地学団体研究会埼玉支部

日曜地学ハイキングの記録


 第211回〜第220回(1987年8月〜1988年7月)


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第211回 秩父盆地西縁をたずねる
   −化石採集+地質調査体験ハイク Part U−
 1987年8月15〜16日

 今回は昨年好評であった「地質調査体験ハイク」の第2弾を実施しようということになったが、夏休み中なので子供たちにも参加できる普通の地ハイも同時開催しようということで、「化石採集+地質調査体験ハイク Part U」となりました。
 一般コースは8月15日の日帰りで行われました。西武バス「栗尾」のバス停から、谷におり、河原沢川との合流点から岩殿沢を登っていきます。合流点付近では綺麗な縞模様の砂岩泥岩互層が見えました。砂岩中の級化成層や平行葉理などを見ながら、しばらく沢を登っていくと、化石の産出地点に着きます。たくさんの貝化石を採集した後は、さらに沢を登り、たくさんの水子地蔵が祀られた地蔵寺のところで、秩父帯との不整合を観察しました。
 「地質調査体験ハイク」は、初日の15日、岩殿沢、河原沢川、薄川に分かれて、ルートマップを作成し、夜は宿舎で各班のまとめと発表を行いました。二日目の16日は、各班で断面図と柱状図を作成し、地形図に3つのルートマップを写して、地質図を作りました。四苦八苦してなんとか仕上げることができました。地質図を見ると、北ほど礫層が厚いので、どうしてこうなっているのだろうかと議論になりました。

(参加者、化石採集:53名+地質調査体験:ハイク11名)

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第212回 三浦半島油壺〜城ヶ島とたずねて  1987年10月10日〜11日

 今回は1泊2日で神奈川県の三浦半島突端の油壺から城ヶ島の地ハイで、海岸地形と三浦層群中の堆積構造などを観察しました。
 品川駅から京浜急行で三崎口まで行き、さらに油壺までバスで行きました。マリンパーク周辺の海岸で、新第三系三浦層群中位の初声(はっせ)層を観察しました。初声層は軽石質で白っぽい地層で、向斜構造や大規模なクロスラミナが見られました。荒井浜の北では、黒っぽいスコリア質の三浦層を削り込んで堆積している様子も観察しました。一度バス停に戻り、東大地震研究所の前を通って、油壺の検潮場を見ました。
 その後、リアス式海岸や海岸段丘の地形を見ながら、「諸磯の隆起海岸」といわれる穿孔貝の掘った巣穴の跡がたくさんある岩場を見ました。そして、尾上台西から海外町、歌舞島と歩き、いろいろな乱堆積構造を見ました。途中、白石町で見た「波調層」は漣痕ではなくコンボリュート葉理のようでした。マグロで有名な三崎港まで歩き、バスに乗って城ヶ島に渡りました。城ヶ島大橋の上から、通り矢の不整合(三崎層の上に段丘堆積物がのっている)が見えました。
 宿舎は、城ヶ島ユースホステルでした。美味しい刺身と鍋の夕食となりました。昔はユースというと禁酒でしたが、案内のOさんがいつも持ち込んで呑んでいるせいか、ビールも用意されていました。
 2日目は、城ヶ島を一周しました。最初は島の西端の城ヶ島灯台付近を観察しました。灯台の北側で三崎層のほぼ垂直に立った地層やスランプ褶曲を見て、長津呂の隆起海食台で共役断層、ピンク色の火山灰層のフレーム構造、生痕化石、向斜構造を観察しました。島の南側の海岸を東に進むと、海食道の凹みがあり、白っぽい初声層に変わりました。ここに逆断層があるそうです。馬の背の洞門は海食洞のトンネルで、周辺には油壺で見たのと同じようなクロスラミナが見られました。
 ここから一度、坂を登って城ヶ島公園の中を進み、東端の安房崎に下りました。ここでも白っぽい初声層が見られ、スランプ褶曲が見られました。さらに「水っ垂」裂罅水、大きなキャベツのような、亀の子島の逆転したコンボリュート葉理を見ました。
 ユースホステルに戻り、カレーライスを食べて、今回の地ハイは終了。バスと電車を乗り継いで、家に帰りました。
 いろいろな堆積構造、とくに乱堆積構造について、いろいろ見られて楽しい地ハイでした。

(参加39名)

長津呂から馬の背の洞門に歩く
「水っ垂」付近の遊歩道

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第213回 皆野町日野沢の秩父帯 1987年11月15日

 今回は秩父帯の地層について、皆野町史にまとめられた飯嶋・関根・長谷河の三氏に案内をしてもらいました。あいにくの冷たい雨模様でしたが、秩父帯の新しい知見を得ることができました。
 皆野駅前から町営バスに乗り、「札所前」で下車。まず、秩父札所34番の境内の石灰岩体を見学し、何人かは狭い鍾乳洞をくぐりました。石灰岩体のまわりは泥質岩で囲まれているようです。次に、日野沢鉱山跡に行きました。斜面を少し登ると真っ黒なズリがあり、黒色チャートの露頭がありました。昭和38年まで採掘されていたということです。
 さらに、秩父華厳の滝まで進み、奈良尾橋の上流の日野沢川河床や、その南側の沢を登ると、メランジェ(混在岩)が観察できる。泥質岩の中にチャートや石灰岩、緑色岩が礫状に取り込まれており、それそれの岩石は、これまで言われてきたように地層として連続していないのである。泥質岩からはジュラ紀の放散虫化石、チャートからはトリアス紀のコノドント、石灰岩の中からはペルム紀の紡錘虫が発見されているので、古い時代の岩体が新しい時代の泥質岩の中に混在していることになるということです。これは海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むときに、サンゴ礁の石灰岩や深海底のチャートが剥ぎ取られて、陸側から流れ込んだ泥の中に埋もれた、混在岩となって大陸プレートの縁に押し付けられた「付加体」だと考えると旨く説明がつくと言うことです。

(参加28名)

札所前のバス停で概要の説明
奈良尾橋上流の日野沢川河床で

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第214回 武蔵野台地をたずねて(和光市白子川沿い〜和光高校)
                    1987年12月20日

 12月にはいって日曜日ごとに雪となり天気が心配されたが,この日は快晴,風もなく絶好の地ハイ日和りとなりました。
 コース・見どころの説明のあと,長い列となって歩きはじめました。今回は和光市周辺の台地の地層を観察しました。和光市・朝霞市など武蔵野台地北東の周辺は、都市化の波にあらわれ住宅地や商業地となり,地層を直接見ることがむずかしくなりましたが、台地と低地の境ではわずかに地層がのぞき私達の生活する大地の下のようすを見ることができます。台地をつくるいろいろな地層を観察し、台地のおいたちを考えました。午後は和光高校で鉱物観察をしました。

(参加44名)

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第215回 比企丘陵をたずねて(二ノ宮山周辺) 1988年1月17日

 風は冷たいが快晴。冬枯れの明るい丘陵を歩き、滑川沿いの道にでると展望がひらけ関東平野をとりまく山々が青くみえました。この地域は「ため池」が非常に多くあります。ひでりのための水不足に悩む農民たちが知恵と汗をしぼってつくりあげたものだそうです。
 今回は比企丘陵に分布する新第三系の「七郷層」を見学しました。最近、関越道の工事にともなう露頭で、七郷層中に埼玉ではめずらしい「グリーンタフ」の発達していることがわかり、それも見学しました。
 上井古の台沼のわきから、道路沿いに新沼、逆沼と進み、柳天沼付近では広い採石場跡で溶結凝灰岩が見られました。関越自動車道わきの扇沼のところでは、大谷石のような福田凝灰岩が見られました。歩きながら走向・傾斜を記入していくと、背斜構造という地質構造をたしかめることができました。ちょうど背斜構造を横切るように歩いたのでした。

(参加46名)

上井古の露頭で、破砕帯の説明

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第216回 早春の榛名山・伊香保温泉をたずねて 1988年3月20〜21日

 1日目高崎駅に12時集合、この時は若干くもっている程度でしたが、2日目は途中から雪が舞ってきました。3月とはいえまだ冬なのでしょう。(しかし今年の冬は4月になっても雪の降るような異常気象でした。)
 今回は県外に出て1泊2日で火山を見学しました。見学したのは群馬県の中央に位置する榛名山です。この火山は6世紀まで活動していた火山で中央火口丘・外輪山・寄生火山など代表的な火山地形を見ることができます。それらの地形や火山の岩石を見ながら,榛名火山のおいたちについて思いをめぐらせた。
 貸切バスで、箕郷町松之沢に行き、4万年前にカルデラができたときの大噴火で流れ出した白川火砕流を見学しました。そして、榛名神社で、放射状岩脈を見学し、榛名湖と向かいました。榛名湖はカルデラにできた湖です。バスを降り、ロープウェイで榛名富士に登りました。榛名富士は角閃石安山岩の溶岩円頂丘です。
 榛名湖温泉「ゆうすげの湯」に泊まりました。夜の学習会では群馬大学の野村先生から群馬県の火山についての講演がありました。スライドをまじえ非常に興味深い内容でした。
 2日目は途中、雪が降り出す中を徒歩で見学しました。カルデラ内の湿原、沼の平から、二ツ岳爆裂火口、二ツ岳風穴、そして、伊香保温泉の源泉まで下りました。伊香保温泉には温泉水の飲用場がありましたが、やや塩辛く鉄さびがき使ったです。

(参加49名)

雪の中、二ツ岳爆裂火口へ

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第217回 入間市北部をたずねて 1988年4月24日

 夏を思わせるような(というのはオーバーか?)暑さの中、仏子駅にたくさんの人が集まりました。簡単なコース・みどころの説明の後、長い列となって歩きはじめました。後で調べてみると何と109人もの参加がありました。
 今回は入間市北部の加治丘陵を歩きました。丘陵をつくる前期更新世の仏子層、笹井の化石林として有名な笹井ダム下流の植物化石群、そしてロームを観察し、最後に豊岡高校で「日曜地学の会」第一回総会をひらきました。

(参加109名)

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第218回 新緑の二子山をたずねて 1988年5月22日

 今回は群馬との県境にある名峰二子山に登りました。地層見学だけでなく山頂からの大パノラマを満喫しようという計画でした。
 しかしあいにくの雨で、さんざんな一日でした。ぜひもう一度天気の良い時に訪れたいと思います。登山道の途中では山中地溝帯の砂岩・頁岩層、秩父帯の石灰岩などがみられ、石灰岩中にはフズリナなどの化石が含まれているとのこと。石灰岩の露頭では化石採集となりましたが、あまりみつからなかったようです。

(参加50名)

登山口、坂本でのコース説明

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第219回 初夏の長尾根をたずねて(秩父盆地) 1988年6月26日

 10時、浦山口駅集合。あいにくの曇り空、しかしかえって涼しく地ハイにはちょうどよい天候かと思ったのも束の間でした。今回は秩父盆地の河岸段丘をさぐるということで、荒川の河床近くの久那橋をわたり、札所25番久昌寺を過ぎると、いきなり山道になり標高400mほどの高位段丘面まで一気に登りました。ふだんの運動不足がたたりやっとのことでたどりつきましたが、段丘というものをからだで感じることができました。
 長尾根の高位段丘面上では、何枚かの白っぽい軽石などがきれいに成層した関東ロームの露頭がみられ、いくつかサンプルをとりました。ここから長尾根を北に向かい、札所24番法泉寺へ下り、巴川橋に向かいました。そこから荒川を見下ろしながら低位段丘面の縁を歩いて、金仙寺に行きました。ここには秩父事件の困民党総理、田代栄助の墓がありました。
 さらに、低位段丘面を刻む押堀川の谷で段丘礫層からの湧水を見て、秩父高校に行きました。ここでは高位段丘面で採集したサンプルをわんがけして鉱物観察をしました。
 登り下りの途中何ヶ所かで段丘礫層を観察し、膨大な厚さの礫層に驚きました。

(参加36名)

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第220回 寄居 円良田湖−少林寺をたずねて 1988年7月17日

 この日は朝から雨模様、この天気ではたぷん地ハイの参加者も少ない(いない?)だろうと思いつつ係・案内者が集合場所に行ってみると、定刻前だというのにもう何人か集まっている。結局常連を中心に20数名の人が集まりました。
 今回は寄居付近の結晶片岩を観察し、さらに段丘地形や段丘堆積物、そして少林寺の五百羅漢の見学もしました。案内者の説明は土地の隆起・地殻変動からかつての荒川の流路についての話にまでおよび、参加者からいろいろと質問が出されました。天気は今一つ(二つくらい?)パッとしませんでしたが、逆に少林寺など雨のおかげで情緒を感じました。

(参加25名)

逆川の結晶片岩の露頭で

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