地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第271回〜第280回(1993年8月〜1994年8月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第271回 夏の皆野町をたずねて  1993年8月22日

 毎年夏休みの8月には一泊の地ハイを行ってきましたが、今回は日帰りの化石採集会としました。せっかくの夏休みなので、多くの人が参加しやすいということを考えたやですが、なんと100人以上の人が集まりました。新聞にのったことも効果があったようですが、とにかく驚きました。ふだんならパンフレットは100部しか用意しないのですが、今回は多めに作っておいて正解でした。
 皆野駅に10時集合、全体説明のあと、第1見学地点である前原の不整合へ向かいました。100人以上の人がいると、道から不整合の崖まで下りるだけでもかなりの時間がかかります。ここでは中新世の秩父堆積盆地のはじまりの様子について考えながら、地層を観察しました。
 嶺松寺で昼食をとり、その北の沢で基盤である古〜中生代の秩父層群の地層を見学した後、今回のメインである小柱の赤平川河床での化石採集です。ここでは昨年の5月に謎の古生物といわれる“パレオパラドキシア”の化石が行田市の田中さんによって発見されました。当日その田中さんに案内をお願いし、現場で化石発見のいきさつについて話をしていただきました。この場所には多くの貝化石もあり、参加者ば暑さの中(といっても例年ほどではありませんでしたが)、化石採集に熱中しました。

(参加者107名)

このページの最初へ

第272回 入間台地の地質と湧泉をたずねて
            −鶴ヶ島市−
 1993年10月17日

 今回の地ハイでは鶴ヶ島にきました。おそらく地ハイでここにくるのはこれが初めてではないかと思われます。台地の上であり、現在住宅地として開発がすすんでいる所であり、観察できる露頭もほとんどない場所です。そこでどのように地ハイを行うか? 案内者の柴崎・小林・楡井の三氏の発想が冴えました。何と“自分たちで露頭を作ろう”ということで、ハンドオーガーで穴を堀り、地下の地層を観察しようということになりました。結構きつい作業なのですが、参加者にとっては未知の経験ということで、何人もが積極的に挑戦していました。次の日は筋肉痛では!なんていう心配も‥‥。
 今回のテーマは湧泉の見学です。高倉池・おかねが井戸・雷電池(かんだちいけ)とめぐっていきました。高倉池・雷電池は公園としてきれいに整備されてしまいましたが、できれば元の姿を残して欲しかったと思います。
 午後は鶴ヶ島北公民館で「入間台地の地質と湧水」という内容の学習会です。
 午前中みてきたことのまとめをしました。特に印象的であったのは2つの湧水帯と2つの扇状地という点で、個人的にはとても興味をもちました。
 なお、その後の反省会では全参加者の1/3以上の人が参加し、大いに盛り上がった会となりました。

(参加47名)

ハンドオーガーで地層を調べる

このページの最初へ

第273回 晩秋の氷川渓谷と多摩鉱山  1993年11月21日

 週末のたびに雨になっている11月、ちょうど今回も前日の土曜日から雨となりました。雨は当日の朝になってもやむことはなかったので、多くの人が地ハイをあきらめたようです。何と集合場所の奥多摩駅に集まったのは案内者・係を含めて12人でした。しかし雨もあがってしだいに天気も良くなり、予定通りの実施となりました。
 今回は鉱物採集と礫調査がメインでした。午前中は奥多摩駅の裏山、という感じの多摩鉱山でマンガン鉱物を探しました。ピンク色のきれいなものがいくつかみつかりました。どんどん沢をつめていくと、鉱山跡の穴がみられます。詳しい記録ほ残っていないのですが、1940年代にほ盛んに採掘されていたようです。
 午後は途中で奥多摩ビジターセンターに寄った後、多摩川の河原におりて地層観察と礫調査です。多摩川での礫調査は初めてであり、なかなか興味深いデータがでました。参加者の少なかったのが残念一日でした。

(参加12名)

このページの最初へ

第274回 初冬の入間川と天覧山をたずねて  1993年12月19日

 今まで地ハイで何度もおとずれている飯能ですが、今回はいろいろなものをみました。(第三紀末期?〜)第四紀前期に堆積した飯能礫層、古〜中生代の秩父層群の地層、現在の川の堆積物(河床礫)、そしてコース途中では飯能市郷土館で歴史時代の飯能の様子も見学しました。なかなか盛り沢山の一日でした。
 第一地点の矢久橋付近では飯能礫層を観察しました。この礫層はその中に含まれている礫の種類が特徴的です。砂岩の礫が非常に多く、また飯能付近ではあまりみられない花崗岩やホルンフェルスも礫として含まれています。これらの礫はどこから運ばれたのか?以前から謎とされていた問題で、まだ十分に解決されていないことです。
 その後は入間川の上流地域、及び天覧山で山地をつくる古〜中生代の地層をみました。秩父層群の砂岩やチャートなどです。天覧山からは飯能から遠く東京方面までの展望を楽しむことができました。
 最後は再び入間川におり、河原の礫の調査を行いました。チャートと砂岩がほぼ同じ割合になりました。飯能礫層の礫の種類と比べてみましよう。これで地ハイでの礫調査は10数カ所になりました。そろそろ一応のまとめをしていく時期にきていると感じます。

(参加67名)

班に分かれて礫調査を行う

このページの最初へ

第275回 高山古墳の埋没をさぐる
       −行田市真名板−
1994年1月23日

 今回は加須低地のど真ん中にある高山古墳にきました。低地上ですのでふだんの地ハイのように大露頭で地層観察、という訳にはいきません。そこで、自分たちで地面に穴をあけ地層をほりだして調べようということになりました。以前にも(第272回、鶴ヶ島で)行ったハンドオーガーボーリングです。実際に自分たちの手で調べると新しい発見もあり、今回は黒い“赤土”というものをみることができました。関東ロームは地下に埋まっていると、ふだんみるような赤茶色になっていないこともあるのです。ちょっとした発見でした。
 さて、そもそも何で地学ハイキングで古墳をとりあげるのか? 疑問に思われる方もいるでしょう。この高山古墳は今回の案内者である堀口氏によって、地下に数mほど埋没していることが明らかになった古墳なのです。つまり高山古墳は周辺の加須低地の沈降現象を示しているといえるもので、地質学と考古学の境界領域の分野といえるものです。そしてこのような地域的な現象から、より広い地域の土地の動きを考えることができるのです。そういう面からも今回の地ハイは非常に意義深いものであったといえます。
 なお今回は最後に近くの公民館で(久々の)豚汁大会を行いました。寒い一日を暖かく終えることができました。

(参加63名)

高山古墳を前に説明

このページの最初へ

第276回 地質調査体験ハイク
          −Part 5−
 1994年3月20〜21日

 今回で5回目になる地質調査体験ハイク、今までは夏休みに行っていましたが、実は夏という時期は関東地方では地質調査を行うにはあまり条件がよくない、というかかえって悪い時期なのです(暑い!薮がひどい!虫がうるさい!など)。そこで今回はこの時期の実施ということになりました。
 調査地域は秩父盆地の北部にある吉田町で、4つの班に分かれて沢に入り実際に地質調査を行いました。各々の地域でみられる岩石の見分けはそれほどむずかしくないのですが、自分たちが野外でみたものを記録すること、さらにそれの地層としての広がりや相互の関係を頭のなかでつかむのはたいへんだったようです。
 宿はいつもの「越後屋旅館」です。夕食のあと、班ごとにまとめを行い、全体のまとめは明日として、その夜はコンパです。各々が自己紹介をしたあとは、いろいろなところがいろいろな話で盛り上がり、最後は午前2時か3時頃まで‥‥‥。
 2日日は県立小鹿野高校の地学室にて室内作業です。断面図−柱状図、最後は地質図までですが、ほとんどの人には初めてのことであり、ワカラナイ、ムズカシイの連発でありました。午後3時過ぎに2日間の全体的なまとめを行い、解散となりました。

(参加34名)

このページの最初へ

第277回 見沼たんぽで潮干狩り
          −浦和市三室−
 1994年4月24日

 94年度第一回目は久しぶりに県南での地ハイとなりました。場所は浦和市三室、ここで成田層の貝化石の採集を行いました。“え! 浦和に成田層の露頭のみられる場所なんてあった?”と思う人もいるでしょう。実際、浦和では関東ロームのみられる崖は(わずかに)ありますが、その下の成田層までは露出していません。
 今回は下水道ポンプ場の工事によって地下約20mの所から砂泥とそれにともなって貝化石がびっしりでてきた、ということなのです。参加者は昼食の時間もさいて、化石さがし‥‥、たくさんの収穫があったようです。
 その後、県立浦和西高校に向かい、学習会、そして「日曜地学の会」総会を行いました。93年度の報告・94年度の計画と、「日曜地学の会」の会費値上げが提案され、承認されました。

(参加85名)

工事により掘り出された砂泥中の化石探し

このページの最初へ

第278回 新緑の横瀬町をたずねて
         −横瀬町関ノ入谷−
 1994年5月22日

 今回のコースは「埼玉の自然をたずねて」(築地書館)にも紹介されているコースで、地ハイでも数年前に行ったところです。新たな気持ちでもう一回見直してみよう、というつもりでやってきました。
 この地域に分布する岩石は主に御荷鉾緑色岩類で、他に新第三紀層が分布しています。丸山鉱泉付近がその境界部にあたりますので、ここで曽沢川におりてみました。直接接している部分はみられませんでしたが、御荷鉾線色岩類がやわら
かくグズグズになっていました。新第三紀層とは断層で接しているようです。この断層は秩父盆地東縁部(南半部)の苅米断層にあたります。
 再び、道に戻り二の瀬橋から川の中にはいりました。御荷鉾緑色岩類は海底火山の噴出物とそれにともなう貫入岩などからなる岩石ですが、ここでも溶岩・凝灰岩・凝灰角礫岩・はんれい岩などがみられ、それらをパンフレットのルートマップを参考にしながら細かく観察していきました。
 その後多少道に迷いながらも無事に木のこ茶屋に到着、ここからは地形をみながら芦ヶ久保駅までおりていきました。
 5月とはいえ、とても暑い一日、駅前の店のベンチでの反省会は非常に盛り上がりました。

(参加55名)

二の瀬橋の上流で緑色岩を観察

このページの最初へ

第279回 昔の荒川の流れをたずねて
             −寄居町末野−
 1994年6月19日

 6月下旬といえば梅雨の真っ只中、しかしこれまでの地ハイでは(係の行いのおかげか?)あまり雨に降られることはありませんでした。今回も大丈夫だろう!とタカをくくっていたら、とんでもない、最初から最後までずっーと1日降られてしまいました。以前この波久礼で行った地ハイも同じく雨のなかで行われたもの‥‥、地ハイとこの地域は相性が良くないようです(ちなみに今回は下見の時も小雨模様でした)。
 とにかく朝からかなりの雨、駅に来ているのは係と案内者だけであろうと思いきや、一般の参加者が数人集まっていました。カサをさしての地ハイがはじまりました。
 今回のテーマは幅広く、3万年前の考古遺跡、50万年前の段丘礫層、そして三波川変成岩類です。三波川変成岩類も黒色片岩・緑色片岩・砂質片岩など、いろいろの種類のものがみられました。雨のなか、ほぼ予定通りの見学をし(カットしたのは地形の遠望と礫調査)、予定通りの時刻に解散となりました。

(参加15名)

玉淀ダム下流の変成岩を観察

このページの最初へ

第280回 地団研埼玉総会の絵会巡検と合流
                 1994年7月29日、8月1〜2日

 今回の地ハイは地団研の埼玉総会の巡検に合流という形で行いました。全部で11のコースに55人の地ハイ参加者が集まり、全国の地団研会員といっしょに歩きました。内容は古生物学分野のものから第四紀、第三紀、中・古生代に関するものや化石採集まで、さまざまなものがありました。
 地団研の総会巡検ということで、いつもの地ハイとはひと味ちかったところもあったのではないでしょうか? 今後もこのような、「日曜地学の会」の会員と地団研会員の交流の場が広がればよいと感じます。当日の案内者の方、どうも御苦労さまでした。

(参加55名)

関東山地の秩父帯

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ