地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第281回〜第290回(1994年8月〜1995年8月)


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第281回 秩父盆地をたずねて−秩父市黒谷・蓼沼−
                1994年8月21日

 とにかく暑かった今年の夏は水不足の夏でもありました。毎日毎日太陽の照りつける日が続きうんざりしましたが、この夏の数少ない雨の一日となった8月21日に第281回の地学ハイキングが行われました。少しの雨なら涼しくてよいところなのですが、前日の夜あたりから思いっきり降られてしまい、そのため午後の予定場所であった荒川の河原が水没してしまいました。せっかくの化石採集は残念ながら“お流れ”になってしまいました。
 そんな悪天候のなか、集合場所の黒谷駅に17名が集まりました。化石採集が無理となったので予定を変更し、出牛−黒谷断層・聖神社の見学のあと、美の山公園観光道路まであがり展望台から盆地およびその周辺の地形を遠望し、さらに和銅採掘遺跡を見学する、というコースとしました。
 出牛−黒谷断層は秩父盆地の第三紀層と東方の基盤岩を境する断層で、盆地の東縁となるものです。今回の断層露頭の場所は以前にも地ハイでおとずれたところですが、その時は基盤の岩石がチャートのようにみえ、それ以来そのことがずーと気になっていました。というのも、地質図によるとこの地域の基盤は御荷鉾緑色岩であり、チャートは分布しないはずだからです。今回じっくりみましたが、やはり基盤の岩石はチャートのようです。御荷鉾緑色岩と第三紀層の間に秩父帯の岩石がわずかに挟み込まれて露出しているのでしょう。
 美の山公園観光道路沿いの展望台からの盆地の遠望、頭ではわかっていた盆地内のようすやまわりの山地とのちがいを、パンフにのせられていた“模型写真”を片手に、実際に自分の目で確かめることができました。

(参加者17名)

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第282回 狭山丘陵の自然をたずねて  1994年10月16日

 今年の地ハイは雨にたたられたり、地団研の埼玉総会の巡検と合流したりで、いつもの形の地ハイが行われないことが続きました。今回は久々に通常の形態で地ハイが実施できました。天気もよく、たくさんの人が集まりました。
 今回のテーマは狭山丘陵の第四紀層と植物の観察です。都会に近い場所ですが、自然が多く残されていて地層の観察がじっくりでき、また化石も数多く産出しました。このことには驚きを感じてしまいました。

 この地域でみられる地層は関東ローム層とその下位の狭山層です(ただし、狭山層のとらえ方は人によって若干違いがありますが)。ローム層は多摩ローム層で今から約40万年前の古い火山灰です。狭山層は礫層や粘土層からなっていますが、粘土層の部分は時代的には加冶丘陵の仏子層に相当するということで、仏子層と同じように貝化石(カキの密集している部分もある)や生痕化石が含まれています。
 当日は地質だけでなく植物の観察も行われましたが、案内者が別々であったので、参加者も全体が2つ(地質班と植物班)に分かれてしまいました。両方の説明を聞きたいという参加者もいて、その点は反省点です。

(参加70名)

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第283回 秩父の自然史 −長瀞編− 1994年11月20日

  長瀞での地ハイ、というといっもなら結晶片岩がテーマとなりますが、今回は長瀞周辺の地形・河原の礫をテーマとして長瀞を歩きました。ふだんはあまりとりあげられない内容、いつもと違った角度から長瀞を考える地ハイとなりました。
 秩父鉄道長潜駅に10:15集合、駅前で案内の角田さんよりコースの概略の説明をしていただいきました。その場でだされたのが次のような問題提起でした。「川は高いところから低いところへ流れるものである。しかし、荒川は秩父盆地から出て、山の中の長瀞へ向かって流れている。低い方に流れていくはずの川が高い山のなかに流れているのである。なぜこんなことが起こるのだろうか?」 参加者ばこのようなテーマを与えられ、このことを考えながら岩畳から虎岩へと歩いていきました。
 虎岩付近の河原では礫調査を行いました。花崗岩の礫がほとんどみつからなかったのが意外でした(もちろん河原にはいくつもあるのですが、調査のヒモにかからなかったということです)。
 最後は県立自然史博物館の見学です。ちょうど鉱物展の開催中、立派な鉱物の標本が数多く展示きれていました。さらに、地ハイ係の阿比留さんの切手の展示もありました。最後は博物館の前で一日のまとめをして解散となりました。なお、博物館見学の際には学芸員の楡井さんにたいへんお世話になりました。ありがとうございました。

(参加48名)

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第284回 地盤沈下と低地の地形をまなぶ−幸手市−
             1994年12月18日

 冬型がゆるんだ穏やかな朝、幸手高野台駅に集合し、幸手団地の地盤沈下調査にでかけました。地盤沈下をどうやって測るのだろう?と思っていましたが、実に単純明解。地盤沈下で建物が抜け上がってしまった高さを、建物に付けられた階段の段数で測るのです。中には7段(約1m)も抜け上がってしまった所もあり、住んでる人は不便だろうと思いました。今回の調査は1991年の調査との比較という意味がありましたが、段数の変化は顕著でなく、メジャーなどを使ったより精密な調査が必要だという意見が出ました。
 幸手高校で、各斑で調べた結果をまとめましたが、狭い団地の中で抜け上がりの違いが見られるのに驚きました。高校では地盤沈下の仕組みについて説明があり、特に川口の様子を写したスライドは印象に残りました。また、県東部の川の変遷や、昔の川を知る手掛かりとなる自然堤防について説明してもらい、実際に屋上に上がって見学しました。広大な平野のなかにカープして曲がる森が連なり、過去の川の流れの雄大さを感じました。

(参加32名)

地盤沈下によりつけ足された階段

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第285回 奥多摩の自然をたずねて −東京都奥多摩町−
            1995年1月15日

 今回のコースは昨年度も行ったのですが、その時は前日からの雨の影響で参加者が非常に少なかったため(しかし当日の朝現地に着いた時にば雨はあがっていたのですが)、再度計画ということになりました。とはいっても、埼玉からはかなり距離のある場所、さらに真冬の奥多摩ということで、どれくらいの人が集まるのか、正直言って不安なところもありました。ところが‥‥‥‥‥。
 天気はよいのですが、とても寒い朝、青梅線に乗り奥多摩駅に着くと、駅前広場はたくさんの人だかり、パンフレットを配るのですがまったく足りず、急きょ近くのコンビニエンスストアーでコピーして増刷することになりました。何と全体で(ちょうど)100人もの人が集まりました。全体を2つにわけ、午前中化石採集・午後鉱物採集の班と、その逆の班をつくりました。
 ここでとれる化石は「鳥の巣石灰岩」中のサンゴ・石灰藻などです。化石は岩石の風化面でみた方がわかりやすく、みんなころがっている石の表面を丹念に観察していました。一方、鉱物採集は奥多摩駅東方の多摩鉱山跡で行いました。ここではマンガン鉱物が採掘されていましたので、それを採集しようということでした。なかなかいいものはとれませんでしたが、鉱山跡の雰囲気はつかめたでしょう。

(参加100名)

奥多摩のマンガン鉱山跡

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第286回 三浦半島:剣崎・城ヶ島をたずねて 1995年3月11〜12日

 今回は一泊で神奈川県の三浦半島・城ヶ島にやってきました。ここは数年前に行ったところですが、最近はこの地域でみられる生痕化石(生物の生活の跡が残ったもの)についての研究がすすんでおり、その成果も合わせてもう一回新たな目でみてみようということになりました。
 3月11日朝、品川駅に集合。京浜急行線で一路三崎口へ向かいました。三崎口駅では強風のなかでのパンフレット作りからはじまりました。その後もこの強い風には悩まされました。一日日は断層や褶曲、そして生痕化石をみました。特に生痕化石のところでは案内者が参加者そっちのけで(?)、観察していました。
 夜はいつもながらの大コンパ!、延々と続きました。
 二日目は宿舎のユースホステルから徒歩で城ヶ島を一周しました。途中でコンボリュートラミナ、小断層、斜層理などを観察しました。圧巻はやはり火炎状構造(フレームストラクトチャー)でした。非常にみごとなもので、まさに教科書的、自然の造形美に驚いてしまいました。この日も風は強いものの、非常に天気がよく、気持ちのよいハイキングとなりました。

(参加44名)

剣崎灯台下の海岸で

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第287回 水子貝塚公園と富士見の自然 −富士見市−
                  1995年4月16日

 4月の地ハイは本当に気持ちが良いものです。貝塚公園を見学した後、草花を見ながら新河岸川沿いに歩き、富士見高校に向かいました。
 貝塚公園入り口には、縄文時代の関東地方の海岸線を描いたパネルがあり、海がこの近くまできていたのがわかります。展示館では貝塚のはぎ取り模型を中心に、発掘当時の様子がビデオで解説されています。地学的に興味深かったのは人間と水との関係です。当時の住居が台地の端の湧水とそこから延びる小川の周辺にしか分布してないのです。明治時代までこの状況は変わらず、水の重要性を再確認しました。また、貝塚と聞くと縄文人の主食が貝のように感じますが、カロリー源の中心は木の実だったということです。
 公園北の大応寺の崖を下ると湧水池があります。台地に降った雨が台地の端から湧き出すわけですが、湧いていませんでした。宅地造成による地下水流の変化が原因でしょうか。
 富士見高校では、岐阜県鵜沼の泥岩中のマンガンノジュールから取り出した「放散虫」の化石を観察しました。0.5mm以下の粉のような粒を髪の毛の先にくっつけて拾いだします。顕微鏡で見ると星型、角型、十字型など実にユニークな形をしています。形のよいものをなかなか拾えず、みんな苦労していたようでした。
 その後、「日曜地学の会」の総会を行い、94年度の報告と95年度の計画が提案されました。岡野さんからはスライドによる阪神大震災の様子が報告がされました。

(参加46名)

竪穴式住居の復元がある、水子貝塚公園

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第288回 荒川中流花園町をたずねて  1995年5月21日

 雨を少し心配しましたが、まずまずの天気で快適にハイキングできました。今回は荒川での化石採集と河原の礫調査がテーマです。まず、荒川の玉淀大橋の下で新第三紀中新世に堆積した小園層から貝化石の採集をしました。あいにく、川が増水しており、長靴の人に岩石を大きざ割ってもらい、その中から化石を探していました。2cm大の巻貝の化石が多く見つかりました。化石採集の後、玉淀大橋を渡りながら河岸段丘を遠望して荒川の南岸でひと休み、「日曜の地学」や「日本の自然」など書籍の販売が行われました。
 大橋の上流側には小園層と接する結晶片岩が見られます。結晶片岩は長瀞の岩畳をつくる岩石と同じ種類ですが、ここのものは片理がはっきりしておらず、一目ではわかりづらい岩石でした。そこから荒川南岸を2kmほど下って、貝殻渕に着きます。名前が示すように、河床かた段丘崖の上まで、白いカキの化石が詰まっています。段丘崖の上の方には段丘礫層が露出しており、過去の河原の高さがわかりました。
 最後は花園橋の上流で河原に下りて礫調査です。長さ5mのロープにかかった石を分類し、割合を求めるわけですが、分類はなかなか難しいものです。しかし、見分け方を教わりなから、何個も見ているうちに小学生もきちんと分類できるようになっていました。また一つ礫調査の結果が追加されました。

(参加54名)

河原の礫調査

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第289回 さきたま風土記の丘
       埼玉平野の環境変化−行田市−
 1995年7月23日

 6月の地ハイがなく、今月も第4週ということで、ひさびさの地ハイとなりました。暑さは覚悟していましたが、梅雨明け直後で、まだ体が暑さになれておらず、辛いものがりました。夏はどこでも暑いのだけど…、田んぼの中で逃げる木陰も無くこたえました。
 今回は「埼玉の自然をたずねて」(筑地書館)の1番目に紹介されているコースで、地ハイでも数年前に行ったところです。近年「埼玉風土記の丘」として整備され、自由に見学できるようになりました。まず、さきたま資料館と埼玉古墳群を見学した後、田んぼの中を八幡山古墳まで歩き、大きな石室を見学しました。
 始めに日本で一番大きい円墳といわれる丸墓山古墳の上から加須低地を展望しました。周囲を見渡すと田んぼ中に古墳がつくられているように見えます。「古墳時代の人は、洪水の起こりやすい低地にお墓をつくるのでしょうか」という問題が案内者の平社さんからでました。その答は登ってきた古墳をつくる赤土にありました。
 この後の八幡山古墳までの田んぼ道がきつかった…。大きな石室に着くやいなや、石室の中の涼しい空気で体をいやしました。石室をつくる石の中には長さ4m幅3mもの緑泥石片岩があり、切り出すにも運ぶにも大変だったことがうかがえます。八幡山古墳で万葉集に出てくる短歌から当時の自然環境を考え、一日のまとめをしました。

(参加62名)

八幡山古墳の石室で

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第290回 秩父盆地 ようばけをたずねて 1995年8月6日

 今回は「埼玉の自然をたずねて」(筑地書館)でも、“地層と化石を学ぶ好適地”と紹介されている、県内では有名な化石の産地です。夏休み中の化石採取とあって、家族連れなど多くの人が集まりましたが、天気が良く暑さが心配でした。7月と比べれは移動も少なく、木陰もあってしのぎやすいほうではありましたが気温が高かった!…。
 河原に下りたところで住処の化石である生痕化石の説明を受け、いやおうなしに化石採集の意欲がわいてきます。薮の中を500mほど下流に下り、「ようばけ」に着くやいなやカチンカチンと始まりました。始めは元気が良かったのですが、暑さのためかお昼過ぎには木陰で休む人が多くなりました。そんな中、崖の上まで丹念に探していた高校生が、ここでは報告されていないカニの化石を発見しました。その他にもカニや貝化石、サメの歯、魚類の鱗など、沢山の収穫があり、良いおみやげができたようです。
 最後のまとめては、ようばけと同じ奈倉層から出土した大型哺乳類「パレオパラドキシア」の化石を手にとって見ました。最近、大型哺乳類の報告が多いのは、ずっと昔から地表に出ていたのだが気づかれずにいたのに、人間の見る目が進化?したためだそうです。今回は暑さのため「はさみばけ」の観察はやめて、1時間早く切り上げました。解散の数時間後に激しい雷雨があり、最寄りの駅に着いた頃には土砂降りでした。早く終わりにして正解でした。

(参加87名)

ようばけの崖下で化石採集

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