地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


第541回~第550回 (2021年10月~2022年 12月)


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第541回 神奈川支部と合同  2021年10月17日

 新型コロナウィルス感染症拡大のため中止

 

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第542回 最近特定された「国会議事堂の蛇紋岩石材産地」を訪ねる
                 2021年11月21日

 11月21日に表記の地ハイが開催されました。和銅黒谷駅から和銅沢を登り、途中、石灰藻化石、出牛-黒谷断層、和銅遺跡を見学してから、箕山中腹、標高約300mの大濱家に伺いました。
 大濱家は昭和初期から蛇紋岩の採掘をおこない、その蛇紋岩は国会議事堂の内装石材としても使われていたことが最近になってわかりました(井上2019)。同家の大濱サイ子さん(85歳)が採掘関連文書や運搬に使われた荷車など丁寧に保管されています。大濱家から100mほど上に採掘現場があり、下見の時には案内者が迷いながら藪漕ぎしてたどり着いたとのことでしたが、地ハイ本番前に案内者3人が藪刈りをしてくれて難なく現地へ着くことができました。
 大濱サイ子さんもとても元気で、現地にもご一緒していただき、火薬庫跡や採掘当時のようすなど生き生きと説明してくれました。採掘跡地では濃緑色の中に網状の白い脈が入った「貴蛇紋岩」の大きな岩体を今でも観察できます。またその周囲には片理の発達した三波川帯の結晶片岩(紅簾石片岩やきれいなキンクバンドが観察できる転石など)も見つかります。とても貴重な露頭であることは観察者一同の感想だと思います。
 大濱家からの秩父盆地、長尾根、さらにその奥の山々の遠望も素晴らしく、秋晴れのもと、とても気持ちのよい地ハイとなりました。オールカラー26ページのパンフレットは、秩父帯のでき方から秩父盆地のおいたち、展望地形から国会議事堂の内装写真、大濱家古文書と石材切り出し露頭写真などなど、わかりやすく詳細に記載されており、とても素晴らしい解説本です。作成に当たった小幡喜一さん、小林健助さん、本間岳史さん、どうもありがとうございました。

{埼玉支部 正田浩司}(参加者 23名)

 
和銅遺跡
蛇紋岩採石場跡

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第543回 初冬の高坂台地の縁をあるく 2021年12月19日

 小春日和の12月19日、高坂大地の縁を歩く地学ハイキングが行われました。案内は久津間文隆さんと松岡喜久次さんです。新型コロナ感染症予防のため、人数制限を設けたハガキによる事前申し込みで参加人数は19名です。案内所の表紙は2年前(令和元年10月)の台風で浸水した地域の写真で、自然災害を身近に感じ、台地と低地の境界がはっきりわかります。
 さて、台地の縁を通る八王子道を歩くと、敷地の広い古い家や「八王子-日光」を示す石製の道標が、かつてのメインストリートを感じさせてくれます。さらに1月からの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」のひとり比企能員(よしかず)の話題や、時代劇の撮影にも使われる越辺川の冠水橋・島田橋の話も加わり盛り上がりを見せました。
 台地を降りる途中、露頭があるものの削ることはできず、目視で段丘礫を確認しました。台地を降りて都幾川の舟運を示す「緑泥石片岩の石橋と、安山岩<伊豆石>の石橋供養塔」を見学しました。石橋は轍もあり、通行の多さを物語っていました。それぞれ産地はどこかということになり、石橋は、嵐山や小川など地名があがりました。どちらも舟運を利用して運んだのではないか、ということでした。ここで松岡さんがネオジウム磁石を供養塔に近づけると、供養塔に引きつけられ、みなさん興味深げでした。
 ふたたび、台地に上がり、古墳を利用した土塁の残る高坂館跡を通り、古墳群のある「さくら坂公園」で事前に採取した台地を構成するレキの観察会を行いました。公園を降りたところに、2つ目の緑泥石片岩の「高坂上二丁の石橋」を見学し、せせらぎ緑道を歩きました。整備された緑道を歩きながら東松山市は街づくりに力を入れているなと感じました。途中、三角点のある高坂古墳群のひとつに登り、低地を一望しました。
 昼食は、先の台風の浸水を免れたところでとりました。昼食後は、低地を歩きながら、案内書の浸水の写真を合わせて、水害の恐ろしさを感じました。世明寿寺から低地を望み河川の合流地点付近や、攻撃斜面は破堤の恐れがあることも理解できました。
 低地の縁では、水害の被害を受け、今も住んでいない家もありました。また、ところどころ湧泉が見られました。冬にもかかわらず、水量の多いところもあり、かつて生活用水として利用していたことを伺わせました。水温は15℃で、教科書どおり!温かく感じました。短い巡検コースの中に7つ<高坂七清水>もあるのも驚きです。湧泉の近くには寺社もあり、結びつきに興味深いものがあります。「湧水は地下水の露頭」ということばどおり、身近な水循環の指標になるのだと思いました。
 青蓮寺では、「正代」という、この辺りの地名の言われが分かりました。もともとは「小代」いう人名から由来したもので、正代家の始まりはこの地ということです。大関「正代」の出身地である熊本にも「正代」がある理由も歴史を紐解くと理解できます。最後の見学地の八幡神社では、大ケヤキと、狛犬の台座が溶結凝灰岩で「秋間石」ではないか、と話題になりました。自然と、生活の関わりの歴史を感じた一日でした。

{熊谷高校 久保田郁夫}(参加者 19名)

 
宮鼻の清水(高坂七清水の1つ)
高坂館跡
正代の台風19号による被害状況をみる

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第544回 下仁田 第二弾     2022年 3月19日~20日

  新型コロナウィルス感染症まん延防止重点措置のため中止

 

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第545回 陽春の入間川で仏子層ざんまいの一日
                2022年 4月17日

 蔓延防止等重点措置が解除されたものの、依然感染者が高止まりとなっている中、参加人数を限定し、開催された。2019年の台風で河岸が削られ、仏子層が露出。西縁団研の調査による今までの成果に、新たな成果も盛り込まれた内容とのこと。川の下流から上流へ歩くことで仏子層の上層から下層への地層の積み重なりと、仏子層と飯能層の境界を、それぞれグループに分かれて観察する形で、今年度最初の地ハイが始まった。
 まず、中橋付近から川原へ下り、サンドパイプと中橋テフラを観察。テフラによる地層の対比や、サンドパイプの大きさ・形状から生物の種類を推定する作業などの話を聞いた。その後、少し上流で砂層・炭化した材化石 などを観察。コロコロ石(海進ラグ)の存在から、当時海がだんだん深くなっていったことが分かるとのこと。また、穿孔性二枚貝の印象化石や巣穴をシリコンで型取りしたものを観察。削っていった跡が線状に残っていて、皆さん大変興味深く観察していた。貝化石がたくさん含まれる層では、オキシジミ・イボウミニナなどの化石を観察し、これらの種類から、当時この辺りが波打ち際だったことがわかるなどの説明を聞きながら当時の様子を思い浮かべた。上流に歩くと、仏子層B部の基底礫とその最下部に多数の材化石を観察した。
 さらに上流に行くとシルト層が多く見られるように変わってくる。その中にアケボノゾウの足跡化石(断面)が観察できた。高校時代、地学部の生徒に混じって久津間先生に連れてきて頂いた遠い昔を思い出し、懐かしくなる。(初めて見る足跡化石に感動し、近くの亜炭混じりシルト層から採集した昆虫の羽の化石を持ち帰って家族に自慢したなぁ)皆さん写真を撮るため、足跡化石の撮影会となった。川原から上がり、仏子の切り通し付近の大露頭を遠目で観察、うっすら見えるコロコロ石(海進ラグ)を探した後、露頭近くの公園で昼食となった。公園には、足跡化石付近の亜炭混じりシルト層からも産出するメタセコイアの木が植えられており、たくさんの球果が落ちていた。当時、仏子層が堆積した付近にも同じようように広がっていたであろう、メタセコイアの林を想像しながら静かにモグモグ。
 昼食後は、日曜地学の会の総会をスピーディーに開催し、そのまま仏子層中の3つのテフラを観察に移った。千円台の携帯型顕微鏡でこんなに綺麗に観察できるのかと驚きつつ、3つのテフラの違いに注意しながら観察していた。その後川原に戻り、現在の川原の礫と250年前の川原(飯能層)の礫を比較する。チャートなどの川原の石を割って硬さを確かめたり、所々顔を出した飯能層の閃緑岩の風化具合などを確認した。さらにグラウンド脇の露頭へ移動し、仏子層最下部とその下の飯能層の境界を確認した。ここでも飯能層中の風化した丸い礫をたくさん観察した。そのまま駅まで歩き、解散。雨の日が続いた中での貴重な晴天の下、230〜250万年前の景色を想像しながら現在の川原を歩く、まさに仏子層ざんまいの一日だった。  

{松伏高校 竹内幸恵}(参加者 33名 )

ゾウの足跡化石を観察
貝化石を探す

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第546回 名栗の自然と人々のくらし 2022年 5月19日

 第546回の地学ハイキングは西武池袋線飯能駅からバスに乗り、近年、レジャーでも注目を集めている名栗を訪れました。今回、『名栗の自然と地質、人々のくらし』というテーマのもと、石造物などから地質と人との関わりだけでなく、お寺の方からお話を伺うことまででき、とても充実した一日を過ごすことができました。
 午前中は、石灰岩でできた地蔵尊などの石仏や、玄武岩の露頭のほか、名栗の名水『庚申の水』を訪ねました。まだ、暑くはない時期だったのですが、冷たい水が心地よかったです。また道中、イワツバメの巣も観察しました。せっせと飛び回り、雛達に慌ただしく餌をあげる親鳥たちを、参加者全員で双眼鏡を回してもらいながら観察しました。
 お昼は土木学会選奨土木遺産に指定されている名栗川橋を渡って、楞厳寺へ。
 フズリナやサンゴ、ウミユリの化石が観察できる石段に腰掛けて、持参したおにぎりを頬張るという贅沢な昼食時間を過ごせました。私もルーペをお借りして、お昼休憩の間、フズリナを探しました。昼食後は、お寺の方のお話を聞くことができました。お寺の境内で聞く話は風が時々、吹いて心地よかったです。お寺の方から、由緒だけでなく見どころ、季節ごとに咲く花の話を聞くことで、視野が広がった気がするとともに、足元の化石だけを見ていた気がして、少し反省しました。
 午後は、フズリナ化石が観察できる石灰質角礫岩の露頭や、それらが使われている石造物を観察しました。橋や石段、建物の土台など様々なところに石灰質角礫岩が使われており、参加者一同、化石探しに夢中になっていました。
 今回、石造物だけなく、露頭を観察することで、石造物として加工される前の様子をイメージすることができました。また、湧き水の冷たさや味、お寺の方のお話など、書籍や写真を眺めるだけでは味わえない五感を使った内容で、私自身も係を担当しながらも楽しんでしまいました。

{川の博物館 室井美穂}(参加者 26名)

石灰質角礫岩の露頭
石造物(お地蔵さま)の観察

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第547回 都内の建築石材を巡る   2022年 6月19日

 梅雨の合間、天気も良く、暑い一日。JR四ツ谷駅改札の前に12時30分に集合。改札周辺は人の往来も多くなかったので、隅で、今日の案内者である国士舘大学の乾 睦子さんから、今日のコースなど簡単な説明をうけて出発した。四ツ谷駅前の四谷見附石垣では、江戸城の外堀を甲州街道が渡る地点に設けられた枡形門の石垣跡をみる。石材は安山岩で、伊豆半島から運ばれてきたものとされる。方形につまれている石は改修されたものであった。
 次に迎賓館赤坂離宮前での説明でしたが、中庭へ入場したいとの希望があり、手荷物検査を経てみてまわった。迎賓館赤坂離宮をつくる花崗岩をじっくりとみる。筑波山付近の真壁のもので、粒が細かく、きれいである。乾 睦子さんから外壁のレリーフの制作についての説明は、普段では聞けない内容であった。建物などは国宝になっており、建物内の石材には外国産が使用されている。
 迎賓館を後にして、赤坂御所・赤坂御用地にそって信濃町の明治神宮へ歩く。山道でなく、コンクリートのため歩くのにも大変であった。
 明治神宮外苑のイチョウ並木を眺めてから、聖徳記念絵画館にむかう。最初に聖徳記念絵画館の外壁は、淡紅色の花崗岩で岡山県産である。2階中央ホールの壁や床には、石灰岩、大理石、蛇紋岩が貼ってある。石灰岩は礫岩で岐阜県産とされ、礫のまわりに成長した方解石がとりまき、菊花のようにみえる。礫の基質は赤色の泥?がうめているが、岩石的に確認されていない。黒色の石灰岩の礫にはフズリナが確認でき、大きいのでヤベイナかもしれない。褐色の石灰角礫岩は徳島県産とされる。大理石では薄ピンク色をし、山口県産とされる。蛇紋岩は埼玉県産とされているなど、国内産の石材が使用されている。なお、この絵画館は明治天皇崩御により明治神宮造営局が実施設計したものである。聖徳記念絵画館には壁画が奉納されているが、壁や床の岩石を見学している団体は奇妙にみえたかもしれない。
 この後、日本橋付近の石材見学が予定されていたが、迎賓館赤坂離宮により時間がかかり、暑かったことから、聖徳記念絵画館で解散となった。

{川越女子高校 松岡喜久次}(参加者 24名)

迎賓館の裏庭
四谷見附石垣
聖徳記念絵画館

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第548回 真鶴 神奈川支部と合同   2022年10月 9日

 2022年10月9日、3年半ぶりに神奈川と埼玉の合同地学ハイキングが、真鶴半島の自然と遠藤貝類博物館の見学をテーマに参加者18名で開催した。
 10時15分に真鶴駅に集合、バスで中川一政美術館前まで行きました。そこで、ボランティアガイドの山崎陽軒さんと千石輝雄さんと合流、解説を受けました。山崎班と千石班に分け、説明を受けながら見学を始めました。
 お林(魚付き保安林)中川美術館前からお林遊歩道を歩いた。魚付き保安林は、クロマツやクスノキの巨木とシイ・タブなどの照葉樹林からお林のなかで解説する山崎さんなり、県の天然記念物に指定されている。江戸時代前期に、小田原藩が領内に15万本の松苗を植え、一部が真鶴半島の灯明山御林に3年かけて植えられ、藩によって保護される御留山(おとめやま)にされた。陸の資源が豊かな海の資源をもたらし、岩礁付近に豊富な海藻や底生動物が棲み、定置網漁による魚業を盛んにしている。途中、大きな窪地があり、噴火口の跡とか、採石場の跡とか言われているという。
番場浦採石場跡
 お林を抜けて番場浦海岸に降り、右手の採石場跡に向かう。番場浦採石場跡で解説する千石さん海岸には赤や灰色の安山岩と白いデイサイトの大きな円礫で埋められていた。安山岩は15万年前の真鶴溶岩で、デイサイトは18~17万年前の本小松溶岩類などらしい。真鶴半島から切り出され、船で江戸まで運ばれた。江戸城の石垣の9割は真鶴の石材を使用していると言われる。灰色の安山岩には所々に横一列に並ぶ「矢穴」があけられており、石を割って切り取ったのだ。採石場の奥には岩を四角く切り抜いた洞窟があり、ここで外国船などを見張っていたという。番をするので「番場」と呼ばれるようになったという。 三ツ石海岸
 番場浦海岸から潮騒遊歩道を通って、三ツ石に向かう。台風で遊歩道が壊れたので、途中山側に迂回した。「三ツ石」とはその名のとおり、3 つの石が海から突き出ていること由来する。番場海岸から見ると3 つに分かれているが、三ツ石海岸に来ると右側の2 つの石が重なって2つしか見えなくなっている。干潮時には潮が引いて歩いて三ツ石まで行くことができるが、満潮になると離れ島になる。
 真鶴半島より北側は相模湾というが、南側は相模灘という。番場浦では風はなかったが、三ツ石では強い北風が吹いて番場浦海岸から見た三ツ石いて、ゆっくり磯の生物を観察することはできなかった。北側では県の天然記念物になっているウメボシイソギンチャクが群生しているというが、残念ながら見ることはできなかった。海のなかでは 100 本ほどの触手を出しているが、潮が引くと直径 5㎝ほどのウメボシ状の赤茶色のかたまりになるので、その名がある。ここで、ガイドは終わるので、参加者全員で記念写真を撮影した。  

{地団研神奈川支部 後藤仁敏}(参加者 18名) 

魚付き保安林
番場浦海岸 石切り場跡

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第549回 秩父札所の地学めぐり その12
    牛首沢から秩父札所31番を経て岩殿沢へ
 2022年11月20日

雨天中止。 令和元年台風19号の影響でバスが不通となり,計画が変更された第527回で当初計画したコースに再チャレンジでしたが,また,強い雨のために実施できませんでした。
  


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第550回 岩殿丘陵 地質と放散虫化石  2022年12月18日 

 12月18日に第550回 日曜地学ハイキング「岩殿丘陵の地質と放散中化石」が行われました。天候にも恵まれ、絶好の地ハイ日和となりました。案内は坂井充さん(所沢北高)と久津間文隆さん(大東文化大)です。コロナ感染症予防のため事前申し込みとなりました。参加者は16名でした。
 バスで高坂駅から大東文化大学前まで移動しました。最初の見学地の物見山山頂で遠く筑波山をはじめ、日光連山、赤城山まで関東平野を一望することができました。近くの平和記念資料館では木々に邪魔されることなく360°展望することができ、しかも無料だそうです。三角点を見て、市民の森入り口の駐車場へ向かいました。ここで、くさりレキを含む物見山レキ層を観察しました。このレキがどこからやってきたのか?いろいろと川の名前があがりました。ここは模式露頭ですが、工事をしており、今後観察できなくなってしまうのではないか心配する声がありました。
 ハイキングコースの林の中を通り、山村学園短大西の沢で中新世の鳩山層の植物片の入るシルト岩を観察しました。参加者のひとりが転石から貝化石を発見しました。キララ貝だそうです。ハイキングコースを歩きながら、遠方の今宿層の不整合を観察し、かつての化石採取地のわきを通り、次の観察地へ向かいました。歩道沿いに火山豆石を含む奥田凝灰岩層を観察しました。1 cm 前後の大きさで、火山灰が同心円状に付着成長したもので、まるで豆菓子のようです。参加者のみなさんは、露頭にへばりついて観察・採取していました。すぐ近くには、灰白色の磨き粉のような火山ガラスを含む奥田凝灰岩があり、指で擦りながら観察をしていました。成因について、火山灰に詳しい正田浩司さんから説明がありました。
 最後の観察地は岩殿観音の裏手の露頭で塊状泥岩と凝灰岩の将軍沢層を観察しました(観音様の敷地内なのでハンマー等使うことはできません)。途中、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のひとり比企能員を祀る杜、大木レッドウッドを見たりしました。植物に詳しい小林健助さんも参加しており植物の説明もありました。
 午後は、本間睦美さん・久津間さんの勤務先である大東文化大学の構内で昼食をとったあと、実験室へ移動しました。坂井さんから本日歩いた地質の解説と放散虫化石についての説明を聞きました。生息年代の異なる複数の放散虫化石を見つけることで年代を細かく同定できることや、当時の環境がわかるということです。ひとり1台の顕微鏡下の観察では、珪藻化石もあり、確認しあいながらの放散虫化石を探しました。見つけた時には歓声も聞こえました。見つけた放散虫化石はスマホで撮影し、お土産となりました。

{久保田郁夫}(参加者 16名)

火山豆石をみつける
大東文化大学で、放散虫化石の観察

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