地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第571回~第580回 (2025年11月~2027年3月)


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第571回 春日部 古隅田川旧河道の謎
                 2025年11月16日

 秋晴れにはやや日差しが強めの朝、八木崎駅に27人の参加者が集まった。集合時間30分前には、既に半数以上の人が集まっており、やる気の高さが伺える。
 駅を出発し、はじめに八幡神社に向かった。御神木の大イチョウが色づく中、力石を見学した。埼玉県には力石が多くみられ、日本最古の力石も久喜市の八幡神社にあるとのこと。折しも今日は七五三で、神社は大盛況。かつて同じように賑わう境内で、力石を持ち上げて力試しをする人々の様子を想像しながら、江戸当時有名だった力持ち・三ノ宮卯之助の話を伺った。また、春日部市内の力石(多くが安山岩)が、利根川を通して運ばれた榛名山や赤城山由来の岩石であるというお話も興味深かった。
 境内の稲荷神社に向かって斜面をのぼると、足元が砂地になっている。県の天然記念物である浜川戸砂丘だ。高さ5mもある砂丘の頂上に登った。河畔砂丘の形成条件には、たくさんの砂が供給され乾いた状態で露出する河川・砂を飛ばす強い風・砂が貯まりやすい障害物となる地形が必要とのこと。埼玉県東部地域において特に河畔砂丘が多く分布しているのは、冬の利根川流域がこれらの条件をよく満たしているからとの説明に納得した。大量の砂の供給源として、榛名山や浅間山の火山活動が挙げられており、力石・浜川戸砂丘ともに、利根川とその上流の火山活動によってもたらされていることが分かった。
 八幡神社には、御神木の大イチョウの他にもたくさんのイチョウが植えられている。遊具広場に集まり、イチョウの歴史や名前の由来、葉の形と進化の関係について説明を受けたのち、観察を行なった。特に、葉の形(切れ込みの程度)に幾つかのタイプがあることや、1本の木の中でも、古い枝や枝の根元には切れ込みの少ない葉が多い一方、新しい枝や枝の先端には切れ込みの深い葉が多いという内容に、「家の近くでイチョウの木をよく見かけるのに、気づかなかった」との声が多く聞かれた。できるだけ多くのタイプを探しながら、広場内のイチョウの木を熱心に観察していた。広場内では、すべてのタイプの葉を見ることができたようだった。
 日差しを避けながら、広場や隣の八幡公園で昼食をとり、午後の部に突入だ。
 八幡公園内で、富士塚の上に建てられた浜川戸浅間神社の説明を受けた。富士塚は、民間信仰の1つである富士講における、信仰の象徴として各地に築かれたもので、浜川戸浅間神社の富士塚は、周辺の富士塚の中で最も大きいとのこと。説明板には高さ8.2mとあるが、見たところもっと高そうである。そこで富士塚の高さ計測大会が開催された。2〜3人のグループに分かれ、ストローと重り付きの紐を貼り付けた道具とメジャーを使って、目線の高さを確認しながら富士塚の高さを計測した。チームで協力しながら真剣に取り組んだ結果、簡易的な計測だったにも関わらず、どのチームも優秀な計測結果だった。優勝チームには、限定版フィールドノートの賞品が進呈された。
 この時点で進んだ距離は、全ルートの1/8程度である。「これから、ひたすら歩くんだね」と覚悟しながら、次の観察地点へと歩みを進める。南栄町第一近隣公園では、グラウンドの周囲にメタセコイアの並木が見られた。日本人の三木茂博士が化石から発見し名付けた名前の由来や、「生きている化石」として中国で発見され、種子や苗が日本に渡ってきた歴史などの説明を受けた。また、セコイアやラクウショウ(沼杉)と異なり、葉序や鱗片の付き方が十字対生を示すと聞き、皆さん葉の付き方や落ちている球果を真剣に観察していた。
 古隅田川公園遊歩道に向かって、紅葉を楽しみながらひたすら歩く、歩く。遊歩道は、古隅田川の堤防跡に整備されたものである。当時の古隅田川旧河道は、200mを越える大河であったとの説明に驚き、川の堆積物によって堤防の外側よりも堤防の内側の方が土地が高く、住宅がたくさん見られる点が印象的だった。また、堤防の築堤時期が不明とのことだが、堤防内に伐採されたばかりの切り株があったため、「年輪から築堤時期が推測できないか」などと話していた。
 古隅田川旧河道では頻繁に洪水が発生していたために、洪水によって形成された地形が見られるとのこと。クレバススプレーや押堀(おっぽり)の説明に聞き入っていた。遊歩道の終点付近では、押堀を間近で見学することができた。以前の地ハイでは、金網越しに藪の隙間からの観察だったため、想像よりも大きくて立派な丸池状の押堀に感銘を受けた。土地の持ち主の方によると、洪水の際に決壊した水が家のすぐ前を流れていき、家は被害を免れ、その跡として押堀が残ったとのことだった。このお話を含め、貴重な資料として押堀を残せたらと思う。その後、豊春駅まで歩き、解散となった。終始、風もなく地ハイ日和の一日。皆さん、お疲れ様でした。

(地ハイ係 竹内幸恵)(参加者 32名)

 
平社さんの説明を聞く
八幡神社でイチョウの説明

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第572回 多摩川で化石採集の1日   2026年2月15日

 天気予報では連日、「この冬、太平洋側では雨がほとんど降らず、記録的な水不足となっています。」と言っていたはずなのに…12月21日は雨天延期、2月8日は降雪で延期…なぜなのか。打って変わって4月並みの陽気となった2月15日、第572回の地ハイは3度目の正直でようやく開催された。
 インフルエンザが猛威を振るう中、数人の欠席者が出たものの、立川駅には多くの参加者が集合した。今回は小中高校生優先とあり、半数近くが小学生以下という近年稀に見るフレッシュな年齢層。元気溢れて、朝から半袖である。人数が多いため、二班に分かれてバスに乗り、多摩川の左岸側にあるSpot1の川原を目指した。
 Spot1の川原ではA・B2つの班に分かれて、交互に化石採集と化石模型作りに挑戦した。
 この辺りの河床には、約160万年前の小山田層の砂層が露出しており、そこから内湾の干潟に生息する貝の化石が多数産出するとの説明を受け、早速化石採集に取り掛かった。大人も子どもも真剣で、ハンマーを持つ手に力が入る。何かが見つかると「先生!」と案内者に見せて、貝の種類を聞いている姿があちこちで見られた。オオノガイ・カガミガイ・マテガイなど、大物の貝化石がいくつも見つかっていた。私も大きめの貝化石を発見したが、喜びも束の間、露頭から掘り出すのに失敗し壊れてしまった。悔しい。
 化石模型作りでは、まず4つの貝化石を目の前に「本物はどれだ?」というクイズが出された。どれも本物っぽくて、選ぶのが難しい。本物は1つで残りは着色した模型と聞き、皆驚きつつ、「今からこれを作るのか!」とワクワクし、やる気メーターもMAXになる。作業の説明を受け、材料・道具一式を受け取った後、それぞれ作業を開始した。水で十分に湿らせた貝化石を紙粘土に押し付けて型を取り、水で溶いた石膏を流し込む。石膏も水も必要量を分けて用意してもらっているため、失敗なく流し込めた。乾くまで時間がかかるため、型抜きと着色は、帰宅後家でしてもらうとのことで、持ち帰った皆さんの模型がどのような色で塗られたのか、完成形が非常に気になるところである。
 化石採集と化石模型作りが終了後、川沿いの道を下流に向かって歩き、残堀川緑地公園で昼食を取った。昼休憩中も、子どもたちは鬼ごっこ等で大いに走り回っている。午後の分の体力は残っているのかと心配になりつつ、おばさんは体力温存に努めた。
 午後は、公園からさらに下流の立日橋を渡り、右岸側の川原に向かう。この辺りの河床には約140万年前の連光寺層のシルト層が露出しており、河口付近の汽水域に生息する小型の貝化石がザクザク見つかるとのこと。有名な場所のようで、他にも同じようなグループが化石採集を楽しんでいた。ぬかるんだ場所のため、長靴を履いてハンマーと平タガネを持ち、いざ出陣と採集を始める。確かに、1つ岩塊の中にたくさんの小さな貝化石が見つかった。壊れやすいのか、全体が綺麗に残っているものは少なかったが、ヌマコタキガイが非常に多い印象を受けた。ここでも、案内者の周りで、見つけた化石の鑑定会が始まった。すると、なんと頭部から背骨までが残った魚の化石を見つけた人が現れた。大発見である。今後、魚の種類が同定されるのが楽しみだ。
 Spot2を出発し、近くの仲田の森蚕糸公園でまとめを行った。
 2つの地点の地層の時代と堆積環境について説明を受けた。化石の種類の違いから堆積環境が分かることや、そこから、この辺りが周期的に陸(川)になったり海になったりしてること、なぜ標高の低い下流側に新しい時代の地層が露出しているのか等の解説を皆さん興味深く聞き、質問していた。また、Spot2で見つかった魚の化石や植物片の化石も紹介された。最後にSpot1で採集されたいくつかの化石を景品とするじゃんけん大会が開催され、解散となった。
 2度の延期を経たが、むしろ当初の12月に実施するよりも暖かく、化石採集日和の最高の天気になったのではないかと思う。朝から元気いっぱいだった子どもたちも、途中でパワー切れになることなく最後まで参加していた。小さい身体のどこからそんなエネルギーが生まれるのか、うらやましくも感じる。自分で採取した化石と自分で作った化石模型、2つのお土産と今日の経験を楽しい思い出として大切にしてもらえたら嬉しい。また、このような小中高校生を対象とした地ハイを通して、地学や身近な地質に興味を持つ子どもたちが増えることを心から願う。

{地ハイ係 竹内幸恵}(参加者 43名)

 
どんな化石が採れたかな
化石採集

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第573回 早春の嵐山渓谷 山地と平野をみる
                    2026年3月22日

 3月の地ハイは嵐山町の嵐山渓谷の周辺の地質や地形を観察しました。ここは秩父の山地を作る古い岩石と関東平野を作る新しい地層が接しているような場所です。
 武蔵嵐山駅から南西方向に1.5kmほどのところにある千手堂バス停がスタート地点で、案内は関東山地研究グループの方々です。
 千手堂バス停から300mほど歩いたところが最初のポイントでした。露頭はありませんでしたが、山地と平野を分ける八王子断層を想像しながら地形を観察しました。断層を推測する資料となる重力異常図の説明もありました。また、すぐ近くにある謎の深い谷もいろいろ想像しながら竹藪の奥に観察しました。
 推定断層を越え、大平山の山麓を山の斜面に顔を出している片岩を横目に見ながら嵐山渓谷へと向かいます。槻川の流れる嵐山渓谷では、その三波川変成岩の石墨片岩、赤レン石片岩などが露頭で観察できました。石墨片岩には変成度の高いことを示す点紋を見ることができました。河床には小さなポットホールもいくつか観察できました。また、河原となっている場所では数種類の片岩やチャート、緑色岩などが見られました。
 河原で岩石を観察したのち、来た道を少し戻り、槻川渡るための飛び石を観察しながら渡りました。ここで使われている石材は緑泥石片岩で、片理面に垂直にカットされた断面に波状に褶曲したような構造やつぶれた枕状溶岩の構造も見ることができました。
 飛び石から下流側にはキャンプ場にもなっている広い河原が広がっていました。少し下流へ歩くと、川の対岸に礫岩の露頭が見られました。それはそれまで見ていた変成岩とは違う新しい時代の岩石で、山地と平野を分ける断層を越えたことが実感できました。地形図を見ると、最初のポイントの八王子断層(推定)の位置とよく一致しています。
 都幾川と槻川の合流点の少し下流の橋の上では段丘地形などを観察しました。
 最後に畠山重忠の居館とされる菅谷館跡を訪れ、段丘地形を利用した城郭を見学し、すっかり春の景色となった嵐山渓谷の一日が終わりました。

{地ハイ係 栗原}(参加者36名)

 
嵐山渓谷を歩く
菜の花に囲まれて
嵐山渓谷にて

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第574回 続・川越台地の縁をあるく  喜多院から北へ
                      2026年4月19日

 

{地ハイ係 ○○}(参加者 〇名)

 

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第575回 千葉・木下貝層をめぐって    2026年5月17日

 
 

{地ハイ係 ○○}(参加者 ○○名)

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第576回 三浦半島 小網代の森  2026年6月7日

 

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第577回 和光市牛王山のおいたち  2026年10月18日

{地ハイ係 ○○}(参加者 ○○名)

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第578回 秩父札所の地学めぐり その15
   秩父札所1番から5番
   2026年11月15日

 

{地ハイ係 ○○}(参加者 ○○名) 

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第579回 飯能台地の地形と湧水   2026年12月20日

 

{地ハイ係 ○○}(参加者 ○○名)

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第580回 寄居の福田川原 川原の石しらべ   2027年3月21日 

 

{地ハイ係 ○○}(参加者 ○○名)

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