TOP ■ちちぶ総会紹介シリーズ ■(5)秩父団研の思い出 
日本地質学発祥の地・ちちぶ総会シリーズ(5)

   秩父団研の思い出

 最終更新日:2023年6月2日

 

 家の荷物の整理をしていたら、偶然小さな赤い三角の旗が出てきた。一つの旗には「65 秩父団研、川又、柳小屋、大荒川谷、真の択、千丈の滝」、もうひとつには「66 秩父団研、川浦谷、天目山、仙元峠、蕎麦粒山、日向沢ノ峰、獅子口、百闥ラョ」と書かれていた。また写真も出てきた。柳小屋での夕食とコンパのようすが写っていた。これらは、埼玉大学2 年・3 年(1965 年・1966 年)のときに参加した秩父団研のものである。
 当時の地団研埼玉支部の活動は、秩父団研・日曜巡検が主な内容だった。秩父団研は当時東京大学におられた大久保雅弘会員、埼玉大学の堀口万吉会員・村井武文会員・武井ケン朔会員が中心で活動していた。秩父帯北帯の調査が終わり秩父帯南帯・四万十帯に入り、秩父団研終了に近いころであった。四万十帯は当時「時代未詳中生代の地層」と言われていた。
 奥秩父主脈の2000m 級の山々が連なる、荒川源流域の険しい山域で、持参したテントや営林署の作業小屋、避難小屋などに泊まり、食料も大きなキスリングというザックで背負い上げ、自炊しながら地質調査に取り組んだ。地下足袋での沢登り(山の歩き方)、地層や岩石の見方、標本の採集とトリミング方法、クリノメーターの使い方からルートマップの作り方、地質断面図の作成等々地質調査の基礎を学んだ。荒川源流域の国土地理院の5万分の1地形図は等高線が不正確なので、沢の流路を航空写真で修正して使用した。秩父帯と四万十帯を境する仏像 線の延長(白泰断層)を観察し、黒色の石灰岩(鳥巣式石灰岩)から示準化石の厚歯二枚貝を採取したり等、すごい体験もあった。
 山岳部の山行(登山)と地質調査を合わせた体験、体力と知力を目一杯使った。また、他の大学の先生方からの指導をうけ、東大・東京教育大・埼玉大の学生が同じ釜の飯を食い、一緒に学んだ。そして、コンパの時や、テントの寝袋の中で、色々な話をした。「何でもノート」という団研の日誌があり、調査の記録の他に、その日にあった出来事や、団研で使うザイルやコンロの使い方、トリスウイスキーを5 本購入したこと、トンてき(豚肉の味噌漬けをアルミホイルに包んで焼いた秩父団研特製の焼肉)のこと、寝袋、米軍払下げの折畳み小型スコップ、飯盒炊飯等が書かれた。
 地団研総会が東大であったときには、秩父団研の学生が大久保会員の教室で準備から手伝いもした。忙しかったけれど、この時期に団研で地質学(学問)を学んだと思う。

(埼玉支部 小林健助)

 


1965 年、秩父団研、柳小屋前でのコンパ。秩父音頭。笛を吹いているのが筆者。


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