地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第181回〜第190回(1984年9月〜1985年8月)


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第181回 奥武蔵山地顔振峠をたずねて 1984年9月15日

 さる9月15日(土、敬老の日)、ふりしきる雨をついて地学ハイキングが決行された。コースは東吾野駅→虎秀→阿寺→顔振峠→吾野駅の約8kmの行程。案内者は私(竹内)がつとめた。
 東吾野駅前9時20分集合であったが、おり悪しく雨が降り出しており、今日は中止かなあ、と内心「楽しみ」にしていたところ、人がドンドン降りてきて50〜60名となってしまった。仕方がない、やろう!とういうことになり、9時半、カサ、合羽をつけて出発。最初に虎秀川の河床に露出している秩父古生層の溶岩、砂岩を見学するため、下りようとしたとき、ぬれた木橋より1名(小学生)、ぬれた岩より1名(初老の男の人)がすべって川に転落ズブぬれになてしまったのには、アセった。ケガがなくてよかったものの、これ以降雨の中、ゾロゾロ数10名の参加者たちを引率してゆくのは、いやはや骨が折れた次第。係のM氏は、FMラジオとマイクを持ってきてくれたが、前夜のアルコールがたたり、吐く息もくさく、重い足どり。一方、露出は悪く、しかも難解な秩父系の石ということで満足ゆく案内ができにくかった。
 顔振峠での昼食ごろ、ようやく雨もあがり、奥武蔵の山並みが姿を見せてくれた。吾野には2時前に到着でき、早い解散となった。

{竹内敏晴}(参加者 23名)

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第182回 荒川中流武川付近の第三紀層と化石 1984年9月15日

  比企団体研究グループの本間さんと橋屋さんの案内で、川本町の荒川ぎしに露出する新第三系(福田層・土塩層)を観察しました。化石がとれるというので、児童・生徒が29人も参加しました。
 午前中は川本中学校の上流で、福田層の砂岩泥岩互層や凝灰岩、礫岩といったいろいろな地層をみて、地層の走向・傾斜、断層といった地質構造や葉理や荷重痕などの堆積構造を観察しました。砂岩の中にミオジプシナという大型有孔虫があるということでしたが、なかなか見つかりませんでした。
 午後は土塩層の大願の中に含まれる化石を採集しました。多くの貝類の他に魚のウロコなども見つかりました。

{小幡喜一}(参加者 60名)

地層の観察

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第183回 芦ヶ久保付近の自然をたずねて 1984年11月18日

 関東山地団体研究グループの力田さん、保科さんの案内で、御荷鉾緑色岩類を観察しました。西武秩父線の横瀬駅に集合し、丸山林道、曽沢川に沿って歩き、芦ヶ久保駅に下りました。
 丸山鉱泉から一ノ瀬橋付近までの林道沿いには、海洋地殻の一部であった変はんれい岩が所々に見えました。一ノ瀬橋付近では海底火山の玄武岩質溶岩が見られました。二の瀬橋から沢沿いに歩くと、凝灰岩や火山礫凝灰岩、火山角礫岩、塊状溶岩、枕状溶岩など海底火山の噴出物や蛇紋岩も見られました。

{小幡喜一}(参加者 28名)

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第184回 加治丘陵をたずねて 1984年12月16日

 加治丘陵グループの清水さん・竹越さん・駒井さんの案内で、豊水橋から繊維試験場までの入間川を歩きました。参加者59人、その約半分の29人が児童生徒でした。
 笹井ダムの下流には、白い火山灰層をはさんだ黒っぽい地層が露出し、おおきな木の切り株のような樹幹の化石や、メタセコイヤやオオバタグルミの実の化石が見られました。これらの植物は絶滅したものだということで、大昔の森林はどんな感じだったのだろうかと想像しました。
 アケボノゾウ化石の発掘跡は大きな穴になっていて、この奥にも骨がありそうだが、ガケの崩壊などの危険性があるので、そのままにしてあるそうでした。
 午後は、牛沢の貝化石と蛇糞石といわれる巣穴の化石を見ました。森林になる前は海岸がここまでやって来ていたことが分かりました。
 子ども達は一生懸命がんばって、化石を採っていました。

{小幡喜一}(参加者 59名)

アケボノゾウ化石が掘り出された穴

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第185回 河畔砂丘の形成史 春日部市小渕砂丘  1985年1月20日

 メインの内陸砂丘がよかったです。まったく離れたところの砂が同じ延長上にあるなんて、崖などの地層でやはりそういうことがありますが、何かすごく不思議で興味深い。
 また、田んぼの隆起もおもしろかった。残土置き場が沈み、その隣の田んぼがそのまま山のように盛り上がり、くいが階段状になっているのをみたとき、ただぽっかりと口をあけるよりほかに、どうすることもできなかった。

{「秩父の峯」一部改変}(参加者 48名 )

田んぼの異常隆起。左側の残土が重さで
沈み、右側の水田が押し上げられた
内陸砂丘を追って

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第186回 小川盆地をたずねて 兜川ぞいを歩く 1985年 3月17日

 雨天でしたが、23人も集まったので決行しました。
 小川盆地の兜川(かぶとがわ)に沿って、小池さんの案内で歩きました。小川盆地には様々な年代の岩石があり、古生界ペルム系の金勝山石英閃緑岩、中生界白亜系の栃谷層、新生界新第三系の小川町層を観察しました。

{小幡喜一}(参加者 23名)

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第187回 吉田町をたずねて秩父盆地のおいたちと秩父事件
                1985年4月21日

 晴天の4月21日、皆野駅に39名(小学生以下15名)が集まりました。高校の社会の先生4名が、埼高教新聞を見て参加しましたが、秩父事件の方に興味があったらしく、別行動となってしまいました。
 今日は吉田川〜阿熊川を歩き、第三紀層の小鹿野町層群(吉田層・宮戸層・子ノ神層),彦久保層群(富田泥岩層・白砂砂岩層・基底礫岩層)と、その基盤の中・古生層を見学しました。阿熊川ぞいでは素晴らしい露頭が連続し、地層や断層の様子を詳しく観察することができました。また、化石を採集することもできました。途中で、秩父事件の慰霊碑なども見学しました。
 きれいな地層のしま模様をみて、おもしろかったという意見が多く聞かれました。幼児も3人参加したので、会員3人では、いろいろな配慮に欠けるのではないかと思いました。

{松岡喜久次・小幡喜一}(参加者 39名)

パンフレットの表紙

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第188回 岩殿丘陵をたずねて 1985年 5月19日

 第188回地学ハイキングは、5月19日に春たけなわの岩殿丘陵で、約50名の参加者をえて行われました。今回は、高校生も10名ほど参加し、昼休みに交流会を企画しましたが、お互いにはずかしがって、結局企画だおれになってしまいました。
 岩殿観音から地球観測センター、葛袋を通って高坂駅まで約10kmの道のりでしたが、ガラス質火山灰(クレンザー)や、火山豆石、サメの歯を取ったりの盛りたくさんの内容でした。葛袋では一行より先に、化石マニアの中学生が来ており、サメの歯のコレクションが150本もあると聞いて、ビックリさせられたと同時に複雑な心境にさせられました。帰りに飲んだビールがおいしかった!

{「秩父の峯」}(参加者 45名)

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第189回 寄居 西ノ入の鉱物 1985年 6月16日

  梅雨の晴れ間の日曜日、八高線の折原駅には54名もの人が集まった。東原さんの案内で、多くの人がヒスイにひかれてきたようである。
 ヒスイを含む石は、当地で「ちご岩」と呼ばれ、石英岩でたいへん硬いため、地形的にとびだしている。何となく緑っぽい岩石で、どれがヒスイかよくわからずに持ち帰った。昼頃、案内者の一人、下野さんが簡易顕微鏡をもってきたので、みんなで見ていた。

{「秩父の峯」}(参加者 54名)

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第190回 190回記念バスハイク 荒川の流れにそって
           1985年8月10日〜11日

 8月10〜11日、1泊2日でバスハイキングが行われた。参加費は1泊3食保険つきで8,500円。参加者は小学1年生から60代の方まで36名(小学生8名)で、マイクロバスは補助席も使い満員となり、地ハイ係の小幡はガイド席に陣取った。会員も10名で熱気あふれていた。
 荒川源流域の中・古生界、奥秩父の豆焼橋から、ダムや発電所もおりまぜ、谷深い上流部、新第三系の秩父盆地の段丘や川の蛇行、結晶片岩の長瀞、そして、関東平野の段丘、扇状地、自然堤防、最後に都民の水をまかなう朝霞市の秋ヶ瀬取水堰を見学した。夜は秩父市内の荒川べりの旅館で、河川調査中のスライドを見て、空中写真の立体視を行った。その後、子供は高校生をリーダーに花火大会、おとなはコンパとなった。2日目は昼前からあいにくの雨模様となったが、予定どおりに無事終了し、参加者は満足そうであった。
 今回のバスハイクには3つのきっかけがあった。地学団体研究会埼玉支部の会員15名が県史編纂室の荒川総合調査に携わったこと、支部会員が編集を行っている「地学教育と科学運動」の14号で郷土の川を話題にしたこと、常連の参加者から1泊ハイクの要望が出ていたことだ。これが支部新年会で「荒川バスハイク」に発展したのだ。3月から準備を始め、実施2週間後に記念写真と決算報告、「荒川研究証明書」を郵送し、今回の行事が終わった。
 参加者の参加の動機は、はじめての企画ということもあって興味があった、荒川について知りたかったなどが多かった。内容は川を中心とした地形、堆積物で地質については、ほとんど触れなかった。視点を広げすぎると、あいまいになるのでしぼったため、荒川の上流から下流への変遷はよくわかったという感想が多かった。
 パンフレットは内容の濃いものが、係の人たちを中心につくられたが、小学生にはむずかしかったようである。1泊2日の日程のため、参加者の交流ができたのがよかった。

参加者の声
  • とても説明がよく分かって、それで花火もあってよかった。川の上流から下流まで見られて勉強になった。(小学生・男)
     
  • バスの中から一本の川を見ていくと、川のしくみがよくわかって、とてもよかった。(中学生・女)
     
  • 湧き水の冷たいのが飲めてよかった。(高校生・女)
     
  • 荒川の上流から下流かで実際に目で見たので,家に帰ってからそれについての本を読んで資料をまとめてみたい。
     今後は学習会や室内実験などもとり入れてみてはどうか。(30代教師・男)
     
  • 転向が悪かったのは残念でしたが、理科的な面(川の流れ、石、地層、風化、地形など)や社会科的な面(川原の利用、地形と土地利用の関係)など自然を多面的にスライドにおさめることができ、帰ってから編集して教材をつくるのが楽しみです。欲をいえば海に注ぐところ(河口)まで行きたかった。(30代教師・女)
     
  • 自然のいろいろな面にふれられるのが楽しくて参加させていただいている。実際に身近な“川の一生”ともいうべき姿を見られてよかった。スライドとバスを利用したフィールドワークで立体的に学習が広がった。またいろいろとお話しができて楽しかった。(40代・主婦)
     
  • 不動淵のポットホールのある上流の様相、長瀞の結晶片岩の岩畳や自然史博物館、中流の露岩や下流の入間川との合流点が良かった。
     三峰口付近の上流と中流との境目、河岸段丘等、本や概念としてわかっていたつもりだったが、実際に眺め特に段丘の帯が何列にも並んでいる様子を教えていただき、それが土地の隆起、氷河期の海面低下によるなど、その段丘面をみつめて不思議な気がした。上流では川の強烈な浸食作用、中流では浸食作用と堆積作用、下流の大規模な堆積作用等、そのスケールの大きさに驚いた。温和と思っていた荒川が暴れ川だということが少しわかったようだ。(60代自営・男)

{松岡喜久次・小幡喜一}(参加者 36名)

建設中の国道140号線最奥部、豆焼橋で
大洞第1発電所の見学
荒川と浦山川の合流点

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