地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第481回〜第490回(2015年9月〜2016年7月)


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第491回 小川町に埼玉県最古の岩石を訪ねて
               2015年 9月20日

 今回の日曜地学ハイキングは、木呂子メランジュの中にみられる埼玉県で最も古い岩石の角閃岩や、アクチノ閃石岩、蛇紋岩などを観察、採取しました。メランジュまでの道沿いに栃谷層という白亜紀後期の礫岩、砂岩、泥岩からなる地層が見られました。この栃谷層は化石がでる可能性は低いものの、寄居のほうでは化石がでているらしく、小川町でも出たらすこしでも注目されるだろうなと思いました。また、栃谷層の砂岩は粒がはっきりしていて石英も見られました。
 今回の一番の目的でもある埼玉最古の岩石が出る路頭に着き、今回の案内者の保科さんが説明を始めようとしたときに、ほとんどの参加者が路頭にかぶりつくようにハンマーで叩いていました。ここで詳しくメランジュとは海底でいろいろな岩石や岩片などがぐちゃぐちゃに混ざったまま地上に上がってできた構造的層序であるということと、この埼玉最古の岩石は4億年前の岩石だがすぐ隣には1億年前の岩石があるということを説明してくれました。また近くにあったアクチノ閃石岩はものによっては手でも割れてしまうほど脆く、風化がすごく進んでいる岩石だなと思いました。
 最後に保科さんがまだ研究途中ではあるが、ここの岩石の生い立ちを話してくださいました。ここの露頭は断層や地形的観点から地中内部の状態が予想しにくい状態であるが、研究に際してここと似ている下仁田の状況と関連付けて研究しているということです。詳細が解明できればまた違った視点で観察できるのではないかと思いました。
 今回の日曜地学ハイキングは小川町の方々も多く参加されました。実際に小川町に住む友達も参加していました。地域住民の方々と地元の地質を観察学習できることは良いことだなと思いました。

{立正大学 学生  吉岡拓実}(参加者 55名)

図を見せて説明する
熱心にパンフを見る参加者

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第492回 秩父札所の地学めぐり その8
   秩父札所32番法性寺(岩船観音)と地層巡り

                2015年10月18日

  秋晴れの地学ハイキング日和。10時、小鹿野町の警察署前のバス停前に集合しました。今日のコースは、小判沢に沿って歩き、大日峠をこえて札所32番法性寺に立ち寄り、般若川沿いを進み、般若の丘までの約6kmでした。
 案内は小幡さんで、巡礼道沿いの石仏と岩質の説明から始まりました。石仏は凝灰質砂岩からできており、小鹿野町の岩殿沢の北の観音山などに分布することから岩殿沢石と呼ばれている。約1600万年前の地層で、柔らかいことから細工しやすいものの、風化しやすいため石仏は丸みを帯びていた。小判沢の道路を進み、小判沢の集落ではそこの住民から自宅にある名石と巡礼道について説明を受けた。
 その後、沢沿いの巡礼道では沢底に砂岩泥岩層が露出し、砂岩の下面には水流の流れによってできた凹みが見られた。最後の急坂を登ると大日峠に着き、昼食となった。この峠にも大日如来と石の道標があり、ともに岩殿沢石でできていた。午後の最初の札所32番法性寺(お船観音)では、子ノ神層の砂岩が蜂の巣状に風化したタフォニが見られる。
 懸崖造りの観音堂裏の岩窟には、多数の小さな穴があいているのが見られる。そこからの山道を登ると、龍虎岩が岩壁に現れて鎖で登れるようになっている。さらに希望者のみが、奥の院をめざして月光坂の岩場を登り、お船岩の観音菩薩像のあるところまでいった。
 仁王門前で記念写真をとり、足早に般若の丘に向かった。途中で、河岸段丘の地形を眺め、お塚古墳と聖天宮(秩父大神社)に寄る。
 般若の丘ではチチブサワラとパレオパラドキシアの実物大復元模型をみながらの説明があった。午後4時に終了となり、健脚な参加者は、松井田のバス停まで1,5kmを歩いて帰途となった。

{川越女子高校 松岡 喜久次}(参加者 21名)

小判沢の巡礼道の石碑を見る
32番観音堂裏のタフォニ
32番鐘楼門前で記念撮影

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第493回 板碑の採石地を訪ねる(その2)
  中世板碑の石材採掘地!長瀞町野上下郷付近

                  2015年11月15日

 第493回地学ハイキングは関東地域で板碑の二大生産地といわれる長瀞町野上下郷地域を訪ねて、緑泥石片岩の特性と中世以降の石材利用について考えました。
 はじめに、県指定旧跡「板石塔婆石材採掘遺跡」を見学するため山道を登りましたが、山中にも横たわる大型の加工石材がみられ、板碑の基部に値すると思われる加工が施されていました。これは板碑の未成品であるということが考えられるということです。さらに登っていくと、大きな点紋緑泥石片岩が現れ、そこには加工痕がみられました。これは片理面と節理面の走向がほぼ一致しているのですが、これが意味していることは効率よく無駄なく上下ほぼ同じ幅の板石が採掘できたと考えることができます。しかし、他にも様々な問題点がありさらなる調査や検証が必要とされています。さらにそこから登っていくと、結晶片岩をX字状に組んだ石垣が現れました。X字状に組む工法は、垂直方向と水平方向の外力に対する抵抗力を増すことにより耐震効果を上げることができるとされています。その上部では大型加工石材の堆積場がありました。今回上流側の露頭からいくつかの加工の痕跡が新たに発見され、今後の再調査が望まれます。
 山から下りてきた後、寛保2年に未曾有の水害をもたらした洪水の時の荒川の増水位を表す県指定史跡「寛保洪水水位磨崖標」を見学しました。そこには増水位の場所に「水」の文字が刻まれていますが、現在は風化や剥離が起こり、文字が読みにくくなっているため、対策が必要であると感じました。
 次に現存する石塔婆中日本一の高さを誇る国指定史跡「野上下郷石塔婆」を見学しましたが、圧倒的な高さ、それに比べて極めて薄い厚さに驚きました。これを割らずに山から持ってきたと考えると相当な苦労があったのであろうと考えられます。

{{立正大学 学生  吉岡拓実}(参加者 32名)

案内者の解説を聞く

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第494回 春日部の地形の変位と災害   2015年12月20日

 12月の地ハイと言えば、着込みに着込んで防寒対策万全で挑むもの。しかし、この冬の記録的な暖かさのお陰で、身も心も少し軽く感じる朝となった。28名の参加者が豊春駅に集合し、平社会員・小勝会員の案内の元、今年最後の地ハイがスタートした。
  今回の概要について説明を受け、駅を出発する。最初に小学校前で、水害と地形の関係について話を伺った。雨が降った際、水は高いところから低いところへ地形に沿って流れるが、複数の流れが1カ所に集中してしまうところで冠水・浸水の被害が起きやすいとのこと。更に流れの先に盛土で嵩上げした住宅地などがあると、水の進行が妨げられ貯まりやすくなるそうだ。また、今年9月の台風18号等による水害の様子についても説明を受けた。
  次に三蔵法師ゆかりの玄奘(げんじょう)塔へ向かう。それまでの道は低地と台地を交互に歩いたが、あまり大きな高さの変化を感じられなかった。しかし、玄奘塔へ向かう道は坂道が続く。坂道を登ると平らな面が有り、坂を挟んだ上と下の面が同じ台地の面と聞き、驚いていた様子の参加者。玄奘塔で、元荒川構造帯と変形地形について説明を受けた。元々の台地が元荒川構造帯中にある断層によってずれたもので、坂道は逆断層によってできた撓曲(とうきょく)崖だそうだ。明瞭な断層崖とは異なり、見分けがつきにくい。また、参加者から添付資料についての質問を受け、ボーリングに詳しい参加者によるボーリング柱状図の見方講座が開かれた。
  次は再び台地を下り、低地に建つ高校へ向かう。こちらも小学校と同じような地形的素因を持つ。植え込みに残っていた9月の浸水跡を観察し、過去の水害の様子を写真などで紹介して頂いた。学校も対策を取っているようで、敷地内が浸水しても校内に入れるよう設置された専用の通路に皆感心していた。また、低地でよく見られる地盤沈下についても説明を受け、過去の写真と比較しながら現在の様子を観察した。現在も継続している地盤沈下の原因は、地下水のくみ上げではなく、圧密によるものが主であるそうだ。
  その後、調節池の役目も持つ慈恩寺親水公園で昼食を取り、古隅田川の昔の堤防を歩きながら、昔と今の川幅の変化や流向が変化したことなどを伺った。そして、古隅田公園で県内最古の石橋である、やじま橋を観察し、業平橋に向かう。ここで春日部市教育委員会の長谷川さんと合流し、やじま橋・花積貝塚・業平橋などコース近隣の文化財について詳しい説明をして頂いた。歴史に関する話に興味のある参加者が多く、古隅田川が武蔵−下総の国境だったことや、梅若伝説、都鳥の碑などの説明を熱心に聞き、質問も多く出た。ここでまとめを行い、豊春駅に戻り少し早めの解散となった。
  494回は、朝のうち吹いていた冷たい北風もすぐに収まり、日差しにも恵まれ、穏やかな地ハイとなった。今回のコースに入れられなかった地域については来年度に持ち越し(予定)とのこと、楽しみにしたい。500回まであと6回!

{地ハイ係 力田 正一}(参加者 29名)

玄奘塔へ向かう坂道

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第495回 加治丘陵で比高と坂の傾斜を測る  
                 2016年 1月24日

 今回の地ハイは「加治丘陵でコロコロ石を追いかけよう」というタイトルで、「コロコロ石」をキイベッド(鍵層)にして、地質図を作成する予定でした。しかし、1月18日の降雪のため沢に入ることが困難となり、コース変更となりました。
 先ずは西武線元加治駅から徒歩3分の距離にある「円照寺」です。境内にはハスやコウホネが咲くという「弁天池」があり、段丘涯からの湧水によって保たれています。当日の気温は5℃程度でしたが、この弁天池の水温は14℃もあり、手で触れてみると温かく感じました。地下水は、仏子層(シルト・粘土層)の上の礫層中を入間川方向に流れているようです。
 次に向かったのが「阿須運動公園」です。ここでは入間川の河岸に露出している「飯能層」の円礫層を見学しました。石英閃緑岩の円礫が、風化によりグズグズに柔らかくなっているのが印象的でした。運動公園から次の見学地の「切り通し」までの途中では、3〜4人で組をつくり、ハンドレベルと箱尺を用いて「標高差」を求める“測量実習”を行いました。西縁丘陵団研が露頭の正確な標高を決めるために行っている方法です。「切り通し」のコロコロ石見学後は、昼食場所の「あけぼの子どもの森公園」に移動ですが、ここでも坂道の標高差測定を各チームで争いました。久々に三角関数表を活用して。
 昼食後は公園内のメタセコイア(あけぼの杉)の観察を行い解散となりました。

{上尾南高校 松井 正和}(参加者 27名 )

ハンドレベルで“測量実習”

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第496回 古秩父湾堆積層を訪ねて 2016年 3月20日

 2016年3月1日に「古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石」が国指定天然記念物になったのを記念して(本当か?)、同月20日に、東京支部と合同の日曜地学ハイクが実施されました。集合場所の皆野駅前には入りきれないくらいの100名近くが集まり、最近ではない盛況ぶりでした。また、東京支部には小学生や若いメンバーが多くいらっしゃっていつもより華やかな感じがしたのは私だけでしょうか。(埼玉支部は年配の方が多く、活気がないと決して言ってるわけではありません、あしからず。)ただ、埼玉支部も若い人を集め工夫は必要かなと思いました。まだ、これだけ地学に興味を持って集まってくる若者がいるわけですから。
 先ず、古秩父湾の始まりの前原の不整合から見学です。彦久保層群の基底部で、古秩父湾の始まりの地層を見ることができました。大きな礫が含まれる土石流堆積物から、カキ殻の破片を含む砂岩は浅い海で形成されたのでしょうか。狭い露頭前に入れるのはせいぜい2〜30人です。4回入れ替えをして、案内の小幡先生にはその都度説明をしてもらって…。ただ、天然記念物に指定されましたから、ハンマーは使えません。不整合面の上下の岩相を見るだけでした。
 次は、皆野橋の上流に行き、上位層の小鹿野町層群のタービダイトです。大陸斜面からの堆積物が級化構造をもって深海底に沈んだのでしょうか。 不整合ができた時代とは湾の環境が大きく変化したことを確認しました。
 その後、大塚の川原に下り奈倉層の砂岩を観察しました。ここの地層からはカキ、ウニ、カニなどの化石が見つかりました。これだけ多くの生物が含まれていますから、浅い海の堆積物だと思われます。皆さんは、化石採取に夢中になっていらっしゃいしました。いい、お土産になったようです。昼食時は大塚古墳です。古墳時代後期に作られたと思われる円墳で、教育委員会の好意で中に入れてもらえました。石室は意外と広く10人くらいは入れます。壁は石を積んで作ってあり、その上を広く平たい結晶片岩で覆ってありました。古墳の中に入れる貴重な体験ができました。
 午後は聖神社経由で出牛−黒谷断層を見に行きました。下山の断層破砕帯では砕かれた結晶片岩、和銅沢では秩父帯のチャートと古秩父湾の堆積層との境界断層が見られました。
 前日まで予想されていた雨も降らず、暖かな日差しの中で初春の秩父のハイキングを楽しみながら、古秩父湾の歴史をほんの少し紐解くことができた一日でした。

{小川高校 奥 雄一}(参加者 62名)

前原の不整合を観察
皆野橋上流でタービダイトを観察
大塚の川原で採集した化石の解説

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第497回 加治丘陵でコロコロ石を追いかけよう
                2016年 4月17日

 今回の地ハイは、前々回の1月に予定していた地ハイが積雪のため沢に入ることができなかったため、再度チャレンジすることになったのである。天気予報では雨模様であり、今回もできるか心配であった。雨は昼頃に降ったものの、予定通りに行うことができた。
 西武線元加治駅に集合し、入間川沿いを歩き、阿須運動公園駐車場で待っていた参加者と合流してコロコロ沢へ向かった。沢の入口で、飯能層の礫層とその上位に重なる仏子層を観察した。飯能層の礫層には、風化した閃緑岩礫が含まれるという特徴を確認できた。沢を登ると、泥層にはさまれる火山灰があり、この火山灰はシャリシャリした手ざわりがあるので、シャリタフと呼んでいる。ここでは斜面にあるため、観察ができないので案内者が採取したものを触って確かめた。さらに沢を登り、今回の目的であるコロコロ石を観察する。コロコロ石と名付けられたように丸いが、球形でなく、楕円形や扁平でもある。たたくと硬いので、良く磨かれて丸くなったのでしょう。あけぼの子ども公園内でも、シャリタフとコロコロ石がみられるので、確認した。公園内であるので、公園関係者の方とみてまわる。雨が降ってきたので、公園内の屋根下で昼食をとった。その後、プリントを使い地学の会の総会を行った。
 午後は雨もやみ、青空の広がる中、尾根を越えて南の沢を登る。ヤブの中を歩くのだが、夏に時期の調査は大変であると思った。沢ではシャリタフの露頭を削って、感触を確かめサンプルを採取できた。さらに沢を登り、参加者によるコロコロ石探しとなったが、午前中にコロコロ石をみているので簡単に見つけることができた。参加した高校生は斜面をけずり、コロコロ石がさらにみられるようになった。その後は元の道をたどり、阿須運動公園駐車場でまとめをして解散となった。天気が悪かった影響か、参加者が少ないのが残念であった。

{川越女子高校 松岡 喜久次}(参加者 26名)

道脇の露頭を観察
コロコロ沢のシャリタフ

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第498回 秩父札所の地学めぐり その9
武甲山の北山麓を歩き、地質と札所・石仏をたずねる

                   2016年5月15日

 いくつかの路線で遅延が発生していたため、時間に間に合うか心配しつつ、乗り換えを猛ダッシュ。なんとか無事に影森駅に到着し、第498回地ハイがスタートした。
 まず、秩父の盆地から山地にかけての地質構造や成り立ちについて説明を受けた。今日見る石灰岩や緑色岩などが海溝で形成されたものであることを確認し、駅を出発する。
 円融寺(札所26番)へ向かいながら、途中いくつかの石造物を観察した。加工しやすいが風化もしやすい岩殿沢石(凝灰質砂岩)や、緑色が特徴的な御荷鉾緑色岩(火山砕屑岩)、荒川の河原でよく見るチャートなど、地元でよく使われる石材の説明にメモを取る参加者達。円融寺では、寺についての話を聞き、入り口にある石仏を観察した。
 また、寺の入口付近には丸い石を敷き詰めた水路があり、更に数分歩いた墓のそばで同じ水路を見ることができた。影森用水と呼ばれるこの水路ができる以前は、地質的理由で水を手に入れるのが非常に大変だったこと、そして地元の名主が私財を投げ打って水路ができたことで水田も作れるようになったことなどの話を、みな興味深く聞いていた。ついでに、そばの墓石もチェック。
 さらに歩いて行き、道沿いにある御荷鉾緑色岩でできた庚申塔を観察し、押掘川に沿って登っていく。この道は武甲山の古い参道とのことで、途中いくつかの道標を見た。また、川に下りて川底の岩石が非常に硬いチャートであることを確認した。
 ここから先、足元の岩石が変化する様子を確認しながら、尾根へ向かって歩く。なかなかの登りに運動不足を痛感しつつ、やっと着いた尾根頂上やや手前で昼休憩。
 午後一番は、長めに時間をとり、尾根頂上に露出する石灰岩からフズリナの化石を探した。皆さん真剣な様子。たくさんのフズリナが入ったものも見つかり、ちょっと重いが良いお土産になったようだ。
 その後は、隣の沢沿いに下りて横瀬駅に向かう。小学生がいたこともあり、カラスノエンドウの草笛で盛り上がる後方集団。ピーピーピー。時折足を止め、道路沿いの石造物をいくつか観察し、神饌田(豊作祈願の祭りの際、手植えをする田んぼらしい)を見て駅に到着、解散となった。

{川越高校 竹内 幸恵}(参加者 25名) 

長福寺入口の石仏・石碑
武甲山入口の石碑

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第499回 奈良梨断層と3.11地震被害
       〜埼玉の中央構造線と震災の特徴〜

               2016年 6月19日

 記念すべき第500回日曜地学ハイキングの一回前の第499回となる今回の地ハイは、午前中は現地へ赴いて観察をし、午後は学習会を行うという普段あまり行わない方式となった。武蔵嵐山駅に集合した際に、「埼玉県にも中央構造線ってあるんですか」と聞かれ、また今回の地学ハイキングで埼玉県にも中央構造線があるということ自体を初めて知ったという方も多そうであった。また、3.11を主とした地震災害の話では、埼玉県の屋根瓦被害お調査のことを聞き、断層と直接関係がありそうであるということを知り、非常に興味がわいた。これらを踏まえると午後の学習会は大きな意味があったということが言える。実際自分も地震災害に常日頃から備えをしていくことや、土地が人工的に手を加えられているかどうかなど、少し古い地形図を見て判断するということを再認識した。
 午前の見どころとしては、実際に中央構造線が走っている奈良梨断層を見ることができ、地形の違いを確認することができた。これを機会にして身近な断層、活断層やそうでないものも含めて調べてみると面白いかもしれないと思った。また、埼玉県の領家変成帯の太郎丸深成岩類のマサ化した片麻岩を実際に見ることができた。花崗岩が風化作用に弱いということは知っていたし、なんとなくではあるがそれらがボロボロになった砂をマサということも知っていたが、花崗岩とマサ化した砂を見分けることがとても難しいということは知らなかった。これを見分ける方法として現地で周りの地層をみて判断するというコツを聞いて、なるほどと思った。

{立正大学  吉岡 拓実}(参加者 24名)

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第500回 深緑の堂平山麓を訪ねて  2016年 7月17日 

 最初の地学ハイキングとされる1965年10月24日の地学巡検から数えて通算500回目。500回の記念となる地学ハイキングはその最初の地・堂平山の山麓を訪れました。
 8月には地学団体研究会の70回総会が行われる小川町からバスに揺られて約50分。終点の白石車庫バス停は県道11号線が定峰峠へのつづら折れの急な登りにさしかかる標高350mにあります。集合場所の小川町駅から堂平山の方向を望むとなにやら黒い雲が空を覆っていましたが、現地に着くと少し明るくなって、梅雨の合間の天気は一日持ちそうな様子となり、一安心です。
 バスを降りた場所で、この日のルートや概要の説明がありました。堂平山の山頂部にあるチャートとその下にある緑色岩の関係をどう解釈するのか、という堂平山の成因に関する論争の歴史は、地学ハイキングの始まりにも関係しているので、興味深いところです。藤本説、井尻ほかの説、安戸研究グループの説、小川町史編纂委員会の説、と4つの考え方を紹介してもらいました。ただ、今回は山頂付近のチャートまでは上がらず、チャートの下の御荷鉾緑色岩類が分布している場所を観察するとのことです。
 説明のあと、槻川の脇の道を沢沿いに緩やかに登っていきます。観光農園村のキャンプ場を少し過ぎたあたりで川に降りて、このあたりに分布している岩石の顔付きを観察しました。黒色片岩、蛇紋岩、緑色岩が目につきますが、チャートもあります。よく見ると緑色岩にも溶岩から変わったもの、凝灰岩から変わったもの、枕状溶岩の構造がわかるもの、等を見つけることができました。
 川原でレキを観察した後は、槻川から離れ、林道を登りながら露頭を観察しました。林道脇には所々に結晶片岩が顔を出し、途中には断層破砕帯もありました。標高490mあたりで林道から登山道に入ると、それまでの結晶片岩から緑色岩に変わりました。
 高低差で100m程登山道を登り、上にある林道に出ると、今度はこの林道沿いの露頭で、層状のチャート、珪質岩、結晶片岩、緑色岩、蛇紋岩などを観察しました。露頭で見るこれらの岩石の関係はなかなか難解です。
 地滑り地形を観察したあと、林道から登山道を下ると再び黒色片岩の分布する場所になって、やがてスタート地点の白石バス停に戻りました。
 帰りのバスでは、バスがパンクするというハプニングもありましたが、こうして無事500回目の地学ハイキングが終わりました。
 資料によれば、第一回の地学巡検の参加者は41名だったとあります。今回の名簿に書かれた参加者数は40名。ところが、参加費として集めたお金は41人分ありました。誰か名簿に名前を書かなかった人がいたのでしょうか。第一回と同じ参加者数だったというのはやはり奇遇です

{本庄高校 栗原 直樹}(参加者 41名)

白石のバス停で
堂平山中腹の露頭を観察

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