地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第391回〜第400回(2005年8月〜2006年7月)


前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



第391回 奥秩父に光り輝く石を求めて  2005年 8月20日

 8月の地ハイは、お天気に恵まれ、また「秩父鉱山」の鉱物採取、さらに夏休みということで親子連れ、高校生の姿も見られ、67名もの参加がありました。
 三峰口駅から長時間バスに揺られ目的地へすし詰め状態で向かいます。前回の秩父鉱山から数年たち途中の滝沢ダムにともないループ橋が造られ、そのため河川の状況や景色もずいぶん変わっていました。
 バスを降りてから徒歩で数年前の大雨の傷跡を見ながら目的地へ向かいます。途中、山の上の鉱山口から冷たい空気が流れてきたり、斜面を登るな(という趣旨)の看板の意味の解説があり飽きさせません。
 目的地のひとつは、1月に行われる地ハイの鉱石ラジオの製作で使う黄鉄鉱採取で、河原に落ちているズリより拾いました。ハンマーでたたいて光るモノが見られるのはおもしろく、みなさん一生懸命ハンマーを振りました。他にガーネットや金の採取される地点も紹介していただきました。その地点は鉱物愛好家のメッカのようで、深く掘られた跡がありました。
 帰りのバスの時刻が迫っており、時間切れで予定の最終地点までいけず残念でした。

{妻沼高校 久保田 郁夫}(参加67名)

川原で鉱石さがし

このページの最初へ

第392回 緑の石の渓谷をゆく〜緑色岩の沢を歩く〜 
                 2005年 10月17日

 この日の朝は、昨夜からの雨が続いていましたが、天気は回復するとの予報で、集合の西武線横瀬駅についたころには雨はやんでいました。雨天中止にもかかわらず、17名が集まり、駅を予定通りにスタート。段丘沿いにはコスモス畑が広がり、道路では警察官が車の誘導をするほどの賑わいでした。
 段丘上からは、採石された武甲山がよく見え、そこで地元出身の小幡さんが熱弁をふるいました。武甲山の石灰岩の分布、化石、採掘方法…。その後、丸山鉱泉に向かいました。係としては、この後の日程が気になっていました。今日の午後のメインのコースの山道が崩れていたことと、昨夜からの雨のために川の水量が多かったからです。いろいろな緑色岩の観察を予定していた二の瀬橋からの曽沢川の遡上あきらめ、丸山鉱泉下の曽沢川で緑色岩の河原の石をじっくりと観察しました。
 午後は、林道をゆき、二の瀬橋で緑色岩を観察しました。凝灰岩にはラミナがみられたり、1.5mの大きな転石には枕状溶岩のもようが見られました。駅への帰りに横瀬川で河原の石の調査をおこない、終了となりました。
 今日は天気の関係で、少人数となり、参加者は案内者の話を十分に聞くことができたと思います。地団研教師会員の教え子の大学生が2名参加しており、若々しく感じました。

{豊岡高校 松岡 喜久次}(参加17名)

緑色岩のめだつ横瀬川で礫調査

このページの最初へ

第393回 晩秋の武川付近を訪ねて〜荒川中流の第三紀層と化石〜 
                 2005年 11月20日

 11月の地ハイは快晴の空のもと、荒川の中流にあたる川本町を訪ねました。コースは秩父線・武川駅から荒川の河川敷まで歩き、隣の明戸駅までの約3kmです。
 武川駅から荒川に露出している土塩層の貝化石が採集できる場所への道は、以前あった道が無くなってしまったということで、天神社を少し過ぎたあたりから、ヤブの中へと突き進んでいきました。何のための道なのか、そこが道であることを示しているピンクのリボンがずっと続いているので迷うことはありません。
 途中、小川をジャブジャブと渡り、やっとたどり着いた河原は砂質泥岩が一面に露出していました。この地層の中には、火山灰の地層が挟まれていて、構造を読みとることができたので、さっそくクリノメーターを使って、走行・傾斜を測定してみました。また、火山灰層を追いかけていくと、小さな断層も見つかりました。さらに、「ここでは化石が出ない」といわれていたその場所で、実は生痕化石がたくさんあるということもわかりました。この生痕は「コンドリテス」というもので、無脊椎動物のイムシの残したものではないかとの説明がありました。しかし、「イムシ」という生物がすぐに頭に浮かぶ人はなかなかいなかったようです。
 昼食のあとは、少し下流へ移動して、化石採集となりました。ここはたくさんの貝化石が出る所なのですが、残念ながらその化石のポイントは川の中。少し下流でコハクチョウが何事かと見守る中、タガネとハンマーを使い、流れの中の泥岩をたたくと、中からはたくさんの貝の化石が出てきました。しかし、ほとんどは破片でなかなかきれいな化石は見つかりません。それだけに、宝探しのような楽しみもあったことでしょう。河原で化石の鑑定やクリーニングなどをして、終了となりました。

{児玉高校 栗原直樹}(参加50名)

お目当ての化石は水面下

このページの最初へ

第394回 多摩川がつくった新しい段丘地形と玉川上水
                 2005年 12月18日

 今年の12月は記録的に寒く、北陸を中心に大雪となった。地ハイ当日は、強い寒波におおわれて冷たい北風が吹く一日となった。この寒さにも負けずに、集合の福生駅には36名の参加者が集まった。今回は多摩川がつくった新しい段丘地形を確認しながら歩いた。集合した福生駅は標高130mの拝島面にあり、その後は多摩川にむかって、天ヶ瀬面(標高約125m)、千ヶ瀬面(標高約120m)、河原面(標高約115m)と低い段丘へと向かう。それぞれの段丘面の境のガケを確認した。多摩川の河原では、岸辺には礫層がみえる。礫層には、風化した閃緑岩礫はみられ、マトリックスは泥質であり、古い礫層であることがわかる。飯能の入間川の河原にみられる飯能礫層と同じであった。岸辺から水が流れ出しており、手をいれると温かかった(水温は12℃)。
 この地学ハイクは玉川上水と段丘との関係をみて歩くのも目的であった。玉川上水を初めてみたのであるが、江戸の町を潤すためにつくられたこともあり、予想以上に大きいものであった。拝島面を流れる玉川上水からをみて、天ヶ瀬面、河原面へと玉川上水をさかのぼって歩いた。玉川上水にかかる2つの橋で水面までの高さを調べ、傾斜を考えた。玉川上水の流れは0.2°という非常にゆるいものであった。玉川上水が下流にゆくほど、高い段丘に上ることになるのであるが、これは説明してもなかなか理解しにくい。羽村堰において多摩川との分水点から下流にむかって多摩川と玉川上水をみると、玉川上水はゆるい勾配で流れているのに対して、多摩川の流れはより急傾斜であることがわかる。なお、野火止用水は玉川上水の貴重な水を分水したのであるが、平林寺の力を示すものであることもわかった地ハイであった。最後に、羽村駅ちかくの「まいまいず井戸」を見学した。狭山の「七曲がり井戸」と同様に、台地上での地下水の確保がたいへんであったことがわかった。

{豊岡高校 松岡 喜久次}(参加36名)

玉川上水,羽村取水堰

このページの最初へ

第395回 遊びから考える地学  2006年 1月22日

 1月の地ハイは県北の妻沼(熊谷市)で実施しました。午前は、周辺の低地の地形や屋敷林を観察しながら会場の妻沼高校へ向かいました。街の中に住む方には水塚や屋敷林は珍しく風景を写真に収める姿がありました。
 午後は、「自然だいすき」のなかから、(1)魚眼レンズを使わないで!「お玉」を利用した全天の雲の観察←屋上では、雲より山々がきれいでした(笑)(2)風車をつくり、風の建物の影響しらべ←よく走り、風車を追いかけるのに、大人も子どもに戻り大騒ぎ(3)第2巻「土と石のじっけん室」を担当した地団研東京支部の小川政之さんに協力していただいて「鉱石」ラジオの製作←熊高生制作の補助をしながら短時間にがんばりました!を行いました。どれも身近な材料を工夫することで意外な観察ができ、好評でした。鉱石ラジオの制作では常連の方や生徒もいろいろ工夫してラジオの聞こえる鉱石の点を一生懸命さがしていました。また、鉱物が生活の中でかつて利用されていたことや、鉱物の物理的特性を知るよい機会となりました。
 今回は前日の大雪にも関わらず36名の参加があり、親子連れや高校地学部の顧問と生徒の姿もありました。生徒は、帰宅後も工夫してラジオの聞こえ方などを顧問に報告しているそうです。また今回の地ハイの後、地学部に入部した生徒もいたそうです。

{妻沼高校 久保田 郁夫}(参加36名)

鉱石ラジオ製作中

このページの最初へ

第396回 早春の三宅島〜2000年の噴火の跡を見る〜
             2006年 3月17日〜19日

 関東地方は春の大風が吹き荒れ、前日の船は欠航し、竹芝桟橋へついてみると、「条件付出航」という表示となっています。出航はするけれども、戻ってくるか、三宅島には寄らず、八丈島へ向かうかもしれないという条件で出航というわけです。
 それぞれがガスマスクを持って、無事上陸できることを祈りながら、緊張のうちに船に乗り組みました。船は揺れたものの、目的の三宅島・三池港に寄港しました。三池港は島の東側で高濃度地区に指定されている場所です。しかし、南からの強風のために、山頂からのガスは島の反対側に流れて、イオウの臭いはわかりませんでした。
 宿で一休みしたあと、レンタカーに分乗して、三宅高校の青谷先生の案内で、風上から島を反時計回りに観察です。島の東側にあたる坪田高濃度地区では、火山ガスの影響をまざまざと見ることができました。山の斜面が見渡す限り立ち枯れた木で埋めつくされている様子は壮絶です。枯れ果てた林の下にはヒサカキやオオバヤシャブシなどの植物が育ちつつありました。また、屋根や外壁が風に飛ばされ、骨組みだけとなってしまっている家が至る所にありました。さらに、以前の噴火でできた赤茶けた見事なスコリア丘や火山の堆積物で埋められてしまった神社や鳥居なども見ました。
 島の東側から北側に入るとガスの濃度が高く、自動車から降りるのは中止して、西側まで回り込んで阿古地区へ向かいました。ここは以前の噴火のとき溶岩流で埋めつくされた場所で、溶岩流に巻き込まれた自動車の残骸や、溶岩流に半分埋った学校を見学しました。以前の地ハイでここを訪れた人にとっては、時間の流れも一緒に感じられたことでしょう。さらに、噴煙を上げる雄山の危険地区付近まで上がり、2000年の噴火で噴出したという「カリフラワー状火山弾」を拾いお土産としました。
 夜は青谷さんらが記録した2000年の噴火の映像を見ながら、当時の様子をうかがいました。直に体験した人から聞く噴火の様子は生々しいものがありました。
 翌日はアカコッコ館、爆裂火口にできた大路池等を見学したあと、前日行けなかった北部を見学し、きれいな灰長石の結晶やかんらん石の結晶などを採集しました。
 帰りは、またまた、荒れ模様の天気です。強い北西からの風で三池港はガスの臭いが立ちこめ、ガスマスクをしている人もいました。関東では記録的な風だったようです。もしかしたら、欠航になるかも…とか、三宅島には寄らずに行ってしまうかも…とか、心配しましたが、船はやってきてくれました。これからの三宅島の復興をお祈りします。

{児玉高校 栗原直樹}(参加34名)

坪田高濃度地区 見渡す限り立ち枯れた木

このページの最初へ

第397回 川越台地と雑木林  2006年 4月16日

 川越を舞台とした地学ハイキングは、今回で4回目となりました。新河岸川沿いに、入間川沿いに、荒川沿いにと河川を対象にみてきました。今回は、東上線川越駅から不老川にむかって坂道を下りました。不老川(昔の多摩川?)のつくった段丘地形を見ながら進みます。不老川の護岸の改修工事のため、側面に礫層があることがわかりました。そして、まわりの畑には小さい石がたくさん混じっており、土壌(ローム層)が薄いこともわかりました。その後は川越初雁高校にむかって進みました。武蔵野ふれあいの森にて、それぞれの場所で森の変遷をみることができました。新緑の始まる森の中で、山桜のピンクの花が目をひきました。
 雨に降られずに、午後は川越初雁高校内で、地ハイの総会をおこないました。液晶プロジェクターの設定でとまどっている間に、案内者に屋上にて午前中のまとめをしていただきました。総会では、昨年度の報告と、今年度の予定について報告しました。また、地ハイの運営および地ハイだよりの作成の協力者を決めました。そして、今年度は地ハイ400回記念の年で、記念巡検およびそのための学習会をおこなうことを報告し、学習会の担当者をお願いしました。

{豊岡高校 松岡喜久次}(参加39名)

地面のすぐ下がれき層(砂利の地層)

このページの最初へ

第398回 初夏の秩父ようばけをたずねて 2006年 5月21日

 秩父と言えば小幡さん。秩父在住の小幡さんは、秩父中・古生層から河岸段丘、文化・民俗・歴史と、秩父にかかわる事なら空で言える案内者である。パンフレットは、河川地形、盆地地形、段丘地形、地質、川原の礫、底痕、貝・カニ・サメの歯・生痕化石等々盛りだくさんである。満員御礼で10:30泉田バス停集合。参加申し込み、ルート説明のあと出発。途中、秩父の地質・地形、河川地形等の説明があり、赤平川へ。
 前日の雨で、川を渡る手間が予想されるため、川原の礫調査はカット。とはいえ、もうお昼時となる。昼食後、藤六のスランプ構造、小鹿野町層群桜井層の砂岩泥岩互層の特徴と底痕の説明で当時の堆積環境を。ついでに赤平川に存在する懸谷で地盤の隆起と河川の浸食の関係を。さらに、藤六れき岩層で再び当時の堆積環境を。と説明が進み、最後の見学地「ようばけ」に到着。
 小鹿野町指定天然記念物、埼玉県自然環境保全地域に指定されているため、ガケをハンマーでたたくのは御法度。ようばけを構成する奈倉層、鷺ノ巣層の転石をたたく。貝化石が多い中、カニの化石を見つけた参加者もあり。「もう少し・・・」という声もあるが、15:30松井田バス停へ。徒歩約3.5km、標高差約40mのコースでした。

{浦和東高校 松井 正和}(参加38名)

砂岩泥岩互層の底痕を観察

このページの最初へ

第399回 新緑の安行台地をたずねて 2006年 6月18日

 6月18日,駒井さんと久津間さんの案内による,大宮台地の南端に位置する久しぶりの安行台地の巡検が行われました。県南で交通の便が良いのでしょう,雨が心配される中,たくさんの方に参加していただきました。
 途中,遊水機能をもたせた公園と,玄関を高くし浸水を防ぐ工夫をした低地に住む人たちの住まいを見ながら目的地へ向かいました。
 台地に行くと多くの植木に囲まれた民家がたくさんありました。安行というと植木をすぐに思い浮かべますが,台地をつくる関東ロームは,米や野菜を作るのには適してなく,植木の栽培に適しているそうです。赤山城が地形を上手に利用してつくられたことなど観察し,社会と自然は密接な関係があるということを再確認しました。
 県南だけあって開発が進み,崖がコンクリートで覆われたり,宅地化され露頭がなくなったりする様子を目の当たりにしました。少ない露頭の中からTP(東京軽石)と黒雲母が特徴のpm−T(御岳第一軽石)を探し出し,観察しました。また,地形は入りくんでおり海進と海退の解説に想像を働かせ,街の中に海をみました。
 最後に途中から雨になり,草加東高校の野球部のご好意により倉庫と部室をお借りし昼食をとることができました。ありがとうございました。

{妻沼高校 久保田郁夫}(参加39名)

造成地にできたローム層の露頭

このページの最初へ

第400回 霞川を歩く・地ハイ第400回記念品づくり
               2006年 7月16日

 1965年に始まった地学ハイキングは、この7月で400回を迎えました。今年は、節目の年として、いくつか記念企画が予定されています。今回は、その一環として入間市付近の霞川を歩き、豊岡高校で400回を記念して文鎮や化石レプリカといった物作りに挑戦してみようということになりました。
 朝から時折小雨が降る梅雨空のもと、入間市駅北口で案内者の松岡さんからこの付近の段丘地形の話を伺ったあと、霞川に向かいます。大和橋上流の川原で、早速「川原の石の仲間わけ」を行いました。霞川では初めての調査です。直径が30cmを超える巨礫や、少量ですが閃緑岩・安山岩・ホルンフェルスといった岩石、さらにはコンクリートの礫も見られ、礫の故郷を考える上で、みなさんの関心事となりました。その後、霞川沿いを歩き、段丘地形の様子がよく観察することができました。
 午後は、豊岡高校の地学室で400回の記念品作りです。コレニア石灰岩を材料とした文鎮作りでは、岩石切断機を使って文鎮用や写真立用に整形する方、素材を生かし一部だけを研磨する方など、思い思いに作品を作りました。また、デスモスチルスの歯(これも地団研秩父総会の記念品のレプリカ)のレプリカ作りでは、歯科技工士の本間さんがつきっきりで手ほどきをしていただいたお陰で、上手に作ることがきました。なかには、自分の手のレプリカを作ったお子さんもいたようです。普段とはちょっと趣向を変えた地ハイとなりましたが、それぞれに物作りを楽しみながら地ハイ400回の記念作品を完成させたのではないでしょうか。

{早稲田大学 力田正一}(参加者 39名)

入間市の霞川の川原でれき調査

このページの最初へ

前の10回へ   日曜地学ハイキングの記録一覧へ   次の10回へ



地学団体研究会埼玉支部トップページへ