思い出もおぼろげになったが、第1回の堂平、笠山の巡検は未だに印象に残っている。
1965年10月24日というと秋も半ばである。小川町駅より白石行きのバスに乗り、切り通しで下車、栗山赤木方面から流れでる槻川の支流に沿う道を笠山へと向って進む。道は舗装されて居らす土挨が立つ。館の部落へかかる手前の道中に大鳥居が立っている。印象的だ。堀口さんと話しながら進む。話の中で寄居図幅の話が出たが、今のところとてもではないができないとのことだった。笠山へ登る道は栗山部活を通って山道になるのである。赤木部落へ分かれる地点で堀口さんが平野君に、ここらで第一回の説明をしろと言う。平野君達が進論で研究した結果を説明したが、よく解らなかった。
栗山部落の段々田圃の畦に腰をかけて昼食にする。秋の空はよく澄んでいて、赤とんぼがいくつかみえる。食後の果物として持参した柿をほおばる。30分ほど休息して頂上を目ざす。道は急になり赤土が湿ってすべり易い。色づきはじめた木の間がくれに烏の声が美しい。だんだん遅れて吉田幸太郎氏と最後尾を登る。息が切れて汗が出る。頂上の神社の石段の下に一人の男が仰向に寝て、「若い連中は年寄りをいたわる心が少ない、こんな年寄りを一人残して先に登ってしまう、こんな時にブランデーでもあれば元気になるのだがなあ−」と、うそぶいている者があった。後で分ったのだが東大の大久保先生であった。大久保先生との出会いはこれが最初である。急な石段を登って神社に詣でる。ここで堀口さんや大久保さんに緑色岩の話を聞く。基礎知識のない自分には何が何だかはっきり分らない。少休止の後、健脚の若い連中は尾根づたいに堂平山へと向かう。他の者は萩平を経て皆谷のバス停へと向かう。途中、植物採集をしながらすすきの原を分けて下る。皆谷のバス停は東に石灰岩を掘った跡が残っている。
第一回の日曜巡検ではサンプルとして採集する岩石もあまりなかった。ただ見知らぬ人と友達になったのは大きな利益である。これが第一回の日曜巡検の思い出である。
{町田二郎(200回記念総括誌から)}(参加者 41名)
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笠山への林道を歩く |
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当日のパンフレット |
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