かわごえ歴史散歩
喜多院と五百羅漢
そくほう2004年2月号
傷あとが痛々しい羅漢さま
総会の会場から徒歩5分、喜多院は関東天台宗の総本山で830年に慈覚大師によって開祖された古刹です。
喜多院は、徳川家から手厚い保護を受けて発展してきました。1638年の川越大火によって境内のほとんどが焼失してしまったときには、江戸城紅葉山の御殿が移築されました。現在の客殿には、三代将軍家光誕生の間や家光の乳母であった春日局の化粧の間があります。
また、境内の一角にある仙波東照宮は、1616年家康の霊を久能山から日光へ改葬する途中、この喜多院で大法要が営まれた縁で建立されたものです。
市民に親しまれている五百羅漢は、1782(天明2)年に川越在の農民が発願し、50年の歳月をかけて完成されたものです。実際には535体の羅漢さんがいます。「夜、羅漢さんの頭をなでると一つだけ温かいのがいる。それが亡くなった親の顔に似ている」といわれています。
一体一体をよく観察するとほとんどの羅漢さんの首ねっこに修理の跡があります。これは、明治維新後「廃仏毀釈運動の中で破壊された」とか、「徳川家の加護がなくなり堂塔伽藍もしだいに荒廃し倒木で破壊された」ため1895〜98年に大修理が施されたということでした。今回新たに次のような記録を目にしたので紹介しましょう。
1923年関東地震では川越市内でも大きな被害が出ました。土蔵がくずれ8名の人が亡くなっています。当時小学3年生だった川田登志子さんの記録が当時のようすを物語っています。
『「喜多院の五百羅漢が落っこっているので見に行かないか」と友達が呼びに来る。5、6人の仲間と一緒に見に行った。確かに羅漢さんは目茶苦茶倒れて首が転がっていた。中央の高座の大きな仏様も南に横倒しになっていた』(「川越朝日」第102号より)
慈恵堂(本堂)の表にまわると、1767年から100年にわたって川越城主だった松平大和守家の5人の殿様の廟所があります。ここの石造りの門扉や五輪塔にも破損のあとがみられます。 羅漢さんや殿様の墓の傷痕は、関東地震の揺れの激しさを物語っています。
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