地学団体研究会埼玉支部

日曜巡検
(日曜地学ハイキング)の記録

 第21回〜第30回(1968年2月〜1968年12月)


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第21回 荒川中流 小前田付近 1968年 2月18日

案内者:町田二郎氏(男衾小)
参加者:研究者3名 教師10名 大学院・大学生7名 高校生6名 計26名
コース:小前田駅→荒川橋→青岩→板敷→六堰→永田駅

 前代未聞の巡検であった。2、3日前に降った大雪がまだ残っていて、20cmの深さの雪の中を行進したこと、六堰の堰堤(高さ7m)にかかる垂直のはしごをこわい思いをしてのぼったことである。まず、荒川の河岸段丘地形を大観したあと、荒川橋付近の第三系の砂泥互層を観察し、青岩へ進んだ。ほとんど結晶片岩の礫からなる青岩礫岩は全く不思議なものだ。どのようにこんなものができたのか、みんなしばし考えた。
 ここで、ねぼけて川底から出てきた大なまずをつかまえて喜んだり、昼飯を食べたりした後、また雪をざくざく踏みしめて、六堰へと急いだ。途中、凝灰質砂岩がちょっと顔を出すが、露頭は良くない。荒川の流れに沿って着いたところが低い堰堤が右岸から続き、左岸が一部高くなっている堰堤で、これを越えなくては永田駅に行けないという難所である。みんなおっかなびっくりで垂直の鉄はしごをのぼって対岸に渡ったわけである。その付近に露出する第三系の砂泥互層を見学したあと永田駅で解散。

{「秩父の峯」から}(参加者 26名)

雪の河川敷を歩く

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第22回 高麗丘陵のローム層と女影泥炭層 1968年 3月24日

案内者:渋谷 紘氏(川越高)・小林健助氏(秩父二中)
参加者:研究者0名 教師9名 大学生5名 高校生18名 中学生5名 
小学生5名 計42名
コース:高麗川駅→上鹿山粘土採掘場→宮沢湖→仙女ガ池→女影→武蔵高萩駅

 このコースでは上鹿山で多摩ローム層のすばらしい露頭を見学したり、ローム・浮石など採集できたほか、宮沢湖の美しい景色やローム層の下の飯能礫層、仙女ガ池の天然記念物モウセンゴケ、女影の泥炭層を見ることができた。
 初春のポカポカ陽気の中を和気あいあいのうちに歩き、モウセンゴケの小さいのに驚いたり、泥炭の中から昆虫の化石が出ると聞いて、けんめいにさがしたり、充実した作業をめいめい行った。オタマジャクシを沢山みたのも、今年の今日がはじめてであった。

{「秩父の峯」から}(参加者 42名)

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特別 奥武蔵 吾野付近の秩父帯 1968年 4月28日〜29日

案内者:堀口万吉氏(埼玉大学)・村井武文氏(大宮西高)
マネージャー:竹内敏晴(春日部高)
参加者:研究者1名 教師16名 大学生4名 高校生6名  計27名

 堀口・渋谷によって発見された高麗の中生層が更に西の方にないかどうか確かめるという目的で今回の巡検は行われた。
 28日の朝、高麗駅に集合し、おりから降り出した小雨にもめげず2手に分かれ、高麗から吾野の方面にかけての山地にいどんだ。複雑な古生層の構造や地層にとまどいながらも、渋谷氏が苦労してコピーしてきてくれた1万分の1の地形図に観察した事項を記入してゆく。今までの巡検ではとにかく案内者の独演になっていたむきがあったが、今回は参加者一人一人が自主的に、しかも積極的に調べ上げるという形式であるため、意気込みがちょっと違っていた。
 また、女性と中年者の多い第1班は途中で近代的兵器?を使って宿舎に向かったのに対し、第2班はもっぱら、若さと情熱でハンマーをふるい、全行程を徒歩でつらぬいた。途中、思わぬ産物(タケノコ)にとまどった人もいたが、全員無事に夕もやけむる高山不動の宿舎についた。めずらしい山菜を食べながら楽しいコンパをして、明ければうれしい?雨、これさいわいと勉強会となり、正丸をとりまく関東山地やはては日本全体の地質について勉強した。
 そうこうしているうちに、晴れ間が出てきて、またまた2手に分かれて調査しながら下山したが、途中時価数万円?の立派な庭石と重いリュックをうらめしげに見くらべた人もいた。

{「秩父の峯」から}(参加者 27名)

集合写真

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第23回 船橋海岸の巣穴調べと潮干狩り 1968年 5月12日

参加者:研究者1名 教師13名 大学生9名 高校生3名 中学生7名 一般4名 計38名

 生痕の研究をするためには、まず現生の生物の色々な生態を調べなくてはというわけで、昨年から渋谷・小勝・東原・竹内が共同して、東大の大久保さん・埼大の堀口さんなどの指導のもとに研究を続けている。今回は、日曜巡検という場で大ぜいの方々に、生痕研究の意義や具体的な作業のいろいろを理解していただいた。
 特に、この巣穴調べで大変なのは、石膏を穴の中に流し込んで、型をとる作業で、海水が引かないで石膏がかたまらなかったり、また、よく流し込めないで、途中でしりきれとんぼになってしまったり苦心が多い。このような作業は、やはり大ぜいの人が共同で、力を合わせてやらないと成果があがらない。あいにくの天気は、昼ごろに雨があって作業が打ちきりとなってしまったが、潮干がりを兼ねての巡検であったため、めいめい袋一杯。アサリやハマグリを採って、ごきげんであった。帰りがけに、京成電車の「センター競馬場前駅」前で一休みし、ビールなどでのどをうるおしながら今日の成果を語り合った。

{「秩父の峯」から}(参加者 38名)

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第24回 正丸峠〜刈場坂峠の秩父帯 1968年 5月26日

案内者:堀口万吉氏(埼玉大学)
参加者:研究者2名 教師14名 大学生10名 高校生1名 一般2名 計29名
コース:吾野駅→正丸峠→旧正丸峠→批肥平→コクゾウ峠→子の神戸→吾野駅

 4月28・29日の巡検といい、今回といい、どうもこちらへやってくると天気が悪い。吾野から正丸峠までのバスはもうれつな混みようでまいったが、外にでると霧雨が降っていて冷やっとする。峠より尾根伝いに進んでいったが、水がしみ込んでいる土でつるつるすべることすべること。きゃあきゃあさわぐ女性もいる。旧正丸峠へ下るところにピークがあり、そこに石灰岩が露出していたが、目ざとい誰かがさっそく化石(フズリナ)を発見。ここにもある、あちらにもというわけでガンガンとハンマーでひっぱたく。旧正丸峠では、遅れてやってきた堀口大先生がパンフレットをもって待っていた。マネージャーとして、パンフレットのない今日の巡検をどうすればよいか途方にくれていたところ、まったくほっとした。
 さて、霧のため全く見通しがきかない尾根上をお歩くのは面白くなかったが、途中顔を出している古生層の岩石を叩いているとけっこう時間をとる。批肥平の手前の小ピークに店を出している休憩所の強引な客引きに引っかかって、そこで昼飯。かなりの時間がかかってしまったので、刈場坂峠に行くのはやめて虚空蔵峠から新しく開通した林道に沿って子の神戸まで歩くことにした。この道路沿いの露頭は実に見事で、連続的に岩相の移行することがよくわかる。特にリズミックなチャートやきちんと成層した頁岩・砂岩は地層観察の面白味を十分に味わせてくれた。今回も1万分の1の地形図を用いて、参加者一人一人に記入しながら歩いてもらったが、28・29日の巡検で腕をみがいた方は、ますます賢実味を加え、初めての方もマッピングの方法をかなりの程度まで会得された。本日の総括をすませて全員帰途についた。

{「秩父の峯」から}(参加者 29名)

コクゾウ峠の新しい林道を歩く

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第25回 長瀞の結晶片岩 1968年 6月23日

案内者:武井ケン朔氏(秩父自然科学博物館)・村井武文氏(大宮西高)
参加者:教師14名 大学院・大学生14名 小・中・高校生42名 一般1名 計86名

 小林健助先生から初版の「日曜の地学」(1968年4月発行,320円)を買い、「日曜巡検」が6月23日に長瀞で実施されるというので、同級生何人かで参加することになった.
 梅雨時だというのに、いい天気に恵まれた。長瀞は小学校の遠足でも来たところだが、地学の見学は初めてだった。
 野上駅から高砂橋に歩き、その上流側から川原に降りて、岩のごつごつした上を歩いた。岩がうすく剥がれやすい片理という性質や節理という割れ目を覚えたが、その他の難しいことはよく分からなかった。
 曲り淵は深く、岸の岩が高く切りたっていて恐かった。金石の採銅鉱跡を見学した。中学生は坑内に入り込んで遊んだ。赤錆が流れ出しているのが印象的だった。
 採銅鉱跡のあたりからは川の中を歩き、岩畳にいって記念撮影をした。

{小幡喜一(当時中学1年)}
(参加者 86名)

こんなに大勢集まった(岩畳で集合写真)

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第26回 武州日野の第三系 1968年 7月21日

(参加者 78名)

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第27回 男岳・女岳の跡倉層 1968年 9月15日

(参加者 78名)

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第28回 御前山(奥多摩) 1978年10月13日

(参加者 ?50名 雨天中止)

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第29回 武甲山 1968年11月 3日

 集合場所の御花畑駅に行ってみると、山登りの格好をした人がたくさんいた。当時の参加者は、 埼玉大学の学生と教師となった卒業生が中心だったようだ。
 羊山から武甲山に向かった。今は無き、裏参道である。宇根からの道と合わさり急な登りのとっつきのところで、堀口萬吉会員や故・竹内敏晴会員たちだと思うが、秩父盆地南縁の断層のことかなにか、話されていた。それを取り巻いていた人たちも討論に加わり、中学生の我々にはちっとも分からなかったが、こういう人たちと山に登れるのが何だか嬉しかった。
 丸山や上の丸山で休憩して、山頂ではにぎり飯を食いながら、石灰岩の地形の話をしていたように思う。下りは西参道で飯盛山から明るい道を橋立鍾乳洞に下り、 浦山口駅に出た。

{小幡喜一(当時中学1年)}(参加者 60名)

武甲山頂茶屋でひと休みして下山

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第30回 スンプ講習会+葛袋で化石採集 1968年12月22日

 30回を記念して、サメの歯をデザインしたバッジをつくり、100円で販売した。この日はあいにくの雨となり、午前中、川越高で渋谷紘氏によるスンプ法の技術講習会を急遽行った。
 雨があがった午後、葛袋に行き化石採集をした。

{「秩父の峯」から}(参加者 25名)

スンプ法の技術講習会

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