地学団体研究会埼玉支部 HP版 「みんなの地学」 自然と人間 岩殿丘陵は古代の大窯業地帯
|
|||||||
岩殿丘陵からは、須恵器を焼いた多くの窯跡が確認されています。その理由は、岩殿丘陵には土器に適した良質な粘土が採れたこと、窯を築くのに適したなだらかな斜面があったこと、窯焚きに必要な薪が十分にまかなえる森林があったことです。須恵器は、ロクロを挽いて形を作り、窯を築いて高温で焼くなど専門技術と知識をもった職人の手によるもので、工人たちの集落もありました。鳩山町の赤沼古代瓦窯跡遺跡では窯跡が復元され、自由に見学できます。 須恵器はこれまでの土器と比べて、水を通さないことから水甕には最適であり、薄いのに割れにくいので日常の食器としても広く利用されたのです。さらに瓦の生産も行われ、勝呂廃寺(坂戸市)などの古代寺院や武蔵野国分寺にも供給されました。7~8世紀にかけて岩殿丘陵地域は、山間のあちこちから須恵器窯の煙がのぼり、窯から瓦を運び出す人、武蔵国分寺と行き交う人々であふれていた大窯業地帯で、その規模は関東でも最大といわれています。
引用文献 「みんなの地学」目次 に戻る |
□□ (c) The Saitama Branch of the Assosiation for Geological Collaboration in Japan □□ |