地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第561回~第570回 (2024年5月~)


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第561回 箱根ジオミュージアムと大涌谷の見学
                 2024年5月12日

 2024年5月12日、昨年に続き神奈川と埼玉の合同地学ハイキングが、箱根ジオミュージアムと大涌谷の見学をテーマに参加者19名で開催した。 10時に小田原駅箱根登山鉄道ホームに集合、箱根湯本湯元で登山鉄道を乗り換え、強羅に向かいました。湯元で乗り換えた登山鉄道は3両で、新しいスイスの登山鉄道に似た赤いきれいな車両になっており、驚きました。急坂を登るため3カ所でスイッチバックすることは変わらず、結構な時間がかかりましたが、新緑の箱根の美しい景色を楽しむことができました。 強羅からはケーブルカーで早雲山に向かいましたが、混雑した上に乗り換え時間が短く、2名ほど乗り遅れた方が出てしまいました。下見には来たのですが、車だったので、乗り換え時間など体験しておらず、案内が不十分になってしまい、参加者にご迷惑をかけたと反省しています。 早雲山からはロープウェイに分乗し、曇りで見えないかと思っていた富士山を、峯を超えた瞬間に見ることができ、感動しました。雪をかぶったこの時期の富士山は一番美しいのです。予定より少し遅れて11時40分過ぎに大涌谷に到着、階段を降りてすぐの黒たまご館1階の箱根ジオミュージアムに向かいました。
 博物館では入館の手続きと案内料の支払いをおこない、学芸員の山川隆良さんと谷圭司さんが館内を詳しく案内し、説明してくださいました。 まず、博物館の外で大涌谷を観察、2015年にできた火口と噴気孔には黄色い硫黄の結晶が見えました。温泉造成筒も見えました。館内では、箱根の地形と地質、箱根火山の形成史、温泉の仕組み、箱根の温泉と岩石、大涌谷の自然、 図3 地層の剥取りを説明する山川さん 寄席木細工の材料となる神代杉、災害の予防などの展示を見学しました。
 昼食後、大涌谷自然研究路の見学入口に集合しましたが、残念なことに10m以上の強風で中止のとのことでした。3月からネットで参加者の名前、性別、年齢まで入力して申し込んだのに、努力が水泡に帰したわけで、たいへん落胆しました。聞くところでは、しばしば中止になることも多いとのことでした。 せめてもの思いで、研究路案内の協力金500円が参加者に返金できたことが不幸中の幸いでした。両替していただいた 図4 箱根火山の岩石を説明する谷さん 博物館に感謝します。せっかくここまで来たので、研究路のコース、冠が岳、避難用の幾つものシェルター、黒たまごを造るたまご池とそれを販売していた茶屋について説明し、記念写真を撮影しました。 次回こそ、大涌谷自然研究路を見学したいと思いを強くした地学ハイキングとなりました。博物館からの案内で、チケットを見せれば再入場できるとのことで、その後、さらにじっくり博物館を見学された方もありました。
 案内していただいた山川さんと谷さん、写真を撮影され提供してくださった埼玉支部の鈴木禎一さん、神奈川からだけでなく遠く埼玉からも参加された皆様に厚くお礼を申しあげます。

(神奈川支部 後藤仁敏)(参加者 19名)

 
大涌谷にて
大涌谷で記念写真

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第562回 大滝神庭洞窟と旧三峰街道   2024年6月16日

 天気予報では、当日雨が心配されていましたが、朝から晴れのいい天気となりました。参加者は案内者の小幡さんを含め総勢26名です。今回は、西武秩父駅発西武バス「中津川ゆき」のバス停「岡本」から、荒川に沿って遊歩道を神庭から大輪へ、さらに大達原の旧三峰街道をたどって三峰口駅まで距離約8km・高低差250m、観察ポイント15箇所のコースです。地ハイ連絡ハガキに記されていた通りの“健脚向きトレッキング地ハイ”でした。
まず、荒川にかかる神庭橋を渡り荒川右岸の道を神庭オートキャンプ場へと向かいます。道ぞいには、片理の発達した砂岩や千枚岩の露頭が見られました。大滝グランド前で一息ついて、急斜面の道を一気に登り神庭洞窟へと向かいました。埼玉県指定史跡となっているこの洞窟からは、縄文時代から近世までの遺物や動物の骨が発見されています。石灰岩・チャート・緑色岩のでき方、さらには海洋プレート層序のことまで、詳しい説明を聞くことができました。
 さらに、荒川沿いの遊歩道を下りながら石灰岩が造る夫婦滝や竜門の滝を観察、再び、急斜面を登り三峰神社ロープウエイの跡地に立ち寄り、表参道を大輪へと下りました。以前は、三峰神社への参拝者の往来で賑わった所ですが、今はひっそりとしています。表参道にそって並ぶ苔むした石碑群や登竜橋からの風景を、落ち着いて楽しむことができました。
竈三柱神社の境内で昼食をとり、午後は、下大輪の集落に入り「見送り観音のお堂」脇の険しい山道を登り大達原へとたどりました。大達原付近は、崩積堆積物からなる比較的なだらかな斜面となっています。稲荷神社や旧名主山口家の前に復元された江戸時代の高札場や共同井戸などを見学したあと、旧三峰街道をたどって強石まで歩きました。その途中には、石灰岩を人の手で掘り抜いた隧道や馬頭尊の石碑が見られ、当時の様子を偲ぶことができました。 強石からは国道140号線にそって歩きます。強石の大滝発電所では、秩父地域の産業発展に関わった人々の逸話を、“七観音の石仏”では天明の大飢饉の話を、最後の白川橋では、この地を訪れたナウマンや幸田露伴の話をまじえ、秩父盆地の地形地質について説明をしていただきました。 解散予定時刻を50分程超過し、三峰口駅16:00の解散となってしまいましたが、この地域の豊かな自然と人々の暮らしや歴史を知ることのできた楽しい地ハイとなりました。

{地ハイ係 力田正一}(参加者 26名)

 
神庭洞窟
大達原の手掘り隧道西口

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第563回 下仁田町,馬上丘陵の地形と遺跡をたずねて
                    2024年10月20日

 いつまでも暑さが残る日が続いていた10月でしたが、前日の雨を境に寒気が入ってきて、10月の地ハイは澄み切った空気の秋晴れの一日となりました。この日の見学地は埼玉を離れ群馬県の下仁田町です。下仁田町での地ハイは過去何度か行われていますが、だいたい中古生界の古い時代の見学が主でした。今回は主に第四紀の人類にかかわる新しい時代の見学です。
 集合場所の「道の駅しもにた」で案内の下仁田自然学校の中村由克さんからコースの説明を聞いたのち、国道254号の南側にある中世の城跡・米山寺へ向けて出発です。コースはいきなりの急坂で、低位段丘から上位段丘への登りでした。段丘崖では段丘礫を観察しました。草が繁り露出はあまりよくなかったのですが、大きな礫が確認でき、かつてはこの高さに河床があったことがわかりました。
 急坂を登りきると上位段丘の上に達します。くちばし状になった段丘面が城跡として中世に利用されていたとのことでした。また、この上位段丘にある米山寺の周囲は旧石器時代から戦国時代にかけての遺物が確認されている「米山遺跡」と名付けられた場所であるという説明があって、ネギ畑などからは石器の破片が見つかりました。しかし、畑の中にある石片が石器であるのか、そうではないのか、という見極めは、説明されてもなかなか難しいものがありました。見る人が見ればたくさんの石器片があるようです。
 上位段丘で遺跡を見学したのち、西側へ段丘を下りました。その途中ではクロボクとロームの境界、浅間山からの軽石、段丘礫なども観察することができました。午前中はここまで。道の駅に戻って、昼食タイムとなりました。
 午後は、国道254号の北側へ低位段丘を見ながら歩きました。低位段丘でも土器や石器が見つかるとのことで、畑の中の石は注目の的です。途中、小さなお堂があって、緑色片岩でできた板碑を見学しました。さて、この石はどこからやってきたのでしょうか。
 さらに、段差を意識しながら、そしてその時間差を意識しながら下位段丘を下へ下っていきました。そして、この日一番低い位置にあったのは「不通渓谷」でした。鏑川の作った深い谷は一見に値します。
 最後は千平駅の近くにある船の荷の積み下ろしの場所であったという金毘羅宮を見学して、終了となりました。歩いた距離は約2kmと、それほどでもありませんでしたが、上位段丘から低位段丘まで15万年の時間差を歩いた地学ハイキングでした。

{地ハイ係 力田正一}(参加者26名)

 
米山寺にて
不通(とおらず)渓谷

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第564回 元荒川構造帯の変位地形と古隅田川旧河道
                    2024年11月17日

 朝からポカポカの快晴。11月とは思えないハイキング日和の豊春駅に、27名が集合し地学ハイキングがスタートした。坂道をヒントに土地の高低差に注意しながら歩きつつ、最初の観察ポイントである徳力小学校前に到着した。この地域は大雨の際に冠水等が起こりやすく、その理由として河床の方が高い天井川になっていること、周囲の台地に挟まれた低い地形で水が集まりやすいことなどの説明を受けた。再び坂道を登り台地の上を歩いていくと、もう一段高い土地が見えてくる。台地が2段構成になっていることを確認し、高い方の台地に登ると2つ目の観察ポイントである玄奘塔(げんじょうとう)に到着した。
 玄奘塔は3つ目の観察ポイントである慈恩寺の一部で、三蔵法師(玄奘三蔵)の遺骨が分骨されている場所である。ここで、台地と低地がどのようにして形成されたか、2段構成になっている台地が断層により形成された変位地形であること、そのもととなる元荒川構造帯の説明を受けた。このあたりの変位地形は急な崖ではなく、緩やかな斜面となっていることから、断層崖ではなく、比較的柔らかい地層が断層のずれによって緩く折れ曲がって形成される撓曲崖(とうきょくがい)であるとのこと。そのずれが10万年で約2mであることから、1年で約0.02mm程度であることが分かる。低地と低い台地の高低差が約2m、低い台地と高い台地のずれが約2mであることから、4m程度の高さの違いを意識しつつ低地に下り、再び坂道を登りながら3つ目の観察ポイントである慈恩寺を目指す。
 玄奘塔と同じく高い台地上にある慈恩寺でしばし拝観した後、切り込みの形状によっていくつかのタイプに分けられるイチョウの葉の形を観察した。再び高い台地から低地に下りていくと岩槻北陵高校前に到着。この周辺も徳力小学校と同様に浸水被害が発生しやすい地形であるとの説明を受け、慈恩寺親水公園へ向かった。
 この頃には既に、日差しが「暖かい」ではなく「暑い」になっており、皆さん一斉に木陰を探す。オオバンの鳴き声を聞きながら昼食をとった。昼食後に集合写真を撮影し、古隅田川の説明を受ける。かつての古隅田川は旧利根川の1つで非常に川幅が広く、現在とは逆向きに流れていた。またその頃は暴れ川として頻繁に洪水を発生させ、そのために周辺に洪水によって形成された地形が観察できるとのこと。その破堤地形であるクレバススプレーは、日本での研究が進んでいない分野で、日本における最新の研究について伺うことができた。
 公園を出発し、4つ目の観察ポイント古隅田川公園遊歩道に向かった。堤防の上を歩き、洪水による堆積の繰り返しにより、川が側方の後背湿地よりも高い天井川になっている様子や押堀(おっぽり)の跡地を観察した。また、保存のために移設された埼玉県で最古の石橋の1つであるやじま橋も観察した。 この橋は、安山岩でできているのとのこと。堤防が築かれた時代が不明であるということを聞いて、堤防に植えられていた大木の切り株の年輪から築堤時期を調べられないか?などと話をしながら歩いた。
 海善院前を通って、川から放射状にのびたクレバススプレー内を歩く。平坦な道になるように同じ高さの地点に道を通している為、扇形の孤の形で道がつくられているのが確認できた。また、これらが1つのクレバススプレーではなく、複数のクレバススプレーが合体しているという説明を受けた。
 最後に、水を溜めた状態で現存する押堀を金網越し(どこかに開けた観察ポイントがあれば良いのに!)に観察し、豊春駅に戻った。朝の時点では「暖かくて歩くにはちょうど良いね」などと話していたのに、思いの外汗だくになったが、最新の研究内容なども聞ける充実した1日だった。

{地ハイ係 竹内幸恵}(参加者26名)

 
慈恩寺親水公園にて集合写真
古隅田川の堤防上にて

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第565回 前橋台地と利根川の河原の石  2024年12月15日

 12月15日、前橋駅に集合。前日は強風の一日でしたが、今日は天気も良く、快適な一日でした。駅から前橋市内を歩き、坂道を確認しながら進みます。この坂道は段差の地形を示すものでした。この段差は旧利根川の跡を示すもので、洪水のたびに流路を変えて流れていたのです。船つなぎ石があり、当時のことがしのばれます。この利根川のことは、埼玉県や東京都では多摩川の流路の変遷、段差の地形などが同様なことと感じました。
 群馬県庁は城址に建てられており、眼下に利根川が流れています。城址には石垣は残っていないようですが、手前にある前橋城車門跡で石垣をみることができました。この石垣は安山岩ですが、どこの火山のものであるかは調べられていません。
 群馬県庁では、24階にある「ジオラマ模型」の見学で、群馬の山々の地形を確かめました。このジオラマは陶器でできており、上に乗り歩くこともできるのでした。このような体験はできないことと思います。そして、32階の展望台からの景色を堪能します。これほどの高い建物がないことから、市内のようす、赤城山、榛名山、雪をかぶった上越の山々など・・。ここで昼食をとり、午後は前橋公園のかたわらに露出した「前橋泥流」の露頭で、礫などを観察しました。角ばった安山岩礫が多く、浅間山からのものとされています。少量ですが丸い閃緑岩礫もあり、河原の石であるとのことでした。
 利根川の河原まで歩き、3班に分かれて礫種を調べました。埼玉の河原の石とは異なり、砂岩やチャートは少なく、安山岩や閃緑岩が多いのです。文献などでない、肌で河川の上流の地質の違いを感じるのでした。ここで解散となり、徒歩やバスで帰途につきました。今回は地団研前橋支部関係の方が10名ほどでの参加があり、地ハイの案内などをしていただき、感謝します。今後は埼玉の地ハイとの交流ができればと思います。  

{地ハイ係 松岡喜久次}(参加者34名)

群馬県庁内の地形模型
前橋城車門跡
利根川の河原

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第566回 川本 土塩層・楊井層と化石  2025年3月17日

  雨天中止

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第567回 (崖っぷちジィージと)川越台地の縁を歩く
         ―民話伝承と縄文の記憶
  2025年4月20日

4月20日(日)、天気は曇りで、やや蒸し暑い一日でした。
 東武東上線・JR川越線川越駅西口に9時30分に集合しました。駅から東武東上線の線路に沿って南へ歩き、最初の見学地である熊野神社へ移動しました。熊野神社の入り口に、わずかな露頭があり、ローム層とその中に東京軽石(TP)の粒が確認できました。熊野神社は段丘面の端にあり、ここから8mほど低い段丘面が広がります。直下の段丘崖をきる道路の急坂は烏頭坂と呼ばれています。この後、不老川では水のない川を実感しました。河原の石の種類は、砂岩とチャートが多く、泥岩、苦鉄質岩、石灰岩、ホルンフェルスなどがありました。不老川の源流は入間市であることから、河原の石は段丘礫層(古多摩川により運ばれた)から由来したと考えられます。ふじみ野市の縄文時代の打製石斧では、砂岩とホルンフェルスを利用していますので、この河原の石が採取されたのでしょう。不老川沿いを下り、新河岸川との合流地点から新河岸川沿いを上りながら、台地に登り、低地に下りしながら歩きました。
 仙波河岸公園(昼食)では、小江戸の繁栄を築いた新河岸川の舟運の話題などがあり、天然寺では本堂をお借りしての地ハイの総会を行うことができました。龍池弁財天では台地の縁の湧水を見学し、そこに伝わる民話・伝承の説明がありました。小仙波貝塚付近では畑に縄文土器があり、縄文海進の海岸線を連想して、耳をすませば縄文の海の音が聞こえてきそうなところでした。最後の地点である喜多院では、7不思議、天海僧正の話題など豊富で、案内者の生まれ育ったところであったのです。予定していた14時30分に喜多院境内で、解散となりました。今後は喜多院付近から氷川神社への続編もあるとか、期待しましょう。  

{地ハイ係 松岡喜久次}(参加者 26名)

不老川で川原の石調べ
龍池弁財天の湧水

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第568回 新緑の飯能・龍崖山をたずねて
―チャートと枕状溶岩およびマンガン採掘坑跡―
  2025年5月18日

 ほどよい気温と日差しの中、32名が参加し、「新緑の飯能・龍崖山をたずねて」を実施することができました。案内は竹越智さんと鈴木禎一さん、川越高校地学部、地元の参加者で鉱物に詳しい丹下さんも解説に加わって地学ハイキングならではの展開となりました。
 平野の新しい地層と山地をつくるペルム紀・ジュラ紀の古い地層の境目を観察しながら入間川沿いの遊歩道を進みました。資料の地質図をみると断層は引かれてないものの、その境は直線的で生越断層の延長線?という説明も興味を引きました。また古い時代の露頭の砂岩、緑色岩、枕状溶岩、チャートにも見えるドロマイトを確認しながら歩きました。
 途中の連続露頭は、遊歩道整備の際、岩根橋下の露頭が削剥されて枕状溶岩が現れたそうです。この露頭を基に川越高校地学部で研究を行い、第68回日本学生科学賞を受賞しました。今回、その成果を踏まえて地学部の生徒による図と写真による枕状溶岩の特徴と詳しい解説がありました。また案内者から海中で溶岩が噴出して枕状溶岩でつくられる映像を見せていただきました。段丘面を歩き、狭い登山道を登りながら龍崖山頂をめざしました。途中にマンガンを採掘した坑道跡があり、ズリ山の中から黒色のマンガン鉱石を拾いました。設置された解説板によると戦前・戦中に採掘され、製鉄や電池などに利用されたとあります。今回のコースだけでも3カ所もの鉱山跡をみることができました。
  山頂で昼食をとり、数名の班に分かれて実験を行いました。入間川で採取した砂岩、石灰岩(CaCO)、卵の殻(CaCO)、貝殻の殻(CaCO)、黒いマンガン鉱石(MnO)にそれぞれ3種類の液体をかけて変化を観察しました。また発生した気体を火のついた線香やロウソクの炎にさらしたときの変化を観察し、気体の正体を推定しました。液体はサンポール(希塩酸)、オキシドール(過酸化水素水)、水です。その後、参加者の丹下さんに長年に渡り鉱物採取した数種類の標本を使ったマンガン鉱石の解説をしていただきました。
  大河原城の堀切、チャートでできた燧山を横目で見ながらあさひ山展望公園へ向かいました。アップダウンの山道は少々きつく健脚向けのコースだと実感しながらの山歩きでした。 最後のポイントでは公園をつくる層状チャートを観察しました。広場には、りっぱな柱状節理でできた日時計が設置されており、最後まで地学ざんまいの一日でした。また天候に恵まれれば龍崖山、あさひ山展望公園から遠くの山々を一望できるのもこのコースの楽しみでしょう。   

{地ハイ係 久保田郁夫}(参加者 32名) 

川越高校生が岩根橋下の枕状溶岩を解説
あさひ山展望公園で

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第569回 よこはま動物園ズーラシアで動物の進化を学ぶ
                    2025年6月8日

 10時にズーラシア正門前に集合し、コースに沿って8つのゾーンを回りました。アジアの熱帯林で、私たちをインドゾウが出迎えてくれま した。ゾウの仲間・長鼻類は化石では180種も知られていますが、現生種はインドゾウを含むアジアゾウと、アフリカゾウの2種しかいないまさに「生きている化石」です。続いて、アジアの類人猿、オランウータンとテナガザルを見ました。広い敷地の端と端にいたオランウータンの夫妻が子どもをつくったのに、仲のよさそうだったテナガザルの夫婦のオスは骨格標本にされていたことを紹介しました。フランソワルトンやアカアシドゥクラングールは長い尾をもつオナガザル類です。前者は親は黒いのに子どもは茶色でした。後者は足は赤茶色、胴体はグレイ、顔と尾は白の世界一おしゃれなサルです。マレーバクは新生代前期の奇蹄類の生き残りで、前足はまだ4本指でした(サイは3本、馬は1本指です)。これに対し、偶蹄類では4本指から2本指に進化しています。トラとライオンはもっとも進化した食肉類で、鋭い犬歯の牙で獲物を捕らえます。
 亜寒帯の森では、中国の高地に棲む金色の偶蹄類・ゴールデンタ―キン、食肉類なのに草食になったレッサーパンダ、水生に適応したカワウソ、恐竜の面影を残す猛禽類のオオワシ、水生に適応した鳥類のペンギンを見ました。5月から公開されたホッキョクグマの母子には長蛇の列が並んでおり、1時間以上かかるとのことでまたの機会にしました
 オセアニアの草原では、新生代初期の巨鳥時代の面影を残す地上性のエミュー、有袋類のカンガルーなど、中央アジアの高地では、オナガザル類のテングザルや奇蹄類のモウコノウマを見ました。日本の山里では、食肉類では保護活動がされているツシマヤマネコ、なじみ深いタヌキやキツネ、ツキノワグマを、オナガザル類なのに尾が短いニホンザルを見ました。
 次のアマゾンの密林にあるアマゾンセンターで、昼食にしました。ここには、オカピの親子など、亡くなった動物の剥製が展示されています。生きている動物は広いケージの中で見つけるのがたいへんですが、剥製は動かないので、じっくり観察できます。アマゾン オカピの親子の剥製の密林では、珍しい有毛類のオオアリクイや、食肉類のヤブイヌなどを見ました。
 アフリカの熱帯林では、新生代中期の偶蹄類・キリンの先祖オカピがいました。足にはシマウマのような筋がありますが、頭骨はウマではなくキリンに似ています。アフリカの類人猿のチンパンジーはちょうどおやつの時間で、間近に見ることができました。アフリカのサバンナでは、偶蹄類のキリンやエランド、奇蹄類のシマウマとクロサイ、食肉類のリカオン、ライオン、チーター、ミーアキャットなどを見ました。
 帰り道途中のころこロッジには、オオアリクイやテナガザルの骨格標本があります。ここでまとめをおこない、ころころ広場のアフリカゾウとキリンの像の前で記念写真を撮影して解散となりました。参加された皆様に感謝します。   

{神奈川支部 後藤仁敏}(参加者20名)

椙田さんのスケッチより
ころころ広場で


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第570回 秩父の段丘    2025年10月19日 

 

{○○ ○○}(参加者 ○名)

 ○○
○○ 

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