地学団体研究会埼玉支部 HP版 「みんなの地学」 自然と人間 岩殿丘陵は古代の大窯業地帯
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須恵器(すえき)は古墳時代から平安時代につくられた土器で、登窯(のぼりがま)という半地下式の窯で焼かれたものです。 埼玉県立嵐山史跡の博物館などに展示している須恵器の表面には、白色をした針状ものがみられることがあります。この針状のものは、海底の岩などに付いて生きている海綿という動物がもっている骨格で、海綿骨針といいます。海綿骨針は珪酸質で、透明感があるのですが、焼かれると白色となってしまいます。海綿骨針がみられる須恵器は、嵐山町や鳩山町に多く、北は小川町、南はふじみ野市、さらに東京の国分寺にもあります。 須恵器の海綿骨針は、須恵器の胎土(たいど)に含まれていたものです。では、胎土の元になった粘土はどこで採掘したのでしょうか。須恵器を薬品で処理すると、海綿骨針とともに放散虫の化石がみつかりました。この放散虫は1000万年前の海洋に生息していたプランクトンで、嵐山町や鳩山町の岩殿丘陵に分布する泥岩に含まれています。このことから、須恵器の胎土の粘土は、岩殿丘陵に分布する泥岩が元となったことがわかりました。 * 「埼玉県嵐山史跡の博物館」へは・・・ 東武東上線武蔵嵐山駅徒歩15分
引用文献
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