地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第291回〜第300回(1995年9月〜1996年7月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第291回 埼玉東部の地域災害を考える−地震災害−(岩槻北陵高校)
            1995年9月3日

 今回は珍しく9月の地ハイ、それも第一日曜の実施となりました。テーマは「地震災害」、今年1月の兵庫県南部地震をきっかけとして関心を集めている内容です。ちょうど9月1が「防災の日」であり、このテーマが再び注目を集めている時期であるということで設定した、ということです。
 当日は講演、室内での実習、最後に野外での実習というプログラムで、場所は岩槻北陵高校を使わせていただきました。まず午前中は埼玉大学の角田氏の講演、テーマは「兵庫県南部地震の被害、埼玉県東部の強震帯と液状化現象予測」で、多くのスライドを使い、神戸の様子や埼玉の綾瀬川断層の話などが聞かれました。特に後半の話しにてついては、講演後多くの質問が出されており、関心の高さが感じられました。
 午後は地形図を使って岩槻周辺の地形断面図を作り、それを元に学校から東武野田線東岩槻駅までを歩いて地形の観察を行い、この地域の断層について考えました。
 平野中央部の地ハイというのはなかなか難しいことが多いのですが、じっくり地形を見ながら歩くということが大事なことであると感じました。

(参加者71名)

角田氏の講演 

このページの最初へ

第292回 神流川流域の秩父累帯北帯をたずねて−群馬県万場町−
             1995年10月28・29日

 秩父盆地の北西にあたる万場町周辺は関東山地団研グループによってここ10年余り調査が行われてきた地域です。今回はその成果の「おいしいとこだけ一番搾り」といった感じで2日間で多くのポイントをまわりました。山深いこともあって、いつものハイキングスタイルではなく、車に分乗しての見学となりました。また、団研でお世話になっている万場町の方々へ活動の成果を知ってもらうおうという普及会も兼ねて行われました。
 1目目は秩父から万場町にぬける土坂峠の林道で、この地域で最上位にあたる上吉田サブユニットを観察しました。チャート質砂岩の角礫や石灰岩塊を含む泥岩で、この場所からは化石は発見されていませんでした。ところが、参加者の方が熱心に探した結果、石灰岩からウミユリやフズリナを発見することができました。
 午後の「普及会」は万場町の公共施設「コイコイアイランド」で行われました。町の教育委員会の方が広報等で宣伝してくれるなど、とても親切に対応してくれました。あいにく防災訓練などの諸行事と重なってしまい、参加は少なかったのですが化石の鑑定を依頼するなど、町の人の意識の高さがうかがわれました。普及会では団研の活動やこれまでの成果が分かりやすく説明され、自然の中でみんなでワイワイやりながら調査する楽しさが伝わってきました。お話の後の観察会では実際の岩石標本や薄片を見たり、万場町の航空写真を立体視するなど、次の日のコースの事前学習に役立ちました。
 宿泊はコイコイアイランドの近くの「今井屋旅館」で、趣のある老舗旅館でした。ご主人が化石に興味があり、ショーケースに多くの化石が展示されていました。更に部屋の置物も化石という力の入れようで、夕食を兼ねた宴会の席では地学に関する話題に花が咲きました。
 次の日は普及会に参加した中学生も加わり、午前中は御荷鉾スーパー林道沿いに柏木ユニットの層状チャートに貰人したドレライトシート(緑色の塩基性岩)、西御荷鉾ユニットの泥岩に含まれる砂岩シルト互層中の生痕化石、三波川帯御荷鉾緑色岩類である玄武岩質枕状溶岩を観察しました。特に生痕化石の採集では、どれが生痕か分かりづらく戸惑っていましたが、標本や化石の出る岩相が分かると次々に見つかり、研究している小幡さんも喜んでいました。
 午後は神流川河床で、万場サブユニット中の玄武岩質塊状・枕状溶岩と石灰岩礫を含む凝灰岩を観察しました。万場高校付近の河床で枕状溶岩の観察をしましたが、なかなか枕のように楕円形をしているものは見られませんでした。麻生では凝灰岩の中に豆腐の切れ端のような石灰岩礫が入っており、火山島のサンゴ礁が崩れてできた岩石のようで、巡検最後の良いおみやげになりました。
 2日目は天気予報では雨ということでしたが、時折小雨が降る程度で巡検には差し支えありませんでした。移動の途中に車中からみる湿った感じの紅葉が印象に残りました。予定通り、3時半に麻生の河原でまとめをし、解散となりました。
 今回の地ハイは車での移動のためポイントが多く、忙しかった気がしますが、一通りこの地域の地質を学ぶのには大変良い機会でした。また、化石も岩石も多種多様で、現地に行かないと理解できなことを再認識しました。関東山地団研の皆さんありがとうございました。

(参加30名)

コイコイアイランドでの「普及会」
神流川河床で万場サブユニットを観察

このページの最初へ

第293回 荒川中流域の自然と河原の石の観察−熊谷市久下−
            1995年11月19日

 今回は久々にトン汁を行いました。場所は熊谷市の久下橋下の荒川の河原です。もちろんトン汁だけやったわけではなく、きちんと地学の勉強もしました。テーマは2つで(といっても関連のある内容ですが)、1つは水害です。この地域では50年前や60年前の台風のときなどに堤防が決壊し、大きな被害がでました。その記録の説明板があり、初めにその場所でのその水害についての説明がありました。
 その後、久下橋まで約2km強の距離を歩きました。風もなく簿やかな天気で、とても気持ちのよいハイキングでした。久下橋に着いて一休みした後、もう一か所水害の跡を見学して、昼食・休憩となりました。当初の予定ではトン汁は最後行うはずでしたが、材料がたくさん集まりすぎたので、お昼にも一回トン汁を作りました。
 昼食の後はもう1つのテーマである礫調査を行いました。今まで何回か荒川沿いの場所で礫調査を行ってきましたが、この場所が一番下流の地点になります。また1つデータが増えました。10月に今回の下見を行い、そのときに段丘礫層の礫(過去の河原の礫と考えられる)についての礫調査を行ってあるので、今後その結果との比較を行い、検討していきたいと思います。
 今回地ハイを実施した久下橋付近は、荒川扇状地の末端あたりに位置するのでしょうか。下流に架かる大芦橋より下流の河原では、礫の堆積はほとんど見られません。
 今日は新しい試みを織り込んで石の仲間わけをしました。
その第1は、川の流れに平行に、川岸から2mの所にA、そこから4mおきにB,C,‥‥‥Fの長さ5mの側線をもうけました。第2は、それぞれの測線に沿って長径3cm前後以上の石を200個拾い上げる。第3は、礫種分けの後に礫径ごとに集計する。集計の結果は表とグラフにまとめました。
 礫種については、荒川の上流の礫種構成と一致しています(砂岩とチャートを主体として、緑色岩、花崗岩類、結晶片岩、ホルンフェルスを含む)。礫の大きさの様子を見ますと、全体的に径3.2〜6.4cmの石を中心に正規分布する傾向があります。しかし、DとF(川岸から14mと21m)の位置では径6.4〜12.8cmの石が中心になっています。
 最後にもう1回トン汁を作り解散となりました(トン汁作成には浦和市の小松さんご夫婦に多大な御援助頂きました。記して感謝いたします)。

(参加37名)

礫調査の様子
熱々のトン汁

このページの最初へ

第294回 冬の川口丘陵をたずねて−八王子・北浅川−  
            1995年12月17日

 今回は埼玉を離れ東京の八王子市にやってきました。場所は八王子北部の川口丘陵の先端部、北浅川の河原です。この地域には第三紀末〜第四紀初期の地層(加住礫層とよばれています)と中生代の地層(小仏層)が分布し、今回の見学地点ではこの2つの地層の境界部もみられます。当日は、この付近を調査しその成果を論文として発表したばかりの、関東平野西縁丘陵グループに案内をしていただきました。
 八王子駅からバスで約30分、バス停から15分ほど歩いて北浅川の堤防上に着きました。初めに、日程・コースの説明がありましたが、そのあとに「ここから見られる西方の山並みをパンフレットの表紙にスケッチしましょう」という課題(?)がだされました。どうりで表紙がさっぱりしていると思いました。
 この加住礫層は、埼玉では加治丘陵などに分布する飯能礫層とはば同じ時代の地層で、顔つきも似ています。ともに円礫主体の地層です。しかし細かくみるといろいろな違いがあります。例えば礫の種類が異なっています。後背地(礫を送る地域)の違いを反映しています。
 少し上流にすすむと、この礫層はしだいに粘土層や角礫層にかわっていきます。これらのことば関東平野のできはじめのできごとを考えるのに重要な特徴で、それが今回の地ハイのテーマであり、案内者である西縁丘陵Gの研究テーマでもあります。
 昼は前回同様トン汁、ちょうどよい分量で体もあたたまり、快適な一日を過ごすことができました。

(参加42名)

北浅川の川岸に露出する加住礫層

このページの最初へ

第295回 恐竜の体重測定と化石のレプリカ作り(宮代高校) 
             1996年1月21日

 地ハイというともちろん野外での見学が中心ですが、一年に1〜2度は室内で実習を行うことがあります。今回は県立宮代高校で「恐竜の体重測定」と「化石のレプリカ作り」の2つの実習を行いました。案内者(講師)は野尻湖友の会の加藤禎夫氏と間島信男氏です。
 午前中は恐竜の体重測定を行いました。といっても、“ジュラシック・パーク”ではないので、本物の恐竜を連れてきて測るわけではありません。恐竜の模型を使い計算で求めていきます。模型は大英博物館の恐竜模型を使いました。この模型は厳密な科学的復元の元に作成されているので、姿・縮尺がともに正確であります。まず、その模型の体積を測り、縮尺から逆算して実際の恐竜の体積を求めます。大部分の動物では密度(重さ÷体積)がほば『1』であるので、その恐竜の体積がそのまま体重になる、ということなのです。体重が求まったらその値をもとに恐竜が食べた食物の量の推定などを行いました。恐竜に対する見方がすこしかわり、身近に感じられるようになりました。
 午後は化石のレプリカ作りです。実際の化石の標本を使い、石膏で型を取り化石を作る、という作業を行いました。手が汚れたりけっこうたいへんでしたが、なかなか楽しい実習でした。

(参加41名)

班ごとに恐竜の体重を、模型を
使って推定し、結果を黒板に書く。

このページの最初へ

第296回 早春の三宅島をたずねて 1996年3月22〜24日

 埼玉県は火山のない県であるため、火山の見学をするためには県外にでなければ話になりません。地ハイでは2〜3年に1度の割合で県外にでて火山の見学を行っています。今回おとずれた三宅島では9年前にも一度地ハイを行っています。古くからの地ハイ会員には懐かしい場所であります。特に係のM本氏にとっては地団研に入会するきっかけとなった、そして地ハイ係になるきっかけにもなった思い出深いところであるのです。
 3月22日午前10時半に東京の竹芝桟橋を出発、三宅島の三池港に翌朝の5時に到着し、宿舎で朝食や仮眠をし、9時に出発しました。この日は主に1983年の噴火の噴出物や噴火口を見学しました。そのときの溶岩で埋まった阿古の小・中学校ではこの時の噴火の凄まじさを感じることができました。恒例の夜のコンパはさすがにみな疲れたようで、参加者は少なめでした。
 翌24日は紡錘状火山弾・灰長石・かんらん石などの採集をおこないました。教材としても使えるものがいくつもみつかりました。また、新島起源と考えられている火山灰を観察しました。伊豆諸島の火山は大島・三宅島・御蔵島などは玄武岩質ですが、新島や神津島は流紋岩質であり火山灰は白色であるということです。
 おみやげを買い、午後2朝の船で阿古湾から島を離れ、東京に向かいました。

(参加45名)

記念写真

このページの最初へ

第297回 陽春の黒浜沼と蓮田の自然をたずねて 1996年4月14日

 今年は春の訪れが遅く、入学式を待つか待たないかで散ってしまう桜が一週間遅れでちょうど満開でした。蓮田駅から元荒川に向かう途中、国道122号バイパスの建設にともなって、ちょうど遺跡発掘が行われている現場に寄りました。蓮田は「黒浜式土器」に代表されるように縄文時代の遺跡が多く、ここも約5,000年前の縄文侮進期に荒川沿いの海辺で、縄文人にとっては住みやすい環境であったことでしょう。
 駅のある台地から元荒川に下ると川島という所に出ます。地名の通り、川沿いに高くなっている「自然堤防」と呼ばれる地形です。畑の畔で「検土状」という1mほどの金属の棒を地面に突き刺し、土地が砂質であることを確認しました。ここの元荒川沿いの桜はみごとでした。
 川を過ぎ、比高10mほどの坂を登ると今までの住宅地とは一転して昔ながらの屋敷森のある堀之内という地区に入ります。環境保護地区ということですが、屋敷森に通じる小道の新緑の雑木林は、なんともよい香で大宮台地の昔を感じさせます。ローム層の切り通しを抜けると台地を小川が削り込んでできた谷地の谷頭に出ます。開口部に向かって谷地沿いにヨシなどの植生を見ながら黒浜沼のある谷地の本流に向かいました。
 黒浜沼は谷地の出口が、自然堤防に堰止められてできた沼です。付近の団地からは生活排水が流され、住宅地造成のために埋め立てられる谷地を見て黒浜沼の将来が危ぶまれました。午後は谷地が水をかなり含んだ泥炭層からできていることを検土杖で調べて、宅地造成による谷地の埋立の危険性を考えた後、蓮田高校に向かいました。
 高校では「日曜地学の会」の総会を行い、係長交代の挨拶をはじめ、新役員による進行のもと、95年度の報告と96年度の計画が提案されました。今年は地ハイ300回記念について記念品のための基金設置や、一泊巡検のやり方について議決されました。

(参加65名)

屋敷森のある堀之内地区

このページの最初へ

第298回 新緑の嵐山渓谷をたずねて −嵐山町・小川町− 
             1996年5月19日

 今回は槻川が作った嵐山渓谷を歩きながら、三波川変成岩の観察と河原の礫調査を行いました。三波川変成岩は長瀞に見られるような、地下の圧力によって押しつぶされてパイのように一方向に剥がれる性質を持った岩石です。武蔵嵐山の駅から坂道をアップダウンして数km先の槻川に着きました。渓谷というだけあって、両岸は急な結晶片岩の崖になっています。釣人の邪魔にならないように?ハンマーでたたくとピンク色〜オレンジ色の結晶片岩が採れます。長瀞の親鼻橋では天然記念物に指定されている「紅廉石片岩」です。親鼻ではこの紅簾石片岩上に「おう穴」と呼ばれる丸い穴が開いてます。川底のくぼみに入った小石が長い年月の間にくぼみを広げたものですが、ここ槻川沿いでも大人の背丈ほどもある深いおう穴を観察しました。嵐山渓谷は川幅が狭く、結晶片岩の岩畳も小規模ですが、「ミニ長瀞」といってもよいでしょう。渓谷沿いにあるお墓の墓石はみんな緑色の結晶片岩でした。
 河原の礫調査では上流に分布する御荷鉾緑色岩や、秩父中古生層の岩石を反映しており、支流が流れ込まないせいか緑色岩中心の分かりやすい構成でした。お昼には過去の地ハイのパンフや書籍の販売が行われました。重い思いをして運んできましたが、殆ど売れて好評でした。
 午後は休憩所の下の河原に下りて結晶片岩中に含まれる黄鉄鉱の採集をしました。直径数mmほどの小さな結晶ですが、きれいなさいころ型をしているものもあり、緑色の結晶片岩中の金色の輝きは子供達に大好評でした。
 今回は帰り道を含めると20km弱のアップダウンのある長い道のりをてくてく歩きましたが、参加した人には好評でした。地ハイの基本はハイキングなんだと感じました。

(参加73名)

結晶片岩中に含まれる黄鉄鉱の採集

このページの最初へ

第299回 国立科学博物館で
      日本の鉱山文化と鉱物、脊椎動物の進化
を勉強しよう 
            1996年6月16日

 いつも雨に悩まされる6月の地ハイですが、今回は上野の科博で行われた特別企画展「日本の鉱山文化」に合わせて鉱山と鉱物、そして脊椎動物の進化を勉強しようということになりました。8月の秩父鉱山に向けた意味もありましたが、案内して下さった科博の鈴木先生の説明で、江戸時代からの鉱山開発の歴史がよくわりました。展示は絵巻物や鉱山道具が中心でしたが、丁寧に説明して頂き、同じ入場券で10倍ためになった感じでした。
 展示の入り口には兵庫県生野鉱山での採掘の様子を示す鉱山の縦断面模型があり、縦横無尽に広がる坑道での採掘の様子はまるでアリの巣穴のようでした。なお、模型に使われた鉱石クズ(ズリ)は生野鉱山から取り寄せたという力のいれようです。当時鉱山は日本の技術・文化の中で最高水準の場であったということです。鉱山道具の送風機は「とうみ」に、水を掻い出すポンプは潅漑用具に転用されたそうです。
 脊椎動物の進化は常設展で行いましたが、展示されたレプリカの特徴を押さえて進化の過程でどう変化していくのか分かりやすく説明してもらいました。素朴な質問も多数出て和気あいあいとした雰囲気でした。特に人類の進化ではサルと人間の頭骨の違いからわかる筋肉の付き方と、それによる脳発達との関連に興味深いものがありました。口頭での説明もさることなから、パンフには図版中心のためになる説明がいくつも入っていました。
 今回はお昼時に300回記念基金を募りましたが、大勢の方が出資して下さって記念誌作成に明るい展望ができました。みなさんのお気持ちに大変感謝しております。

(参加152名)

このページの最初へ

第300回 地ハイ300回記念 貝化石の同定・講演会 1996年7月21日

 今回は地ハイ300回記念企画の第1弾として川越商業高校で実習と講演を行いました。
 午前の部では、化学実験室で“成田層に産する貝化石のクリーニングと同定”について橋屋氏の指導で実習を行いました。ビデオで化石の産状の説明を受けたあと、事前に採集して頂いた試料を用い、ふるいや歯ブラシ・針などを使ってクリーニングし、さらにパンフや図鑑を使って貝化石の鑑定を行いました。クリーニングにやや時間がかかり、化石の同定に十分を時間が取れませんでしたが、この貝化石の種類から、約15万年前の海水温は現在の東京湾とほぼ同じであることが分かりました。
 午後の部は、部屋を視聴覚教室に移動し「埼玉の地質」と「地ハイ300回のあゆみ」について講演がもたれました。「埼玉の地質」については、中古生層・第三紀層・第四紀層に分け、松岡・岡野・駒井の3氏が最近の研究も盛り込んで解説をされました。また「地ハイ300回のあゆみ」では、小幡氏が地ハイ30年の移り変りを時代を区切って解説されました。会場には、地ハイ300回記念準備会の方々が作成したポスターや懐かしい写真も展示され、地ハイのあゆみを知るうえで大変役立ちました。
 地ハイ参加者にとって、あらためて“埼玉の地質”や“地ハイ”を理解するとても良い機会となりました。

(参加60名)

参加者全員で記念撮影

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ