した。
  筑波山の山体ははんれい岩からなり、山頂ではしっかりとみることができた。筑波山の有名な奇石群はこのはんれい岩からできており、その1つのガマ石を観察できた。山体の下は花崗岩(6千万年前)からなり、はんれい岩(7千5百万年前)より新しいことから、後から陥入したのである。その境界は地表ではわかっておらず、地下ボーリングで確かめられているとのことであった。これらの岩石は、梅林の沢の転石で、ハンマーを使って採取することができた。はんれい岩には大きな角閃石がみられた。花崗岩に伴われるペグマタイト(巨晶花崗岩)もみられ、大きな長石もある。ここではペグマタイト中にみつかることがあるざくろ石はないとのことでした。
 筑波山まで遠いこともあり、電車とバスで3時間程かかったものの、参加者は満足したようであった。グループで行動したため、終了後の解散もグループごとになったが、事故もなく帰路についた。

{川越女子高校 松岡 喜久次}(参加者 24名)

筑波山山頂で
沢の中で岩石を観察

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第483回 秋の妙義山をたずねて 2014年11月16日

 11月の地ハイは貸し切りバスを利用して群馬県の妙義山を訪れました。案内は妙義団体研究グループの中村庄八さんと中島啓治さんです。  妙義山といえば奇岩で知られる有名な山で、群馬県では赤城山、榛名山と並んで上毛三山として知られています。その奇っ怪な形はいったいどうやって作られたのか、好奇心いっぱいでバスは高速道路を降りました。  最初に向かったのは、妙義山を作っている岩体の北東部分にあたる場所でした。そこは北を流れる碓氷川に流れ込む大沢川の沢沿いにできた露頭で、妙義山を作る岩体の下にある基盤岩の泥岩を観察しました。この地層からは海の生物の化石が産出しているということで、この基盤岩は海成層であることがわかっているそうです。  そこから大沢川沿いに少し上がると、基盤岩と妙義山を作る岩体の境目を見ることができました。両者は断層で接していて、その破砕帯は固結している状態でした。この露頭は妙義山の岩体と基盤の関係がわかる唯一の場所とのことで、興味深く観察しました。また、沢には妙義火山を作っている溶岩が転石としてたくさんあって、埼玉にはあまりない新鮮な火山岩をお土産としてサンプリングしました。  さらに上流へ行くと、妙義山の岩体を観察していくことになるのですが、溶岩が作る小さな滝の手前では凝灰岩や凝灰角レキ岩が急傾斜の地層を形成していているのを観察しました。地層の中には級化層理やロードキャストなどの堆積構造が見られ、地層の上下をみんなで考えました。どうやらこの地層は逆転するほどの変形を受けているようです。本来水平に近い状態に堆積したはずの地層がこんなに変形したのは、妙義火山が崩壊したため、と考えているとのことでした。また、この場所では沢の対岸に火砕流堆積物と思われる凝灰岩が見られ、その中からは火砕流に巻き込まれたと考えられる植物の化石も見られました。午前の観察はここまでです。  午後は、中之岳神社の広い駐車場で昼食をとったあと、妙義山の特徴的な奇岩である石門を見学しました。凝灰角礫岩や溶岩がつくる奇岩を眺めながら急傾斜の登山道を登って行って、最初に第1石門、第2石門を遠望、第3石門、そして第4石門と、案内者のヒントを元にして、それぞれの石門がどうやって形成されたのか、参加者それぞれが観察しながらその成因を考えました。岩石に空洞ができた同じようなものなのですが、よく見れば、その穴の形や岩質や弱い部分などの特徴がいろいろな事態を想像させてくれます。  第4石門まで登ると、石門の空洞を通して「大砲岩」「ゆるぎ岩」と名付けられた岩体が眺められる広場に出ました。第4石門からの風景は「日暮らしの景」と呼ばれるということで、ここで時間をとって、石門や雄大な景色を眺めました。中には大砲岩まで登ってきた人もいました。  時計をみれば、もう午後の時間帯もずいぶんと経過しています。妙義山の奇岩を見て回るうちに時間が過ぎていくのも忘れていたようです。予定ではこのあと、バスで下仁田の下仁田自然史館まで足をのばす欲張りな計画でしたが、それはまたの機会として、この日は駐車場に戻った後、案内の中村さんから、これまでの研究から考えられる妙義山の形成のシナリオを紹介してもらい、この日の見学は終わりとなりました。

{本庄高校 栗原直樹}(参加者 26名)

第4石門
妙義神社駐車場

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第484回 元加治から笹井ダムまで歩き、
     仏子層を下から上へと見ていこう
 2014年12月21日

 12月に入ってから続いていた寒さから一転、比較的穏やかな日曜日。冬の地ハイにも関わらず、46名もの参加者が元加治駅に集まった。今回のテーマは、『入間川に沿って仏子層を下位から上位まで全部観察しよう!』である。
 早速駅を出発し、上橋のグラウンドに下り、下位にある飯能層と仏子層の境界を観察した。ここで、仏子層の部層区分等の地質概略について説明を受け、礫層である飯能層と仏子層が整合関係にあること、仏子層が下流に向かって緩く傾斜している(下流に行くほど上の層が露出している)ことを確認した。ここから下流に向かって上位の地層を追っていく。西武線の鉄橋下に広がるシルト層中では、木の根の化石・アケボノゾウの足跡化石を観察した。今は川底になってしまったが、かつての中州にあった泥炭層からは昆虫や植物の化石が多数産出したそうだ。シルト層中の火山灰の年代から、足跡化石が約200万年前のものであるとの説明も受けた。
 さらに下流に進むと、川岸の足下にたくさんの貝化石が観察できた。私は2枚貝しか見分けられなかったが、食用にもされるイボウミニナなどの巻き貝も見つかっているとのこと。しかし、印象化石である上に地層が崩れやすいため、採取するのは難しい。ここは皆さん、写真撮影でガマン…であった。
 昼食を取った後、その付近の地層を観察する。ここでは、たくさんのサンドパイプが丸や管状の模様として見られた。巣穴を埋めたパイプ状のものを蛇糞石というらしい。前日の雨で水位が上がり、露頭に近づいて観察することができなかったのが、心残りである。
 更に下流に向かいながら、粘土質の仏子層の直上で湧水を観察し、最後に仏子層最上部・笹井ダム下流に到着。ここには亜炭層が分布していること、かつてここから、いくつもの植物株の化石が発見されたとの説明を受けた。その後中州に下りて、亜炭層中から植物化石を採取した。20cm程川の水に浸かっての作業。ジワジワと足の指先に冷えが伝わる中、皆さん必死で露頭とにらめっこ。黒っぽい亜炭層から、同じく黒っぽい植物化石を見つけるのはなかなか難しかったが、慣れてくるとたくさん発見した参加者さんもいた。しかし、採取した化石は非常に脆く、湿らせたティッシュにくるんで厳重に持ち帰ったが、開けてみるといくつか壊れてしまっていた。(次回、化石採取の際には、フィルムケース等を持参することを心に固く誓うとともに、皆さんにもお勧めします。)ここで見つかった植物化石は、メタセコイア・エゴノキ・ハンノキなのどの実で、これらの植物が150万年前に繁茂していたことがうかがえる。大物のオオバタクルミが発見できなかったのが残念だった。
 今回は笹井ダムでまとめ・解散となった。防寒バッチリで挑んだものの、日中は日差しも有り暑く感じるぐらい天候にも恵まれ、参加した皆さんの日頃の行いがうかがえる地ハイだった。

{川越高校 竹内幸恵}(参加者 44名)

西武線鉄橋下 アケボノゾウの足跡化石
笹井ダム下流 亜炭層と植物化石

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第485回 中・古生層の地質調査に挑戦!  2015年 1月21日

 1月の地ハイは案内者の説明をただ聞きながら歩くのではなく、自分たちで考えながら、地図に岩石の種類を色分けして、岩相区分図を作ろうというものでした。場所は西武秩父線の正丸駅から西吾野駅の間の林道で、顔を出しているのは秩父帯北帯の住居附ユニットとされている中・古生層の地層です。
 「大寒」も間近の1月18日の正丸駅には寒風が吹き抜けていましたが、29名もの人たちが集まりました。みんな元気です。正丸駅で説明を聞いたあと、高麗川の河原に降りて、出てくる岩石の顔つきを全員で確認しました。砂岩、泥岩、チャート、苦鉄質岩(玄武岩溶岩・凝灰岩)、石灰岩、といった岩石の特徴を確認しましたが、同じ名前がつく岩石でも顔つきはいろいろで一筋縄ではいきません。
 河原の石でとりあえず出てくる岩石を覚えたあとで、3つのグループに分かれて順番に林道に入りました。林道とはいえかなりの急傾斜の作業道でしたが、じっくりと露頭を見ていくと、疲れは全く感じないほどのスローペースとなります。ひとつの露頭を前にして、それぞれがハンマーで叩きながら、「これは砂岩かな?」「泥岩に近いかも…」などと言いながら、ルートマップに色鉛筆で色を付けていきました。何もせず歩いてしまえば1時間もかからない林道も、露頭で迷い始めると1時間たっても100mも進めません。「出てくるのは4種類だけ」と最初にヒントがあり、河原で顔つきを確認した岩石でしたが、露頭ではそれ以上に判別が難しいことを実感したのではないでしょうか。
 3つのグループに分かれたままで、適宜グループごとに昼食を済ませた後、午後も同じように露頭と向き合いました。午後になると、午前中に見たチャートや苦鉄質岩と対比できそうな岩石が露頭に現れてきました。ルートマップを作りながら気が付いたでしょうか。
 最後に、ルートの最後となった尾根の上でまとめをして、この日の地学ハイキングは終了となり、このあと、西吾野駅までの長い道のりを歩きました。

{本庄高校 栗原直樹}(参加者 26名 )

西吾野の林道にて

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第486回 秩父札所の地学めぐり その7
  秩父札所をめぐり盆地と山地の境を見る
 2015年 3月22日

 第486回日曜地学ハイキングは、3月22日小幡喜一さん(熊谷高校)の案内で「秩父札所をめぐり盆地と山地の境を見る」巡検が行われました。52名もの参加者で、札所巡りは人気の巡検です。大学生や高校生、小学生もまじり、晴れて風もなく気持ちよい一日を歩くことができました。
 秩父鉄道の白久(しろく)駅前に集合し、かつて天然氷のスケートセンターがあった話、雪が山陰でとけず「久しく白く」残り、それが地名の由来になった話からはじまり本日の概要が説明されました。説明の中の「断層」ということばに参加者が反応し、質問していたのは、やはり3.11の被害の影響かと思いました。
 秩父札所30番瑞龍山法雲寺では石材と国内産地の変遷、寺宝(その多くは化石)、竜の昔話、対岸に見える山の地滑りについても見学しました。寺宝を無料で間近に見られるのに驚きました。庭石に貝化石がびっしりあるのも秩父ならではと思いました。また「竜(龍)」の話と地滑りの話には以前に読んだ新聞の記事のこともあり興味を持ちました。飯玉大明神の砂岩からできた双体道祖神では、「双体」であることが珍しいこと、石材の砂岩から見える堆積時のようすなどを聞きました。石材からも地域の地質や石屋の技術史が見えるのもおもしろいものです。つぎの見学地まで、秩父往還の昔話、かつての荒川の流路跡と中州など微地形を観察しながら昼食場所の道の駅「あらかわ」へ向かいました。
 昼食後、礫岩層を立体的に見ることができる図学トンネル「矢通反隧道」を通り、「十二天水」で水を試飲し、安谷川木橋のそばのマンガン採掘坑で含マンガン岩塊を採取しました。石の上を歩いて川を渡っての見学地の帰りに滑りずぶ濡れになった方もいて、浅くても川を渡るときは十分気をつける必要があります。最後の明ヶ指の卵水は硫化水素水の卵の腐ったようなかすかな臭いがしました。秩父盆地周辺部の断層沿いなどには古くからの鉱泉があり、巡礼の宿になっていたというのも地学と生活の結びつきを感じました。

 (参加者 52名)

新緑の秩父路を歩く

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第487回 地すべりと地形・地質について考える 
                2015年 4月26日

 この地ハイはまさに「地すべりの中を歩く」という内容でした。現場は、長野県と群馬県の県境から下仁田町側で、神津牧場の北方、矢川峠の東側です。地形図で滑落崖とその東側の緩傾斜地形がわかり、長さは600mもあります。当日は寄居駅をマイクロバスで8時40分にスタートして、花園からの高速道路は佐久インターまでスムーズにゆきました。そこで、ヘルメットを用意していただいた下仁田町の関谷さんと合流し、現場へと向かいました。佐久からの道路は、マイクロバスが通れるほどでした。下車後、下仁田町から借りたヘルメットを着用して、案内者の国土防災の方の案内で見学が始まりました。笹の中を進み、最初の小さな滑落崖の見学し、その先に大きな滑落崖がありました。そして、地すべりの始まりである陥没地もみることができたのです。
 ここの現場は地すべりの調査中で、ボーリング調査により原因の究明、地すべりの動き、水位などの説明がありました。観測機器についても見学できたのです。地すべりの緩傾斜地には、流れ山のような凸地形がみられ、その上の樹木が傾いているのが印象的でした。最後に地すべりの末端の流水まで見学できました。まとめでは、地すべりを起こしている地層の所属について、参加者から異論がでるなど、有意義な地ハイとなりました。この案内をしていただいた国土防災の方々には、大変感謝をします。帰りの高速道路は少し混雑をしましたが、無事に帰着できました。

{川越女子高校 松岡喜久次}(参加者 20名)

まとめ風景

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第488回 よこはま動物園ズーラシアで
           動物の進化を学ぶ
 2015年 5月16日

 当日は朝から雨であったが、午後は曇との情報であった。ズーラシアの正門前に10時の集合で、団体での入場の20名まで少し足りない。少し待って20名を越えたので、団体として入場した。土曜日は小・中学生は無料であったので、団体には含まれない。雨は11時ごろには止んで、その後は曇でやや涼しい一日であった。ここは広くて歩くのがたいへんであった。
 この動物園での地ハイは、第379回の10年前に行われ、その時の参加者は73名であった。今年の4月22日に、「アフリカのサバンナ」が新しく拡張されたであった。そこでは、キリン、エランド、シマウマ、チーターが一つの広い広場に共存している風景は、普通の動物園では見られないものと思われる。今回は、チンパンジーなど間近でみることができた。案内者の後藤さんからは、それぞれの動物の進化などを中心に、小寺さんからは、ネコとイヌの手の折り返しのこと、ペンギンの姿勢などのことが説明され、印象に残った。今回の案内資料は32ページにもおよび、これからこの動物園を訪れるには参考になるので希望者には50円で購入できるので、係まで連絡をください。

{川越女子高校 松岡喜久次}(参加者 25名) 

熱心に資料を見る参加者

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第489回 ―Road to 500 荒川 その13―
       荒川扇状地の街「熊谷」を歩く
 2015年 6月21日

 今回の地ハイは,今自分が住んでいる熊谷の街を歩きつつ,その過去も同時に学ぶことができました。
 熊谷駅の南口にも昔は堤防の決壊によってできた「欠土池」と呼ばれた押掘があり,南口と北口との開設の差は100年もあったことを知りました。また万平公園には昔の荒川の堤防が見ることができました。
 荒川大橋の東側の寄洲で川原の石の種類分けを行いました。ここは,大学の授業でも訪れましたが,その時には見つけられなかった蛇紋岩や秩父鉱山から流されてきたと思われるスカルンもあった事が驚きでした。
 星溪園も荒川の洪水による堤防決壊によってできた押掘で,そこから流れてできた川が星川であるということだそうです。そのことが驚きでした。
 普段見慣れている川や公園は,現在とは大きく違った姿をしていたことはわかっていたつもりでしたが,今回の地ハイで改めて実感させられたとともに,とても興味がわきました。

{立正大学 学生  吉岡拓実}(参加者 24名)

荒川の川原で石の種類分け
現在は用水路から取水している星川を見る

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第490回 板碑の採石地を訪ねる(その1)
 ―中世板碑の一大生産地!小川町下里付近―
 2015年 7月19日

 今回は“槻川河床の結晶片岩露頭や板碑の採石地(割谷遺跡)を訪ね、緑泥石片岩の特性と中世以降の石材への利用を考える”をテーマに、小川町下里付近を歩きました。参加者は小川町教育委員会の後援もあり51名でした。
 午前10時、集合場所の埼玉伝統工芸会館で、案内者の本間さんから小川町周辺の地質や板碑について説明を受けたのち、槻川の川原に向かいました。河床には、黒色〜灰色を帯びた黒色片岩や石英片岩の露頭が観察されました。河床の礫は、結晶片岩や緑色岩が大部分を占め、上流域にこれらの岩石が広く分布していることが推測されました。
 炎天下の中、田圃の中の道を辿り大聖寺へと向かいます。その途中道の一角に、緑色片岩でできた御神橙がありました。台石の表面には小さな丸い窪みが、いくつか見て取れます。「はたして人工的につけられたもの・・・?」と調べてみると、自然にできたポットホールの集まりであることが判りました。
 大聖寺は急坂を登った山の中腹にあります。境内の法華院には、点紋緑泥石片岩を石材とする「石造法華経供養塔」や板碑が収蔵されています。小川町教育委員会の高橋さんにこれら考古資料について解説をしていただき、昼食休憩を兼ね拝観しました。また、休憩時にはお寺の方から胡瓜の差し入れをしていただき、暑さでバテ気味だった体に、元気を取り戻すことができました。
 午後は、朝から体調が優れなかった本間さんに代わり、高橋さんの案内で板碑の採石地「割谷遺跡」へと向かいました。その途中では、「馬頭尊」の文字が刻まれた高さ数mの点紋緑泥片岩の石碑を含む、大小10基ほどの石碑が集められた場所に立ち寄り、供養塔のお話を伺いました。
 割谷遺跡では、昨年10月国史跡に指定された経緯・石材の採掘工程など興味深いお話を聞くことができました。普段は保護のためブルーシートで覆われた試掘抗の内部も観察させていただき、点紋緑泥石片岩の畳大の板石や工具痕や打撃痕が残る石材などを見ることができました。発掘調査のため下草が刈り取られた山腹斜面は、不用石材のズリ場となっており、往時の採石の様子が偲ばれました。
 帰途は、それまでの天気と一変し激しい雨となりましたが、それでも全員無事埼玉伝統工芸会館に到着し解散することができました。
 なお、小川町教育委員会の高橋さん・吉田さんには、案内や救護などで大変お世話になりました。お礼申し上げます。

{地ハイ係 力田正一}(参加者 51名)

槻川の川原
割谷遺跡

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