地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第421回〜第430回(2008年9月〜2009年7月)


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第421回  − Road to 500 荒川 その1−
        荒川上流を歩く
   2008年 9月21日

 地学ハイキング500回へ向けての企画「荒川を歩く」の第一弾として計画された第421回の地学ハイキングは、9月20日(土)に荒川源流の入川にある「源流の碑」まで歩き、翌日は二瀬ダムの見学とV字谷の底でレキの観察をするという盛りだくさんの内容でした。
 ところが、狙ったように台風13号が北上し、土曜日には関東地方を直撃するという最悪の予報。というわけで、一日目の観察は前日までに中止が決まりました。
 二日目は予定通り。大雨で荒川が増水しているかも… という心配は全く無用でした。よくあることで、中止が決まった土曜日は台風の進路がそれたため、良いお天気で、台風による雨はほとんど降らなかったようです。
 参加者は25名。西武秩父駅からバスに揺られること約1時間で秩父湖バス停に降り立ちました。中津川ぞいに国道140号バイパスが通ってしまったためか、ダムサイトにあたる駐車場の周囲は以前に比べちょっと寂れてしまった感があります。
 最初に二瀬ダムの見学です。ダムの管理所で職員の方から大まかな説明を聞いた後、アーチ式ダムの真ん中ある洪水吐の一番上に登ってダムの外観を眺めました。もちろん、普段は入れない場所です。足下がすっぱりと切れ落ちた階段は高所恐怖症の人にはちょっとこたえたようです。高度感のある場所で説明を聞いた後、今度はエレベーターを使ってダムの下へ向かい、常用洪水吐という放水口の開閉部を見学しました。戦艦大和を作った呉海軍工廠の流れをくむ会社がつくったという扉や計器もあり、昭和36年に完成したというダムの歴史を感じました。
 二瀬ダムを見学したあとは、民家の脇を抜け、畑の脇を抜け、植林の中を通り、ダムの少し下流の荒川へ降りました。足でV字谷を体感した感じです。谷を作っている岩石は白亜紀に堆積した四万十帯の堆積岩が、圧力を受けてペラペラにはがれるようになった千枚岩と呼ばれる準片岩です。
 ここで昼食をとった後はレキをじっくり観察しました。多くは準片岩となった四万十帯の泥岩・砂岩・緑色岩ですが、珪質の準片岩や秩父帯の砂岩やチャートや石灰岩なども見ることができました。同じ砂岩でも四万十帯の砂岩が準片岩化しているのに対し、古い時代の秩父帯南帯の砂岩がきれいなのは興味深いところです。また、甲武信岳付近にある閃緑岩やそれに伴ったホルンフェルスも目につきました。これらは長距離流れてきたこともあって、四万十帯の岩石に比べ、角がとれて丸くなっているものが多かったようです。
 雨が強く降ってきたため、川底での観察を少し早めに終わりにして、秩父湖バス停まで戻って、最後のまとめ。時間に余裕があったからか、まとめには熱が入り、いつの間にかカミナリ混じりの土砂降りとなったにもかかわらず、濡れてもなおなかなか話はつきることがありませんでした。        

{児玉高校 栗原}(参加者25名)

二瀬ダムの職員から説明
荒川の河床にて

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第422回 寄居の地質をたずねて   2008年 10月18日

宝石に目がくらんだ40数名の老若男女が集合したのは、10月16日、八高線折原駅でした。挨拶(開会式?)が終わり、秋の比企丘陵北端の山里をヒスイの産地に向かいました。すぐ北西側は外秩父山地で、ここの丘陵地帯は浸食が進み、山地といってもいいような谷地形が発達していました。その谷の中に民家があり、小川に沿って田んぼが広がっているのどかな集落でハイキングにはもってこいの場所です。
 さて、目的のヒスイはどうだったか。がっかりした人もいれば喜んだ人もいました。糸魚川で取れる緑色のヒスイとは見かけが全く異なります。もともと「翡翠」は中国ではカワセミを指す言葉で、白地に緑色と緋色が混じる石につけられた名前です。ですから緑色だけでではなく濁った茶色、産地によっては紫色だったりしますが、それは不純物が付ける色です。ここのは白い石英岩に顕微鏡サイズのヒスイ輝石が混じるものでした。宝石としての価値は全くありません。しかし、私ら教師からみると教材としての価値は十分あります。ヒスイはヒスイ輝石と呼ばれる鉱物で、低温高圧のもとで曹長石がヒスイ輝石と石英に変化したものと説明されています。つまり、この鉱物一つで、変成作用、造山運動、プレート運動と実に様々のことが語れるありがたい石な訳です。もちろんほくほく顔でサンプリングして帰りました。
 その後、新第三紀層の最下部である寄居層を観察したり、鉢形城の地形的な特徴の説明を受け、寄居方面まで歩きました。

{松山高校 奥 雄一}(参加者40名)

寄居・稚児岩にて
城址周辺の地形模型を前に

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第423回 Road to 500 荒川 その2−
     志木市 宗岡での荒川
   2008年 11月16日
          

 朝から雨にもかかわらず20名ほどの参加者が志木駅に集まった。今回はRoad to 500 荒川 その2であり、このために日曜地学の会の会員を含めて6名で下見から準備を進め、そして当日の案内が行われた。このコースは、台地の端から低地の地形・自然を見て歩くもので、野火止用水の末端のひとつが志木にあることを初めて知る参加者が多かった。特に、いろは樋とそのつくり、地形との関連などたいへん興味のある内容であった。新河岸川の舟運として栄えた引又河岸と新河岸川の蛇行など自然との関わりがよくわかった。また、荒川の大囲堤から荒川と横堤を観察し、土蔵の乗る水塚のある家をたずねた。見学だけでなく、水害や農業のようすなど色々と知ることができた。その家の90歳のおじいさんが元気で、水害のようすなどを話してもらい、全員で記念写真をとった。最後のまとめは境内の庭で行い、参加者全員の感想などを集めた。4月の総会などで報告する予定である。昼食で立ち寄った志木市立郷土資料館では、飲食禁止のところで椅子を用意されてゆっくりととることができた。館の方に感謝したい。
 また、新河岸川のそばで案内者から「目を閉じて下さい、これから過去に遡りますので想像してみて下さい」。「そして昭和**年・・・」と続く。これは地団研の会員の案内ではとても発想できない内容であった。予習が良くされていたと思うことと、参加して説明を聞くだけでは、すぐに忘れてしまうものである。案内を担当することでたいへん勉強になることを感じたのだった。今日は曇り時々雨、中止にならずによかったと思う。資料も20ページもの厚いもので、さらに3枚のプリントが用意されていた。今回参加できなかった方は、資料を購入し読むとよいでしょう。         

{大宮南高校 松岡}(参加者19名)

荒川の堤から観察
最後のまとめ

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第424回 加治丘陵“ムーミン谷”の
   仏子層から見つかったコロコロ石
 2008年12月21日

 非常に穏やかな一日。元加治駅に集合したのは、約40人の老若男女。あまりの盛況に用意したパンフレットが足りなくなるほど。そんな多くの参加者の目当ては「コロコロ石」だ。「コロコロ石」って何なんだ?興味津々の中、第424回地ハイはスタートした。見学のメインとなる仏子層は、アケボノゾウの体化石・足跡化石などが発見された地層である。まずはじめに、橋の上から当時の足跡化石発掘現場を遠望した。その後、入間川沿いを歩きながら、仏子層の下位層である飯能礫層を観察し、主な礫種(砂岩やチャート)を確認した。これが「コロコロ石」か?と思いきや、気が早い。お楽しみは後の方と、相場が決まっているのだ。
 仏子には有名な「仏子の切り通し」という場所がある。尾根が入間川にせり出した交通の難所だったところで、大正時代に尾根を切り開いて道路を通したため、その両側は仏子層を観察できる大露頭となっている。現在は法面工事が終了し、観察しにくくなっているのが非常に残念だった。仏子の切り通しの大露頭を遠目に、仏子層の全体像について説明を受けた後、今回の目玉の一つである「日豊鉱業」へ向かう。現在、日本で2箇所ある炭鉱のうちの一つである日豊鉱業は、亜炭(石炭化が非常に低いもの)を採掘している。肥料・園芸用などに使われるそうだ。放置された亜炭の欠片は、まだ木片の感じが強く残っていた。
 日豊鉱業の西側の沢を登ると、再び礫層が現れた。足下にも礫が転がっている。これこそ「コロコロ石」だ!と思ったら、まだまだ。メインディッシュは最期に。これも、飯能礫層でしばらく登ると上位の仏子層に変わった。ここで昼休憩。日のなかなか当たらない、湿った山中という想定外のシチュエーションも、楽しい思い出。昼食後、さらに沢を登ると、横穴があった。亜炭の採掘跡らしい。そのそばにある砂層の中で、仏子層の対比に用いる白い火山灰層を観察した。火山ガラスを多く含むため、さわるとシャリシャリとした感触があった。
 さらに進み巣穴の化石を観察後、沢を登ると… 待ってました、真打ち「コロコロ石」!今度こそ本物だ。地層中には10数センチの厚さで円礫層が見られた。そして足下にはソフトボール型・卵型など様々な円礫が転がっている。お目当てのモノを前に、皆必死で“おみやげコロコロ石”を探していた。登り切った尾根を降りていき、加治丘陵のムーミン谷「あけぼの子どもの森公園」に到着。公園内の崖で礫層を観察し、今日の観察内容から読み取れる古環境変化について解説を受けた。当時このあたりに海が広がっていたという内容に、皆驚きつつ納得していたようだった。ここで解散。天気にも恵まれ、参加者もたくさん、内容も盛りだくさんの地ハイだった。

{豊岡高校 竹内}(参加65名)

露頭を前に
「コロコロ石」

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第425回 春日部 古隅田川に沿って  2009年 1月18日

 500回をめざして「荒川を歩く」という企画が始まりましたが、今回は古隅田川に沿って歩くというコースで、自然と人の関わりを学ぶことができた地ハイでした。春日部駅に集合し、町を横断し古利根川にむかいました。そして橋の上で、利根川の東遷、河畔砂丘について、春日部と粕壁の地名の由来などの説明がありました。案内者の小勝さんのていねいな説明でよくわかったようすでした。その後、古利根川に合流する古隅田川に沿って歩くと、古隅田川がとても小さな河川との印象をうけたのでした。しかし、この古隅田川の南側にはりっぱな河畔砂丘があり、かつての古隅田川は大きな河川であったことがわかったのでした。また、現在の古隅田川は東にむかって流れ、春日部市内で古利根川に合流しているのですが、昔の古隅田川は西にむかって流れて元荒川に合流していたとのことでした。この変化は地盤の動きによるものだとの説明で、興味深いことでした。
 昼食は春日部高校の中庭を貸していただいて済ませた。昔の春日部高校のイメージはなく、新しい建物でこれが県立高校かとびっくりするものでした。午後は古隅田川の土手を歩き、豊春駅にむかった。途中、土手に移築されたやじま橋(最古?の石橋)、自然堤防上にある満蔵寺で、梅若塚とお葉つきイチョウを見学した。資料の地形図は、低地の地形がわかるようにと昭和20年代のものでした。朝集合したときに、小雨がありましたが、その後はくもりで一時は日も差しましたが肌寒い一日でした。

{大宮南高校 松岡 喜久次}(参加32名)

古隅田川に沿って歩く
やじま橋(最古?の石橋)

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第426回 秩父盆地の川原に化石を求めて  2009年 3月22日

 2009年3月22日、いつもの第3日曜日から第4日曜日に変わった第426回日曜地学ハイキングは、「秩父盆地の川原に化石を求めて」秩父駅に集合しました。案内者は、小幡さん(熊谷高校)と岡野さん(新座柳瀬高校)です。
 天気に不安がありましたが35名の参加がありました。小学生やたくさんの高校生のすがたも見え、さすがに化石採取となるとちがうなと思いまいした。一昨年の夏には、地学ハイキングで蓼沼で化石採取を行い、サメの歯をたくさんの参加者が手に入れました。その続きの地層です。期待も膨らみます。
 バスで採取地の近くまで行き、コンビニの駐車場で本日の概要説明が行われました。昔と最近の秩父盆地のできかたの解釈の違いや遠く見える武甲山、段丘地形のでき方、上流で小幡さんの同級生が発見したパレオパラドキシアの標本についての話題など、話がつきません。
 その後、左岸の川原まで降りて行きます。化石採取をしようとしている新生界新第三系の奈倉層は、こちら側はゆるく傾斜しているのに、対岸は、見かけ上、水平に見ます。錯覚露頭を前にして走行・傾斜をクリノメータで測りました。周囲は点在した大きなノジュールが目につきます。化石をハンマーとタガネで探し出すと、みなさんもう夢中です。見つかったという大きな声に、次第にハンマーの音も大きく聞こえました。慣れてくると化石の出る地層の走向方向に列ができます。この光景はおもしろい!
 貝、カニ、ウニ等々たくさん出てきました。また、外側大陸棚のような太陽の光が届かない、深い海に棲むムカシブンブク(心形ウニ)や、ツノクリガニ、ヒシガニなどがけっこう発見されました。「未記載です」という小幡さんの話に、なにか、すごいものを発見したんだなと感じました。
 荒川の水量が多く、予定の秩父橋まで行けずに、採取地から同じ河原を戻り、朝と同じ駐車場でまとめの会を行い、停留所から駅に向かいました。

{妻沼高校 久保田郁夫}(参加者33名)

対岸は、見かけ上の水平層
増水した川原で化石採集

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第427回 入間川扇状地の段丘地形と湧水・土地利用
               2009年 4月19日

 4月の新緑の非常に穏やかな一日。元加治駅に集合し、スタート。最初に、西武池袋線の鉄橋の下、入間川の河床で、アケボノゾウの足跡化石を観察した。10年近く前に発掘調査した場所で、その後はその足跡は浸食されてしまったと、昨年度まで豊岡高校に勤務していたが、気がつかないでいたのである。今回の足跡は、河床に現れたものであった。
 その後、入間川を離れて、段丘地形を上ってゆく。案内者の山田さんの知り合いの家の裏にある露頭を観察する。露頭は別の人の所有地であることから、ハンマーでは絶対にたたかないでとの要注意のもとに観察する。仏子層の砂岩で、貝化石があることが確認でき、入間川の河床の貝化石の層順と同じと感じた。そして、段丘崖の坂道でハンドレベルを使って高低差を計った。およそ7mほどであったが、目測ではもっとあるように感じた。白髪神社では地元の自然観察指導員から、神社の由来などを伺った。また、土地利用に関して、明和4年の古地図から、入間川沿いの土地は氾濫による被害があるため「かハ欠」となっており、川から離れると「上畑」や「中田」となっていることなど、なるほどと思った。
 谷田の泉では、コンコンと水が湧き出している。水温は15℃、季節で大きく変化しない。田んぼの用水として利用するには、低温なために、湧水を池にためて温度調節をするということをしていた。しかし、湧水に近いところの田んぼは「下田」とされていた。また、湧水のところには、「かわもずく」という藻類が繁殖している。この保存をしている自然観察指導員の方から、説明があった。その後、武蔵野段丘に上がり、入間川の段丘地形などを見ながら、これまでのまとめをした。以前に「小松さんが住む町を調べる」という地ハイが行われたが、今回は「山田さんが住む町を調べる」という企画のように思えた。
 続シリーズは? 午後は、西武公民館で地学ハイキングの総会をおこなった。昨年度の経過報告と今年度の計画について、報告をした。松本さんから、500回をめざしての取り組みとして、志木・宗岡の地ハイについてポスターセッションで報告してもらった。総会後、希望者で入間川沿いの蛇糞石を観察して帰途についた。今回は、古地図を見ながら地形と土地利用を考えることができた。

{大宮南高校 松岡}(参加36名)

入間川扇状地・段丘崖の湧水
入間川の足跡の化石

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第428回  金沢市民の森の化石と動物園の観察  
                  2009年 5月10日

 5月10日「地質の日」に神奈川支部と埼玉支部の共催で日曜地学ハイキング「金沢市民の森での化石と草食動物の観察」が実施されました。案内は安野信さんと後藤仁敏さん(共に神奈川支部)です。雨続きでしたが、前日から天候に恵まれ、ちょっと暑いくらいの天候でした。前回のズーラシア(主に肉食動物を展示)に続き今回は、金沢動物園(主に草食動物を展示)で進化を学習します。どちらも丘陵を上手に利用してつくられています。これで、横浜市立の動物園の3園中2園を見学したことになります。昼食をはさんで化石採取もあり、もりだくさんです。
 最初は動物園のアフリカ区を見学しました。漢方薬として重宝されるために乱獲されたヒガシクロサイ。「繁殖」に成功し、種の保存に役立っています。存在が動物園の新しい役割を広報しています。また、角が後方に伸びため、武器にならない角をもつアラビアオリックスなど、地ハイで見学すると新しい発見があります。
 アフリカ区見学の後、化石採取です。化石採取地は、園外に一度出て、しばらく歩いたところにあります。雨が続いたため、足下はよくありません。露頭も高いところにあり、昼食をはさんで交代で採取しました。貝化石は、関東第四紀グループが調査中に発見しました。上総層群野島層最上部で約200万年前の泥と火山灰の混じった砂層に入っています。立派な化石を採取した方や、砂層のかけらを拾い集めて砂層に含まれる有孔中を見てみようという方もいて、誰もが化石を持ち帰ることができたと思います。
 その後、動物園に戻り、オセアニア区、ユーラシア区、アメリカ区の順に見学しました。オセアニア区では、ユーカリの葉を食べるコアラを見学することができました。20時間寝るというだけあって起きてる状態を見るのは、珍しいそうです。アルビノのカンガルー(アルボジニの言葉で「我知らず」という意味)、脚を見ると、思わず恐竜連想してしまうヒクイドリなど見学しました。  アメリカ区では、へらの形をし、毎年冬に落角する角<アントレー>をもつアメリカヘラジカ。いわゆる角には、伸び続けるホーン(角質)とアントレー(骨)があることを知りました。ホーンなのに落下するアメリカプロングホーンもおもしろい。カモシカに似ているけど、ウシでもなく、シカでもないローランドアノア。「まるでヤギのよう?」という声に「ヤギもウシ科ですから」
 ユーラシア区では、折れたインドゾウの牙を持たせていただき、重さを実感しました。朝見たサイと違う鎧を着たようなインドサイ。「人間は雄が雌化しているが、雌が雄化したため雌雄とも牙を持つ」の説明に笑いがおきたシロテナガザルなど、楽しく見学することができました。持ち物で特に書いてありませんでしたが、動物園見学には、双眼鏡が必需品です。

{妻沼高校 久保田郁夫}(参加46名)

野島層の路頭で解説する安野会員
化石のとれる崖でハンマーを振るう参加者

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第429回 - Road to 500 荒川 その3−
 初夏の「長瀞」へようこそ!
  −地殻変動の履歴と荒川の水の力を探る−
 2009年 6月21日         

 6月の地ハイは雨の中。未明から豪雨ともいえる強い雨が関東平野の広い範囲にわたって降り続き、開催もちょっとだけ心配されましたが、案内のハガキには「小雨決行」の文字が…。地ハイ常連のみなさんにとって「中止」という発想はなかったことでしょう。案の定、集合場所の親鼻駅には23人もの人たち。
 小雨を避けるために駅長さんの計らいで親鼻駅のそれほど広くない待合室を使わせて頂き、案内の本間さんから一日の予定とコースの説明を聞いたあと、最初の見学地である栗谷瀬橋の下流へと向かいました。かつては対岸(荒川の北岸)に蛇紋岩の露頭が見られましたが、現在は護岸工事のために蛇紋岩が見られるのは皆野中学校裏の荒川右岸と左岸のごく一部となってしまっています。ここで蛇紋岩やその中に含まれているクリストタイルなどを見学しました。平賀源内が見つけた石綿はここのものではないかということです。
 栗谷瀬橋を渡って、荒川の左岸を下流に歩く頃になると雨はさらに強まってきました。傘をさしていても足下は濡れてくるし、パンフレットに書き込みをしようとすれば滴でぐちゃぐちゃになってくる始末です。
 栗谷瀬橋下流の荒川左岸で蛇灰岩や結晶片岩と蛇紋岩の境界部などを見学したあと、川から離れ、自然の博物館へと向かいました。途中で蛇紋岩による地滑り地形、今はない「国神駅」や「岩石化石陳列所」の跡、蛇灰岩でできた長興寺の石柱等を見学しました。
 途中で予定を変更して自然の博物館で昼食をとり、博物館の展示を見学していると、雨があがってきました。そこで、博物館の前に広がる岩畳へ出かけ、結晶片岩の観察をしました。結晶片岩を作っている鉱物、様々な変形小構造、不思議な岩脈の構造等、見るものはつきません。
 岩畳を見学したあとは再び博物館に戻り、展示をじっくりと見学しました。 解散したのは予定時刻を1時間もオーバーした4時30分ころ。6月の地ハイは盛りだくさんで1.5回分の内容があったように感じました。

{児玉高校 栗原直樹}(参加者23名)

栗谷瀬橋付近の川岸で
自然の博物館前の川原で

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第430回 菅谷台地のおいたちをたずねて  2009年 7月19日

 7月の地ハイは嵐山町と共催で行いました。現在、嵐山町では博物誌の編さん作業が進んでいます。武蔵嵐山駅からスタートし、岩殿丘陵を上り笛吹峠、地球観測センターを回り、岩殿観音で解散するコースです。曇りがちの一日でしたが、7月の頃としてはよかったのではないでしょうか。
 最初に見学した菅谷館は、河岸段丘の地形を利用したところです。案内者である嵐山町博物誌の編さん担当の小林さんと加藤さんから説明がありました。都幾川を渡り、3つの河岸段丘を上ってゆきます。この河岸段丘は田んぼの高さが違うのがわかる程度です。そこからは、岩殿丘陵を上り笛吹峠をめざしました。岩殿丘陵に入ると木陰となり、心地よさも感じられました。地球観測センターでは昼食と見学をしました。外の暑さに対して、館内は冷房が利いており、高齢者の体には悪いのではなかったでしょうか。
 午後は将軍沢層の凝灰岩に含まれる火山豆石(ピソライト)の観察と採取から始まりました。やっと地質らしい内容となったので、露頭を前にしていつもの地ハイらしい光景となったのです。そして、岩殿観音付近の駐車場では物見山礫層の「くさり礫」を観察した後、物見山に登りました。最後に岩殿観音に寄り、裏のガケに見られるシルト岩と凝灰岩の互層を観察し終了しました。

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者34名)

火山豆石(ピソライト)の観察
河岸段丘上での遺跡(井戸跡)の説明

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