テーマ
秩父山地の地質・構造の再検討
発足の経緯
|
日野沢地域を調査していた埼玉大学関係者と当時東大にいた大久保雅弘氏との合同調査が、1957年夏に吉田町石間地区において行われ、この時から秩父帯北帯の調査が進められた。
当時、秩父山地(北帯)の地質は、傾斜する地層の帯状に並ぶ構造(帯状構造)が考えられていた。しかし、秩父山地(北帯)を調査すると、緩いドーム・ベ−ズン構造が考えられた。このような秩父山地の地質構造を具体的に細かく調査するために、団体研究として発足した。 |
活動期間
1957年〜1968年
団研メンバー(支部会員)
埼玉大学地学教室の教員・学生など
成果
-
秩父団体研究グループ(1961)神流川流域の秩父古生層について.地球科学,(57):1-11.
- 秩父団体研究グループ(1963)秩父の地質(概報).地球科学,(68):13-18.
- 秩父地質研究グループ(1966)秩父演習林付近の地質−栃本より上流地域について−.演習林,(16):73-85.
- 大久保雅弘・堀口萬吉(1969)万場地域の地質(地域地質研究報告5万分の1図幅).地質調査所.66p.(地質図付)
- 秩父団体研究グループ(1960〜1961)科学文芸百般季刊誌「ちちぶ」.1〜5号
- 秩父団体研究グループ(1961)武甲山日帰り巡検案内書(巡検案内シリーズ1)
特色
- 地団研の特色として、大学の枠を越えた交流が盛んであった。このため秩父団研には、東大、教育大、埼玉大などの学生が多く参加していた。
- 参加者は学生でも同等な人として、調査結果について自由に発言をすることができた。
- 調査はグループに分かれ、グループごとに沢(ルート)を分担して、毎日ルートマップを描きながら調査した。そして、当日の夜に地質調査路線図をコンパイルし・地質と地質構造などを討議し、明日のルート分担を決めていた。
- 調査終了後、大学において地域の地質を地質図としてまとめていた。
- 秩父帯北帯のドーム・ベーズン構造は、初めて「神流川流域の秩父古生層について」の中で公表された。
- 奥秩父地域では、テント生活が多く、殆どの谷沢の調査をしている。
- 地域の地形や地質は、調査結果を示すだけでなく、地元の人に実際の露頭(地層・地質構造)を見て理解してもらうことを考えている。このために地域の地質見学会を行うことにしていた。
- この普及見学会が、日曜巡検となり、日曜地学ハイキングとなり、今日に及んでいる。
- 秩父団研は、埼玉支部の継続・発展に貢献していると考える。
(文責:堀口萬吉)
|