地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第471回〜第480回(2013年9月〜2014年7月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第471回 荒川・明戸河原をたずねて  2013年9月22日

 秩父鉄道の武川駅に10時20分に集合、日差しはやや強いものの木陰は秋の気配である。駅から荒川ぞいの観察地点まで向かう道のりはわずかであったが、草藪と石ころだらけのところを歩く。9月の時期は最悪で、案内者の本間さんが草刈りをしてコースをつくったところであった。帰りに同じ道?を引き返したが、道がはっきりせずに不安になった。
 荒川左岸の観察地点の河床の露頭は、台風によりきれいにみがかれていて、地層や堆積構造などがよくわかった。ここは1000年前の土塩層で、浅海に堆積した砂岩と泥岩の互層で、生痕化石がたくさんみられ、小幡さんにより説明があった。また、断層、火炎構造もみられるなど台風の増水のおかげか?とも思われた。再び元の道?をもどり、昼食は菅沼天神社の予定でしたが、13時近くなったので手前の河原沿いの木陰にした。
 午後は荒川沿いの農道をしばらく歩き、明戸ダムの上流の明戸河原で、植物化石の観察と採取と火山灰層。台風の影響で水位が高く、河原に渡るのに注意が必要でした。また、そこからさらに上流まで歩く予定でしたが、歩いて渡ることができないので化石の採取になった。楊井(やぎい)層は礫岩・砂岩・泥岩からなり、泥岩からは多くの植物化石はでている。葉の化石が地層にそってみつかる。参加者はハンマーをふるって化石を出していた。メタセコイアの球果も見つかったのでした。15時ころにまとめをおこない、明戸駅にむかった。草と石でころんだ参加者もあり、今回のコースは時期を2月か3月ごろが最適と思われた。

{松岡 喜久次 大宮南高校}(参加者43名)

土塩層の観察
楊井層の観察

このページの最初へ

第472回 筑波山    2013年10月20日

  荒天のため中止にしました。

{松岡 喜久次 大宮南高校 }

このページの最初へ

第473回 − Road to 500 荒川 その12−
   江戸川と荒川の「スーパー堤防」の見学
    −本当に災害を防ぐことができるのか− 
2013年11月24日

 荒川シリーズの第12回目で11月24日に風もなく暖かい小春日和の中、実施されました。案内はスーパー堤防の必要性について地域住民と一緒に問題点を考え、行動している東京支部の渡辺拓美さんです。街の中を歩きながら防災・地域の再開発・社会問題を考える、いつもとは違った地学ハイキングでした。
 はじめに、市川駅すぐそばにある「アイ・リンクタウン展望施設(無料)」から概略の説明を受けました。地上150mからの眺めはすばらしく、富士山や筑波山まで一望できました。話を聞きながら見る、台地や自然の河川の蛇行や自然堤防・砂州がつくる街並み、人工河川の荒川(放水路)・中川(放水路)、つぎの見学地は、立体模型のようでした。人工河川は河川敷が狭く、実は自然の河川の河川敷の広さが堤防を守る上で重要な役割を果たすということや、阪神淡路大震災の時も砂州の上の建物は被害が少なかったことも話題になりました。そして、「再評価」による浸水想定図が決壊地点よりはるか上流まで広がっていることが驚きでした。
 スーパー堤防の現地を歩くと、堤防を補強すべきところから手をつけないことからも、目的が防災というより「再開発」が目的であることがわかります。少なくても担当者は河川がつくる地形と災害の歴史を理解して計画作成に携わってもらいたいものです。3.11の地震以降、何かと海に近いところでは津波が話題になりました。しかしスーパー堤防の高さは従来と変わりなく、対策が取られていないことも驚きでした。一度決めたことは変更しないのではなく、臨機応変に対応すべきです。さらに、国の説明では、スーパー堤防の上で液状化しないはずの液状化が起こっていることを聞き情けなくなりました。
 造成予定地は、住宅街が虫食い状態でしたが、残っている住民が訴訟を起こしています。そこの用地買収のしかたも、聞くとがっかりさせられました。行政が該当する住民のところへ日参し、結果としてかもしれませんが、住民同士を仲たがいさせ、判を押させる。完成まで400年かかるといわれるスーパー堤防造成の方法としてはどうでしょうか?  最終見学地では、堤防の裏面が斜面でなく、「壁」のところもあり、支離滅裂、驚くことの連続でした。
 私たち国民は「防災」を全面に出されると批判しづらいものです。しかし、実際に歩いてみると事実は、口実にしている防災の視点がない、しかも行政が地域を破壊している、ということに気付かされました。スーパー堤防に限らず、住んでいる身近なところでも、このようなことが起こるかもしれません。
 なお、12月12日、東京地裁は、住民側の請求を棄却しました。

{久保田郁生 羽生第一高校}(参加者20名)

  

このページの最初へ

第474回 狭山丘陵のスカイラインを歩き,
    丘陵・台地のおいたちを探る
 2013年12月15日

  風もなく、この時期にしては穏やかな晴天。参加者の日頃の行いか、地ハイ日和の日曜になった。下山口の駅に集合した参加者は、簡単な説明を受け、駅を出発する。途中、小さな露頭の足下で段丘の礫層を観察し、最初に到着したのは、『正田ファーム』。案内者正田先生の畑の後ろに広がる露頭では、多摩ローム層とその中に挟まれる数枚の軽石層を観察することができる。ここで、狭山丘陵の地形や成り立ちを聞き、実際の露頭と共に、観察しやすかった頃に作成した地層のはぎ取り標本も観察した。参加者は、説明を聞きながら、地形断面図に軽石層の高さを記入していく。その合間、畑にできたたくさんの野菜を「ご自由にどうぞ」という先生の声に、「この場で鍋かなんかにしてくれたら最高だなぁ」とつぶやく方が。(私もみんなで鍋が食べたかったです)
 次に向かったのは『いきものふれあいの里センター』。センターの方の楽しいお話しを聞き、丘陵に生息する生物の展示などを見学した。その後は、荒幡富士の広場で昼食タイム。その間に荒幡富士に登って絶景を眺め、午後の部がスタートした。
 所沢高校に向かいながら、途中、最初に見た段丘礫層を観察。また、高校のすぐ下の崖には午前中に観察したものよりも新しい時代の段丘による礫層・ローム層・軽石層を見ることができた。
 所沢高校に到着し、今まで見てきた軽石層を洗い出したものを、双眼実体顕微鏡で観察した。それぞれに含まれる鉱物の種類に特徴がある。既に洗い出していたものを使い、いつもよりも観察の時間がたくさんあったため、参加者全員、説明を聞きながら熱心に観察し、メモを取っていた。最後にまとめを行い、解散。今回も、家が近い等の理由で、初めて参加された方が数名いた。そんな方々が今後の地ハイにも続けて参加してくださること、また、新しい参加者がどんどん増えることを祈りつつ、平成25年最後の地ハイが終了した。

{原坂幸恵 熊谷高校}(参加者43名)

地層のはぎ取り標本を観察
 荒幡富士に登って絶景を眺める 

このページの最初へ

第475回 和光の白子湧水群と川越街道白子宿
     地質と湧水、歴史探訪
 2014年1月19日

 今回の地ハイはNPO法人「和光・緑と湧き水の会」との共催です。この代表を務める高橋さんご夫妻が、昨年1月和光市牛王山での地ハイに参加したさい、白子での地ハイをご提案いただき、実現したものです。案内者は高橋勝緒さん・高橋絹代さん(NPO法人)と、駒井潔さん・末永和幸さん(地学団体研究会埼玉支部)の4名です。
 成増駅に9時30分集合。駅広場で駒井さんに和光周辺の地形・地質の解説をしていただき、早速、高橋さんの先導で古の川越街道を辿って白子川へと向かいます。その途中では、NPOの方や地元の方から、史跡や童謡詩人「清水かつら」のことなど、和光市の歴史文化についてお話を聞くことができました。
 白子川左岸沿いには斜面林を有する崖が連なっています。その斜面に建つ地福寺では、境内の高台から市街地の地形を観察しました。また、熊野神社では、社殿裏の斜面林や湧き水について説明をしていただきました。地ハイパンフの熊野神社境内を描いた明治時代の絵図を見ると、湧水を溜めた池の水で滝修行をする人の様子や養魚場の施設もあり、湧き水が生活と密接に関わっていたことを窺い知ることが出来ました。
 その後、白子コミュニティセンターに移動し「和光市の自然・白子湧水群」と題して、案内者の方々に講演をしていただきました。高橋さんは、「和光・緑と湧き水の会」の活動と今日の見どころを、駒井さんは地形・地質を、末永さんは地下水と湧水について解説していただき、野外観察での理解をより深めることができました。
 午後は、白子コミュ二ティセンターの近くにある冨澤家駐車場の崖で、地層と湧水群の観察をしました。豊富な湧水は、以前、野菜の洗浄水として商業用に利用されていたとのことです。
 大坂ふれあいの森では、東京層・武蔵野礫層・関東ローム層の露頭を観察することができました。斜面林や林床の草木は、冬枯れで寒々としていましたが「春にはカタクリ・イチリンソウ・ヤマブキソウが咲き、新緑が眩しいほどです」とのお話に、またその時期に訪ねたい思いに駆られました。緑地には、水車の一部が残っており、湧水が豊富に流れていたことを思い起こさせます。
 最後の観察地点は、大坂ふれあいの森の斜面林を南に辿った“白子の滝”です。樹木に隠れ案内されないとちょっと気が付かない所にありますが、礫層からあふれでた湧水が、まさに滝をなしていました。
 今日の地ハイは、白子周辺の狭い地域でしたが、湧き水を通して地形・地質・植生、さらには人々の営みをも知ることができました。
 最後になりましたが「和光市・緑と湧水を守る会」のメンバーの方々には、参加者の安全確認・誘導をしていただくなど大変お世話になりました。

{地ハイ係 力田正一}(参加者43名)

湧水と地質の関係を見る
白子コミュニティセンターで講演会

このページの最初へ

第476回 秩父札所の地学めぐり(その6)
   秩父札所をめぐり盆地と山地の境を見る
 2014年3月16日

 今日の地学ハイキングは歴史的な大雪で心配された秩父での開催でしたが、さすがに1ヶ月以上前の雪はおおかた消え、春の気配が漂う暖かい日となりました。影森駅に集合したのは47人。ここで案内の小幡さんより、段丘の話から秩父盆地の地質、そして山地を作っている秩父中古層のこと、さらには札所のこと等々… しっかりと説明を受けて10時30分ころ影森駅を出発。
 歩きながらも小幡さんは後を向きながら説明をし続けます。石灰岩の採掘とともに発展したという影森駅の脇を通りながら、廃線となったいくつかの線路跡を見ながら、かつての最盛期の貨物ターミナルの姿を想像しました。程なくして札所27番竜河山大渕寺。日陰にある月影堂の周りにはまだ雪が厚く残っています。そして稜線上には、昭和10年に作られた蓮華の代わりに剣を持っているという白衣観音がこちらを向い立っていました。2011年の449回地学ハイキングでは、月影堂の裏の急斜面を登ってこの観音像の立っているチャートを観察したのですが、今回は下から眺めるだけでした。月影堂のところでは「延命水」と名付けられた湧水を観察しました。
 大渕寺の下では影森用水の跡を観察しました。用水を作ったときのことや、当時の生活ことなど興味深い話が次々と紹介されました。
 現在使われている秩父鉄道と平行するように歩いていくと、すっかりと雪に覆われたハイキングコースが現れました。1984年に廃線となった石灰岩運搬路線の武甲線の跡です。その雪の上を慎重に越えていくと、武甲山の石灰石の採掘の創始者・浅野総一郎翁の像のある秩父鉱業、そしてすぐ近くには影森用水の碑などがあって、しばし昔をしのびました。
 雪の残る杉林を抜けると札所28番石龍山橋立堂。石灰岩の大岩壁が屏風のように圧倒的な姿で立ち上がっていました。橋立堂の裏では武甲山から続く石灰岩とその南側にある火山噴出物からなる輝緑凝灰岩層が接している部分をじっくり観察しました。海の真ん中の火山島にサンゴ礁ができ、それが移動してきて現在の姿となっている、というその現場に立っていると不思議な感覚に襲われます。また、この岩壁の一番下にあたる境界部はえぐられたような形となっていて、縄文時代から古墳時代にかけての遺物が出土している岩陰遺跡でもあるとのことでした。昼食の時間を使って、希望者のみでしたが橋立鍾乳洞を見学しました。
 昼食後、浦山口駅のすぐ近くにある「不動名水」と名付けられた湧水を観察(試飲)、そして一面に雪が残る浦山川のフライフィールドで秩父帯と秩父盆地をつくる第三系の境の断層である浦山口断層を、あそこにあるはず…と遠望しました。断層洞があるはずだったのですが、わかったでしょうか。
 その後、予定では浦山ダムを見学する予定でしたが、時間の関係でここはカット。ニホンザルの群れがのどかにグルーミングしているのを見ながら札所29番笹戸山長泉院へ、さらに岩松山清雲寺へと向かいます。どちらもしだれ桜の大木があって、桜の季節はきっと見事な風景になるのでしょう。最後に清雲寺の隣にある若御子神社の裏を雪を踏み分け、急登して、若御子断層洞を見学しました。断層破砕帯が地下水によって洗い流されて作られたという洞窟の中には見事な鏡肌、そしてその表面には条線も見ることができました。最後に武州中川の駅で電車到着のギリギリの時間までまとめをして、この日の盛りだくさんの地学ハイキングは終了となりました。

{本庄高校 栗原直樹}(参加者47名)

札所27番大渕寺 月影堂
札所28番 橋立堂

このページの最初へ

第477回  山地と平野のさかいを歩く(1)
 春うららの「飯能」・・250万年前に何があったのか!
 
                   2014年4月20日

 今回の地ハイは、地ハイの会員の希望があった「埼玉の自然をたずねて」のコース、久津間・倉川さんの案内者でおこなわれました。飯能駅から天覧山へ登る。新緑で天気委もよく、山頂からの加治丘陵のスカイラインがきれいだった。登リ道には硬いチャートが露出し、なめらかな面(たぶん断層の鏡はだ)もみられた。天覧山はチャートでできているため、侵食に強く取り残されたのでしょう。チャートは珪質の殻からなる放散虫が深海底に堆積してできた岩石である。山頂のチャートは、地下で熱の作用をうけたためか、再結晶をして白色となっている。灰色の小さなだ円(放散虫化石)を探したが、わからなかった。山を下りてから、谷の奥へ入る。天覧山・多峯主山の自然を守る会の方による、谷地の保全とカエルやサンショウウオなどの説明があり新鮮であった。
 飯能市民会館西側では、飯能層の中の火山灰層が注目された。この火山灰層には白い筋(ラミナ)が目立ち、水流の作用で堆積したことがわかる。この火山灰層の下には角張った礫岩、上には丸い礫からなる礫層がみられた。これらの地層が堆積した環境について説明された。とくに角張った礫岩は山地が急速に隆起するときに崩れおちたものでしょう。この後、飯能河原を前にして昼食となる。河原の石を5個拾ってくるという課題で、集まった石の仲間分けで午後がスタートした。そこから飯能大橋まで川に沿った道を歩く。飯能大橋の下流では、飯能層の礫岩を観察する。この礫岩には、入間川の河原にみられないゴマシオおにぎりにみえる閃緑岩が含まれている。この閃緑岩は、現在多摩川の上流の山(たとえば三頭山など)にみられることから、多摩川によって運ばれてきたとされた。また、この礫層の上には白色の火山灰層(矢颪凝灰岩層)が重なっている。これは午前中に飯能市民会館西側でみたものでした。この火山灰を水で洗うと、黒い柱状の角閃石が多く見つかるのでした。矢颪凝灰岩はおよそ250万年前の火山の噴火で堆積したものですが、その火山はこれからの研究でわかることでしょう。今回は、山地と平野のさかいを歩く(1)との地ハイでしたので、今後(2)・・と続くことが期待される。

{松岡喜久次 川越女子高校}(参加者43名)

入間川の河岸

このページの最初へ

第478回 真鶴半島の地形・地質と穿孔貝の見学
 −神奈川・埼玉合同地学ハイ−
 2014年5月18日

 2014年5月18日(日)に、第45回神奈川・第478回埼玉合同地学ハイキングが、地団研の神奈川支部と埼玉支部の共催により、真鶴半島で、真鶴半島の地形・地質と穿孔貝の観察をテーマに、開催されました。案内は、千代田厚史会員と笠間友博会員で、参加者は51名でした。天気も良く、絶好の地ハイ日和でした。
 東海道線の真鶴駅に10時に集合し、歩いて荒井城趾公園に行き、係と案内者が紹介され、今日の予定について解説されました。市内を抜けて真鶴港管理事務所前の露頭で関東ローム層(多摩ローム相当)を見た後、北突堤で事前の許可のもとにカモメガイの穿孔痕群を観察しました。その後、対岸の「しとどの窟」に行き、真鶴溶岩に空いた海食洞を見学しました。源頼朝が石橋山の戦いに破れた後、ここに逃れたという有名な場所で、かつては波が打ち寄せる大きな洞窟であったそうです。
 海岸沿いに歩き、貴船神社の下で、安山岩質の真鶴溶岩の上に乗る真鶴軽石を見ました。さらに歩き、琴ケ浜では、江戸城を造るために「小松石」と呼ばれる真鶴溶岩を切り出した石切り場を見学しました。干潮時に矢穴という穴を空けて、そこに木の楔を打ち込んでおき、満潮時に海水につかると木が膨張することで石を割ったとのことです。また、松や楠の木からなる魚付き保安林も見ました。晴れて海の向こうには大磯丘陵、三浦半島から房総半島まで見えました。
 標高96mの灯明山からケープ真鶴をへて、三ツ石海岸にくだり、昼食としました。遠き大島から伊豆七島も見えました。昼食後、三ツ石海岸でカモメガイの殻の入った穿孔痕を観察しました(図1)。大潮の干潮時で磯の生物の観察会も実施されていました。潮騒遊歩道でケープ真鶴南側の採石所跡も見て、番場浦では真鶴溶岩に空いたポットホールとイシマテの穿孔痕も観察しました(図2)。最後に、町立遠藤貝類博物館を見学し、バスで真鶴駅に向かいました。
 詳しい解説を熱心にしてくださった千代田厚史会員と笠間友博会員に厚くお礼を申しあげます。

{神奈川支部地ハイ係 後藤仁敏}(参加者43名)

三ツ石海岸でカモメガイの穿孔痕を観察
番場浦のイシマテの真鶴溶岩礫穿孔痕

このページの最初へ

第479回 殿町干潟のカニの生態観察     2014年6月 1日

 晴れ男・晴れ女が集まりすぎたのだろうか、夏を思わせる日差しが照る暑い一日となった。東京支部との合同地ハイということで、集合場所の小島新田駅には多くの参加者が集まった。また、干潟でカニの観察という内容のためか、小中学生の参加者が多く、普段よりも平均年齢がグッと下がった地ハイとなった。
 駅から目的地・殿町干潟へ移動する。ここは多摩川河口付近の干潟で、日本の湿地五百選にも入っており、毎年色々な観察会が行われている。木陰に荷物を下ろし、河口干潟としての殿町干潟と、そこに棲む生物について等、案内者の先生の説明を受けた後、観察を開始した。干潟には無数の穴が空いており、じっと静かに待っていると、そこから一斉にカニが頭を出す。近くで動くと、危険を察知しすぐに隠れてしまう。5cm程度の大きなアシハラガニやチゴガニ・ヤマトオサガニ、小さな体で一斉に求愛ダンスを踊るコメツキガニなどを観察した。一心不乱にカニを採取する子ども達や先生方が用意したカニの見本を見ながら、自分の見つけたカニの名前を調べる参加者もいた。コメツキガニの巣の周りにできた砂団子の山も印象的だった。
 そのカニ穴に、水で溶いた石膏を流し込み、巣穴の型取りに挑戦した。比較的乾いた場所で大きな巣穴を探して流し込み、乾くのを待つ。その間に他の生物も観察した。シジミやイガイの仲間などの貝類も多く見られ、潮干狩りをしている近所の方もいた。貝の破片が多いので、泥に踏み入れるならば、素足やサンダルは危険だと感じた。干潟に取り残されたクラゲなども観察することができた。干潟にはエサを求めてサギなどの鳥もやってきており、はじめてさわる望遠鏡の操作を教えてもらいながら観察する小学生の姿も見られた。
 最後にまとめやカニの飼い方講座などを聞き、巣穴の石膏型を掘り出すが、なかなか上手にはいかなかった。溶かした石膏が硬すぎたために流しにくく、奥までいかずに途中で詰まっていたり、軟らかすぎたためになかなか固まらずボロボロになってしまったり、石膏の溶かし具合にコツのいる作業だったようだ。
 今回の地ハイは、移動がなく一日のんびり・じっくりと観察ができた。カニや巣穴の石膏型などのお土産も多く、小さな参加者も楽しめたようだ。鉱物好きの生徒さんが新しく会員となるなど、嬉しいこともあった。暑さに負けない、賑やかな地ハイだった。

{川越高校 竹内幸恵}(参加者25名+東京地ハイ参加者)

都会を流れる多摩川の殿町干潟

このページの最初へ

第480回 信仰の山に大地の恵みをもとめて 2014年7月20日

 今回のコースの最高峰(566.3m)越上山(おがみやま)は、「拝み山」からきた名前で、地域の人から信仰されている山である。東武東上線・越生線の終点、越生駅から黒山三滝行きのバスで約25分、終点で下車する。ここからは、もっぱら徒歩での山歩きで、まずは「聖人岩」(石灰岩)の観察だ。聖人岩は「子の聖権現」がこもって悟りを開いた場所といわれる。この石灰岩からは化石が得られていないので、確実な年代はわからない。しかし、石灰岩の周囲を取り囲むチャートや凝灰岩などの岩石との組み合わせから、秩父の武甲山と同じ三畳紀のものと考えられている。現在では、ロッククライミングの練習場「黒山の聖人岩」として利用されている。化石がないということで、ハンマーを振るう参加者は少ない。笹郷集落から顔振峠へ向かう途中が2つ目の観察点である。ここは戦前・戦中にマンガンが採掘された場所であるが、坑口はすでに土砂で埋まっており、わずかに運び出したズリが見られる程度となっている。ズリを割ってみると、肌色〜ピンク色のマンガン鉱がみられることがある。小片を採取し、今日のルートでは数少ないおみやげとする。
 つぎに、顔振峠を目指す。ハイキングコースといえども、途中で露頭を観察するわけでもなく、もっぱら登るだけなので、以外にきつい。顔振峠で休憩後、昼食場所の諏訪神社に向かう。ここで遅い昼食をとり、出発前に保科さんから越上山、諏訪神社の由来の説明があった。干ばつの時には、諏訪神社の御神水を採る龍ケ淵(越上渓谷最上流部にある)をかき混ぜて、龍神を怒らせる雨乞い神事等々・・・。説明が終わるや否や、大粒の雨である。「龍神様のたたりじゃー」などと叫ぶ者はないまでも、実に絶妙なタイミングであった。神社から20分ほど登った、越上山の山頂はチャートが露出している。この付近のチャートからは、中生代トリアス紀の放散虫が報告されている。山を下り、三滝口に向かう林道沿いにある層状チャートの露頭で放散虫を探す。最後の観察ポイント「五色石」は越生中学校や梅園小学校の正門の門柱に使われているとのことである。しかし、時間の都合で沢には入らず、下見のときにピックアップしておいた石を見て、バス停に急いだ。完全に間に合わないはずが、あきらめた数人を除き、最後尾8分以上遅れで何とか乗車させてもらった。先頭でぎりぎり間に合い、運転手さんに「拝んで」下さった方、ありがとうございました。これも「おがみやま」の効能であることは間違いありません。

{上尾南高校 松井正和}(参加者40名)

聖人岩
顔振峠への登り

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ