堀口会員を中心に、20回をむかえるのを記念して、日曜巡検を1冊の本にまとめることになった。高校生むけの学校でつかう副読本にしようか、一般向けの書店に並べる本にしようかと討論の結盟、一般向けに決定した。それまでに専門家向きの巡検案内書はいくつか出されていたが、一般向けというのは日本で初めてだった。築地書館に交渉したところ、「化石採集の旅」が絶版になっており、これにかわる地学の普及畜をつくろうとしていたので、意欲的に対応していただいた。
コースごとに分担して原稿をかき、書いてもらえないところは事務局で書いた。本をつくる中で、一般市民にわかりやすい文や図をかくこと、普及書の写真の撮り方、コースのとり方など、くふうする点を多く学んだ。できあがった本には、論文以上にすばらしい内容が書かれていた。しかし、今見ると、一般向けとしては、図が少なく専門用語など難しい用語ばかりだ。
この本は、そのころ毎回巡検に来ていた大久保進会員(当時は小学生で、父親の大久保雅弘会員に連れて来られていた)によって、「日曜の地学」と名付けられた。1968年に、320円で店頭にならんだ本の表紙には、赤い文字で「日曜の地学」とあり、赤字になるのではないかと心配したが、その必要はなかった。
また、どうしても高校の副読本に使おうと、紙質をおとしたりして安くつくって利用したが、これが書店から二重価格だと問題にされたこともあった。
「日曜の地学」が出版されて5年がすぎると、改訂の話がもちあがった。
初版は、一般向きといってもかなり内容が高度で、文字ばかりがならび、言葉もわかりにくかった。また、地域開発による変貌や、データが古くなったことで、親しみにくくなってきた。一方、高校では副読本として年に5000〜6000部の需要があり、高校生に使える本にとの要望があった。
親しみやすくするために、どのページを開いても、必ずマンガや写真などがあり、難しい語句にはおくりがなを付けるなどの工夫をした。内容も、前半を基礎編、後半を一般編として、前半部分だけの抜き刷りをつくってもらい高校生用の副読本とした。このときは、出版社側はあまりのる気ではなかったが、地団研がシリーズにするということで、踏み切っていただき、1975(昭和50)年6月に出版された。
「日曜の地学」は、支部会員に具体的な目標をあたえ、まとまりと自信をを持たせてくれた。「日曜の地学」をつくることで、いっそう支部活動がさかんなり、「みんなの地学」の新聞連載や、「ふしぎみつけた」の出版にもつながっていった。何かをつくろうとするとき、支部活動もさかんになってきた。
今までに、「日曜の地学」は、新旧あわせて、20,000部以上の売り上げがあり、地ハイ参加者をはじめ多くの人々に読まれている。また、本を読んだ一般の人達が地ハイに参加してきている例も多い。高校の副読本として使うなかでは、地域性を生かした教育をめざすこと、カリキュラムをつくることの役にたった。生徒は「日曜の地学」をもって、野外実習をおこない、迷いながらも良いレポートを書いた。部活動でも生徒の教師として案内をつとめてくれた。
地域の変貌が大きく、いま市販されている「日曜の地学」は使えなくなった部分もおおい。また、高校の理科T導入により、副読本としての利用もなくなってしまった。そこで、まったく新しい「日曜の地学」を出版するために作業がすすめられている。
今度の本は、実施した地ハイをまとめるというよりは、本の内容を決めてから歩いて書くという方法をとったために、作業に時間をとっている。我々をとりまく情勢はきびしく、歩いて図や文をかく時間がなかなかとれなくなってきている。が、一般市民にひろく浸透するような本を世に出すことが、我々の条件づくりの基礎になるはすだ。また、この本が完成したらば、『絵本版・日曜の地学』もつくろうという話もでている。
日曜地学ハイキングも、ただ漫然とやっているのではなく、参加者に楽しんでもらえるものを追求していくようにしたい。いつでも、まとめて本にするくらいの意識をもって取り組みたい。地ハイの計画でも、今年の目玉、全体の流れ、各回ごとに何を重点におくかを考えなければならない。案内のパンフレットも、そのまま本にできるくらいのものを作るように心がけたい。