地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第251回〜第260回(1991年8月〜1992年7月)


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第251回 大滝村 秩父鉱山と大血川渓谷  1991年8月17〜18日

 毎年恒例の、夏の一泊地ハイ、今回は奥秩父のふもと大滝村にやってきました。
 1日目は中津川の秩父鉱山付近で鉱物採集、2日日は大血川沿いで石灰岩地帯の植物観察を行いました。
 1日目、秩父鉄道の終点三峰口駅から、さらにバスで約1時間半、中津川についたのは昼近ぐでした。バスをおり昼食をとったあと、いよいよ鉱物採集です。まず、山の斜面を登り中津鉱床へ、ズリの中から黄鉄鉱やザクロ石などがとれました。次は山をおり、出合の河原とその上流で、さがしました。ここには大理石がみられ、きれいな方解石がありました。ザック一杯にとっていた人もいたようです。最後に出合の河原で礫調査をしてから、バスで宿に向かいました。
 2日目は始めに荒川の河原で礫調査を行い、その後大血川沿いで植物観察をしました。植物に詳しい地ハイ参加者の石関さんに案内をお願いしました。参加者は地質にも植物にも興味があり、熱心にメモをとっていました。採石場跡の大露頭をバックに記念撮影をして、この場をはなれ、バスで三峰口駅へ向かって解散となりました。

(参加39名)

夜遅くまで話が弾む

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第252回 五日市・養沢鍾乳洞  1991年10月20日

 今回は鍾乳洞見学です。五日市線の終点武蔵五日市駅に集合、そこからバスで約30分はどでした。秋の行楽シーズン ともあって乗客も多く、臨時バスがでたほどでした。
 最初は三ツ合鍾乳洞の見学です。中には照明設備や階段もあり、通路も整備されていて、歩きやすくなっていました。洞窟生成物も多くみられました。外へ出、養沢鍾乳洞に向かう道の途中では秩父帯南帯の砂岩・石灰岩を概察しました。砂岩は頁岩の岩片を多く含む、特徴的な岩相でした。
 河原で昼食をとり、養沢鍾乳洞に向かいました。沢沿いの急な道を20分はど登り、やっとのことでたどりつきました。何グループかに分かれて狭い洞内にはいりました。照明設備はなくネットもないので、鍾乳洞の雰囲気が十分味わえました。鍾乳洞の一番奥で一斉に懐中電灯を消し、暗黒の世界を楽しんだグループもあったようです。帰りも臨時バスにのり、五日市駅までもどりました。

(参加37名)

養沢鍾乳洞入口の石灰岩の崖

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第253回 秩父盆地の南縁
         若御子断層洞と第三紀層
 1991年11月17日

 今回おとずれたのは秩父盆地の南の縁、第三紀層と中・古生層の境界部付近です。秩父鉄道の武州中川駅こ集合、まずは若御子神社へ向かいました。
 神社から盆地の方をみると、長尾根の高位段丘面・中位段丘面、そして荒川右岸の低位段丘面と3段の河岸段丘地形がよく見えました。
 その後、裏の山道にそって少し登り、「若御子断層洞」につきました。断層に沿っての洞窟は世界的にもめずらしいとのことで県の天然記念物に指定されています。入り口から少し中をのぞいただけですが、みごとな断層鏡肌がみられました。この断層等からなる日野断層で断ち切られて、南側の中・古生層が隆起して奥秩父山地をつくり、北側は秩父盆地の第三紀層が分布しています。
 午後は荒川の河原におり、化石採集です。ここでは平仁田層基底の礫岩と砂質泥岩がみられましたが、礫岩には角礫や第三系起源の礫が含まれ、後背地のはげしい動きが想像できます。化石は破片状のものが多く、きれいなものはなかなか採れなかったようです。
 なおこの日は終了後に御花畑駅近くの店で反省会を行い、地ハイについていろいろと話をしました。

(参加45名)

若御子断層洞内部の断層鏡肌を観察
平仁田層の化石採集

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第254回 初冬の長瀞をたずねて
          −樋口〜野上−
 1991年12月15日

 1991年最後の地ハイは長瀞町の樋口〜野上までのコースで変成岩の見学です。真冬の寒い一日、テーマも変成岩の構造という難しいものなので、あまりたくさんの人は集まらないだろうと思っていたら、60人もの参加がありました。改めて地ハイ参加者の熱意を感じました。
 初めに寛保洪水位磨崖標や野上下郷石塔婆などを見学し、その後荒川の河原におりて、変成岩の小構造を観察しました。河原ということで露頭条件もよく、膨縮構造や流れ褶曲、雁行裂罅など、みごとなものが多く見られました。自然の不思議な力を感じました。途中、銅の採掘坑跡の見学を行い、4時すぎに解散になりました。
 その後、寄居で恒例の(?)反省会を行い、一年の締めくくりをしました。

(参加60名)

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第255回 入間にステゴドンゾウのいたころ
          −入間市野田−
 1992年1月19日

 埼玉の地ハイでまた1つ新しい記録が生まれました。今回のメインは今話題の“入間川のゾウの足跡化石”。この化石についてはマスコミでも紹介され広く知られていたようで、今回のことが新開にとりあげられると、私の家や職場に毎日電話の問い合わせが殺到、当日はかなりの人が集まるだろうと予想しつつ、集合の元加治駅に向かいました。電車が着くたびに山のような人がおりてきて、河原におりるだけでも20〜30分かかりました。受付名簿で調べると全体で220人の参加、これは埼玉地ハイの参加者としては最多人数であります。また、このうち新聞を見て初めて参加したという人が100人余り、改めてマスコミの力も知りました。
 さて、こんな大人数ですので全体を4班に分け、各々に班長をつけ、足跡化石発掘現湯に一つのポイント(足跡化石2、地層観察1、植物化石1)を設定して順に案内するという形をとりました。このために、大きな混乱もなく見学会はすすみました。その後、下流で生痕化石の見学をし解散となりました。

(参加220名)

足跡化石を取り囲む大群衆

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第256回 早春の秩父路をたずねて
            −大野原−
 1992年3月15日

 今回は当初の予定(荒川扇状地北端部)を急遽変更し、秩父での河原の礫調査と化石採集となりました。何度となく案内者が、深谷・本庄方面へ下見をしたのですが、地ハイにふさわしい場所がみつからなかったとのことです。それでも、当日は50名を越える参加者がありました。
 河原の礫調査は、横瀬川と荒川(蓼沼付近)の2ヶ所で行いました。
 化石は荒川の河原で採集しましたが、昼食もそこそこに、みなさんハンマーを振るっていました。貝やカニの化石、中にはサメの歯を採集した人もいました。
 観察地点は2ヶ所ほどでしたが、久し振りに長い距離を歩いた地ハイとなりました。

(参加51名)

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第257回 春日部付近の自然史
       +日曜地学の会・総会
  1992年4月19日

 今回は平野の低地帯を歩きました。山の中のコースと違い、風景を楽しむとか、岩石をみる、ということはできませんが、低地は多くの人々の生活の舞台となっているところです。そんな場所の生い立ちを考えながら歩きました。
 まず、春日部市小淵周辺に発達する河畔砂丘の見学です。河畔秒丘とは、川によって運ばれ堆積した砂が風によって飛ばきれて作られた、と考えられる高まりです。河畔砂丘の砂は粒子の大きさがよくそろっており、平野の真ん中になんでこんなきれいな砂があるのか、と思うほどでした。その後、八木崎にある富士塚についたところで昼食としました。富士塚は人工的な高まりで、富士山信仰によりつくられた富士山のミニチュアであるということです。
 この頃から、雨がポツポツと降りだしてきたため、富士塚の見学を早めにきりあげ、春日部高校に向かいました。ここでは「日曜地学の会」の総会を行い、昨年度の報告・今年度の計画、そして礫調査についての話があり、礫調査に役立つ岩石標本板の作成などを行いました。

(参加48名)

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第258回 木下層の貝化石をたずねて
         −千葉県木下−
 1992年5月17日

 今回は埼玉をはなれ、千葉県の木下(きおろし)という所にきました。ここには貝化石を多産することで有名な木下層が分布しており、その木下層の化石が今回のテーマです。
 露頭は一か所のみ、そこで昼過ぎまでじっくり化石採集、その後現地で化石についての学習会を行いました。地層は第四紀更新世後期の砂の層で、およそ10万年くらい前のものです。地層としては新しいので、全体にやわらかい砂層ですが、化石を含む部分はカルシウム分が溶けだしたため、たいへん固くなっていました。そしてその固い部分がとびでていて、化石床の形態がよくわかりました。
 学習会では化石の鑑定のしかた、整理のしかたなどについて説明があり、名前のわからない化石についてはその場で案内者が鑑定をしていきました。現地での学習会というのもなかなかいいものです。

(参加62名)

化石を求めて崖を登る

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第259回 初夏の高麗川をあるく 1992年6月21日

 今回はふだんと趣のかわった地ハイとなりました。案内者の案内する所をみる、というだけでなく、参加者・案内者がいっしょになって一つのことを調べるという企画を行いました。調べたことは河原にころがる礫についてです。今までも何回か礫調査を行ってしましたが、今回は集中的に高麗川沿いの3ヶ所で行ってみました。同じ高麗川沿いの地点ですので、大きな違いはありませんが、すぐ南を流れる入間川に比べると、石灰岩が若干多くなっていました。
 前日まで雨の多い日が続き当日も心配されましたが、何とか一日もちこたえました。ただ、その日までの雨で高麗川が増水し、当初の予定を変更しました。そのため、飯能礫層中の礫についての調査ができなかったのが残念です。是非何かの機会に行ったみたいものです。

(参加35名)

川原の礫調査

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第260回 御荷鉾緑色岩の渓谷をあるく 1992年7月19日

 今回は当初の予定を変更し、都幾川村での地ハイとなりました。八高線明覚駅の西から都幾川を上流に向かい、三波石渓谷までのコースを歩きました。この流域では御荷鉾緑色岩が分布しており、その緑色のためか、都幾川の水もたいへん澄んでみえました。また三波石渓谷は両岸の切り立った険しい地形の場所も平野部から少しはいっただけで、こんな地形の場所があるのか、とびっくりしました。
 岩石は御荷鉾緑色岩の、凝灰岩・溶岩・凝灰角礫岩・枕状溶岩などいろいろなタイプのものがみられました。今回も河原での礫調査を行い、その緑色岩については凝灰岩・溶岩・凝灰角礫岩・はんれい岩などを分類しました。これがなかなか難しく、露頭ならともかく礫での区別は至難の業でした。
 (実質的な)梅雨明けの日、暑さのきびしい、そしてビールのおいしい(もちろん終了後の)一日でした。

(参加40名)

三波石渓谷を歩く

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