地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第161回〜第170回(1982年9月〜1983年8月)


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第161回 正丸峠をたずねて 1982年9月19日

 雨ときどき曇り 鉱物・マンガンの勉強になった。

{支部運営委員会ニュースより}(参加者 35名)

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第162回 芦ヶ久保から二子山の中・古生代の地層
                1982年10月18日

(参加者 62名)

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第163回 荒川中流 貝殻淵〜青岩礫岩の第三紀層
                1982年11月23日

(参加者 57名)

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第164回 加治丘陵 仏子の切通し〜谷ヶ貫 1982年12月19日

(参加者 27名)

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第165回 東京下町の地盤沈下の観察 1983年1月23日

 今日は荒川の河口である東京下町を歩き、地盤沈下の現場をみることができた。西葛西駅に集合し、バスで都立葛西南高校に移動する。高校の校舎を見て回ると、校舎が抜け上がり地面が大きく沈下しているのがはっきりとわかるのだった。地下に埋まっているはずの水道管が外にでているのが印象的であった。その後、葛西橋付近では土地が海面より低いことをみることができた。

{松岡喜久次}(参加者 23名?)

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第166回 神奈川県三浦半島 1983年3月20日

(参加者 30名)

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第167回 ○○ 1993年4月24日

(雨天中止)

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第168回 岩石薄片の製作と観察 1983年5月15日

 風香る5月、無風快晴。越ヶ谷高校の地学室の雰囲気は、のどかな気分を寄せ付けないほどの緊張にみなぎっていた。
 スライドガラスに岩石を張り、必死に薄くしている。各自が持ち寄った石だけに減り方も、一様でなく苦労している人もいる。しかし、旺盛な探求心は終わる頃までには、ほとんどの人が仕上げていた。
 さらに顕微鏡でのぞきはじめると、その美しさだけにいやが応でも、今回の薄片教室を盛り上げる。矢つぎ早の質問に、ついわすれがちな自然の驚異に目がさめる思いであった。(一部略)

{支部報“秩父の峯”より}(参加者 24名)

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第169回 寄居付近をたずねて 1983年6月19日

 日曜地学ハイキングの案内は、まだ2回目であるが、忙しさにかまけて充分な下見ができなかったことが悔やまれる。(土曜日1回、平日2回)前回の案内は(昨年)吉見付近ということで「百穴」や「ガーネット」が目玉商品としてあったため、一般参加者もそれなりに興味を示したように思えた。しかし、今回の寄居付近は主に岩石見学であったため、頭にのこる「おみやげ」はなかったように思う。
 石英斑岩も余りにも細粒なため、見た目によくなく、また、古生層との境界の断層も不明瞭、第三紀の寄居礫岩との境界も河原の砂礫にうめられ、必ずしも露出はよくなかった。せめてもの救いは、古生層の石灰質の部分で見られた小褶曲とこの中に入る黄鉄鉱であったが、歩いた割に感動が少なかったのではないかと思う。「地層の分布」を見るような巡検は、様々な階層の参加者をかんがみれば、余り適当ではないかもしれない。幸い天気はよく、「ハイキング」としてはちょうど良い距離であった。

{松井 正和}(参加者 30名)

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第170回 秩父盆地皆野付近の第三紀層と化石 1983年8月10日

雨天決行。皆野荒川右岸の出牛-黒谷断層,前原の不整合を観察.大渕での化石採集。

(参加者 110名)

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