地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第431回〜第440回(2009年9月〜2010年7月)



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第431回 箱根火山の誕生と噴火について考える
                 2009年 8月30日

  8月30日、箱根という場所が遠いため、家を出るのが早朝6時。10年以上まえに関東山地団研の調査ために群馬県万場町にでかけたとき以来であった。天気予報は曇り一時雨。この1年間の地ハイは雨の多い。運が悪いのかと思いながらも、バスの乗っている間に雨が降る、曇りがちで暑くなくて良かったとも感じる一日であった。25名、JR松田駅に集合。マイクロバスは補助席も使ってのスタート。バスの中では角田さんの説明で、最初の観察地点に向かう。東名高速道路が山腹にみえる。しばらくすると、その東名高速道路の架橋で危ないという地点の下を走る。架橋は補強してあるが、あれは崩れるのを遅くするだけのものという説明には、恐ろしいものを感じた。
 最初の河内川の川原にみられる垂直にたった地層を観察する。堅い礫岩の地層で、どうして、このようになったかを考えた。箱根の団研のメンバー4名により、3班7名づつに分かれての説明であったので、参加者も分かりやすかったと思う。2番目では、1番目でみた礫層と続きであるというには、やわらかくて、ぼろぼろと崩れる。礫種は丹沢山地の由来のグリーンタフ、結晶片岩や閃緑岩である。こちらの礫層の閃緑岩は風化していた。昼は乙女峠の茶屋で富士山の方を望みながらの噴火と地震に関わる説明があった。残念ながら富士山は雲でみえなかった。最後の露頭は沢の中を堰堤をのぼっての観察であった。水底に堆積した火山灰などを観察し、帰りの松田駅に向かった。
 もっとゆっくりと観察できればと思いながらも、箱根火山に思いをはせる一日であった。

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者25名)

河内川の川原
箱根火山・乙女峠の茶屋

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第432回 砂金採りと橋立鍾乳洞  2009年 10月18日

天候に恵まれ、非常にすごしやすい一日。浦山口駅には、56人もの参加者が集合した。みなさんの目当ては「砂金」だ。「ザクザク採るぞ!」とやる気満々、砂金の如く目を輝かせ、第432回地ハイはスタートした。駅を出発して荒川の河川敷に着くと、早速採取方法の説明を受ける。砂金というのは決して珍しいものではなく、多かれ少なかれ、ほとんどの川で採取できるそうだ。中でも、秩父の荒川は比較的多くの砂金がとれることで知られているということを聞き、一同、意外な事実に驚くと共に、俄然やる気がわく。砂金が引っかかっていそうな草の根元の土砂を皿に取り、川の水で洗い流しながら残った砂粒の中に砂金がないか確認する。その繰り返し。なかなか根気のいる作業だ。早々に醍醐先生が一つ目を発見し、のぞきに行くと… その小ささにみな驚く。小さめの砂粒程度で、砂金とは気づかずに流してしまいそうだ。
 昼食を挟んでみっちり2時間頑張った結果、参加者全員(先生除く)で5〜6粒が採れた。“ザックザク”には到底及ばぬ結果に、砂金採りの難しさを実感した。先生曰く、道具も重要だそうで、砂金などの重たい鉱物が引っかかりやすい細かな溝の入った皿や、専用のパニング皿を使うと採取率も上がるようだ。
 河川敷を後にし、次に向かったのは橋立鍾乳洞だ。石灰岩が大きく分布する武甲山にできた竪穴の鍾乳洞で、狭い洞内に入ると、空気がひんやりとしている。温度計を持参した数人が、外気温と洞内温度測ってみるも、計器によって温度に差が出てしまった。しかし、外と洞内の温度差はどの温度計でも概ね8℃前後だった。センサー型の温度計で測ると、外気温:26℃、洞内温度:17〜18℃という結果だった。
 また、洞内では、鍾乳管・石筍・石柱など鍾乳石の様々な成長過程が観察できる。橋立鍾乳洞はかなり乾いていて、上から水が垂れているところや、地下水がしみ出ている部分が比較的少なく、それ以上成長できない鍾乳石も多くみられた。鍾乳洞観察後、まとめとして、鍾乳洞のでき方の話を伺う。「河川の高さが安定した時期=地下水の高さが安定した時期」ということで、鍾乳洞の横穴が発達する高さと、河岸段丘面の高さが一致するなど、興味深い話にみな聞き入っていた。
 そして駅に戻り解散。いつもより移動距離も少なく、じっくりのんびりの地ハイだった。

{松山高校 奥 雄一}(参加者40名)

砂金採りの説明
砂金採り、見つかったかな?

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第433回 錦秋の秩父ようばけをたずねて  
                 2009年 11月15日

 11月の地ハイは今年「日本の地質100選」に選ばれたばかりのようばけです。
 青空の下、紅葉が一段と映える小鹿野町は11月にしては暖かく、絶好の地ハイ日和でした。ただ、前日降った雨の影響で赤平川の流れは増水して濁り、計画していた徒渉を含むコースは大幅に変更せざるを得ませんでした。
 泉田のバス停でコースの説明を聞いた後で、おがの化石館を経由して奈倉館跡を通り、藤六へ向かいました。途中、秩父盆地の地層や地形についての説明はもちろんのこと、奈倉館のことや徒渉点を示す杉のことなど、地質以外のことまで盛りだくさんに説明がありました。この案内は秩父のことなら何でも知っている?小幡さんです。
 藤六で赤平川の左岸から急な斜面を慎重に下って赤平川の河原に降りました。足元の礫を観察しつつ、対岸に見えている地層に近づいていくと、砂岩と泥岩のきれいな互層が見えます。案内の古川さん(小鹿野中)がこの地層(桜井層)がタービタイトによる堆積物であるという説明をしてくれました。少し上流ではこの地層が海底地すべりを起こしグチャグチャになったスランプ構造を観察しました。増水のため露頭には近づけませんでしたが、川をはさんだ観察でもその構造はよくわかりました。また、右岸にある露頭では級化葉理やソールマークなどの堆積構造を観察しました。
 藤六の河原で昼食の後、来た道を引き返し、大徳院でしばしイチョウの葉についての考察をしたあと、化石で有名なようばけに向かいました。遠くからでもその大きな崖は目につきます。奈倉層と鷺ノ巣層の境界部分がよく見えるこの露頭は保護されているため、ハンマーは使えません。それ以前に、今回は増水のために近づくこともできませんでした。そこで、ようばけの前の河原の転石を叩いて化石採集を試みました。しかし、さすがになかなか良い化石は出てきません。最後にみんなで採集した化石を新聞紙の上に広げて、種類を確認しました。見つかったのは、ソデガイ、キララガイ、ホタテガイ、ニシンの鱗、カニのハサミ、ウニなどでした。
 今回のようばけはちょっとお土産が少なめでしたが、抜群の天気と鮮やかな紅葉が印象に残る地ハイでした。

{児玉高校 栗原直樹}(参加者30名)

赤平川の川原の地形を説明
砂岩泥岩互層の観察

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第434回 − Road to 500 荒川 その4−
      幻の村・新川をあるく(吹上付近)

                  2009年 12月15日

 12月20日の第434回日曜地学ハイキングは、荒川を歩くの企画第4弾です。案内は、地団研から松本昭二さん、駒井潔さんと久津間文隆さん、日曜地学の会から野尻浩一さん、山野敏子さんと酒井佐和子さん、新川エコミュージアムの平秀子さんです。
 穏やかな小春日和の中、吹上駅から元荒川、中山道、決壊の碑を通り「幻の新川村」へ向かいました。途中、吹上宿−非公式の間の宿−の当時の様子を知らせる解説板があります。街中にこのような解説板を多く見かけるようになり、うれしく思います。その後、元荒川に沿って中山道を歩きます。中山道は自然堤防上につづいているものとばかり思っていましたが、荒川の土手−久下の長土手−へ上がります。土手を通すことで中山道を守る。ここでも荒川の氾濫や瀬替えが関係していることを知りました。堤外を見ると遠く新川村の屋敷林も見えます。
 堤防を歩いて行くとカスリーン台風(1947)の決壊の碑があり、破堤した場所と街の近さに驚きます。堤防は時代と共に何段か高くなっており、現在も補強工事が進んでいます。堤防を下りて新川村に向かいます。お墓を見ると今でもお墓参りがされている様子がわかります。そして自然堤防上にある屋敷林は目立ちますが、建物はない不思議な空間がつづきます。昼食は新川エコミュージアムのご好意で菜園村でいただきました。立体視の方法を学んだり、新川エコミュージアムの平さんから新川村の興亡について興味あるお話を伺いました。荒川に近いため、肥沃な土地と舟運に恵まれた村も裏を返せば荒川の洪水被害と隣り合わせであり、鉄道へ交通機関が変わったことで衰退し、ついには廃村になる。時代の流れを感じます。最後の見学地では、新川村があった頃の鎮守様の三島神社で、鳥居は下半分近くが土砂に埋まっています。これだけ埋まるまでにかかる時間の話題や熊谷直実もこの一帯を遊び場にしていたという話も面白く思いました。ここで記念写真をとり行田駅に向かいました。今回の地ハイは、それぞれのポイントで担当者を決めた詳しい解説が印象に残りました。

{妻沼高校・久保田郁夫}(参加者25名)

ここに新川村があった
広大な荒川河川敷を歩く

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第435回 冬枯れの雷電山周辺の地学ハイキング
                 2010年 1月17日

 天候に恵まれ、陽だまりの地学ハイキングでした。八高線の明覚駅に集合し、路線バスで移動。バスは集落の中を迂回しながら、ときがわ町を走りました。ときがわ町は、都幾川村と玉川村が合併してできた町です。
 日影のバス停で下車し、雀川ダムまで歩き、そこから地ハイがスタートしました。沢の中を歩き、御荷鉾緑色岩と秩父帯のチャートと泥岩を観察しました。
 その後、沢から林道に移り、今日のコースの話題の赤色泥岩の露頭です。今回の参加者は赤色泥岩を注目していたようです。赤色チャートとの違いは何か、なぜ赤色なのか、などの疑問に案内者の保科さんから説明がありました。
 その後、放散虫化石の産出した砂岩の露頭では、放散虫化石の含まれる岩石の見本を用意して説明をしました。化石を含む砂岩は、小さなレンズ状の岩体であり、見つけるのは難しいようでした。放散虫化石は岩石薄片で見つけたものでしたので、参加者には用意してきた放散虫化石の含まれる岩石薄片をルーペで見てもらいました。薄片では透明な円形としてたくさん見られます、それら20数枚の岩石薄片は、参加者のおみやげとなったのでした。
 御荷鉾緑色岩を観察した後、雷電山が正面に見える休憩場で昼食です。小松さんのご好意でトン汁を食べながらの陽だまりの一時でした。林道を歩き、一汗をかいた後は下り坂を足早に進みました。雷電山周辺は御荷鉾緑色岩が分布し、雲河原の集落付近は地すべり地形が見られました。
 最後の観察地点は、斑レイ岩からできている女鹿岩を見ました。参加者は巨石に圧倒されていたようです。その後は、山道を下り、都幾川沿いのバス停でまとめをして解散しました。

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者34名)

赤色泥岩を説明
女鹿岩を見上げる

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第436回 秩父札所の地学めぐり(その3)
   横瀬の札所に秩父盆地の生いたちをたずねて

                  2010年 3月21日        

 3月の地ハイは日本列島に記録的な強風の吹き荒れた3月の第3日曜日。この日は強風だけではなく、記録的な黄砂の来襲した日でもあり、集合場所の横瀬駅からすぐ近くの武甲山を眺めて見てもかすんで見えるほどでした。
 案内は秩父のことなら隅まで知り尽くしている?小幡さんをメインに岡野さんと古川さんです。横瀬川の作る谷に沿っていくつもある霊場をめぐりながら、地学的な観察をしていこうという、ちょっとひねった札所めぐりです。この日訪れた寺社は、明智寺(札所九番)、御岳神社の里宮、西善寺(札所八番)、ト雲寺(札所六番)、法長寺(札所七番)、大慈寺(札所十番)、稲荷神社、常楽寺(札所十一番)。
 これらをめぐりながら、見通しのきくところでは段丘面を観察したり、断層地形を観察したり、段丘をつくる堆積物を観察したり、地下水の出る地層を観察したり、段丘堆積物の由来するところを想像したり、ところどころに置かれている石仏の元の岩が何であったのかを考えたり、秩父盆地の地層とその周囲にある関東山地の岩石との関係を考えたり… と、次から次へと見どころが続きます。それだけでなく、武甲山の石灰岩のこと、苅米池の近くの断層破砕帯、横瀬川の両岸で見られるレキ岩層、武甲温泉、横瀬町歴史民俗資料館の見学、アルコース砂岩の観察などもありました。案内の小幡さんは欲張りなコースを足早に歩き、時には後ろ向きに歩きながらも話し続けるというタフさを発揮していました。
 大慈寺からは羊山丘陵に上がり、強風に吹き飛ばされそうになりながら、眼下に広がる秩父セメントの広大な跡地を見て、尾根状の丘陵を西武秩父駅へと向かいました。最後に秩父夜祭のクライマックスの場である秩父公園の「亀の子石」を見学して、地学的札所めぐりの終了となりました。

{児玉高校 栗原直樹}(参加者21名)

横瀬駅前でコースを説明
新田橋の礫岩層の観察

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第437回 上福岡で関東地震の跡をたずねて  
                 2010年 4月18日

 まだ桜の花が残るという4月の地ハイ。数日前に雪が降る寒い日もあったが、この日は暖かな地ハイ日和であった。東武東上線の上福岡駅に35名が集まった。これまで武蔵野台地の縁では地形・地質・湧水などの地ハイが行われてきたが、地震の跡をたずねる地ハイはなかった。案内者は上福岡市史にたずさわった角田さんが中心となり、駒井さんと清水さんの協力で行われた。
 集合場所の駅前広場で、駒井さんから武蔵野台地の地形模型を使って、今日のコースと地形について説明が行われた。その後、最初の観察地点の東武東上線のガードへ。ここは、レンガづくりで残っている貴重なものである。関東地震で一部が壊れ、修復されている。角田さんの説明は、地震波の基本的なことから地震波と破損の関連について丁寧であった。参加者の質問に、自宅が木造の場合と鉄筋コンクリートの場合の揺れ方や破損の状況へと話題が広がっていき、話がつきない。次に、上福岡市内の坂道で、清水さんより坂と段丘の関係およびその成因の説明があった。3つの段丘面の間の急な坂と緩やかな坂を見ながらの説明で、わかりやすかったと思う。ここから、次の観察地点の氷川神社まではかなりの距離があった。昼近くなったが、氷川神社の柱や梁などがゆがんだりしていることから、関東地震によって動いたことを知った。昼食は連光寺の前の新河岸川の土手の上で、暖かい日差しの中で済ませた。
 連光寺にはりっぱな山門と本殿があり、それぞれの柱が傾いたり回転したりしている。角田さんがひとつひとつ説明をして、参加者は納得していたようであった。このような内容の地ハイは初めてであり、係としても新鮮であった。今回の参加者がそれぞれの身近な社寺で観察していくと面白いのではないかと思った地ハイであった。その後、歴史民俗資料館の2階を借りて、地ハイの総会を行った。昨年度の経過と今年度の計画を報告した。松本さんから、昨年度行われた「荒川を歩く第4段の吹上付近」の内容をポスターで報告された。

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者35名)

連光寺の山門を観察
東上線のガードを観察

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第438回 − Road to 500 荒川 その5−
    ムサシトミヨを育てた湧水と荒川扇状地
 
                  2010年 5月23日

 朝から降る雨。そんな悪天候の中、集まったのは、やる気みなぎる19名の参加者。
 集合場所である上熊谷駅を出発し、最初のポイントは星渓園だ。ここでは、荒川の洪水によりできた玉の池を見学した。今は荒川の水を引いているが、かつては豊富な湧水により星川の水源となっていたとのこと。星渓園を出て東へ、星川沿いを歩きながら、取水権争いの解決につくられた六堰や、太平洋戦争最後の熊谷空襲、また戦後の星川の河川改修や、改修後の農業用水としての利用などについて興味深く話を聴いた。
 熊谷駅を過ぎた辺りで南に、荒川の方へ歩く途中に小さな丘のようなものがあった。高さ3m、幅150mの横に長い丘の正体は、かつて荒川の土手だった跡だ。熊谷堤が決壊した部分に、地元の名手が私財を投じて新たにつくった堤の一部が今でも残っているということに、参加者一同「よく残っていたねぇ」と当時の話を記した石碑に見入っていた。
 堤防跡を出発し、埼玉県の魚であるムサシトミヨの保護センターに向かう。まずセンターで職員の方に話を伺った。ムサシトミヨはトミヨ属に属するが、種として分類されていないためムサシトミヨを天然記念物に指定することができず、生息水域を天然記念物としているそうだ。また、平均して水温が15℃前後と冷たくきれいな水でないと生息できないなど、ムサシトミヨとそれを育む荒川扇状地扇端部の豊富な湧水との関係も知ることができた。珍しい生態に、参加者からの質問も多く、みな興味津々で話に集中していた。
 説明の後は、水槽で飼育されているムサシトミヨを実際に観察した。通常、産卵すると死んでしまうが、ここにいた個体は産卵していないため数年生きているらしい。産卵用の水槽では、既に産卵が終わり回収した後で、卵も稚魚も見ることができなかったのがとても残念だった。しかし、水草の根でつくった巣に産卵する様子や、雄が胸びれで巣に新鮮な水を送る様子など、説明で聞いたユニークな産卵風景の映像を流して頂き、全員がビデオを食い入るように見ていた。天然記念物指定区域はセンターのすぐ側にあり、のぞいてみたが雨の所為もあり、ムサシトミヨの姿を見ることはできなかったが、周囲の川に比べて水が非常にきれいなことや、生えている水草の違いから水のきれいさが分かることなどを指摘する参加者が多かった。
 保護センターを後にし、最後のポイントである旧久下橋付近へ向かう。ここで当時の荒川の様子や、瀬替えによる荒川の変遷について話を聴いた。また、現在の堤外・堤内の様子(高さなど)や、現在は堤内だが瀬替え前は堤外地だった地域の様子を、堤防上から比較しながら眺めた。その後は、河川敷に下りて荒川の礫種調査を行う予定だったが、雨のため断念することとなった。
 最後に行田駅でまとめの話を聴き、感想シート書く。雨の中ではあったが、参加者皆さんが十分に楽しんでいる様子だった。雨の荒川も良いけれど、次回は晴れの荒川を歩けることを祈りつつ解散した。

{竹内幸恵(草加市)}(参加者19名)

ムサシトミヨ生息地
元荒川起点

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第439回 宮川湾から毘沙門湾にいたる海岸での三崎層の見学
               2010年 6月20日

 6月の地学ハイキングは常にドキドキである。梅雨の最中今回も『雨に降られても良いから』と半分思いつつの参加者も多かったと思う。三崎口駅よりバスとの事で参加者の集りは時間通りにピタッと決まり、バスを待つ間もすでに盛り上っていた。すでに会費を支払い、名簿に記名しパンフレットを手にすれば、現地見ずとも充分に日曜地学が始ってしまう同好の士達計48名であった。
 駅より超満員のバスにゆられる事30分位。下車した所は城ヶ島を目の前にした城ヶ島大橋のふもとの堤防晴海町であった。その地点でいきなりの案内者のセリフが『実はですね。どうも城ヶ島は真中から右と左ではどうもちがうらしい事が解ってきました』との捨てセリフ!で終ってしまった。先を急ぐらしくさっさと県営三崎アパートへの移動である。ええー!と思いつつ後を追うと目前に見える崖にすばらしい模様(地層)があった。「ああーそのガスタンク邪魔」80°程の右上りの地層(上総層群)の上に水平な地層(相模層群)が見事な不整合面を見せていた。
 その後は宮川湾へ出て本日の見所となる三崎層をやや離れた所から見ながら、三崎層の説明をうけた。その後現地へ移動してまず鍵層となる無色鉱物の多いMK凝灰岩を示されて、層を境にして海側と陸側のシルト岩中の微化石のちがいによりこの地区の時代がときあかされた事を聞いた。時代を決めるポイントのナノ化石や鍵層を見学して海岸を後にした。後はひたすら宮川公園風力発電所を目指して歩いた。大きな風力発電の三枚のプロペラがとても良く回っている。今日は「良く回るから電気をいーっぱい作れるぞー」と思っていたら、ここの風車は<風速20mで止まる>と説明板にあった。あまりにも勢い良く回るとモータが焼き切れてしまう様だ。数年前そんな記事を見たなぁー。
 ともかく強風の中とばされつつの昼食を終えてすぐ下の宮川漁港へ移動。いよいよ隆起海食台の広がる観音山海岸を目指して歩いた。すぐ波がうち寄せる足場の大変悪い所で、途中からは道は無いのである。がしかし最終地点で待っていたのはまぎれもなく<関東ふるさと道>の支柱であった。その地は鬼の洗濯岩の様なデコボコで何枚もの地層が傾斜して走向も激しく変化、又小断層によって切断された結果、同じ地層を何回でも見ることになってしまう調査の難しい地区らしい。元禄(1703)と関東大地震(1923)で2m弱隆起したため、かっての海底が陸地になっている所であった。
 今回の地学ハイキングは、1200万〜830万年前の地層で当時の堆積深度は2000〜3000mの三崎層を宮川湾を中心に案内頂いた。尚当日のパンフレットはシルバー仕様で作成されていた。パンフレットは32ページにもおよんだが、これは案内者の御2人(鈴木進・蟹江康光両氏)による論文が半分をしめていた為であった。貴重な論文に御礼を申し上げます。

{小松 恵(さいたま市)}(参加者48名)

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第440回 木下層の貝化石の観察  2010年 7月18日

 7月18日第440回地学ハイキングが都立富士高校を会場に行われました。案内は、東京支部の小川政之さんと埼玉支部の橋屋功さんです。当日は朝から暑い日でしたが始まる頃には21人が集まりました。地学室は冷房のよく利いた教室で、快適に室内ハイキングが行われました。
 最初、小川さんより木下層の貝化石(13〜12万年前)の研究をはじめたいきさつの説明がありました。住居が産地に近かったこと、子どもの自由研究の「バカ貝の背比べ」を手伝ったこともそのひとつだということです。概要の説明の後、いよいよ実習です。なお、木下貝層は国指定天然記念物(2002年3月)になっており、指定地では採取はできません。今回使用した貝化石は、指定地以外で埼玉県立大井高校の駒井潔さんと生徒のみなさんが、この日のために真夏の炎天下、20箱(パン箱の大きさの箱)も採取してくれたものを使用させていただきました。実習では、箱から砂のついた化石を採取することから始まりました。化石のクリーングはブラシと竹串、水を入れたボールを使い行いました。絶滅した貝もあると聞き、大人も昼食を忘れるほど夢中です。
 遅れた昼食をとった後、貝の特徴を調べ図鑑から貝化石に名前をつけました。図鑑を使った貝の名前調べということもあり、地団研から出版されている「貝化石図鑑」がたくさん買い(貝)求められました。ちなみに私が見つけてものは、サルボウ、ハスノハカシパンウニ、ハマグリ、バカガイでした。また、産地の近くの印西市中央公民館で販売されている「木下貝層(第三版)」も在庫切れだそうで、住んでいる地域の方々の感心の高さに感心しました。ひととおり名前つけが終わったのち、「バカ貝の生態」についてビデオの視聴がありました。お寿司の貝柱も青柳もバカ貝ということで意外に身近な貝です。危険を察したときに砂の中に潜るのも速いし、飛び跳ねることもでき運動能力も他の貝にはないほどです。なのにひどい名前です。バカみたいに海から捕れたからバカ貝だとか、足がべろんと出ていてバカみたいだからとか、いわれもおもしろそうです。まとめの後、解散となり暑い世界に戻りました。

{妻沼高校 久保田郁夫}(参加者21名)

木下層の貝化石について説明
化石のクリーニング

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