地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第441回〜第450回(2010年8月〜2011年7月)


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第441回 − Road to 500 荒川 その6−
     荒川源流をたずねて
   2010年8月29日

 前回実施できなかった地ハイの再挑戦であった。8月の残暑?もある中、荒川の源流をめざしての地ハイは、快適なものであった。7月に下見で歩いたときは、湿度も高く、疲れたのであった。今回は、貸し切りバスを利用しての地ハイであったため、人数制限があったことは残念であった。西武秩父駅を9時30分、23名で出発。急遽の参加の小幡さんのガイドで秩父盆地の地質など、とぎれない案内が続く。バスは滝沢ダムをみながら、入川へ。バスがやっと入れる道を進み、釣り場の駐車場で下車。
 ここから、荒川起点まで整備された道を歩く。道沿いには泥岩や砂岩がみられ、東大演習林のサワラの林を抜けて進む。トロッコ道になり、松井さんから説明があった。インターネットに写真があるので、見てくださいとのこと。参加できなかった方も、参考に。その後、山道沿いの沢やわき水の冷たさを感じながら、ホルンフェルスの前で立ち止まる。ホルンフェルスと貫入する石英脈(小さな水晶が)に、しばらく話題となる。昼の時間が迫り、目的の荒川起点に直行。荒川起点は真の沢と赤谷沢の合流地点で、ここからが荒川の始まりでその碑がある。空気の冷たさに猛暑も忘れるひとときであった。
 午後は元の道を少しもどり、入川に下りる。川原の石を観察へ。松本さんが参加できないため、参加者へ宿題が出され、しばらく苦戦?していた。ゴマシオ模様の閃緑岩に注目が集まるが、泥岩が多い。その後は、釣り場においたバスの駐車場にいちもくさんに歩いた。3時30分。帰りのバス内で、「入川から高さ10m程の山道沿いにある長径50cmの丸い閃緑岩れきのある理由」を一人一人から発言してもらった。人工的に運ばれた、川が増水したとき運ばれてきた、河床が高かったときに川が置いていった、さらに高いところに露出していたものが落ちてきたなど、盛り上がった。

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者23名)

整備された山道を
荒川起点にて

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第442回 秩父のシンボル「武甲山」の自然
                    2010年10月17日

 秋真っただ中の10月の地学ハイキングは秩父市と横瀬町にまたがる武甲山を訪れました。以前、横瀬町の生川の表参道から登り、浦山口へ下ったことがありましたが、今回は浦山口から橋立川に沿った林道を経由して山頂を目指すという、地学ハイキングとしてはちょっとハードなコースでした。
 8:50に浦山口駅を出発。橋立鍾乳洞のある巨大な石灰岩の岩壁の前で武甲山の地質を説明してもらい、これから見られるはずの岩石を確認しました。この日観察したのは橋立層群と名付けられた秩父累帯南帯の岩石です。長い林道を歩きながら、所々で石灰岩、チャート、ドレライト、頁岩、珪質岩等を観察しました。
 林道の終点からはいよいよ登山道となります。ここで参加者39人が3つのグループに分かれ、体力的に自信のない人から先に登ることにしました。最後のグループは元気ハツラツグループです。登山道はいきなりの急登。「長者屋敷の頭」から延びる尾根へジクザクに急斜面を行きます。後で地形図を見ると22本の10mごとの等高線が描かれていました。220mを一気に登りつめたことになります。尾根に上がると、暗い植林帯からカラマツや広葉樹林の明るい気持ちの良いなだらかな登山道になりました。ここからは岩石・地形だけでなく、動植物・キノコにも見るべきものがたくさんあり、おもいおもいにあちこちを観察しながらの尾根歩きです。
 歩きはじめてから約4時間。登山道から登り始めた全員が山頂を踏みました。最後の人が山頂直下の広場に到着したのは午後1:10ころでした。
 残念ながら山頂からの展望はなく、秩父盆地は見ることができませんでしたが、そこは用意してあった以前撮影した写真を使い、「こう見えるはず」と。そして、武甲山の採掘による山体の変化を物語るような、移動された三角点を見てから、来た道を再び浦山口へ向けて降りて行きました。武甲山・標高1304m。39名が登頂成功です。

{児玉高校 栗原直樹}(参加者42名)

武甲山へ急坂を登る
武甲山の山頂第1展望台

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第443回 秩父札所の地学めぐり(その4)
    秩父の札所をめぐり河岸段丘を見る
 2010年11月17日        

 札所巡りは「きつい!」と常に想い、それでも出かけるが、不思議に終わるとすっかりその想いを忘れて帰路につく。今回も全く同じであった。見どころ、16カ所。それに案内者なくしては歩けない?道がみつけられない「江戸巡礼古道」や「明治巡礼古道」など。
 それと地学ハイキングならではの坂の説明、段丘地形見学などが全て混じった秋の一日であった。秩父の案内で常にかんじている『秩父生き字引の小幡先生』のあらゆるジャンルに渡るその博学ぶりお遺憾なく発揮されて異常に満足できた今回であった。歩くスピードにも気を配り、走行距離にも気を配りながらも、地元ゆえ行く先で、一般通行者から声をかけられ、また住職からはあいさつを受け、メンバーに照れ笑いしつつであった。
 最後のまとめでは、しっかりと「今日はいかがでしたか?距離は、スピードは」との言葉もあった。そして、次回へのおさそいもしっかり皆へ説明をして終わった。
 参加者42名とみごとな紅葉に染まった秩父ハイキングであった。なお、今回あのパンフレットは札所は当然ながら、ローム層と地形の断面図、第四紀の編年、地球の歴史などが組み入れられた価値のあるものである。残念ながら今回参加できなかった方は、早めに手に入れることをお薦めしたい。

{さいたま市 小松 恵}(参加者42名)

約50万年前の安立(多摩T)ローム層の採取
秩父札所13番慈眼寺にて

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第444回 皆野町日野沢の地質と放散虫化石
             2010年12月19日

 12月の寒い日のもかかわらず、51名の参加者で行われた。皆野駅に9時50分の集合とやや遅い時刻であった。路線バスを利用しての地ハイであったためである。40名近く乗車できる中型の町営バスのため、参加者は充分に乗車できるはずと思っていた。しかし、札所めぐり?などの他の人たちがすでに乗車しているため、乗り切れなくなった。自家用車で参加している方(地元)がいることから、分乗などをして乗り切ることができた。
 最初の観察地点は、秩父華厳の滝である。滝をつくる石は赤色チャートで、チャートは硬い岩石であることから、滝をつくることが多い。滝を前にして、案内者の皆野高校の関根さんからチャートの成因について説明があった。このチャートを含む岩石は、上吉田ユニットに属している。次の観察地点は上吉田ユニットと柏木ユニットの境界(断層)を探すことであった。30mほどの沢を歩いて、岩石のようすの変わるところはどこか?。はっきりしないが、このあたりか。研究者も境界を点線で表していることで、教科書に書いてあるようなはっきりした断層のようにはいかないのである。昼食は小松さんの好意で、豚汁を食べながら暖まることができた。
 午後は沢沿いの道を登り、上空滝を眺める。この滝は淡い緑色をした岩石(珪質凝灰岩)からできている。この珪質凝灰岩は柏木ユニットをつくる特徴的な岩石である。細かい縞模様がみられ、波打って(褶曲)いることがある。きれいで標本にするにはもってこいの岩石である。さらに沢沿いの道を登り、小松の集落へ。そこの在住していた方に説明をしてもらった。急いで、元来た道をもどり、バスに乗り皆野高校へゆく。皆野高校には実体顕微鏡がないので、30台を持ち寄り準備した。砂の中から放散虫化石を髪の毛を使って取りだし、プレパラートにするのである。最初は、滝沢ダムの近くのジュラ紀前期(秩父帯南帯)と岩殿丘陵の新第三紀の放散虫化石を含む砂を観察する。この2つは、ほとんどが化石である。さらに、トリアス紀や白亜紀(四万十帯)までも挑戦する方もあった。細かい作業でたいへんであるが、研究の一端を体験してもらった。16時に片付けて解散し帰りのバスで駅に向かった。  

{大宮南高校 松岡喜久次}(参加者51名)

秩父華厳の滝
双眼実体顕微鏡で放散虫化石の観察

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第445回 矢颪凝灰岩層の露頭とテフラの顕微鏡観察
                  2011年1月16日

 寒い寒い朝。家を出ると、道路を薄らと雪が覆っている。今日は、地ハイができるのか?と思いつつ、飯能に着くと、こちらは晴れ。無事に地ハイがスタートした。
 飯能駅から入間川の河川敷に降りて、早速、矢颪凝灰岩層の観察をする。約250万年前の火山灰層が何枚も重なって、厚い矢颪凝灰岩層をつくっている事や、上部と下部で含まれる鉱物が異なる事などの説明を受け、皆さん興味深そうに質問をしていた。「どこから来た火山灰なの?」の質問には、「比較的大きな軽石を含んでいるので、近場の山かもしれないが、とても古いので、当時の火山は無くなってしまっていて、供給源を探すのは難しい。これから更に調べていきます」との答え。今まさに研究されている最中と聞いて、更に興味が湧いた様子だった。  凝灰岩層が最も連続的に観察できるポイントに移って、洗い出しの為のサンプル採集を行う。違いを比較する為に、最下部・中部・最上部などに分けて採集した。
 河川敷は風が強く、更に寒い。参加者の方によると、この山から河川敷に吹き下ろす風が、「矢颪」という地名の由来だろうとのことだ。鼻水をすすりながら「矢颪」を十分過ぎる程に堪能して、洗い出し+観察のため、飯能高校に向かった。
 飯能高校で用意していただいた温かい飲み物を飲みながら、昼食をとり、火山灰の洗い出しを開始する。火山灰についての説明、洗い出しや観察の方法を聞いた後、テーブルごとに、各人が異なる部分の火山灰を分担して洗い出すことに。サンプルは用意されていたが、中には自分で採ったサンプルを洗う方もいた。両面テープが貼ってある観察用シートに、洗って乾燥させた火山灰を貼り付けて、双眼実態顕微鏡を使って観察開始。観察が始まると、皆真剣だ。配られた『火山灰の手引き』を参考に、「これは角閃石?輝石?」「白いのは何?」などと悩みながら、食い入る様に顕微鏡をのぞいている。火山ガラスの識別が難しいようだった。観察と同時にスケッチも行う。 比較のために、浅間山の降下軽石(1783天明噴火)など、他の地域の火山灰も観察した。授業で同じことをすると、高校生などは、しばらくすると飽きてしまい、自分の髪の毛やシャープペンの芯などを観察しだすところだが、そこはさすが地ハイ参加者。長時間飽きることなく観察を続ける姿に、関心をしてしまった。「こうやって資料や設備を準備してくれて、滅多に観察できないものが観察できて、楽しいし、参加して良かった」などと言ってもらえて、係りとしても、ほんの少しだけ準備を手伝った身としても大変嬉しく思う。
 最後に片付けとまとめをして終了。今年度一番寒い地ハイは、それに負けない程楽しく活気に満ちていた。

{所沢高校 竹内幸恵}(参加者36名)

飯能大橋の飯能礫層を観察
鉱物の洗い出し

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第446回 早春の秩父ようばけをたずねて 2011年3月20日

 2011年3月11日14時46分ころ,三陸沖を震源に国内観測史上最大のマグニチュードM9.0の地震(東北地方太平洋沖地震)が発生。家屋の倒壊,津波や火災により多数の死傷者がでました。埼玉県内でも,宮代町で震度6弱などの大きなゆれを感じました。停電や断水とともに,交通機関がストップし,大宮駅前のルミネや岩槻区役所,秩父市役所では複数の窓ガラスが割れ,多くの学校でも校舎の天井が崩れたり窓ガラスが割れるなどの被害が確認されたといいます。
 その後,福島第1原子力発電所の冷却機能の停止により,放射能漏れ事故が発生しました。また,12日に長野県北部でM6.7(最大震度6強),15日には静岡県東部でM6.4(同6強)が発生しました。精油所の操業も止まり,ガソリンが不足し,電力不足により計画停電が実施され,電車は間引き運転となりました。
 このような状況を考慮し,3月20日(日)に予定していました秩父ようばけでの日曜地学ハイキングは中止と決定しました。15日の夜からホームページに掲載し,問い合わせには中止をお知らせしました。
 当日は,西武秩父駅・秩父駅・泉田のバス停に中止案内のビラを貼り,ご案内いたしました。西武秩父駅に1人,秩父駅に1人,泉田には3人の方がお出でいただきましたが,事情を説明しご理解をいただきました。楽しみにされていた方々,また現地までお出でいただいた方々には誠に申し訳ございませんでした。是非もう一度計画して欲しいとのご要望にお応えしたいと思います。 

{熊谷高校 小幡 喜一}

地ハイ中止の張り紙

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第447回 小手指ヶ原で28000年前の大噴火の証拠を探そう
                2011年 4月15日

 朝から快晴。絶好のハイキング日和に、50名の参加者が集まった。鎌倉時代の古戦場である小手指ヶ原を舞台に、関東ローム層を観察する地ハイがスタートした。
 小手指駅をスタートして東川へ向かう。歩きながら、地形図に坂道の方向を記載していくことで、台地・低地などの大まかな地形が見えてくる。途中、地形図上の高さを読み、そこからハンドレベルを使って東川の河床の高さを測定した。
 東川では関東ローム層のがけを見ることができる。水面付近に、丸いれきの層があった。かつてその高さに河原があったことを示している。れき層の上に厚くローム層が堆積していて、ここで、関東ローム層と所沢をつくっている段丘地形についての説明を受けた。
 「武蔵野をさぐる会」が10年前に作成した絵地図を見ながら、東川に沿って歩いていくと、再びローム層のがけが登場する。ここでは、6万5000年前に箱根山などからやってきた火山灰である、TP(東京軽石層)を観察することができた。
 東川を離れ、砂堀川の遊水池に向かう。周囲の高さに注意して眺め、起伏ある地形を観察しながら歩いていく。遊水池の中にもローム層のがけがあり、2万8000年前の姶良火山噴火でもたらされたAT(姶良・丹沢火山灰層)を見ることができる。しかし、営巣しているカワセミの保護のため、残念ながら中に入って観察することができなかった。
 所沢西高で昼食をとり、午後からは室内で火山灰の観察をした。ATをわんがけ法で洗い出し、双眼実体顕微鏡で観察する。1月の地ハイで洗い出し・観察を経験している参加者も多く、周囲の人達で教え合いながら、スムーズに作業が進んだ。観察は、ATの特徴である「バブルウォール型の火山ガラス」がメインとなる。実際に観察して、電球を割ったような薄い火山ガラスの形や、その形からどの火山灰層かを見分けることができることに、驚く参加者が多かった。また、家に帰り虫眼鏡で観察しようと、サンプル袋に入れて持ち帰る方もいた。
 天候にも恵まれ(恵まれすぎて、翌日、日焼けで顔が真っ赤になりました)、初めての方を含め、いつもよりたくさんの方に参加して頂いたこともあり、大盛況の地ハイだった。

{大宮東高校 原坂}(参加50名)

茶阿波武から台地の地形を
東川に露出する礫層

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第448回 城ヶ島の自然と三崎層・初声層の露頭
                  2011年5月14日

案内者 蟹江康光(三浦半島活断層調査会)

 今回の日曜地学ハイキングは神奈川の地ハイと合同で開催されました。五月晴れの土曜日、城ヶ島へ向かう三崎口駅のバス停には長蛇の列ができ、地ハイ係と参加者数名が乗車できず、あとのバスで向かうというハプニングもありましたが、案内者の蟹江会員や三浦半島活断層調査会メンバーのお陰で、無事開始することができました。城ヶ島は秩父の長瀞同様、地学巡検のメッカと言われるように当日も私たちのグループの他に、大学生とおぼしき集団がクリノメータを片手に地層の観察をしておりました。
 私たちは、案内者の方々が編集に携わった『城ヶ島たんけんマップ』の地質リーフレットを手に、島の西側灘ヶ崎から東端の安房崎に至る海岸のコースを、途中昼食をとりながら見て歩きました。その間、級化成層や火炎構造といった堆積構造、しゅう曲や断層、三崎層と初声層の重なりの様子、さらには地震による地盤の隆起現象まで、様々な地質現象を観察することができました。各観察ポイントでは、案内者の方々に詳しく時には最近の知見も織り込みながら説明をしていただきました。ことに3月11日東北地方太平洋沖地震のあとということもあり、城ヶ島の地盤が、1923年の大正関東地震で1.4mも隆起した痕跡を示す生痕化石の露頭や馬の背洞門では、皆さん興味津々といった様子でした。
 埼玉の参加者からは「埼玉とは違った地層や海も見ることが出来るので神奈川での合同地ハイ毎回楽しみにしています」、「十数年前、子供と参加した時のことを懐かしく思い出しました。今度はまた大島か三宅島に行きたいですね」といった声が寄せられました。皆さん、それぞれに城ヶ島の自然を満喫したようです。最後に、ご案内していただいた蟹江会員と三浦半島活断層研究会の皆様、神奈川支部地ハイ係の後藤会員に感謝いたします。

{ふじみ野市 力田}(参加者34名)

三崎層の観察
初声層の上で

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第449回 秩父札所の地学めぐり(その5)
   秩父札所をめぐり盆地と山地の境をみる
 2011年6月19日        

 6月の地ハイは札所めぐり…。しかし、その実体は、「札所めぐり」とはいいながら、山歩きとなんら変わらない地ハイでした。それもそのはず、歩く場所はほとんどが中古生界のチャートなのでした。標高こそ400mそこそこですが、短いながら鎖や、急角度の階段(下が丸見え!)があったりして、高所に弱い人にはちょっと手ごわいルートだったかも。曇天の影森駅から案内の小幡さんを先頭に出発すると、すぐに秩父線の踏み切の真ん中で影森駅の解説が始まりました。ここは小幡さんの最寄り駅。話題はつきることがありません。
 ほどなく札所27番大淵寺に到着。「影森用水」と名付けられている用水の歴史、地形との関係等の解説を聞き、月影堂という御堂の後ろの崖錐から流れ出ている湧泉の水を見学しました。そして、ここからは急角度の山の上に白衣観音像を見ることができました。これはハスの代わりに剣を持っているという護国観音。ここからその観音を目指しての急な山登りの始まりです。ちょっとゴツゴツしたチャートの尾根をアップダウンを繰り返しながら札所26番岩井堂を目指します。ところどころ隣にそびえる武甲山の採掘の跡も見え隠れしていました。岩井堂から少し登った斉所山(いわいどやま)のあたりはチャートの岩場が一番切り立ったようになっていて、修験場もありました。
 緑色岩が作るちょっと緩やかなピークの長者屋敷で昼食のあと、タンスの形をした「箪笥岩」を見学、そして、2ヵ所で石灰岩から化石を探しましたが、なかなか簡単には見つかりません。新鮮な面よりも風化面がわかりやすいのですが、タワシがあればもっと見つかったでしょうか。398.8mの三等三角点をすぎ、どんどん下っていくと昔の武甲山の登り口の石碑がありました。このあたりから地形は緩やかになり、それまでの中古生界のゴツゴツした山道とは対照的です。ここからは新第三系の新しい地層となったのです。
 戸坂峠というなだらかな場所では、歴史を感じさせる馬頭尊を見ました。昔の街道が偲ばれます。桑の実が食べごろになった雑木林の道をゆっくり札所12番野坂寺へ下って山道は終わりました。
 このあと、街の中を暗渠となった影森用水(ここでは野坂堀の名前)を上を歩き、羊山へ向かいました。予定ではさらに武甲山資料館を見学する予定でしたが、タイムアップとなり、羊山でまとめの会をやって資料館見学はオプションとなりました。

{児玉高校 栗原}(参加者36名)

チャートの立方体の岩「箪笥岩」で
秩父札所26番 岩井堂

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第450回 太古の海洋底をみて歩き 高山不動 2011年7月17日

 首都圏では連日“高温注意報”が発令される中、今回は「地質+関東三大不動」のルートで行われた。地ハイ係、案内者、会員、一般参加者ともにほぼ老老男女の参加構成で、熱中症は大丈夫か?とも思われたが、幸いルートの大半が樹林帯の中であり、奥武蔵では日陰にいれば涼しい一日であった。9:30西吾野駅前の広場にてコース、案内者等の紹介を行い出発。間野集落を経て、早速樹林帯に入る。秩父帯北帯・住居附ユニットの砂岩、破砕帯をはさみ上吉田ユニットのシルト岩などを足下に見ながら、いよいよ「海洋プレート層序」の見学である。高山不動西方の露頭では、黒色泥岩−珪質泥岩−層状チャート−玄武岩質凝灰岩(角礫岩・溶岩)のセットが認められる。
 この後、埼玉県指定天然記念物の「大いちょう」を見学し、不動尊脇の休憩所にて昼食。昼食後「海洋プレート層序」のセットがつくられるメカニズム、構成岩石の起源等の説明があり、午後の部へ。不動尊を少し登ると見晴らし台となる。しばし休憩の後、“セット”のメンバーである石灰岩を探すが、玄武岩質凝灰岩の中の小岩体であるためか、「これだ」とはっきりわかるものではなかった。北側の林道に進み、再び層状チャートの露頭(午前中見学したチャートの北方への延長部)に到着。ここでトリアス紀の放散虫、コノドントを探すが、成果はなし。肉眼で見える大型化石でさえも“絶対見つけてやる!”と意気込んでもむずかいしい。言わんや、はじめて見るものをルーペで探すのは至難の業である。それでも30分位はねばったか?このせいもあり、帰りの電車に間に合うために一同たっぷり汗を流すことになった。しかし、この最後の苦労こそ家でのビールの味を100倍、いや200倍に引き立ててくれた功労者なのである。案内者の心遣いに脱帽である

{浦和東高校 松井}(参加者34名)

不動尊脇の休憩所で

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