かわごえ歴史散歩
川越台地の湧水
そくほう2004年4月号

龍池弁財天の双子池と小仙波貝塚

 扇形をした武蔵野台地の北端、舌状に突出したところに川越の街があります。その東側を仙波(せんば)といい、次のような地名伝説が残っています。「昔、仙波の地は一面の海だった。仙芳仙人が自分の衣を波の上に広げると海水は退いて陸地となった。住処を失った海の主の竜神のために小さい池を残した。」(「三芳野名勝図会」1801より) この池が、現在も残る龍池(たついけ)弁財天の双子池で、今でもここだけは絶えることなく水が湧いています。
 仙波の井とよばれた湧水の跡地に小仙波貝塚があります。ここからは、ヤマトシジミ、カキ、ハマグリ、シオフキなどの貝が産出しています。武蔵野台地の一番内陸に位置する貝塚で、縄文の海がこの辺りまで進入してきていたことがわかります。仙芳仙人の伝説と縄文の海・・・何ともふしぎです。
 喜多院山門前の日枝(ひえ)神社にある「底なし穴(無底坑)」に近所の人が鍋や下駄を投げ込んでみたが何の音もしない。翌朝になると600mほど離れた双子池に浮かんでいた・・・この話は喜多院七不思議のひとつですが、これも地下の武蔵野れき層の広がりを示す面白い話です。
 新河岸川(しんがしがわ)の舟運の終点であった仙波河岸も1960年代までは段丘崖のれき層からこんこんと水が湧き、仙波の滝とよばれていました。現在では湧水はないため、地下水をポンプで汲み上げて復元工事が行われています。
 関東ローム層の下にある厚い武蔵野れき層は豊富な地下水を含み、かつて台地の端からは至る所で湧水がみられました。この川越の水は、徳川家康も茶の湯に使って愛飲したといわれています。

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